益田は島根県西部の街です。
まずは、益田駅から東に向かい、
医光寺の前身は、益田氏の菩提寺として
益田氏17代の宗兼
医光寺の総門は、戦国時代まで益田氏の
石段を登り、中門を抜けると、
この本堂の裏に雪舟庭園があります。
この庭園は、1479年(文明11年)に雪舟が、
雪舟所縁のお寺という事でしょうか、本堂には
医光寺の境内には、医光寺を建立した
医光寺から西に向かうと染羽天石勝神社があります。
染羽天石勝神社は、注連石を神とした自然崇拝の
本殿は1581年(天正9年)に火災にあって焼失しましたが、
本殿への階段の前に神門が建っているのですが、
本殿隣に建つ境内社です。
染羽天石勝神社から南へ向かうと、益田川の
益田兼見は南北朝時代の人で、益田氏11代当主です。
益田兼見のお墓の左手の小ぶりなお墓は、
このお墓のある高台からは、益田川と
益田兼見の墓から西側の通りの
萬福寺平安時代に、益田川の河口付近に
その後再興されましたが、1374年(文中3年/応安7年)に
国の重要文化財の本堂です。
本堂の裏に、ここにも雪舟が作った庭が
萬福寺から益田川を渡った、七尾山の
益田
Masuda, Shimane
JR山陰本線と山口線の接続駅で交通の要衝ですが、
中世から益田氏がここで勢力を伸ばした地で、
所縁の史跡も何箇所か残っています。
医光寺を目指しました。
1363年(天平18年)に建立された崇観寺です。
崇観寺と統合したそうです。
撮影: 2011年7月
居城だった七尾城の大手門と伝わります。
堂々とした医光寺の本堂が現れました。
撮影: 2011年7月
絵画で名高い雪舟
作庭家としても知られているそうです。
撮影: 2011年7月
益田氏代15代当主・益田兼堯
招かれた際に作庭したと伝わっています。
雪舟が修行時代に仏堂の柱に括り付けられた際に、
床に落とした涙で鼠を描いた逸話の像がありました。
撮影: 2011年7月
益田宗兼のお墓がありました。
撮影: 2011年7月
撮影: 2011年7月
神社で、725年(神亀2年)に創建されています。
益田藤兼
国の重要文化財に指定されています。
撮影: 2011年7月
神門で参拝するようになっており、本殿には
辿り着けない構造になっています。
撮影: 2011年7月
本殿の様子はこの境内社への階段を
上ると、横から伺う事が出来ました。
畔の高台に、益田兼見のお墓があります。
撮影: 2011年7月
足利尊氏やその子・直冬に従い、その後は大内義孝が
1551年(天文20年)に、家臣の陶晴賢に敗れるまで
大内氏に従ったそうです。
撮影: 2011年7月
父・兼方のお墓です。
その向こうに益田氏の本拠だった
七尾城のある七尾山が見えていました。
撮影: 2011年7月
益田川の畔に萬福寺があります。
安福寺として創建されたお寺です。
益田兼見が現在地に移し、萬福寺と名付けました。
撮影: 2011年7月
幕末の第二次長州征伐の際には
ここが幕府軍の陣営になったそうです。
あるのですが、こちらは見逃してしまいました。
麓には益田兼堯のお墓がありました。