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伯備線は岡山県の倉敷駅から、新見駅を経て、
鳥取県米子市の伯耆大山駅に至る138,4kmの路線です。
山陽地方と山陰地方を結ぶ路線はいくつかありますが、
その中で全線電化されているのは、伯備線だけです。
伯備線では岡山と松江や出雲市を結ぶ特急「やくも」が
1972年に運行を開始し、毎時1本の頻度で走っています。
伯備線の列車は、備中高梁発倉敷行の1本を除き、
倉敷側は、山陽本線の岡山または岡山以遠発着で、
終点の伯耆大山側も、山陰本線の米子または
米子以遠の発着になっています。
伯備線は南北から工事が始められ、1919年に
伯耆大山 - 伯耆溝口間が最も早く開業しています。
南側は1925年に倉敷 - 宍粟駅間が開業しています。
全線が開業したのは1928年の事でした。
伯備線には1979年(昭和54年)に初めて乗車し、
その後も何度か乗車しています。
2011年7月と2019年3月に乗車した際の
様子を中心に紹介しようと思います。
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倉敷 - 新見
Kurashiki - Niimi
伯備線は、山陽地方と山陰地方を結ぶ路線で、
岡山と松江や出雲市をつなぐ特急「やくも」の
走る幹線になっています。
伯備線の列車の殆どは岡山を発着しています。
岡山からの列車が倉敷に近づくと、伯備線に
乗り入れる列車は、山陽本線をオーバークロスし
倉敷駅の北側のホームに入ります。
上左の写真は山陽本線のホームに停車中の快速電車です。
上右の写真は、倉敷発車直後の様子ですが、倉敷から
三菱自工前間を走る水島臨海鉄道の車両も見えています。
倉敷・美観地区の散策記は こちらです。
倉敷を発車すると、すぐに北に向きを変え、
郊外の景色の中を走っていきます。
程なく高梁川に沿って走るようになりました。
高梁川は岡山県西部を南北に流れる一級河川で、
伯備線は伯耆大山までの中程の新見まで
この高梁川に沿って走ります。
大河の様に流れる高梁川の畔を、丘陵地の崖に沿って走ります。
しばらく走ると高梁川に架かる新幹線の高架橋をくぐりました。
新幹線の車窓からは、何度も高梁川沿いの伯備線の線路を
眺めているのですが、伯備線の車窓から、この場面を
写真に撮る機会はなかなかありませんでした。
高梁川に沿って走ると、再び立派な鉄橋をくぐりました。
この鉄橋は、次の清音で接続している井原鉄道です。
井原鉄道の乗車記は こちらです。
清音を出ると、平地が広がり、車窓右手には
遠くに丘陵地帯が望めるようになりました。
この辺りは"吉備"と呼ばれる地域です。
古くからの歴史が残っているところで、
上の写真中央の丘陵地も、南北朝時代に
九州から東上する足利尊氏方の足利直義軍と
新田義貞軍が戦った福山合戦の古戦場です。
次の総社は、吉備線との接続駅です。
吉備線のディーゼル列車が停車していました。
総社の次の豪渓駅から高梁川に沿って
山間を走るようになりました。
水量豊富な高梁川が、谷底一杯に流れる様子は
いきなり山深い地を走っているような感じです。
山間に住宅が増えると、備中高梁に到着しました。
ここは備中松山城の城下町で、備中松山城の
現存天守が、駅からも眺める事が出来ます。
備中高梁を発車し、城下町のかすめて走って行きました。
備中高松藩御根小屋と呼ばれる藩主居館跡の
石垣と石段が車窓を掠めました。
高梁の集落を抜けると再び高梁川の渓谷を走ります。
耕地が殆ど見られず、人家の少ない渓谷の景色が続きました。
方谷を過ぎると渓谷は更に険しくなった様に感じられました。
井倉が近づくと尖った頂きの山が見えてきました。
この辺りは、石灰岩の地質の様で、周囲には
いくつも石灰岩の採石場があります。
井倉駅前にも石灰岩の集積場と
その関連工場がありました。
高梁川は蛇行して走るようになり、伯備線はトンネルで
蛇行する高梁川を貫いて走るようになりました。
以前は、蛇行する高梁川に忠実に沿って線路が敷かれて
いた様ですが、廃線跡は車内からは分かりませんでした。
高梁川の渓谷の景色から平地が広がるようになり、
車両基地が見えてくると、間もなく新見です。
新見駅到着の直前では、進行方向右手から
芸備線の線路も合流してきました。
新見駅に到着した伯備線の電車です。
2019年3月は、姫路を7:31に発車する新見行に乗車しました。
