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JR西日本 / 山口線
JR West / Yamaguchi Line
山口線線は山陽本線の新山口から中国山地を東北に進み、
山口、津和野を経由し、日本海側の益田に至る路線です。
営業キロは93.9kmです。
山口線は、1913年(大正2年)に小郡(現・新山口)と
山口間の12.7kmが営業した事が歴史の始まりです。
1922年(大正11年)に津和野まで開業区間が伸び、
1924年(大正13年)に津和野 - 石見益田(現・益田)
間が開業し、全通しています。
山口線で良く知られているのが、1979年(昭和54年)
から運行されている「SLやまぐち号」です。
1975年(昭和50年)に蒸気機関車が全廃された3年8か月後に
蒸気機関車の動態保存として運行が始まりました。
山口線には1979年に乗車していますが、
2011年7月にも久しぶりに終点の益田から
新山口に向かって乗車しました。
その際の様子を紹介します。
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益田 - 津和野
Masuda - Tsuwano
2011年7月、益田市内の史跡散策を終え、
13:25発の特急「スーパーおき3号」に
乗ろうと益田駅に戻ってきました。
益田の散策記はこちらです。
散策の時間が足りず、発車時刻ギリギリに
なってしまったので、タクシーを呼んで
駅に着いたのですが、予定の特急は
25分程遅れてやってきました。
これだけ遅れていると知っていれば、タクシーに
乗らなくても、充分間に合ったので、2000円程の
タクシー代が少々勿体なかったと、思いながら
「スーパーおき」の到着を待ちました。
益田駅を発車すると、山陰本線と分れ、
高津川に沿って山間に分け入っていきます。
一旦、高津川に沿って走った後、山間の
長閑な田園風景を走るようになりました。
二駅目の石見横田を通過すると、
高津川に沿って走るようになりました。
険しい山が少ない中国山地ですが、
この辺りは一層なだらかな山が続き、
谷あいも広々としています。
暫くこの渓流に沿って走り、青原駅に停車し、
下りの普通列車と行き違いをしました。
青原を出来ると、再び谷が広がりました。
蛇行して流れる高津川を渡り、
トンネルでショートカットして進みます。
トンネルを抜け、日原に停車しました。
日原は観光で有名な津和野町にあり、
駅の近くに津和野の町役場があります。
日原は特急停車駅ですが、一日の
平均乗車人員は僅か52人です。
かつて、この日原と山陽本線の岩国を
結ぶ岩日線の建設計画がありました。
岩国から途中の錦町までの路線がかつての国鉄の
路線として開業していましたが、1987年(昭和62年)に
第三セクターの錦川清流鉄道に移管されています。
錦町と日原間の延長開業は、夢のまた夢の状況です。
日原を発車すると、高津川の谷に沿って走ります。
赤い石見瓦の集落が時折車窓に現れました。
この先で高津川を渡り、人家もない
谷あいを走って行きました。
この先で高津川は蛇行し、山口線の列車はトンネルで
ショートカットして、津和野に到着しました。
津和野の駅構内には「SLやまぐち号」の車両も停車
していましたが、「スーパーおき」が遅れた為に、
津和野での散策の時間が少なくなっているので、
SLの写真も撮らずに改札を抜けました。
津和野の散策記はこちらです。
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津和野 - 長門峡
Tsuwano - Chomonkyo
津和野で一泊し、城下町と城址を散策をした翌日に
山口線の列車に乗って、新山口を目指しました。
津和野の散策記はこちらです。
この日は、8:18発と少しゆっくりの出発だったので、
駅の北側に展示されている蒸気機関車を見に行きました。
この蒸気機関車はD51-194です。
D51は貨物用の蒸気機関車で、日本で
最も多い両数が製造されています。
D51-194号機は、1929年(昭和14年)に旧国鉄の
大宮工場で製造され東北本線で活躍しています。
1968年(昭和43年)に広島機関区に移され、
山陽本線で貨物列車を牽引していました。
山口線では1952年(昭和47年)から運行を
始めましたが、その翌年に引退しています。
蒸気機関車を見学した後、駅に向かいました。
駅本屋側にも側線がありますが、そこにはホームは
無く、跨線橋を渡って島式ホームに向かいました。
ひっそりとした津和野駅の様子です。
津和野は、小京都として知られる有名な観光地ですが、
津和野駅の乗車客数は一日当たり僅か196人です。
2000年には503人、1984年には873人でしたので、
近年は、大幅な減少となっています。
しばらく待つうちに、8:18発の
新山口行普通列車が到着しました。
夏休み期間の故なのか、高校生の姿もなく、
この列車の乗降客も殆どいませんでした。
新山口行の二両編成の列車は、発車した後、
津和野の中心街を抜け、津和野川を渡りました。
前日に訪れるのを諦めた太皷谷稲成神社の
赤い鳥居が見えていました。
