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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない

JR西日本 / 山陰本線 (京都 - 幡生)
Sanin Main Line (Kyoto - Hatabu)

山陰本線は京都と下関市内の幡生という駅を結ぶ
全長673.8kmのJR西日本の幹線の一つです。
全線の殆んどすべてを日本海岸に沿い
山陰地方の各都市を結んでいます。

しかし、山陰本線には起点の京都と
終点の幡生を結ぶ列車は一本も走っていません。
以前は京都発博多行きの「まつかぜ」という
特急列車が山陰本線の全線を走り抜けていたのですが
その列車が廃止されてからもう随分経ちます。

今、山陰本線を走る特急列車はどの列車も、
中国山地を横断して山陽方面とを結ぶ列車です。

地形が険しく、線路の状態も悪い山陰本線を
のんびり走る列車は、車や高速バスとの競争に敗れて、
山陰本線は本線とは名ばかりの、普通列車が主に走る、
ローカル線になってしまったのです。

この山陰本線には1979年(昭和54年)に全線を乗車しましたが、
その後、山陰地方に旅するたびに、幾つかの区間に分けて
乗り直ししています。

いくつかの区間に分けて乗車記を紹介しようと思います。

1 京都 - 福知山
Kyoto - Fukuchiyama

2 福知山 - 豊岡
Fukuchiyama - Toyooka

3 豊岡 - 鳥取
Toyooka - Tottori

4 鳥取 - 米子
Tottori - Yonago

5 米子 - 出雲市
Yonago - Izumoshi
Aug. 10, '20
6 出雲市 - 江津
Izumoshi - Gotsu
Aug. 15, '20
7 江津 - 益田
Gotsu - Masuda
Oct. 22, '20
8 益田 - 長門市
Masuda - Nagatoshi
Revised ! Nov. 28, '20
9 長門市 - 幡生
Nagatoshi - Hatabu

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米子 - 出雲市
Yonago - Izumoshi

山陰本線の米子から出雲市の間は、岡山から
特急「やくも」が走り、米子、松江そして
出雲市と都市が続き、列車本数も多い区間です。

この区間には出雲地方を訪れた際に何度か利用し、
最近では2011年と2019年に乗車しています。
その時の様子を紹介します。

米子 - 松江
(Yonago - Matsue)

2011年7月、岡山から特急「やくも」に乗車し、
境港線との接続駅・米子に到着しました。


撮影: 2011年7月

特急「やくも」の走る伯備線の乗車記はこちらです。
堺港線の乗車記はこちらです。

2011年7月の際には、特急「やくも」で松江まで
乗り通していますが、2019年3月には米子駅で
途中下車し米子城を訪れています。

その際の、米子駅舎の様子です。


撮影: 2019年3月

米子駅は鉄道の要衝の大きな駅で、駅舎もお役所の
建物のような外観で6階建ての堂々とした駅舎です。

米子を発車すると、のどかな田園風景になりました。


撮影: 2011年7月

8.8kmの駅間距離で、次の安来に到着しました。


撮影: 2019年3月

2019年3月に、この安来で下車し、
バスに乗り換えて月山富田城を訪れています。
月山富田城の帰りに乗車した普通電車の様子です。


撮影: 2019年3月

安来からも、田園風景が続きました。


撮影: 2019年3月

中海へと注ぐいくつかの河川を渡って行きます。
2019年3月に乗車した際、次の荒島で上りの
特急列車と行き違いしました。


撮影: 2019年3月

荒島からは、宍道湖から中海に流れる
大橋川に沿って走りました。


撮影: 2019年3月

米子から特急列車で22分程で松江に到着しました。
松江駅は1977年(昭和52年)に高架化されています。
1日の乗降客数は約4,500人で、県庁所在地の代表駅
としては山口駅に続き全国で2番目に少ないそうです。


撮影: 2011年7月

2011年7月の際には、松江で下車した後、
松江城や松江市内の散策をしています。
松江城の登城記はこちらです。
松江の散策記はこちらです。

松江 - 出雲市
(Matsue - Izumoshi)

