東京 / 新宿界隈
Shinjyuku Area in Tokyo




新宿は高層ビルが並ぶ
東京の中心地の一つです。

新宿は江戸時代には内藤新宿と呼ばれた
甲州街道の最初の宿場町でした。
四谷に大木戸があり、そこから西は江戸城外。
従って新宿は江戸の市外だったようです。

内藤新宿と呼ばれるのは、
信州高遠藩・内藤家の
下屋敷があった為だそうです。



新宿駅界隈


JR新宿駅界隈は、いくつもの私鉄や
地下鉄も乗り入れているせいで、
いつも混雑がひどく、人波に飲まれてしまいそうで
緊張を強いられるところです。

新宿駅西口の高層ビルは、
首都東京のシンボルのような存在です。



写真左の東京都庁の45階は
地上202mの展望台になっていて、
上がってみました。

この日は霞んでいて眺望は利かなかったのですが
建物が密集している東京の街が一望出来ました。



この写真は南東の代々木公園の方向の展望です。
建物が密集しているなかにあって、
代々木公園の緑は、ほっとさせてくれます。


新宿駅の東側は、西側とは異なり、
通りに沿って、雑居ビルが続いています。
大通りから道一つ入ったところに
大宗寺というお寺がありました。

雑居ビルに囲まれた小さなお寺でした。



寺領がかなり縮小されているそうです。
大きな閻魔像が祭られていました。

大宗寺を出て、高田馬場の方に
足を向けてみました。

花園神社の脇を抜けると、
島崎藤村の旧居跡や
小泉八雲終焉の地の
碑が建っていました。



上の写真は小学校の
脇にある小泉八雲の碑です。

この辺りは明治時代は何人もの
作家が住んでいたようです。

しばらく行くと諏訪神社に辿りつきました。



元々はこの地域の氏神様だったそうですが、
源頼朝が戦勝祈願をした
由緒ある神社だそうです。

尾張藩祖の徳川義直が、信州の
諏訪神社と合祀したそうです。

最後に訪れたのが学習院大学です。
この大学の門は明治10年に建てられたもので、
国の重要文化財に指定されているそうです。



飾りのついた鋳鉄製の門は、
西洋文化を取り入れるのに
必死だった明治の時代の
気概が伝わっているようです。



四谷大木戸跡


大宗寺から程近い、東京メトロの
新宿御苑駅から一本裏通りを東に向かいます。



写真左手の木々は新宿御苑の緑です。
人通りも少ないこの通りを歩いていくと
内藤新宿開設三百年記念碑がありました。



この碑によると今の新宿の発展の元になった
「内藤新宿」の宿場は江戸開府から100年近く経った
1698年(元禄11年)の事だったようです。

しかも、「内藤新宿」は1718年(享保3年)に
一旦廃止になっているそうなので、
今の新宿の人ごみからは想像出来ないです。

記念碑に植わっている木は
信州高遠城址の小彼岸桜ということです。


ここからしばらく行ったところ、
国道20号線がトンネルに入るあたりに
四谷の大木戸跡の碑が建っていました。



四谷大木戸は1616年(元和2年)に、
甲州街道の江戸への出入り口として
設けられたものです。

この大木戸より西側は江戸の外という事で、
内藤新宿は、当時は江戸の範疇には含まれず、
江戸を出て最初の宿だったという事です。

当時は石垣の間の木戸が、
夜には閉められていたそうですが、
1792年(寛政4年)には、その木戸も
撤去されてしまったそうです。



新宿御苑


新宿御苑は徳川家康が
家臣で高遠藩主・内藤清成に授けた
江戸下屋敷の一部に公園にしたものです。



1906年(明治39年)に皇室の庭園として
作られたものを、戦後に一般開放しています。



広さは58.3ヘクタール、周囲は3.5kmもの広い公園です。
新宿御苑のマップはこちらです


四谷大木戸跡の碑から西に少し戻ると、
新宿御苑の大木戸門がありました。



大木戸門を入って、左手に歩いていくと
芝生の向こうに玉藻池が広がっていました。



この玉藻池の辺りの日本庭園が
江戸時代の内藤家の庭園だったところで
いわば新宿御苑のルーツにあたるところです。



池の畔に立つと、鴨が近寄ってきました。

冬の平日に行ったのですが、
周囲には殆ど人もいなくて
静かな雰囲気でした。

この静かな玉藻池を抜けると、今度は
広々としたプラタナスの並木が見えてきました。



この辺りはフランス式整形庭園と呼ばれているそうです。
この並木の奥に新宿御苑の正門があります。

このフランス式の庭園の反対側には
イギリス式風景庭園の芝生が広がっていました。



西側(写真左)には特徴的なNTTドコモビルが、
東側(写真右)の正門の方向には
遠くに東京タワーが見えていました。

芝生が冬枯れの茶色一色ですが、
春から夏にかけては、芝生の
緑が目に眩しいことでしょう。

イギリス式風景庭園の北側には
重要文化財になっている
旧洋館御休所の建物がありました。



1896年(明治29年)に天皇や皇族の
休憩所として建てられたそうです。

新宿御苑に行ったのは1月だったのですが、
この旧洋館御休所の近くの
蝋梅と水仙の花が綺麗でした。




水仙の花の周囲は木々が多く
その一帯を抜けると再び
日本庭園が現れました。

日本庭園の中に中国風の建物がありました。



この建物は旧御涼亭といい、
昭和天皇が皇太子時代に、
御成婚記念として台湾在住の
日本人有志から贈られた建物だそうです。

旧御涼亭からの庭園の様子も
落ち着いていて、とても良かったです。



それにしても、新宿御苑は広大な敷地の公園でした。
これが石高わずか3万3千石の高遠藩の
下屋敷だったというのは驚きです。

この地は、甲州街道や青梅街道が
鎌倉街道と交わる要衝地なので、
江戸警備の目的で、家康の信任の篤かった
内藤清成にこれだけの広い土地を授けたとされています。

東京には、こうした大名屋敷の名残の庭園が
至る所にあり、江戸時代の面影を残していますが、
新宿御苑の日本庭園も、そんな庭園の一つでした。



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