松江
Matsue, Shimane

松江は、島根県随一の都市で、県庁所在地です。
江戸時代の初めに松江城が築かれ、
城下町として発展しています。

宍道湖の畔に位置し、宍道湖に沈む
夕日の美しさで知られる街です。

松江は何度か訪れましたが、2011年7月に、
松江城をはじめ、市内を散策しました。

その時の様子を紹介します。

松江城の登城記はこちらです。

宍道湖
(Lake Shinji)
July 17, '20

松江城
(Matsue Castle)
July 11, '20

塩見縄手
(Shiomi-Nawate Area)
July 21, '20

堀川巡り
(Horikawa Pleasure Boat)
NEW! Aug. 02, '20

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宍道湖
(Lake Shinji)

JR松江駅は、松江の中心街から離れ、宍道湖から
中海に流れる大橋川の南に位置しています。

この松江駅から西に向かっていくと
15分程で宍道湖に辿り着きます。

山陰本線の乗車記はこちらです。


撮影: 2011年7月

湖畔には大きな燈籠が立っていました。

湖畔に降り立つと、この日は風が強く
思いがけず、波が押し寄せていました。


撮影: 2011年7月

湖畔に立つ仏像の足元も波が洗っています。
宍道湖に浮かぶ嫁が島も波に呑まれてしまいそうでした。


撮影: 2011年7月

宍道湖畔は公園として整備されています。
ここには玄丹お加代の胸像がありました。


撮影: 2011年7月

玄丹お加代は、明治維新直後の松江藩の窮状を
救った女性として知られているそうです。

お加代は鍼医・錦織玄丹の娘で芸妓だったようです。
明治維新後の1868年(慶応4年)に新政府が親藩だった
松江藩に山陰鎮撫使を送った際、無理難題を押し付け、
家老が切腹し謝罪するという状況に追い込まれていた所、
酒宴の席で、度胸ある振る舞いをし、山陰鎮撫使
一行の度肝を抜いた事により、状況が好転し、
松江藩の窮地を救ったと伝わっています。

宍道湖に沿って南に向かうと真新しい
島根県立美術館がありました。
この建物の前の芝生にはウサギの
オブジェクトが並んでいました。


撮影: 2011年7月

この辺りから松江の市街地の方向を眺めてみました。


撮影: 2011年7月

宍道湖をのんびり眺めていたいところですが、
松江での一番の目的地、松江城に向かいました。

湖畔の交通量の多い道を北に向かい、
宍道湖大橋を渡ります。


撮影: 2011年7月

宍道湖大橋は高い位置に架けられている為、
湖から松江市内の様子が一望出来ました。

宍道湖大橋を渡り、松江市のっ大橋川南側の畔に
建つ銀行のビルが青空によく映えていました。


撮影: 2011年7月

この後、松江城に登城し、松江市内の史跡を巡り、
お堀巡りの船に乗った後に再び宍道湖畔に戻りました。

既に夕暮れに近づいていました。
島根県立美術館近くからの湖畔からは嫁が島の向こうに
陽が沈み、その様子はつとに美しいと言われています。


撮影: 2011年7月

この日は、雲が立ち込め、宍道湖の夕陽は眺められません
でしたが、素敵な夕暮れのひと時を過ごす事が出来ました。


撮影: 2011年7月

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塩見縄手
(Shiomi-Nawate Area)

