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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



山手線
(品川 - 田端)

JR Yamanote Line
(Shinagawa - Tabata)








「山手線」と聞くと、東京の都心部を環状運転している
ウグイス色のラインカラーの電車を
思い浮かべる方が多いかと思います。

日中でも数分毎に電車が走り、座席も埋まっており
一日中、多くの乗客を乗せて走る姿は
大都会東京の象徴のような姿です。

しかし山手線の正式な営業区間は
品川から渋谷・新宿・池袋を通り
田端までの26.0kmの路線です。




Yahoo Mapを編集・加筆しました。



下町に含まれる上野や神田界隈を走るのに
「山手線」とはおかしいのでは、と
思われていた方も多いかと思いますが、
正式な営業区間は、まさに山手です。

ちなみに、田端から上野を経て東京までの
正式な路線名は、東北本線です。
また東京から品川までは東海道本線です。


山手線は、元々は明治初期に北関東と横浜を結ぶ
貨物線として、赤羽 - 品川間が建設され、
さらに常磐線とを繋ぐ、田端 - 池袋間が開業しています。
1896年(明治29年)の事でした。

貨物線だった為に、当時は人口も少なく、
江戸時代には江戸には含まれていなかった、
辺鄙な新宿や渋谷を通るルートで建設されたそうです。


この山手線には何度も乗車していますが
2010年1月に乗車した際の様子を紹介します。

東京23区内の様子はこちらです。




品川 - 新宿
(Shinagawa - Shinjyuku.)
Dec. 05, '14


新宿 - 田端
(Shinjyuku - Tabata)
Dec. 30, '14


番外編(1) 田端 - 東京
(Tabata - Tokyo)
NEW ! Jan. 05, '15


番外編(2) 東京 - 品川
(Tokyo - Shinagawa)






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鉄道旅行へのいざない






品川 - 新宿
(Shinagawa - Shinjyuku.)








山手線の起点は品川駅です。

品川駅は、日本で鉄道が初めて開業した
1872年(明治5年)に営業を開始しています。
開業当初、品川駅の東側は海だったそうです。

この品川駅は、東海道新幹線、東海道本線や
京浜急行本線との接続駅になっています。

京浜急行の乗車記は
こちらです。

以前、品川というとどことなく鄙びた
雰囲気が漂っていたような感じでした。



西口の駅舎は、今もその時の面影を残しています。

初めて東京の地を踏んだのは中学の修学旅行でした。
岡崎駅から乗った修学旅行専用列車が品川駅に着き、
細く長く暗い地下通路を歩いて、東口に
出た時の事は今でも覚えています。