倉敷を9:36に出て、新見には10:49に到着しました。
特急「やくも」では、この区間を50分程で走ります。
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新見 - 伯耆大山
Niimi - Hoki Daisen
新見駅は、中国山地の山間の要衝の駅です。
伯備線の普通列車は、ここで運転系統が分けられ、
姫新線、芸備線の列車もこの新見を拠点にしています。
2019年3月、姫路からの普通電車で新見に到着し、
30分の待ち合わせで、米子行の普通列車に乗換ました。
伯備線は全線電化されていますが、この米子行は
ディーゼル列車で運行されていました。
この車両は、運転士の脇に立てば前面展望が独り占め出来るので、
車内は空いていましたが、米子まで立ち通す事にしました。
新見駅から単線となり、トンネルを抜け川を渡っていきました。
伯備線は1973年(昭和48年)まで、蒸気機関車が貨物列車を
牽引しており、布原信号場辺りは、煙を吐きながら勾配を
登る姿が有名になり、多くの鉄道ファンが押し寄せた所です。
鉄道ファンが押し寄せた撮影名所がどこだったのか
判りませんが、この鉄橋もその候補地と思います。
この先に布原駅がありました。
蒸気機関車が走っていた当時は信号所で、
旅客の取り扱いはしていませんでしたが、
民営化された1987年に駅に昇格しています。
駅に昇格はしたものの、伯備線の列車は一本も停まらず、
次の備中神代で接続し新見駅まで乗り入れしている
芸備線の普通列車が一日に11本停車するだけです。
蛇行する高梁川の支流の西川を何度も渡ります。
その先で、平地が広がり備中神代に停車しました。
行き違い設備のある立派な駅で、ここで上りの
特急「やくも」の通過待ちをしました。
この備中神代が芸備線との接続駅です。
一番南側のホームが芸備線のホームですが、
駅の端で、あっけなく離れて行ってしまいます。
駅を出てすぐ、西川を渡る鉄橋で、
芸備線の鉄橋も見えました。
備中神代からも西川に沿って走ります。
中国山地の分水嶺も近くなっていて、
谷も随分狭くなっています。
いくつかトンネルを抜けて走ります。
短いトンネルが続く様子が印象的でした。
山間の新郷に到着しました。 この駅が岡山県最後の停車駅です。
ホームの外れで、コミュニティバスが乗車した
普通列車からのお客さんを待っていました。
新郷駅から更に山深い集落へと向かっています。
分水嶺のトンネルを抜け、鳥取県に出ました。
渓谷の景色が続いていた岡山県側とは異なり、
こちらは、山里の景色の中を走ります。
12:00丁度に生山に到着しました。
ここは特急「やくも」も停車します。
10分程の待ち合わせで、上りの
「やくも」と行き違いをしました。
この辺りでは、石見川に沿って下ります。
石見川の作る谷は広くなだらかで
山里の景色が続いています。
生山から3駅目の根雨では、
高校生が大挙して乗り込みました。
静かだった車内が一気に賑わいました。
根雨は、新見と終点の伯耆大山との間では、
生山と共に特急停車駅になっています。
上り下りとも、特急「やくも」は交互に
どちらかの駅に停車しています。
二駅先の江尾で上りの特急「やくも」と交換しました。
この「やくも」は僅か4両編成でした。
陰陽連絡の特急として毎時一本運行されている
特急「やくも」ですが、往時からは
利用客が減少しているようです。
江尾を出ると、車窓には田圃が広がるようになりました。
次の伯耆溝口では、貨物列車と行き違いです。
ローカル線で、貨物列車と行き会うのは大変珍しく
なってきていて、貨物列車を牽引する機関車を
見かけるとびっくりしてしまう程です。
2019年3月に乗車した時には、伯耆溝口からは
田圃に菜の花が咲いていました。
この辺りは名峰・大山も近く、進行右側の丘陵地が
低くなると、富士山のような大山が見えてきました。
大山は、山陰本線からも眺める事が出来ますが、
距離で言えば、伯備線の伯耆溝口駅辺りが
最も近い位置になります。
やがて車窓右手から山陰本線の線路が近づき、
貨物ヤードを過ぎると、伯備線の終点・
伯耆大山に到着しました。
新見から乗車した普通列車は、ここで下りの特急
「やくも」に道を譲る為に、9分程停車しました。
こうして倉敷から伯耆大山までの143.2kmを
二本の普通列車を乗り継いで、3時間半ほど
掛けて乗車しました。
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