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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



東京都交通局「荒川線」
Tokyo Metropolitan Government Bureau of Transportation
Arakawa Line




乗車日:Jan. 06, 2007






東京都交通局「荒川線」といっても
馴染みが無いかもしれませんが、
都電荒川線として知られている
東京に残る数少ない軌道線です。

他には東急電鉄世田谷線があります。

荒川区の三ノ輪橋を基点に、京成電鉄の町屋駅、
JR京浜東北線の王寺駅、山手線の大塚駅を結び
早稲田に至る12.2kmの路線です。






東京の路面電車の歴史は東京電車鉄道会社が
新橋 - 品川八ツ山間の営業を開始したのが始まりで。
意外にも京都や名古屋に遅れ全国で8番目の開業でした。

その後、東京市街鉄道が数寄屋橋 - 神田橋間を開通し、
東京電気鉄道会社も1904年に外濠線を開通させています。
その後この3社が路線を拡張し1906年(明治39年)に、
この3社が合併し東京鉄道(株)が誕生しました。
この時には東京の路線は63kmにも達していたそうです。

1911年(明治44年)には東京市が東京鉄道(株)を買収するのですが、
その一方で、この年の8月20日に王子電気軌道(株)が
飛鳥山-大塚間を開通させ、その後、1913年(大正2年)に
飛鳥山下-三ノ輪間、1925年(大正14年)に
飛鳥山下-王子駅前間と次々に路線延長をさせています。
この王子電気軌道が現在の荒川線です。

東京市の路面電車も営業キロ数を増やし、
1942年(昭和17年)に王子電気鉄道他の会社が
東京市営に統合されました。
その後戦争中の1943年(昭和18年)に都制への移行に伴い
東京市電は都電となり、最盛期の1962年(昭和37年)には
路線数が40にも達し、営業キロは213kmにもなったそうです。

しかし、1970年には急増する車にとって
路面電車は邪魔者扱いされるようになり、
1972年11月には現在の荒川線となっている
27系統(三ノ輪橋 - 赤羽)の一部と
32系統(荒川車庫 - 早稲田)を除いて
都電は全て廃止になってしまいました。