どこか場末というか、寂れた雰囲気を感じました。



ところが東海道新幹線の品川駅が出来た
2003年(平成15年)以降でしょうか、
特に東口の発展は目覚ましく
今では近代的なビルが建ち並んでいます。


品川駅西口に建つ高層ホテルから眺める品川駅の様子です。



品川駅には、先ほどの路線の他に、「京浜東北線」や
「総武・横須賀線」の列車も走り、駅はかなり大きな規模です。
東口に建ち並ぶ高層ビル群も良く見えています。


ちなみに、この品川駅は品川区には無く港区にあります。
明治初期、当時栄えていた品川宿が寂れる事を懸念し、
駅の設置に反対したからだと言われています。

品川宿の様子はこちらです。



さて、これから山手線の乗車記を紹介しましょう。
品川駅の山手線ホームは、JRとしては一番西側、
京急の高い位置にあるホームの脇にあります。



品川を発車すると南を目指して走ります。
駅の外れで、京浜急行の線路が
オーバークロスしています。



ここから掘割の中を直進していきます。



京浜東北線、東海道本線、横須賀線と
新幹線と並走し、5複線区間になっています。

しばらく直進した後、山手線の線路は
右に大きくカーブを切っていきます。

東海道本線や京浜東北線と別れた頃、
踊り子号で使われている185系とすれ違いました。



ほぼ180°向きを変える程のカーブを抜けると
新しいビルが建ち並ぶ大崎駅に到着です。

この大崎駅は新木場へ向かう東京臨海高速鉄道の
りんかい線と「湘南新宿ライン」と接続しています。
また「埼京線」の電車も大崎まで乗り入れています。

「湘南新宿ライン」の乗車記はこちらです。


大崎駅に停車中の山手線電車です。



駅の南には車両基地があり、
山手線のホームが2面4線になっています。

りんかい線や埼京線の電車が乗り入れる前は
大崎駅の乗車人数は1日4万人程と、
山手線の駅としては少ない方でしたが、
今では3倍以上に増えています。


大崎駅を発車したところです。
大崎からは複々線になっています。



右の2つの線路が山手線、左の2つの線路が
山手貨物線で、これらの間に渡り線があります。

左の山手貨物線を「湘南新宿ライン」や
「埼京線」の電車が走ります。

真っ直ぐ伸びた線路が左に
カーブしかかると五反田駅です。



駅の手前で、東急池上線の線路が
山手線の上に覆いかぶさるように
オーバークロスしています。

五反田を出ると、周囲の景色が開けます。



「湘南新宿ライン」や山手線の電車と
すれ違いながら走ります。

都内ではどの路線も運転本数が多く
こうした行き違いは頻繁に見られます。

目黒を過ぎると山手貨物線と段差がつき、
恵比寿の手前で、山手貨物線を
オーバークロスしました。

目黒の様子はこちらです。




恵比寿駅に到着した様子です。



目黒では東急目黒線と都営地下鉄三田線と接続し、
この恵比寿では東京メトロ日比谷線と接続しています。


建設された当時は、辺鄙な田舎だった山手線沿線も
その後は急速に都市化の波に呑まれ、
郊外へと広がって行きました。

その郊外と都心を結ぶ私鉄がいくつも建設されましたが
郊外の私鉄は山手線内に路線を乗り入れる事が出来ず
山手線の駅にターミナルを造って来ました。

五反田や目黒、渋谷や新宿などがその例です。
都心に地下鉄が走るようになると、
相互乗り入れによって乗り換えせずに
都心まで行くことが出来る様になっています。

恵比寿と渋谷の間の様子です。



渋谷駅の手前で、山手貨物線に湘南新宿ラインの
ホームが見えだし、そのホームが途切れた辺りで、
山手線の渋谷駅に到着しました。



東急東横線、田園都市線、京王井の頭線や
東京メトロ銀座線、副都心線との接続駅で、
一日のJR渋谷駅の乗降客数は75万人にも及びます。

私鉄を合わせた乗降客数は215万人を数え
日本で4番目に多い駅です。


2011年7月に撮影した渋谷駅東口の様子です。



谷間に造られた渋谷駅には、地下鉄の
銀座線が高架で乗り入れています。

この時には東急東横線は、山手線の東側に
ホームがありましたが、2013年6月に地下化され
東京メトロ副都心線と相互乗り入れを果たしています。

東急(東京急行電鉄)の乗車記はこちらです。
東京メトロ副都心線の乗車記はこちらです。

ところで渋谷駅といえば、忠犬ハチ公です。
この犬の像は駅の西側にあり、
待ち合わせ場所でも有名です。



最寄りの改札はハチ公口と名前も付いています。


渋谷駅を発車すると、正面に
新宿の高層ビル群が見えて来ます。



国立代々木競技場の建物や
代々木公園の杜が見えてくると原宿です。



原宿駅は明治神宮の最寄駅で、島式ホームの他に、
西側に明治神宮の初詣客用の臨時ホームもあります。

明治神宮の訪問記はこちらです。


また原宿と言えば、駅舎も有名です。



二代目のこの駅舎は1924年(大正13年)に竣工したもので、
都内の現存木造駅舎としては最も古いものだそうです。


そして原宿を発車してしばらく走ると、
進行右手、山手貨物線から側線が分かれ、
一面一線のホームが見えて来ます。



宮廷ホームと呼ばれる皇室用の専用ホームです。
これは1925年10月に完成しています。

病弱だった大正天皇が、静養先に向かう際に
利用しやすいようにと設置されたそうです。

戦後もお召列車が運行される際には、このホームから
天皇皇后両陛下がご乗車になられたそうですが、
最近は新幹線を利用される事が多く、
2001年以降は利用されていないそうです。