宍道湖から松江城に向かい、松江城の
北惣門橋から松江城北堀の畔に出ました。


撮影: 2011年7月

堀の向こうに松江城の国宝天守が聳えています。

松江城の登城記はこちらです。

北惣門橋から北堀に沿って東に
向かうと普門院がありました。


撮影: 2011年7月

普門院は松江城の築城城主・堀尾吉晴公が
松江城を築城し城下町を作った
際に創建したお寺です。

案内版に創建年は記されていませんでしたが、
1610年(慶長15年)頃でしょうか。

境内には芭蕉堂(下写真左)と観月庵(下写真右)があります。


撮影: 2011年7月

観月庵は1801年(享和元年)に建てられた茶室で、
時の七代藩主・松平不昧公も時折訪れたそうです。

普門院を辞し、お寺の前の北堀を眺めた様子です。


撮影: 2011年7月

松江城は国宝の天守で最近人気が高まっていますが、
内堀だけでなく、三ノ丸を囲む堀も、江戸時代の
まま残っていて、街の風情を高めています。

ここから堀に沿って西に向かい、北堀橋を渡り、
内堀の北側の道を更に西に向かいました。


撮影: 2011年7月

松江城北側の内堀に沿うこのあたりは塩見縄手と呼ばれ、
武家屋敷が残り、江戸時代の佇まいを残しています。


撮影: 2011年7月

古風な建物が続くこの一角に江戸時代の
武家屋敷が残っていました。


撮影: 2011年7月

この武家屋敷は塩見縄手の名前の由来となった
塩見家の武家屋敷で、1733年(享保18年)の
大火の後に再建されたものだそうです。

入口の長屋門を屋敷側から眺めた様子です。


撮影: 2011年7月

長屋門は門の両脇に部屋があり、
中間の住まいになっていました。

こちらは主屋の様子です。
玄関(下右)と座敷(下左)の様子です。


撮影: 2011年7月

主屋のこちら側は、公務に係わる"表"と呼ばれる区画です。
座敷では、この屋敷の主人が家来に何か指示を
出している様子が、人形で表現されていました。


撮影: 2011年7月

こちらは主屋の"裏"と呼ばれる屋敷の
プライベートな居住空間になります。


撮影: 2011年7月

茶の間などもあり、穏やかな雰囲気でした。

武家屋敷から更に西に向かいました。
こちらの建物は田部美術館です。


撮影: 2011年7月

田部美術館には立ち寄らなかったのですが、
田部家伝来の美術品が展示されているそうです。

田部美術館の西隣には小泉八雲旧宅跡がありました。


撮影: 2011年7月

小泉八雲の生誕名はパトリック・ラフカディオ・ハーン。
1850年に当時イギリスの保護領だったレフカダ島で
生まれ、1890年(明治23年)4月に来日します。


撮影: 2011年7月

来日した4ヶ月後に松江に住み、翌1891年(明治24年)に
旧松江藩士の小泉湊の娘・小泉節子と結婚します。
小泉八雲は1891年11月には熊本に引越ししており、
松江で過ごしたのは僅か1年3ヶ月の事です。

小泉八雲というと、松江というイメージが強かった
のですが、滞在期間が僅か1年3ヶ月という事、
日本国籍を取って小泉八雲と改名したのが
1896年(明治29年)と松江を離れて5年も後の
事だったというのは意外な発見でした。

小泉八雲の旧宅は旧松江藩士・根岸家の武家屋敷です。
家の造りは開放的で、明るい雰囲気の中、
庭を眺める事が出来ました。


撮影: 2011年7月

書斎の奥の部屋には机と椅子がありました。


撮影: 2011年7月

小泉八雲はこの部屋で執筆活動を
していたのでしょうか。

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堀川巡り
(Horikawa Pleasure Boat)

