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JR西日本 / 山陰本線 (京都 - 幡生)
Sanin Main Line (Kyoto - Hatabu)
山陰本線は京都と下関市内の幡生という駅を結ぶ
全長673.8kmのJR西日本の幹線の一つです。
全線の殆んどすべてを日本海岸に沿い
山陰地方の各都市を結んでいます。
しかし、山陰本線には起点の京都と
終点の幡生を結ぶ列車は一本も走っていません。
以前は京都発博多行きの「まつかぜ」という
特急列車が山陰本線の全線を走り抜けていたのですが
その列車が廃止されてからもう随分経ちます。
今、山陰本線を走る特急列車はどの列車も、
中国山地を横断して山陽方面とを結ぶ列車です。
地形が険しく、線路の状態も悪い山陰本線を
のんびり走る列車は、車や高速バスとの競争に敗れて、
山陰本線は本線とは名ばかりの、普通列車が主に走る、
ローカル線になってしまったのです。
この山陰本線には1979年(昭和54年)に全線を乗車しましたが、
その後、山陰地方に旅するたびに、幾つかの区間に分けて
乗り直ししています。
いくつかの区間に分けて乗車記を紹介しようと思います。
1 京都 - 福知山 Kyoto - Fukuchiyama |
2 福知山 - 豊岡 Fukuchiyama - Toyooka |
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4 鳥取 - 米子 Tottori - Yonago |
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9 長門市 - 幡生 Nagatoshi - Hatabu |
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豊岡 - 鳥取
Toyooka - Tottori
山陰本線も、豊岡の二駅先の城崎温泉までは電化され、
京都や大阪からの特急列車も毎時一本は走っていますが、
城崎温泉から先は、特急列車の本数も減り、
普通列車主体のローカル線の趣きになっています。
この区間はあまり乗った事もなかったのですが、
2012年5月に久しぶりに乗車しました。
豊岡 - 浜坂
(Toyooka - Hamasaka)
2012年5月は、朝に京都丹後鉄道の夕日ヶ浦温泉から
豊岡に向かい、出石や豊岡市街のお城巡りをしていました。
出石の散策記はこちらです。
下の写真は、京都丹後鉄道で
到着した際の豊岡駅の様子です。
豊岡駅は、京都や大阪からの特急列車が
到着する要衝の駅で、京都丹後鉄道の
宮豊線との接続駅にもなっています。
京都丹後鉄道宮豊線の乗車記はこちらです。
豊岡での散策を終え、16:00発の浜坂行普通列車に乗りました。
ホームには列車の入線を待つ人が何人もいました。
列車が入線すると、各ボックス席に三々五々と
人が座っている程の乗車率となりました。
豊岡を発車すると、京都丹後鉄道のホームには16:37発の京都行の
「はしだて」の車両が停車しており、やがて右に分かれて行きました。
豊岡から城崎温泉にかけて、山陰本線は円山川に沿って走ります。
円山川は川幅も広く、ゆったりと流れる
様子は大河の雰囲気を漂わせています。
円山川の下流部は、流れが非常に緩やかで
豊岡辺りまで海水が流れ込んでいるようです。
豊岡から二駅目の城崎温泉に到着しました。
上り線には京都行の特急「きのさき」号が停車しています。
城崎温泉は開湯から1300年という歴史があり、
有名な温泉ですが、未だ下車した事がありません。
いつか訪れてみたいと思います。
山陰本線は、城崎温泉までは電化されていますが、
この先は、鳥取県の西の端に近い米子の近くまで
未電化区間が続きます。
城崎温泉からは、円山川から離れ、
のどかな山里の景色の中を走りました。
しばらく山里の景色を眺めるうちに、竹野に到着しました。
城崎温泉の次の駅ですが、駅間距離が8.0kmあり、
浜坂や鳥取と大阪を結ぶ特急「はまかぜ」の
停車駅になっています。
竹野を発車してしばらく走ると日本海が見えてきました。
山陰本線は、京都から下関の手前の幡生までの673.8kmの
路線長のほぼすべての区間で、日本海に沿って走りますが、