明治神宮の杜の脇を抜けると、山手貨物線が平面を
山手線が高架を走るようになり、右側から
中央本線の線路が近寄ってくると代々木です。



通称・中央東線の乗車記はこちらです。


代々木駅のホームに停車中の様子です。



代々木駅からは新宿駅がすぐ近くに見えています。

代々木 - 新宿間の駅間距離は0.7kmですが
近年、新宿駅のホームが代々木駅側に伸びてきており
両駅の一番近いホームの端と端の距離は
僅か100m程しかないそうです。

代々木から、甲州街道や駅ビルの下にある新宿へと向かいます。
新宿へは地下に潜るような感じでした。



新宿は、小田急電鉄、京王電鉄そして東京メトロ丸ノ内線、
都営地下鉄新宿線と大江戸線との接続駅です。

小田急電鉄の乗車記はこちらです。
新宿発の「スペーシアきぬがわ」の乗車記はこちらです。

私鉄を含めた一日の乗降客数は360万人を数え、
世界一の利用客数を誇る駅です。



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新宿 - 田端
(Shinjyuku - Tabata)








JR新宿駅は、一日の乗降客数が
約150万人にも及ぶ巨大なターミナル駅です。

発着番線数は全部で16有り、新宿駅の山手線ホームは、
14番・15番線で中央・総武緩行線と方向別になっています。



14番線に停車中の電車は山手線内回りで、
乗車する池袋方面の外回りの電車が
入線してきたところです。

JR新宿駅には、この他に埼京線や
新宿湘南ラインの電車が使用する1〜6番線と
中央線快速電車と中央東線の特急列車などが
利用する7〜12番線があります。

中央東線の乗車記はこちらです。


新宿駅を発車した様子です。



右側に走っている電車は中央線快速電車です。

新宿駅を出ると、中央・総武緩行線と方向別の
複々線となっていますが、山手線はすぐに
中央線をオーバークロスしていきます。



中央線をオーバークロスする際、進行方向後方には
エンパイアステートビルのようなドコモビルが見えていました。
その手前には、西武新宿駅の駅舎も見えています。

西武新宿線を走る「小江戸」号の
乗車記はこちらです。

中央線が大きな弧を描きながら左に去ると
山手線は、埼京線や湘南新宿線の走る
山手貨物線と西武新宿線と3複線となります。



もう次の新大久保駅のホームの端が見えてきています。
新宿から僅か2分で新大久保駅に到着しました。



並走する山手貨物線や西武新宿線には
駅は無く、ひっそりとした感じです。

品川を起点とする山手線は、ここまで各駅で
地下鉄や私鉄が接続していましたが、
この新大久保は接続する路線も無く
単独駅になっています。

新大久保から山手貨物線、西武新宿線と
真っ直ぐな線形となり北に向かって走ります。



この辺りの右手には早稲田大学の
戸山キャンパスがある辺りと思います。

この先の高田馬場駅に停車しました。



一日の乗降客数は40万人近くにも達し、
西武新宿線と地下鉄東西線との接続駅です。

高田馬場の駅名は、赤穂浪士の一人、堀部安兵衛が
助太刀した高田馬場の決闘に因んで名づけられています。

堀部安兵衛の地元・新発田城の登城記はこちらです。

高田馬場の次は、目白です。
目白駅に差し掛かった際、山手線内回りの隣を
埼京線の下り列車が駆け抜けて行きました。



目白も、新大久保と同じく接続する路線のない駅です。
乗降客数も一日7万5千人程で、山手線では最も少ない数字です。


目白から勾配を上り、池袋を目指します。
池袋の手前で、西武鉄道池袋線をアンダークロスしました。

池袋は、JR赤羽線(埼京線)や西武鉄道池袋線、
東武鉄道東上線が接続する一大ターミナルです。



この他にも東京メトロ丸の内線や有楽町線、
副都心線も乗り入れています。

西武鉄道池袋線を走る「ちちぶ号」の
乗車記はこちらです。

山手線が開業した当時は、この池袋には
集落もなく駅も造られなかったそうです。

その後、田端との間の短絡線(現・山手線)を建設する際に
この池袋の地が接続地点に選ばれ、駅が出来たそうです。
しかも、元々は目白がその接続地点に選ばれていたのですが
住民の反対があり、池袋は代替として選ばれたそうです。

