温泉津は1300年前に開かれたと言われる古い温泉です。
戦国時代以降、江戸時代にかけては、石見銀山で
産出された銀の積み出し港として栄えました。
昔ながらの温泉街の風情豊かな町並みが残り、
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
山陰本線の乗車記はこちらです。
温泉津は、山陰本線で大田市から6駅目になります。
山陰本線の温泉津駅にはJAのオフィスになっていて、
切符販売等の駅業務はJAに委託されています。
温泉津の古い町並みは駅から10分程歩いた所にあります。
駅前から温泉津の集落に向かう道には商店が連なっています。
その一角に厳島神社がありました。
戦国時代、毛利元就がこの地を
治めた時に建立したそうです。
厳島神社を過ぎ、駅からの通りに並ぶ商店の様子です。
どこの地方でもそうですが、町には人の姿もなく
ひっそりとしていました。
この先で、通りは一旦海沿いに出ますが、
しばらく行くと観光案内所がありました。
いまは「ゆうゆう館」と名前が付いています。
「ゆうゆう館」の手前の三差路を海を背中に
歩いて行くと、温泉津の古い町並みです。
通りから50m程入った所に立派なお屋敷がありました。
ここは内藤家庄屋屋敷と呼ばれています。
戦国時代末の1570年(元亀元年)に、毛利元就の
命を受け、内藤家初代の内藤内蔵丞が、温泉津の
港口に城を築き、奉行に任命されたそうです。
内藤内蔵丞は、毛利水軍御三家の一人で、
その人をこの地に奉行として任命した事は
毛利氏が如何に石見銀山の銀の積出港・
温泉津を重視したかが伺えます。
関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利すると、
温泉津は石見銀山と共に天領となり、
毛利氏の領土は防長二州になります。
しかし、内藤内蔵丞は、温泉津に残り
子孫は代々年寄りや庄屋を務めたそうです。
現在の建物は1747年(延享4年)に発生した
温泉津大火の後に建てられたこの地で
最も古い建物だそうです。
内藤家庄屋屋敷の先にも白壁の
立派な屋敷が建っていました。
車がやっと一台が通れるほどの狭い道を更に
歩いて行くと、次第に温泉旅館が増えてきます。
この辺りが1300年の歴史を誇る温泉津温泉です。
温泉津温泉には二つの元湯があるそうですが、
そのうちの一つ「元湯泉薬湯」です。
ここは共同浴場になっていて、昔ながらの
湯治場の雰囲気が残っています。
共同浴場で引き返し、温泉津の港に向かいました。
傾いた西日が港の奥に差し込み、
鮮やかな景色が広がっていました。
港には防波堤が突き出ていて、
その先まで行ってみました。
いまは行き交う船も無く、静かな港ですが、
当時は銀を積んだ船が行きかっていた事でしょう。
帰りの列車の時間までしばらくあったので、
日本海を眺めながら暫し佇んでいました。