この三ノ輪橋 - 早稲田間が残ったのは、道路上を走る
併用軌道区間が殆どないことと、バスでの代行運転は
困難という沿線住民の強い要望があった為だそうです。


この都電荒川線は、15年程前に出張先に行く際に
大塚駅前 - 早稲田間に乗ったことがあったのですが、
2007年1月6日、全線に乗る事にしました。

地下鉄東西線の早稲田駅で下車し、
都電の早稲田停留所に向かうのですが、
1km程あるので、歩くには少々億劫になる距離です。

折からの雨で、靴の中が濡れはじめた頃、
早稲田停留所に到着です。



単線の線路の両脇に広いホームがあり
停留所というよりも駅のようです。

停車していた電車が丁度、
発車して行ってしまいましたが、
5〜6分毎の運転なのでしばらく待っていると
すぐに次の電車がやってきました。



1月最初の土曜日の朝9時頃、
乗客は多くなく、空席がある状態で発車しました。

広い新目白通りの真ん中を走り、面影橋を過ぎます。
朝から降っていた雨が少し小降りになってきました。



面影橋は神田川に架かる橋の名前です。
以前、この停留所近くの会社を訪れた事があるので、
その時の事を懐かしく思い出していました。

面影橋の先で、交差点を急カーブで右に折れ、
住宅地の中の専用軌道を走るようになりました。
緩やかな勾配を上って行きます。

学習院下を過ぎ、目白通りの下をくぐると
鬼子母神前に到着しました。



ここで一旦、途中下車し停留所の名前になっている
鬼子母神社まで行って見ました。

鬼子母神社の様子はこちらです。




鬼子母神辺りは地下鉄
副都心線の工事中で様子でした。

2008年6月に副都心線が開通しました。
副都心線の乗車記はこちらです。


再び、都電荒川線に乗車し、
鬼子母神から大塚を目指します。

雑司ヶ谷を過ぎ、下り勾配となり
大塚駅前に到着しました。



ここで一旦下車しました。
駅前の狭い路地を都電の電車が走っています。



雑然とした雰囲気の中を走る都電の様子は
どこかの地方都市の路面電車のようです。

大塚駅前から三ノ輪橋行きの電車に
乗り荒川線の旅を続けます。
ここからが未乗区間です。

大塚から、住宅街の密集する地域を
専用軌道で通り抜けて行きます。



雨の降り方がまた少し激しくなり、
車両前方のフロントガラスに雨粒が着き、
早稲田行きの電車が霞んで見えています。

2つ目の庚申塚で再び下車し、庚申塚を訪れました。



庚申塚の停車中の早稲田行き都電です。

庚申塚の三ノ輪行き停留所にはホームに
直結してお汁粉屋さんがありました。

庚申塚の様子はこちらです。

庚申塚のある猿田彦神社を訪れるうち、
雨脚がどんどん強くなってきています。

再び専用軌道で住宅街を走ります。
飛鳥山の停留所を過ぎると
急カーブで左折し、併用軌道となり、
やや急な勾配を下って行きました。



ここは荒川線では珍しい道路との併用軌道区間です。
併走する道路を走るオートバイの
ヘッドライトが雨に滲んで輝いています。

坂を下りきって右に曲がりJR京浜東北線の
ガードをくぐると王子駅前の停留所です。



JRの築堤脇の停留所で下車し、先ほどの
併用軌道区間を眺めに行ってきました。

雨が激しく飛沫を上げ走る車の間を
早稲田行きの路面電車が
急勾配を上って行きました。




王子駅前で一旦下車した後、
再び、終着の三ノ輪橋を目指します。

東に向かうに従い、乗客が増えて
運転手横の展望席を確保することが
出来なくなってしまいました。

しばらく住宅地を走った後、道路
中央の専用線を走るようになります。
周囲には建物が続いていますが、
空が開け郊外に近づいたような雰囲気です。

荒川車庫前で途中下車しました。



引込み線が道路を横断して
荒川線の電車の車庫に消えています。

しかし、他に見るべきところも無く
次の電車に乗り込みましたが、
この電車もかなり混み合っていました。
立ちながら曇った窓を指で拭きながら車窓を眺めます。

道路中央の専用軌道をしばらく走り、
途中で、日暮里・舎人ライナーの
立派な高架軌道の下をくぐりました。

荒川線の軌道に比べるばくもない立派な設備で、
開業した後の設備償却を思わず懸念してしまいます。

そうするうちに、町屋駅前に到着しました。
ここは京成電鉄の町屋駅との接続駅です。

停留所の先には京成電鉄のガードが見えています。



ここで多くの乗客が下車していきました。

荒川線の王子駅前 - 町屋駅前が
一番混みあっているというのは
正直、ちょっと意外でした。

町屋駅前からは再び車内も空き、
運転席横の席に座る事が出来ました。

再び住宅の密集する市街地を走って行きます。



線路の周囲に商店街が現れると、
町屋駅前から7分ほどで、
終着、三ノ輪橋に到着しました。



停留所は商店街に突っ込むような感じです。
停留所の端には花が生けられていたり、
ホームから入れる喫茶店や食堂もあり、
庶民的な雰囲気です。

こうして、早稲田から何度も乗り降りを繰り返し、
2時間ほどで荒川線の旅を終えました。

ちなみに、全線12.2kmを乗り通すと50分程の乗車時間です。

この三ノ輪橋の近くには、昭和の始めに建てられた
旧王子電気軌道(株)の本社ビルが残っているそうです。


東京都交通局のホームページで調べてみると
平成17年度での荒川線の一日当たりの
乗客数は54,470人。
26億5800万円の収入で、1億4900万円の黒字と
なかなか健闘しているようです。

最近の路面電車の見直しの風潮の中で
路線延長の検討もされているようで、
今後が楽しみです。



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