温泉津
Yunotsu, Shimane

温泉津は1300年前に開かれたと言われる古い温泉です。
戦国時代以降、江戸時代にかけては、石見銀山で
産出された銀の積み出し港として栄えました。

昔ながらの温泉街の風情豊かな町並みが残り、
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

山陰本線の乗車記はこちらです。

温泉津は、山陰本線で大田市から6駅目になります。
山陰本線の温泉津駅にはJAのオフィスになっていて、
切符販売等の駅業務はJAに委託されています。


撮影: 2011年7月

温泉津の古い町並みは駅から10分程歩いた所にあります。
駅前から温泉津の集落に向かう道には商店が連なっています。

その一角に厳島神社がありました。


撮影: 2011年7月

戦国時代、毛利元就がこの地を
治めた時に建立したそうです。

厳島神社を過ぎ、駅からの通りに並ぶ商店の様子です。
どこの地方でもそうですが、町には人の姿もなく
ひっそりとしていました。


撮影: 2011年7月

この先で、通りは一旦海沿いに出ますが、
しばらく行くと観光案内所がありました。
いまは「ゆうゆう館」と名前が付いています。


撮影: 2011年7月

「ゆうゆう館」の手前の三差路を海を背中に
歩いて行くと、温泉津の古い町並みです。

通りから50m程入った所に立派なお屋敷がありました。
ここは内藤家庄屋屋敷と呼ばれています。


撮影: 2011年7月

戦国時代末の1570年(元亀元年)に、毛利元就の
命を受け、内藤家初代の内藤内蔵丞が、温泉津の
港口に城を築き、奉行に任命されたそうです。

内藤内蔵丞は、毛利水軍御三家の一人で、
その人をこの地に奉行として任命した事は
毛利氏が如何に石見銀山の銀の積出港・
温泉津を重視したかが伺えます。

関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利すると、
温泉津は石見銀山と共に天領となり、
毛利氏の領土は防長二州になります。

しかし、内藤内蔵丞は、温泉津に残り
子孫は代々年寄りや庄屋を務めたそうです。

現在の建物は1747年(延享4年)に発生した
温泉津大火の後に建てられたこの地で
最も古い建物だそうです。

内藤家庄屋屋敷の先にも白壁の
立派な屋敷が建っていました。


撮影: 2011年7月

車がやっと一台が通れるほどの狭い道を更に
歩いて行くと、次第に温泉旅館が増えてきます。


撮影: 2011年7月

この辺りが1300年の歴史を誇る温泉津温泉です。
温泉津温泉には二つの元湯があるそうですが、
そのうちの一つ「元湯泉薬湯」です。


撮影: 2011年7月

ここは共同浴場になっていて、昔ながらの
湯治場の雰囲気が残っています。

共同浴場で引き返し、温泉津の港に向かいました。


撮影: 2011年7月

傾いた西日が港の奥に差し込み、
鮮やかな景色が広がっていました。

港には防波堤が突き出ていて、
その先まで行ってみました。


撮影: 2011年7月

いまは行き交う船も無く、静かな港ですが、
当時は銀を積んだ船が行きかっていた事でしょう。


撮影: 2011年7月

帰りの列車の時間までしばらくあったので、
日本海を眺めながら暫し佇んでいました。

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