このの日本海が、京都以来の初めての日本海と思います。
この後、山陰本線は一旦山間を走るようになります。
山間の相谷信号場を通過しました。
列車が行き違い出来る設備ですが、片側のレールは錆びています。
2007年のダイヤ改正以降、この信号場で列車交換を行う事はなく、
乗車した1年半後の2012年12月に相谷信号場は廃止されています。
竹野の次の駅、佐津に到着しました。
駅間距離が長く、各駅とも昔ながらの立派は駅の構えです。
この佐津も特急停車駅になっています。
佐津から時折入り江を眺める景色の中を走ります。
16:47に香住に到着しました。
香住はかつての香住町の中心駅です。
香住町は2005年時点で人口1.3万人の規模の町でした。
香住は特急列車の発着駅になっていて、ホームの向かいに
16:49発の特急「はまかぜ6号」が停車していました。
香住に停車中の前面展望です。
香住から、岬の基部の山をトンネルで抜け、
トンネルとトンネルの間で浜辺を眺めます。
日本海岸の綺麗な景色でした。
列車は鎧駅に停車しました。
鎧駅は遠くに入り江を眺める鄙びた駅でした。
鎧を発車すると、再びトンネルに入ります。
トンネルを出ると、列車は空中に飛び出したように
高い位置から日本海を眺めるように走りました。
ここが余部(あまるべ)橋梁です。
初代の余部橋梁は、1912年(明治45年)に架橋されています。
海岸沿いの余部集落の上を11本の橋脚で支えられた鉄橋でした。
1986年12月、回送中の観光列車「みやび」が強風に煽られ、
鉄橋下の工場に落下した事故が起きています。
この事故以降、強風による規制強化がなされた事や
鉄橋自体への問題点も顕著化した為に、
2010年にコンクリート橋に架け替えられています。
新しく架けられたコンクリート橋には強風対策として、
透明な防風板が取り付けられています。
余部(あまるべ)橋梁を渡り、餘部(あまるべ)駅に到着しました。
列車の後方から、いま渡ってきた余部鉄橋を眺めました。
以前の鉄橋に並んで、コンクリート橋が架けられています。
古い鉄橋も、餘部駅側は観光用に残され
余部鉄橋空の駅として営業しています。
餘部を発車すると、列車は海岸線を離れ
山間を走るようになりました。
17:14に、列車の終点、浜坂に到着しました。
浜坂は温泉もある街で、浜坂駅のある
新温泉町は人口1.2万人の規模です。
特急「はまかぜ」の始発、終着駅になっており、
普通列車も、多くはここで乗り継ぐダイヤになっています。
浜坂 - 鳥取
(Hamasaka - Tottori
浜坂で鳥取行の普通列車に乗り換えました。
浜坂の発車時刻は17:17でした。
この列車の乗客は少なく、誰もいないボックス席も多くみられました。
浜坂を出てしばらく走ると漁村の向こうに入り江を眺めました。
この景色を眺めると、海岸から離れて走るようになりました。
田植えを終えた水を張った田圃の向こう、
遠くに日本海が見えています。
諸寄、居組と停車し、東浜に停車しました。
この辺りの駅の乗降客数は少なく、諸寄が一日当たり35人、
居組が6人、東浜が40人(いずれも2020年のデータです)です。
東浜も寂しい雰囲気を漂わせていましたが、
JR西日本がリゾート列車の「瑞風」を走らせると、
東浜は停車駅となり、駅も整備されたそうです。
東浜を出ると、久しぶりに浜辺を眺めながら走りました。
東浜の次の停車駅、岩美で5分程停車して、
上り列車と行き違いをしました。
浜坂から鳥取の間は、特急列車は一日一往復の
運行ですが、この岩美は特急停車駅になっています。
岩美からものどかな景色の中を走りました。
京都、大阪方面から鳥取に向かうには、1994年12月に開業した
智頭急行線を走る特急「スーパーはくと」でのアクセスがメインと
なっていて、城崎温泉から鳥取の間はローカル線となっています。
岩美から二駅目、鳥取の手前の最後の駅、福部に到着しました。
福部ものどかな景色の中にありました。
ホームの中ほどで、二人の男子高生と、
一人の女子高生が話し込んでいるようでした。
この写真を撮ったのが12年ほど前になりますので、
この時の3人は、30歳になる年齢です。
福部を出ると、山間を走るようになりました。
狭い谷間に、立派な築堤がU字を描くように続いています。
この先で、スイッチバック式の信号場がありました。
滝山信号場です。