津和野川を渡ってからも、赤い屋根の集落が続き、
その向こうの霊亀山頂の津和野城址が見えてきます。
列車の車窓からも、石垣の様子が手に取るように見え、
前日に登城した時の感慨が蘇ってきました。
津和野城の石垣を眺めながら、山口線の普通列車は
勾配を登りながら、霊亀山を取り囲む様に進みます。
上の写真は、霊亀山の西側の喜時雨谷の様子です。
中世時代の津和野城は、喜時雨側に大手があった
そうで、当時は集落が広がっていた事でしょう。
またこの辺りは、煙を吐きながら勾配を登る
「SLやまぐち号」の撮影ポイントとしても
人気のあるところだそうです。
山口線の普通列車は、狭い谷に分け入り、
長い白井トンネルを抜けました。
白井トンネルを抜けた船平山駅から先には、
広々とした田圃が広がっていました。
この広々とした田園風景は、次の徳佐駅まで続きました。
徳佐駅は、特急「スーパーおき」も「SLやまぐち号」も
停車する駅です。
徳佐からは、阿武川の谷あいに沿って進みました。
阿武川は、北に向かって流れ、萩で日本海に注ぎます。
長閑な景色が広がるなかを走って行きますが、
この辺りは、2013年に大規模な水害があり、
鉄橋がいくつも流されています。
津和野から25分程で、地福に到着しました。
「SLやまぐち号」も停車する駅です。
駅名標は旧字体の観光用のものでした。
地福では、下り列車と行き違いの為、
しばらく停車していました。
地福駅に停車中の車内の様子です。
乗客は少なく閑散としていました。
ところで、乗車していたのは二両編成の列車の
後ろの車両だったのですが、この列車は車掌の
乗車していないワンマン列車でした。
通常こうした場合は、駅に到着した際に、
後の車両の扉は開けずに下車客は運転士脇の
扉から下車する仕組みが一般的です。
しかし、この山口線の列車では、駅に到着すると
後の車両の扉も開けていました。
「下車する方は、一番前方の扉から」とアナウンスは
ありましたが、この地福駅だったかと思いますが、
若者のグループが後ろの車両から下車していきました。
彼らは、ちゃんと運賃を払ったのか気になります。
地福からしばらくは田圃の広がる盆地を走ります。
次の名草駅からは阿武川の谷を走るようになりました。
阿武川を何度か渡ると、長門峡に到着しました。
長門峡の駅名標も旧字体になっていました。
駅のすぐ近くで阿武川に合流する支流がありますが、
その1.5km程上流に全長12キロもの渓谷があるそうです。
渓流を訪れる観光客は鉄道を利用しないのか、
長門峡駅での乗降はありませんでした。
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長門峡 - 新山口
Chomonkyo - Shin Yamaguchi
山口線の普通列車は、長門峡駅からも
阿武川の谷に沿って走って行きます。
野焼きの煙もたなびく長閑な山間の景色でした。
篠目と仁保間で、なだらかな日本海と
瀬戸内海との分水嶺を超えました。
長門峡から2駅目の仁保では、特急「スーパーおき」
との行き違いの為、3分程停車しました。
山間の仁保駅を、二両編成の特急列車が
軽快に駆け抜けて行きました。
仁保駅を発車して、なだらかな峠を短い
トンネルで抜けると、平地が広がりました。
この平地が山口市が広がる山口盆地で、
列車は盆地の北の端に近い宮野に到着しました。
宮野からは山口市街の集落が続きます。
宮野と新山口を結ぶ区間列車も多く設定され
宮野からは駅の間隔も短くなっています。
宮野を発車し、大内氏館跡の龍福寺最寄り駅の
上山口に停車し、9:28に山口駅に到着しました。
大内氏館の登城記はこちらです。
新山口行の普通列車は、この山口で12分停車します。
山口から新山口の間は、2009年5月に乗車しており、
その際には山口市内の史跡を訪れています。
山口市内の散策記はこちらです。
その時に撮影した山口駅の駅舎です。
山口からも進行右手に山口の市街地が続いています。
次の停車駅は湯田温泉です。
山陽路では随一の温泉とも言われているようです。
僅かな乗降客が居たものの観光客の姿はありませんでした。
湯田温泉からは周囲に田園も広がってきました。
2009年に乗車した際には、田植えの直前の
水を張った田圃が綺麗でした。
湯田温泉からも、矢原、大歳、仁保津と
駅間距離も短く幾つかの小駅に停車しました。
列車は混みあってはいませんでしたが、
各駅では乗降する人の姿がありました。
周防下郷駅を出て、暫く走ると新山口駅に
併設された車両基地が見えて来ました。
「SLやまぐち号」の車両もここに配置されています。
丁度、発車準備を整えている所だったのか、
蒸気機関車は煙を上げていました。
山陽新幹線の高架橋が近づくと新山口駅に到着です。
津和野から1時間40分程かけて到着しました。
新山口は、山陽新幹線、山陽本線、そして宇部線との接続駅です。
元々は小郡という名前でしたが2003年に新山口に改称しています。
「Slやまぐち号」が発着する新山口駅の1番ホームは
旧字体の駅名標など、レトロな趣に飾られていました。
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