松江城は国宝の現存天守が良く知られていますが、
お堀も当時のまま、ほぼ完全な姿で残っています。

お堀が当時の様子を今に伝える例は珍しく、
そのお堀を巡る遊覧船も運行されています。


ふれあい広場 - カラコロ広場

松江のお堀巡りは「堀川めぐり」という名称がついています。
武家屋敷の残る塩見縄手から更に西に向かった所に
堀川巡りの乗船場の「ふれあい広場」があります。

塩見縄手の散策記はこちらです。

堀川めぐりの乗船場に着いたのは、夕方に近く、
最終便に近い時間だったと思います。


撮影: 2011年7月

観光客もひと段落下時間帯だったのか、他には一組が
乗船しているだけで、船の一番前の席に座る事が出来ました。


撮影: 2011年7月

船は底の浅い造りで、屋根もあり、冬には
寒さを防ぐため、炬燵も用意されるそうです。


撮影: 2011年7月

ふれあい広場の乗船場を離岸すると、
堀を東に進みます。


撮影: 2011年7月

幅の広い堀を進むうちに、松江城の
周囲に巡る内堀と合流します。


撮影: 2011年7月

ここで、堀川巡りの船は右に進路を切り、
新橋、稲荷橋と二つの橋を続けてくぐり、
松江城西側の内堀へと分け入って行きました。


撮影: 2011年7月

左手の杜は松江城の椿谷です。
やがて亀田橋をくぐりました。


撮影: 2011年7月

お堀脇には石垣も見えていました。


撮影: 2011年7月

この先で、杜は一層深まっていきました。
自然豊かなこの景色は、松江市内に居るとは思えません。


撮影: 2011年7月

深い杜の景色を過ぎると、周囲が開けてきました。
進行右手の島根県立図書館を過ぎると、やがて
正面には島根県庁のビルが見えてきました。


撮影: 2011年7月

正面には三之丸の石垣も見えています。
ここで堀は二手に分かれていて、左に
進むのが内堀ですが、堀川巡りの船は
右手の狭い堀に入って行きます。


撮影: 2011年7月

歩行者用の緑樹橋をくぐりますが、
その先にも二つの橋が待ち構えています。


撮影: 2011年7月

花園橋をくぐると、次は狭くて暗い
うべや橋を通り抜けました。


撮影: 2011年7月

うべや橋を潜る際には船の屋根が下げられ
橋げたとの接触を避けていました。

うべや橋の先で、お堀はT字路に突き当たります。
ここで左に折れて東に進みます。


撮影: 2011年7月

ここが松江城三之丸の南の端にあたります。
周囲は松江市の中心街となっていて
ビルが建ち並んでいます。


撮影: 2011年7月

堀の畔には柳の木が並んでいます。
旧日本銀行のレトロな建物や、瀟洒なレストランが建ち、
雰囲気のいい町並みが船から眺める事が出来ました。


撮影: 2011年7月

この先でカラコロ広場乗船場に立寄りました。


撮影: 2011年7月

堀川巡りでは、計3か所の乗船場があり、
移動しながらお堀巡りを楽しむ事が出来ます。
同船していた一組の人達はここで下船しました。


カラコロ広場 - 大手前 - ふれあい広場

カラコロ広場の乗船場を出航し、
次の大手前乗船場を目指します。
ここからは貸し切りの状態です。


撮影: 2011年7月

松江市の市街地の景色が続きます。
建物の裏手には、運河への階段が残っていました。


撮影: 2011年7月

東京橋、栄橋と二つの橋をくぐり、
その先で、左手の堀に分け入ります。


撮影: 2011年7月

分け入った先の甲部橋では、橋の高さが低く、
再び船の屋根を折りたたんで進みました。

甲部橋からは、松江城の三之丸の東端を北進します。
この辺りは、住宅地の佇まいとなりました。


撮影: 2011年7月

古風な橋もありました。
この記事を書くにあたって調べてみましたが
この橋は近代的な橋に架け替えられたようです。

この辺りは緑も多く、アオサギも見かけました。


撮影: 2011年7月

この先で、堀はT字路となります。


撮影: 2011年7月

堀川巡りの船はそのT字路を左に折れ、
西に進んでいきました。

西に進んでくぐるのは普門院橋です。


撮影: 2011年7月

堀川巡りの前に塩見縄手を散策したのですが、
その際に立ち寄った普門院の袂の橋です。

普門橋をくぐると、前方に松江城が建つ亀田山の
杜が見え、その頂きに松江城の天守も見えました。

松江城の登城記はこちらです。


撮影: 2011年7月

北堀橋、宇賀橋をくぐると松江城の内堀に合流しました。
堀の周囲は石垣で囲われ、景色も開けてきました。


撮影: 2011年7月

松江城の東北隅に架かる北惣門橋と
その袂に建つ松江歴史館が見えています。

北惣門橋をくぐり、堀川巡りの船は
内堀の南の橋まで向かいました。


撮影: 2011年7月

内堀の南の橋に大手前乗船場があります。
一旦停留した後、ふれあい広場に向け出航しました。


撮影: 2011年7月

大手前乗船場から北を眺めた様子です。
左手に、松江城二之丸の石垣が
綺麗に見えていました。

内堀を北に進み、北惣門橋をくぐりました。
ここまでは大手前乗船場に向かった時の折り返しです。


撮影: 2011年7月

右手は、普門院橋をくぐってから内堀に向かって
進んできた堀で、左手が松江城の北側を巡る内堀です。
ふれあい広場に向かう船は、左手の内堀に入ります。


撮影: 2011年7月

松江城北側の内堀は、塩見縄手に沿っています。
堀川巡りの船から武家屋敷を眺める事が出来ました。

塩見縄手の散策記はこちらです。


撮影: 2011年7月

堀川巡りの船越しに塩見縄手を振り返った様子です。
こうして、約50分の堀川巡りの旅が終りました。


撮影: 2011年7月

自然豊かな内堀、松江の中心街や住宅街、
そして松江城の天守や大手前の石垣と、
色々な景色を楽しむ事が出来ました。

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