鳥取の手前は、山が深いとは思っていましたが、
スイッチバック式の信号場まであるとは思いませんでした。
滝山信号場を過ぎ、下り勾配となると、
急に町並みが広がりました。
上の写真の山は、鳥取城のある久松山です。
線路は高架となり、進行方向左側からは
因美線の線路と合流しました。
福部から11.2km、15分かけて鳥取に到着しました。
浜坂からは51分、豊岡からは2時間8分の所要時間です。
浜坂から乗車したディーゼル列車と、京都から
鳥取に到着した特急「スーパーはくと9号」です。
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米子 - 出雲市
Yonago - Izumoshi
山陰本線の米子から出雲市の間は、岡山から
特急「やくも」が走り、米子、松江そして
出雲市と都市が続き、列車本数も多い区間です。
この区間には出雲地方を訪れた際に何度か利用し、
最近では2011年と2019年に乗車しています。
その時の様子を紹介します。
米子 - 松江
(Yonago - Matsue)
2011年7月、岡山から特急「やくも」に乗車し、
境線との接続駅・米子に到着しました。
特急「やくも」の走る伯備線の乗車記はこちらです。
2011年7月の際には、特急「やくも」で松江まで
乗り通していますが、2019年3月には米子駅で
途中下車し米子城を訪れています。
米子駅は鉄道の要衝の大きな駅で、駅舎もお役所の
建物のような外観で6階建ての堂々とした駅舎です。
米子を発車すると、のどかな田園風景になりました。
8.8kmの駅間距離で、次の安来に到着しました。
2019年3月に、この安来で下車し、
バスに乗り換えて月山富田城を訪れています。
月山富田城の帰りに乗車した普通電車の様子です。
安来からも、田園風景が続きました。
中海へと注ぐいくつかの河川を渡って行きます。
2019年3月に乗車した際、次の荒島で上りの
特急列車と行き違いしました。
荒島からは、宍道湖から中海に流れる
大橋川に沿って走りました。
米子から特急列車で22分程で松江に到着しました。
松江駅は1977年(昭和52年)に高架化されています。
1日の乗降客数は約4,500人で、県庁所在地の代表駅
としては山口駅に続き全国で2番目に少ないそうです。
2011年7月の際には、松江で下車した後、
松江城や松江市内の散策をしています。
松江 - 出雲市
(Matsue - Izumoshi)
2011年7月の際には松江の散策の後、松江駅前のホテルに泊まり、
翌朝、7:17発の益田行快速「アクアライナー」に乗車しました。
快速「アクアライナー」は2001年のダイヤ改正で
登場した列車で、米子と益田、あるいは浜田との間を
結び、出雲市 - 浜田間で快速運転を行っています。
松江に到着した快速「アクアライナー」は、
キハ126系という山陰本線の高速化用に
投入された気動車で運行されています。
松江市街を抜け、次の乃木で
上りの普通列車と行き違いしました。
上り列車にはゲゲゲの鬼太郎の
絵がプリントされていました。
乃木からは宍道湖に沿って走るようになりました。
曇り模様の朝の景色で、宍道湖の景色も
霞んだ感じになっていました。
1979年に山陰本線に乗車した後、1982年の夏の
夕暮れに、この区間の列車に乗った事がありました。
当時、この区間の普通列車には機関車が
牽引する客車列車が走っていました。
客車列車では車両の両端部のデッキに乗下車
する際の扉があったのですが、その扉は
走行中でも手動で開く様になっていました。
宍道湖にかかる夕陽をその扉を開けて
眺めていたのを今でもよく覚えています。
2019年3月に乗車した際にも、夕暮れの
宍道湖の景色を眺める事が出来ました。
宍道湖の眺めを楽しむうちに、
列車は玉造温泉駅に到着しました。
玉造温泉を発車しても宍道湖の
眺めを楽しむ事が出来ました。
宍道湖を眺めるうち、宍道に到着しました。
宍道は木次線との接続駅です。
2019年3月には木次線に乗る為に宍道に来ましたが
待ち合わせ時間に、宍道駅前に降り立っています。
宍道駅の一日の乗降客は588人で、駅舎は新しく
整備されていましたが、ひっそりとしていました。
宍道を過ぎると田園風景が広がりました。
かつてここに古代文明があると思うと
広々とした出雲平野の眺めは心に残ります。