2011年7月の際には松江の散策の後、松江駅前のホテルに泊まり、
翌朝、7:17発の益田行快速「アクアライナー」に乗車しました。


撮影: 2011年7月

快速「アクアライナー」は2001年のダイヤ改正で
登場した列車で、米子と益田、あるいは浜田との間を
結び、出雲市 - 浜田間で快速運転を行っています。

松江に到着した快速「アクアライナー」は、
キハ126系という山陰本線の高速化用に
投入された気動車で運行されています。

松江市街を抜け、次の乃木で
上りの普通列車と行き違いしました。


撮影: 2011年7月

上り列車にはゲゲゲの鬼太郎の
絵がプリントされていました。

乃木からは宍道湖に沿って走るようになりました。
曇り模様の朝の景色で、宍道湖の景色も
霞んだ感じになっていました。


撮影: 2011年7月

1979年に山陰本線に乗車した後、1982年の夏の
夕暮れに、この区間の列車に乗った事がありました。

当時、この区間の普通列車には機関車が
牽引する客車列車が走っていました。

客車列車では車両の両端部のデッキに乗下車
する際の扉があったのですが、その扉は
走行中でも手動で開く様になっていました。

宍道湖にかかる夕陽をその扉を開けて
眺めていたのを今でもよく覚えています。


撮影: 2019年3月

2019年3月に乗車した際にも、夕暮れの
宍道湖の景色を眺める事が出来ました。

宍道湖の眺めを楽しむうちに、
列車は玉造温泉駅に到着しました。


撮影: 2011年7月

玉造温泉を発車しても宍道湖の
眺めを楽しむ事が出来ました。


撮影: 2011年7月

宍道湖を眺めるうち、宍道に到着しました。
宍道は木次線との接続駅です。


撮影: 2011年7月

2019年3月には木次線に乗る為に宍道に来ましたが
待ち合わせ時間に、宍道駅前に降り立っています。


撮影: 2019年3月

宍道駅の一日の乗降客は588人で、駅舎は新しく
整備されていましたが、ひっそりとしていました。

宍道を過ぎると田園風景が広がりました。


撮影: 2011年7月

かつてここに古代文明があると思うと
広々とした出雲平野の眺めは心に残ります。

次の荘原で再び上り列車と行き違いしました。


撮影: 2011年7月

荘原からも出雲平野の景色が広がりました。
平野には立派な農家が点在し、その向こうに
宍道湖の北側の山地が見えています。


撮影: 2011年7月

直江を過ぎ、斐伊川を渡りました。
ヤマタノオロチ伝説でも知られる川です。
出雲神話の地にやってきた事を実感します。


撮影: 2011年7月

斐伊川を渡りしばらく走ると、
進行右手から一畑電鉄の線路が近づき、
並走するようになりました。


撮影: 2011年7月

一畑電鉄は、松江しんじ湖温泉駅から宍道湖の
北側を通り、途中の川跡から電鉄出雲市駅に
向かう33.9qの路線と川跡から出雲大社前
までの8.3kmの支線を持つ私鉄です。