池袋駅西口の様子です。



池袋駅の西口には東武鉄道が
東口には西武鉄道が入っています。
駅構内にいると、少し方向感覚が狂ってしまいます。


池袋駅を発車します。



山手線の線路は下り勾配となりながら右にカーブしています。
地図で見ると、赤羽線の線路が直進していますが、
元々はこの赤羽線がメインルートだった証です。

赤羽線をアンダークロスし、進行方向を東に変えると
再び、山手貨物線と並走していきます。



山手線内回りの電車とすれ違いました。
掘割を抜けると大塚駅です。



この大塚は、都営荒川線との接続駅です。
もう20年以上も前の事ですが、この大塚で下車し
都営荒川線に乗り換えて出張先に向かった事があります。

都営荒川線の乗車記はこちらです。

大塚駅を発車すると、大きなカーブで
左に曲がり、巣鴨に向かいます。

巣鴨方面から、カーブを曲がらずに
線路を真っ直ぐに伸ばすと目白駅に至ります。
このカーブは、赤羽線との接続駅を
目白から池袋に変更した名残なのかもしれません。

そして巣鴨駅の様子です。



都営地下鉄三田線との接続駅です。

正直なところ、山手線はよく利用する路線ですが
池袋と田端の間はあまり利用した事がなく、
この区間の各駅も、あまり馴染がありません。

次の駒込も掘割の中の駅で、
土手に咲く躑躅が有名だそうです。



駒込は、東京メトロ南北線との接続駅です。
近くには、柳沢吉保の庭園だった六義園があります。

六義園の様子はこちらです。


駒込を発車した所ですれ違った内回りの電車です。



この先で、並走していた山手貨物線が
一段低い掘割を走るようになります。

下左の写真に写っていますが、
ここに山手線唯一の踏切があります。



この先で、山手線の線路は北に向かう
山手貨物線をオーバークロスし、
掘割を抜け南に進路を取ります。



東北新幹線の高架橋も間近に見えています。

山手線は、京浜東北線の下り線もオーバークロスし
京浜東北線の上下線の間に入り込みます。



そして、終点の田端駅に到着しました。

"終点"というのは勿論、線路戸籍上の話で、
「山手線」の電車は田端から先も環状運転を続けます。



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番外編 (1) 田端 - 東京
(Tabata - Tokyo)








山手線の正式区間は、品川から
新宿を経由し、田端までの26.0kmです。

田端から先は、正式な路線名は東北本線と
なるので、番外編として紹介します。


「山手線」は田端で「京浜東北線」の線路と
方向別複線となり南に向かいます。



「山手線」外回り電車の田端駅停車中の写真です。
山手線の線路の外側に京浜東北線の線路が走っています。

田端からの区間は、下町区間を走る為、
比較的平坦な路線です。

しかし、外回り線の進行方向右手の
西側には崖が続いています。



この崖は、日暮里崖線と呼ばれ、
約10kmも続く海蝕崖だった跡です。
縄文時代にはこの崖の下は海だったそうです。

田端から上野までの間は西側にずっと
この崖が続き、地理的に楽しい区間です。

田端から緩やかな勾配を上ると西日暮里です。



この西日暮里は、地下鉄千代田線と
都営の日暮里・舎人ライナーとの接続駅です。
また尾久を経由する東北本線や高崎線の線路も
この西日暮里辺りで合流しています。

日暮里・舎人ライナーの乗車記はこちらです。


西日暮里を出ると、平日の日中に田端 - 田町間で
快速運転をしている「京浜東北線」の電車が
追い抜かして行きました。



この辺りで、常磐線も合流し、東北新幹線も合わせ
5複線区間となり、10もの線路が並走しています。

日暮里駅に進入時の様子です。



古い線路を用いた柱が線路と線路の
間に並び、武骨な印象がします。

日暮里駅構内で並走する東北新幹線は地下に潜り、
一方で常磐線が合流してきました。



日暮里からは4複線区間となります。
海蝕崖に沿いながらカーブして進みます。
日暮里を出ると1.1kmで鶯谷駅に到着しました。
鶯谷駅脇の崖の上には、将軍の菩提寺だった
寛永寺の墓地が広がっています。