次の荘原で再び上り列車と行き違いしました。
荘原からも出雲平野の景色が広がりました。
平野には立派な農家が点在し、その向こうに
宍道湖の北側の山地が見えています。
直江を過ぎ、斐伊川を渡りました。
ヤマタノオロチ伝説でも知られる川です。
出雲神話の地にやってきた事を実感します。
斐伊川を渡りしばらく走ると、
進行右手から一畑電鉄の線路が近づき、
並走するようになりました。
一畑電鉄は、松江しんじ湖温泉駅から宍道湖の
北側を通り、途中の川跡から電鉄出雲市駅に
向かう33.9qの路線と川跡から出雲大社前
までの8.3kmの支線を持つ私鉄です。
一畑電鉄の乗車記はこちらです。
出雲市の手前で、一畑電鉄の電車とすれ違い、
45分程で、出雲市に到着しました。
2011年7月に乗車した際には、そのまま大田市まで
乗り通しましたが、2019年3月に乗車した際には
出雲市の駅前に降り立っています。
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出雲市 - 江津
Izumoshi - Gotsu
2011年7月、松江を早朝の普通列車に乗り、
大田市に向かいました。
出雲市で前方の様子を写した写真です。
陽も差し込むようになり、米子行の
上り列車が停車していました。
出雲市からも出雲平野の中を走っていきました。
次の西出雲までは電化区間になっています。
西出雲に車両基地があり、以前は特急「やくも」も
出雲市に到着後、西出雲まで普通列車として運行されていました。
西出雲からもしばらく田園風景を走りますが、
小田駅を過ぎると、日本海が見えて来ました。
人の手の加えられていない海岸を
高い位置から眺める事が出来ます。
青空に秋の空様な筋雲が浮かび、遠くには
出雲平野北側の北山山地が見えていました。
田儀の集落を過ぎ、再び日本海の景色になりました。
背後に山が迫り、岩礁の海岸線が続きます。
トンネルを抜けると入り江が現われ、入り江が尽きると
再びトンネルに入り、次の入り江へと向かいます。
車内は空いており、こうした景色を独り占め
出来るのはなんと贅沢な事か、と思います。
何度かそんな光景が繰り返されると僅かに平地が広がり、
やがて集落が現われ、波根駅に停車しました。
波根からは海岸線を離れて走りました。
次の久手駅手前で、遠くに山が見えました。
あの山の麓に、世界遺産に指定された
石見銀山があると思います。
こうして松江から1時間25分程、出雲市からは
35分程で大田市に到着しました。
大田市は石見銀山の最寄り駅です。
2011年7月に山陰本線に乗車した際には
大田市で途中下車し、石見銀山を訪れています。
石見銀山の散策記はこちらです。
この時は石見銀山を訪れた後、午後4時過ぎの
普通列車で温泉津に向かいました。
大田市駅は海から少し離れた所に位置しており、
暫くはのどかな景色の中を走ります。
二駅先の五十猛駅に停車中の様子です。
難しい駅名ですが「いそたけ」と読みます。
五十猛を過ぎると海が見えるようになりました。
白砂清松の海岸線は少し離れた所にあり
小さな漁村の集落が車窓を過ります。
仁万に到着しました。
上の写真は、翌日に大田市から
益田に向かった際の時のものです。
上りの特急列車と行き違いをしました。
仁万の先も馬路の辺りで、再び
日本海を眺める事が出来ました。
赤い石見瓦の集落も山陰地方独特の景色です。
大田市から30分程で温泉津に着きました。
温泉津は石見銀山と共に、世界遺産と
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
大田市からの普通列車をこの温泉津で下車し、
古い町並みを散策して、大田市に戻りました。
温泉津の散策記はこちらです。
その翌日は、大田市を始発の普通列車に
乗車し、江津を目指しています。
前日の天気とうって変わり、小雨の降る天気でした。
温泉津の先でも、石見瓦の集落越しに
時折、日本海を眺めながら進みました。
やがて、江の川を渡ります。
山陰地方随一の大河です。
江の川を渡ると、江津に到着しました。
江津は、2018年4月1日付で廃止となった
三江線との接続駅でした。
上の写真は、2017年7月に三江線に乗車する為に
江津を訪れた際に撮った写真です。
三江線の乗車記はこちらです。
広い、駅前広場が印象的でした。