一畑電鉄の乗車記はこちらです。


撮影: 2011年7月

出雲市の手前で、一畑電鉄の電車とすれ違い、
45分程で、出雲市に到着しました。


撮影: 2019年3月

2011年7月に乗車した際には、そのまま大田市まで
乗り通しましたが、2019年3月に乗車した際には
出雲市の駅前に降り立っています。

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出雲市 - 江津
Izumoshi - Gotsu

2011年7月、松江を早朝の普通列車に乗り、
大田市に向かいました。

出雲市で前方の様子を写した写真です。
陽も差し込むようになり、米子行の
上り列車が停車していました。


撮影: 2011年7月

出雲市からも出雲平野の中を走っていきました。


撮影: 2011年7月

次の西出雲までは電化区間になっています。
西出雲に車両基地があり、以前は特急「やくも」も
出雲市に到着後、西出雲まで普通列車として運行されていました。

西出雲からもしばらく田園風景を走りますが、
小田駅を過ぎると、日本海が見えて来ました。


撮影: 2011年7月

人の手の加えられていない海岸を
高い位置から眺める事が出来ます。

青空に秋の空様な筋雲が浮かび、遠くには
出雲平野北側の北山山地が見えていました。


撮影: 2011年7月

田儀の集落を過ぎ、再び日本海の景色になりました。
背後に山が迫り、岩礁の海岸線が続きます。

トンネルを抜けると入り江が現われ、入り江が尽きると
再びトンネルに入り、次の入り江へと向かいます。


撮影: 2011年7月

車内は空いており、こうした景色を独り占め
出来るのはなんと贅沢な事か、と思います。

何度かそんな光景が繰り返されると僅かに平地が広がり、
やがて集落が現われ、波根駅に停車しました。


撮影: 2011年7月

波根からは海岸線を離れて走りました。
次の久手駅手前で、遠くに山が見えました。


撮影: 2011年7月

あの山の麓に、世界遺産に指定された
石見銀山があると思います。

こうして松江から1時間25分程、出雲市からは
35分程で大田市に到着しました。

大田市は石見銀山の最寄り駅です。
2011年7月に山陰本線に乗車した際には
大田市で途中下車し、石見銀山を訪れています。

石見銀山の散策記はこちらです。

この時は石見銀山を訪れた後、午後4時過ぎの
普通列車で温泉津に向かいました。


撮影: 2011年7月

大田市駅は海から少し離れた所に位置しており、
暫くはのどかな景色の中を走ります。

二駅先の五十猛駅に停車中の様子です。
難しい駅名ですが「いそたけ」と読みます。


撮影: 2011年7月

五十猛を過ぎると海が見えるようになりました。


撮影: 2011年7月

白砂清松の海岸線は少し離れた所にあり
小さな漁村の集落が車窓を過ります。

仁万に到着しました。


撮影: 2011年7月

上の写真は、翌日に大田市から
益田に向かった際の時のものです。
上りの特急列車と行き違いをしました。

仁万の先も馬路の辺りで、再び
日本海を眺める事が出来ました。


撮影: 2011年7月

赤い石見瓦の集落も山陰地方独特の景色です。

大田市から30分程で温泉津に着きました。


撮影: 2011年7月

温泉津は石見銀山と共に、世界遺産と
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

大田市からの普通列車をこの温泉津で下車し、
古い町並みを散策して、大田市に戻りました。

温泉津の散策記はこちらです。

その翌日は、大田市を始発の普通列車に
乗車し、江津を目指しています。

前日の天気とうって変わり、小雨の降る天気でした。


撮影: 2011年7月

温泉津の先でも、石見瓦の集落越しに
時折、日本海を眺めながら進みました。

やがて、江の川を渡ります。


撮影: 2011年7月

山陰地方随一の大河です。
江の川を渡ると、江津に到着しました。

江津は、2018年4月1日付で廃止となった
三江線との接続駅でした。


撮影: 2011年7月

上の写真は、2017年7月に三江線に乗車する為に
江津を訪れた際に撮った写真です。

三江線の乗車記はこちらです。

広い、駅前広場が印象的でした。

以前の記事はこちらです

1995年、山陰本線のそのまた末端区間とも言うべき、
出雲市から萩まで、普通列車に乗って旅行しました。
これはその時の様子です。


前日、松崎温泉で一泊し、この日、
松江から一畑薬師、出雲大社と見てまわり、
その時の様子は、 こちらです。
出雲市駅 午後2時過ぎの列車に乗り込みました。

当時の時刻表が手元にないので正確な時刻が
わからないのですが、その当時も確かこの時刻に
益田行きの快速列車が走っていたと思います。

車両は古い急行用車両で、2、3両の短い編成でしたが、
夏休みで高校生がいないせいか空いていました。

発車してしばらくは、出雲平野を走ります。
所々昔ながらの屋敷杜に囲まれた農家が点在する、
のどかな景色です。

そして30分ほどの田儀を出ると列車は
日本海を望む海岸線を走る様になりました。



海を隔てて遠くに日御碕あたりの
山並みが見えています。

このあたりからしばらく海岸線を走ります。
トンネルを抜けると、入り江が現われ、
入り江が尽きると再びトンネルに入り、
次の入り江に向かう。
何度かそんな光景が繰り返されると、
僅かに平地が広がり、集落が現われ、
駅に到着する。