上野・寛永寺の様子はこちらです。


大きくカーブした線路の向こうから
東北本線の普通電車がやって来ました。



今では珍しくなった211系です。

(この写真は2010年1月に撮影したものです)


大カーブを過ぎると幾つもの
ホームが並ぶ様子が見えてきます。



上野駅には、西側の上野動物園側に
高架ホームがあり、東側に地平ホーム
その地下に東北新幹線のホームがあります。

地平ホームは日本では珍しい頭端式ホームとなっていて
そのホームの先には1932年(昭和7年)に
完成した駅舎が建っています。



ライトアップされた上野駅の駅舎です。

地平ホームは、13番線から17番線までの5つの発着番線があり、
(1999年(平成11年)までは18番線までの6つの発着番線)
以前は、東北地方や信州・北陸を結ぶ長距離列車が
ひっきりなしに発着していました。

現在は、上野を発着する東北本線や高崎線の近郊電車や、
常磐線の特急列車、僅かに残った札幌行の
夜行特急「北斗星」と「カシオペア」が発着していますが、
2015年3月のダイヤ改正で、これらの列車は
東京・品川方面へ直通したり、廃止になったりと
地平ホームに発着する事は無くなってしまいます。


上野駅を発車し、進行右手後方に
上野公園の杜が見えていました。

上野恩賜公園の様子はこちらです。



田端からずっと続いていた日暮里崖線の
海蝕崖もこの上野の杜で途絶えました。

上野から南側は、「京浜東北線」と
「山手線」との複々線区間です。



一番東側には秋葉原駅にある留置線への
引込線が複線で続いています。

2015年3月のダイヤ改正から、この引込線を旅客線化し、
東北本線や高崎線と東海道本線の電車が、上野駅と
東京駅を通り抜ける「上野東京ライン」が開業します。

御徒町駅に到着した様子です。



上野と御徒町間は、上野止まりの列車から降りた乗客が
「山手線」や「京浜東北線」に集中する為、
この区間の最混雑時間帯1時間の平均混雑率は
209%にもなり、日本一の混雑区間になっています。

御徒町を過ぎると、進行左手の
引込線の先に留置線が現れました。



そして、秋葉原駅に到着です。



秋葉原駅は、中央・総武緩行線との接続駅です。

「山手線」と「京浜東北線」のホームの上を
十字にクロスするように中央・総武緩行線の
ホームが設けられています。

2005年からは、つくばエキスプレスが地下に乗り入れています。

つくばエキスプレスの乗車記はこちらです。


秋葉原を発車すると神田川を渡り、
雑居ビルが建ち並ぶ中を走ります。



秋葉原から700mで神田に至ります。

この写真は2010年1月に撮ったものです。
上野東京ライン用の橋脚も見えています。

秋葉原からは、東北新幹線も再び地上に姿を現しており、
土地の確保が難しく神田駅周辺では、東北新幹線の真上に
上野東京ラインの線路が敷設されます。

2015年1月の時点では既に路盤は完成し
試運転の電車も走っており、この区間は
もう一度、写真を撮り直したいと思っています。


神田で中央線の線路が合流し、東京に向かいます。



神田以南では、上野東京ラインの線路は
「山手線」・「京浜東北線」と東北新幹線の
線路の間の隙間に入り込みます。

右側では、神田から合流した中央線が
高架になって行きます。



中央線の線路が高架になっているのは、1997年に
東京駅の東北新幹線のホームを増設した際に
中央線のホームを高架化し、ホーム増設の
余地を創出したものです。

この辺りはさすがに過密都市東京でも
建物が集中しており、線路増設の際の
苦労をあちこちで眺める事が出来ます。



やがて、いくつもホームが広がり、
東京駅に到着しました。






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