1995年、山陰本線のそのまた末端区間とも言うべき、 前日、松崎温泉で一泊し、この日、 松江から一畑薬師、出雲大社と見てまわり、 その時の様子は、 こちらです。 出雲市駅 午後2時過ぎの列車に乗り込みました。 当時の時刻表が手元にないので正確な時刻が わからないのですが、その当時も確かこの時刻に 益田行きの快速列車が走っていたと思います。 車両は古い急行用車両で、2、3両の短い編成でしたが、 夏休みで高校生がいないせいか空いていました。 発車してしばらくは、出雲平野を走ります。 所々昔ながらの屋敷杜に囲まれた農家が点在する、 のどかな景色です。 そして30分ほどの田儀を出ると列車は 日本海を望む海岸線を走る様になりました。
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江津 - 益田
Gotsu - Masuda
江津駅から益田駅にかけても日本海に沿う風光明媚な区間です。
この区間は2017年7月に益田から江津に向かって乗車しました。
その時の様子を、乗車した益田側から紹介します。
2017年に乗車した際には、東萩を16:56発の普通列車に乗り、
益田で3分の待合せで、18:11発の出雲市行に乗り換えました。
萩の散策記はこちらです。
この車両はキハ120系という普通列車用の
気動車で単行列車として運用が可能です。
一両編成なのですが、車内には数人しか
乗車しておらず、少々寂しい車内でした。
益田駅を発車した列車の最後尾からは
夏の西陽が差し込んでいました。
益田を発車し、しばらく田園風景を眺め走りましたが、
やがて日本海を望みながら走るようになりました。
車窓一杯に日本海が見えています。
傾いた西陽が、海面に光の筋を描いています。
数少ない列車の乗客は、この景色を見慣れているのか、
窓の外を熱心に眺め、写真を撮っている人は
他にはいませんでした。
この景色を独り占め出来るのは、
本当に贅沢な事と思います。
しばらく日本海を眺めるうちに、
次の停車駅、石見津田に到着しました。
石見津田を出ると日本海から離れ、山間を
走りますが、再び日本海を望むようになります。
小さな漁村越しに日本海を眺めていましたが、その先で、
波打ち際が見えるところを走るようになりました。
並走する道路も無く、自然のままの海岸線を眺められる
区間は、日本の中でもそれほど多くはないと思います。
やがて入り江を高い位置から眺めるようになりました。
日本海の景色と離れると、鎌手駅に到着しました。
鎌手からしばらく山の中を走り、やがて遠くに
漁村を眺めながら走り、海岸線に出ました。
各駅間毎に、素晴らしい日本海の
眺めを楽しませてくれます。
次の岡見駅では下りの普通列車と行き違いしました。
下り列車は石見神楽の絵がラッピングされていました。
岡見駅からは、海岸線から離れます。
三隅の集落に差し掛かった際に、三隅川の
流れの先に、チラッと日本海が見えただけでした。
遠く、日本海に浮かぶ高島も見えていました。
三保三隅では、下り列車と行き違いしました。
三保三隅からしばらくは日本海と離れて走りますが、
その先で再び海岸線に沿って走りました。
海岸線に打ち寄せる波を眺めながら走ります。
太陽の位置も、かなり水平線に近づいています。
次の折居駅に到着しました。
折居駅から次の周布駅にかけては
ほぼ日本海に沿って走ります。
この区間でも素晴らしい景色が広がっていました。
空いた車内から海に沈みゆく夕陽を眺めるのは
なんとなく寂寥感も覚えます。
実は、1979年(昭和54年)に初めて山陰本線のこの
区間に乗車した際には、米子から夜行急行「さんべ」
に乗車し、夜暗い間に、寝ているうちに通っています。
なんと勿体ない事をしたのか、という思いですが、
その後、4度ほどこの区間を普通列車で乗り、
この素晴らしい景色を堪能しています。
周布からは、海岸線を離れて走ります。
陽も沈みかけ車窓は暗くなっています。
西浜田に到着しました。
西浜田の先で、遠くに日本海を望みました。
いよいよ日没を迎えます。
周囲には久しぶりに住宅地も広がってきました。
こうして浜田に到着しました。
以前は、東京から浜田まで寝台特急「出雲」が運行されて
いましたが、1998年に浜田までの運行が廃止されています。
2011年7月に浜田で下車し浜田城址を訪れています。
浜田からは、日本海に沿わずに走ります。