青い空に青い海。
無人の海岸線は白い砂浜が広がり、
松林が白い海岸線に彩りを添えています。
白砂青松の景色が、車窓一杯に繰り広げられます。



車内は相変わらず閑散としていて、
こんな素晴らしい車窓を一人占めできるのは
なんと優雅な事だろうと思います。

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江津 - 益田
Gotsu - Masuda

江津駅から益田駅にかけても日本海に沿う風光明媚な区間です。
この区間は2017年7月に益田から江津に向かって乗車しました。

その時の様子を、乗車した益田側から紹介します。

2017年に乗車した際には、東萩を16:56発の普通列車に乗り、
益田で3分の待合せで、18:11発の出雲市行に乗り換えました。

萩の散策記はこちらです。
益田の散策記はこちらです。


撮影: 2017年7月

この車両はキハ120系という普通列車用の
気動車で単行列車として運用が可能です。


撮影: 2017年7月

一両編成なのですが、車内には数人しか
乗車しておらず、少々寂しい車内でした。

益田駅を発車した列車の最後尾からは
夏の西陽が差し込んでいました。


撮影: 2017年7月

益田を発車し、しばらく田園風景を眺め走りましたが、
やがて日本海を望みながら走るようになりました。

車窓一杯に日本海が見えています。
傾いた西陽が、海面に光の筋を描いています。


撮影: 2017年7月

数少ない列車の乗客は、この景色を見慣れているのか、
窓の外を熱心に眺め、写真を撮っている人は
他にはいませんでした。

この景色を独り占め出来るのは、
本当に贅沢な事と思います。

しばらく日本海を眺めるうちに、
次の停車駅、石見津田に到着しました。


撮影: 2017年7月

石見津田を出ると日本海から離れ、山間を
走りますが、再び日本海を望むようになります。


撮影: 2017年7月

小さな漁村越しに日本海を眺めていましたが、その先で、
波打ち際が見えるところを走るようになりました。


撮影: 2017年7月

並走する道路も無く、自然のままの海岸線を眺められる
区間は、日本の中でもそれほど多くはないと思います。

やがて入り江を高い位置から眺めるようになりました。


撮影: 2017年7月

日本海の景色と離れると、鎌手駅に到着しました。


撮影: 2017年7月

鎌手からしばらく山の中を走り、やがて遠くに
漁村を眺めながら走り、海岸線に出ました。


撮影: 2017年7月

各駅間毎に、素晴らしい日本海の
眺めを楽しませてくれます。


撮影: 2017年7月

次の岡見駅では下りの普通列車と行き違いしました。
下り列車は石見神楽の絵がラッピングされていました。

岡見駅からは、海岸線から離れます。
三隅の集落に差し掛かった際に、三隅川の
流れの先に、チラッと日本海が見えただけでした。

遠く、日本海に浮かぶ高島も見えていました。


撮影: 2017年7月

三保三隅では、下り列車と行き違いしました。


撮影: 2017年7月

三保三隅からしばらくは日本海と離れて走りますが、
その先で再び海岸線に沿って走りました。


撮影: 2017年7月

海岸線に打ち寄せる波を眺めながら走ります。
太陽の位置も、かなり水平線に近づいています。

次の折居駅に到着しました。


撮影: 2017年7月

折居駅から次の周布駅にかけては
ほぼ日本海に沿って走ります。


撮影: 2017年7月

この区間でも素晴らしい景色が広がっていました。
空いた車内から海に沈みゆく夕陽を眺めるのは
なんとなく寂寥感も覚えます。

実は、1979年(昭和54年)に初めて山陰本線のこの
区間に乗車した際には、米子から夜行急行「さんべ」
に乗車し、夜暗い間に、寝ているうちに通っています。

なんと勿体ない事をしたのか、という思いですが、
その後、4度ほどこの区間を普通列車で乗り、
この素晴らしい景色を堪能しています。

周布からは、海岸線を離れて走ります。
陽も沈みかけ車窓は暗くなっています。

西浜田に到着しました。


撮影: 2017年7月

西浜田の先で、遠くに日本海を望みました。
いよいよ日没を迎えます。


撮影: 2017年7月

周囲には久しぶりに住宅地も広がってきました。


撮影: 2017年7月

こうして浜田に到着しました。


撮影: 2017年7月

以前は、東京から浜田まで寝台特急「出雲」が運行されて
いましたが、1998年に浜田までの運行が廃止されています。

2011年7月に浜田で下車し浜田城址を訪れています。
浜田城の登城記はこちらです。

浜田からは、日本海に沿わずに走ります。
暗くなった車窓は写真も上手く撮れなくなりました。


撮影: 2017年7月

江津の手前で、陽の沈んだ日本海がちらっと見えました。

こうして、益田から日本海の眺めを堪能しながら、
1時間22分かけて19:33に江津に到着しました。


撮影: 2017年7月

江津は、2018年3月31日までは三江線との接続駅でした。
2017年7月には、三江線の最後の乗車をしています。

三江線の乗車記はこちらです。

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益田 - 長門市
Masuda - Nagatoshi

益田から東萩を経由し、長門市に至る間も
見事な日本海の景色が眺められます。

2017年7月に、長門市から益田を経由し
江津まで乗車した際の様子を紹介します。

東萩 - 益田
(Higashi Hagi - Masuda)

2017年7月、一泊二日で萩の重要建造物群保存地区を
中心に散策し、夕方に東萩駅に向かいました。

萩の散策記はこちらです。


撮影: 2017年7月

萩の表玄関の駅で、立派な駅舎です。

かつては特急停車駅だったのですが、萩を訪れる
観光客は新幹線の新山口からのバスからアクセス
する事が多いのか、この辺りの山陰本線は、
現在は一日9往復しか列車が走っていません。

駅周辺に人も少なくひっそりとしています。
一日の乗車人員は僅か218人だそうです。

暫く待つうち、16:56の益田行の普通列車がやってきました。


撮影: 2017年7月

2両編成の列車ですが、夏休みの時期だった為か
高校生の姿は見えず、車内は空いていました。


撮影: 2017年7月

一瞬、日本海を遠くに眺めます。


撮影: 2017年7月

列車はのどかな田園風景の中を走り、
長門大井に停車しました。


撮影: 2017年7月

長門大井を発車し、しばらく走ると、
日本海に沿って走りました。


撮影: 2017年7月

上右の写真のテーブル状の島影は、大島でしょうか。
国道と並走しながらしばらくこの景色が続きました。

次の奈古に停車した際の様子です。


撮影: 2017年7月

乗車した人はいませんが、家路に就く人が
三々五々下車していきます。

奈古を発車して眺める赤い石見瓦の集落です。


撮影: 2017年7月

奈古から次の木与までは海岸線を離れますが、
木与を発車すると、海岸線に漁村が連なります。


撮影: 2017年7月

集落が途絶えると日本海を望むようになりました。
この景色を眺めるうちに次の宇田郷です。


撮影: 2017年7月

宇田郷を発車してからも日本海を高い位置から望みました。
遠くの山や島影も一望に出来、素晴らしい光景です。


撮影: 2017年7月

並走する道路も無く、電線も無い素晴らしい光景でした。
こうした車窓風景を、ガラガラの普通列車から
のんびりと眺めるのは、とても贅沢な事と思います。

トンネルを抜けると静かな入り江の景色も現れました。


撮影: 2017年7月

入り江の景色が尽き、再びトンネルに入ると、
須佐駅に到着しました。


撮影: 2017年7月

須佐との宇田郷区間は、1933年(昭和8年)に開業しています。
山陰本線では、最後に開業した区間で、この宇田郷 - 須佐間の
開業によって、京都から幡生までの山陰本線が全通しています。

須佐からは海岸線を離れ、山の間を走ります。
長閑な田園風景も眺められました。

二駅先の飯浦駅を発車すると飯浦の集落が現れました。
石見の赤い瓦が主流で、その独特な色合いの集落も
山陰本線の特徴的な車窓風景の一つです。


撮影: 2017年7月

再び、日本海の入り江を眺めました。


撮影: 2017年7月

次の戸田小浜で、下り列車と行き違いをしました。
夕方の列車に乗車したものの、東萩からここまで、
一度も下り列車とはすれ違っておらず、山陰本線の
この辺りの列車の運行頻度の低さを実感します。


撮影: 2017年7月

雄大な日本海の眺めは、戸田小浜までで、
その先は、穏やかな浜辺の景色が続きました。


撮影: 2017年7月

この後、住宅地が広がり、
18:08に益田に到着しました。


撮影: 2017年7月

萩から57.5kmを1時間12分かけての到着です。
2011年7月には、この益田で下車し、
市内の史跡巡りをしています。

益田の散策記はこちらです。

2015年7月の際には、この益田で出雲市行の
普通列車に乗り継いでいます。
また2011年7月には益田の市内散策した後に
山口線に乗車しています。

山陰本線の江津 - 益田間の乗車記はこちらです。
山口線の乗車記はこちらです。

以前の記事はこちらです

2時間ほど、この素晴らしい車窓を眺めるうち、
益田駅に到着しました。
ここは山陰本線と山口を通り、
小郡へ向かう山口線への分岐駅。
山陰本線末端区間では要衝駅の一つです。

ここで、長門市方面の列車に乗り換えです。



今度の列車は、黄色い塗装の近郊型ディーゼルカーでした。
暑い夏の日でしたが冷房がなく窓を開けて風を入れます。

益田からも海岸線を走ります。
車窓風景はますます鄙びたものとなり、夕暮れが近づいた
こともあって感慨深いものとなってきます。



素晴らしい景色に触れて感激する一方で、
感傷的な気分にもなってきます。
寂しい車内で、話す相手もいず、
「一人で列車に乗ったりして一体何をしているのだ?」
と自問したりしていました。
ちょっと危ない兆候です。


そうこうするうち、日は益々西に傾いていきます。

萩に近づいた頃、もう日没の時間が迫り、
夕陽が日本海を黄金色に染め出しました。



夕陽が日本海にしずむところは見られませんでしたが、
車窓から見た、今までで一番綺麗な夕暮れの景色でした。

萩市の中心駅、東萩で乗客の入れ替わりがあり、
午後7時半頃、夕闇迫る萩駅に着きました。




これは翌日撮った萩駅の様子。
萩駅とは名乗っているもの、
市の中心からは離れていて、
萩市の中心駅は東萩です。
その為か駅の周辺は、どことなく
のんびりとした雰囲気でした。

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