暗くなった車窓は写真も上手く撮れなくなりました。
江津の手前で、陽の沈んだ日本海がちらっと見えました。
こうして、益田から日本海の眺めを堪能しながら、
1時間22分かけて19:33に江津に到着しました。
江津は、2018年3月31日までは三江線との接続駅でした。
2017年7月には、三江線の最後の乗車をしています。
三江線の乗車記はこちらです。
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益田 - 長門市
Masuda - Nagatoshi
益田から東萩を経由し、長門市に至る間も
見事な日本海の景色が眺められます。
2017年7月に、長門市から益田を経由し
江津まで乗車した際の様子を紹介します。
東萩 - 益田
(Higashi Hagi - Masuda)
2017年7月、一泊二日で萩の重要建造物群保存地区を
中心に散策し、夕方に東萩駅に向かいました。
萩の散策記はこちらです。
萩の表玄関の駅で、立派な駅舎です。
かつては特急停車駅だったのですが、萩を訪れる
観光客は新幹線の新山口からのバスからアクセス
する事が多いのか、この辺りの山陰本線は、
現在は一日9往復しか列車が走っていません。
駅周辺に人も少なくひっそりとしています。
一日の乗車人員は僅か218人だそうです。
暫く待つうち、16:56の益田行の普通列車がやってきました。
2両編成の列車ですが、夏休みの時期だった為か
高校生の姿は見えず、車内は空いていました。
一瞬、日本海を遠くに眺めます。
列車はのどかな田園風景の中を走り、
長門大井に停車しました。
長門大井を発車し、しばらく走ると、
日本海に沿って走りました。
上右の写真のテーブル状の島影は、大島でしょうか。
国道と並走しながらしばらくこの景色が続きました。
次の奈古に停車した際の様子です。
乗車した人はいませんが、家路に就く人が
三々五々下車していきます。
奈古を発車して眺める赤い石見瓦の集落です。
奈古から次の木与までは海岸線を離れますが、
木与を発車すると、海岸線に漁村が連なります。
集落が途絶えると日本海を望むようになりました。
この景色を眺めるうちに次の宇田郷です。
宇田郷を発車してからも日本海を高い位置から望みました。
遠くの山や島影も一望に出来、素晴らしい光景です。
並走する道路も無く、電線も無い素晴らしい光景でした。
こうした車窓風景を、ガラガラの普通列車から
のんびりと眺めるのは、とても贅沢な事と思います。
トンネルを抜けると静かな入り江の景色も現れました。
入り江の景色が尽き、再びトンネルに入ると、
須佐駅に到着しました。
須佐との宇田郷区間は、1933年(昭和8年)に開業しています。
山陰本線では、最後に開業した区間で、この宇田郷 - 須佐間の
開業によって、京都から幡生までの山陰本線が全通しています。
須佐からは海岸線を離れ、山の間を走ります。
長閑な田園風景も眺められました。
二駅先の飯浦駅を発車すると飯浦の集落が現れました。
石見の赤い瓦が主流で、その独特な色合いの集落も
山陰本線の特徴的な車窓風景の一つです。
再び、日本海の入り江を眺めました。
次の戸田小浜で、下り列車と行き違いをしました。
夕方の列車に乗車したものの、東萩からここまで、
一度も下り列車とはすれ違っておらず、山陰本線の
この辺りの列車の運行頻度の低さを実感します。
雄大な日本海の眺めは、戸田小浜までで、
その先は、穏やかな浜辺の景色が続きました。
この後、住宅地が広がり、
18:08に益田に到着しました。
萩から57.5kmを1時間12分かけての到着です。
2011年7月には、この益田で下車し、
市内の史跡巡りをしています。
益田の散策記はこちらです。
2015年7月の際には、この益田で出雲市行の
普通列車に乗り継いでいます。
また2011年7月には益田の市内散策した後に
山口線に乗車しています。
山陰本線の江津 - 益田間の乗車記はこちらです。
2時間ほど、この素晴らしい車窓を眺めるうち、 益田駅に到着しました。 ここは山陰本線と山口を通り、 小郡へ向かう山口線への分岐駅。 山陰本線末端区間では要衝駅の一つです。 ここで、長門市方面の列車に乗り換えです。
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