松江は、島根県随一の都市で、県庁所在地です。
宍道湖の畔に位置し、宍道湖に沈む
松江は何度か訪れましたが、2011年7月に、
その時の様子を紹介します。
JR松江駅は、松江の中心街から離れ、宍道湖から
この松江駅から西に向かっていくと
湖畔には大きな燈籠が立っていました。
湖畔に降り立つと、この日は風が強く
湖畔に立つ仏像の足元も波が洗っています。
宍道湖畔は公園として整備されています。
玄丹お加代は、明治維新直後の松江藩の窮状を
お加代は鍼医・錦織玄丹の娘で芸妓だったようです。
宍道湖に沿って南に向かうと真新しい
この辺りから松江の市街地の方向を眺めてみました。
宍道湖をのんびり眺めていたいところですが、
湖畔の交通量の多い道を北に向かい、
宍道湖大橋は高い位置に架けられている為、
宍道湖大橋を渡り、松江市のっ大橋川南側の畔に
この後、松江城に登城し、松江市内の史跡を巡り、
既に夕暮れに近づいていました。
この日は、雲が立ち込め、宍道湖の夕陽は眺められません
宍道湖から松江城に向かい、松江城の
堀の向こうに松江城の国宝天守が聳えています。
北惣門橋から北堀に沿って東に
普門院は松江城の築城城主・堀尾吉晴公が
案内版に創建年は記されていませんでしたが、
境内には芭蕉堂(下写真左)と観月庵(下写真右)があります。
観月庵は1801年(享和元年)に建てられた茶室で、
普門院を辞し、お寺の前の北堀を眺めた様子です。
松江城は国宝の天守で最近人気が高まっていますが、
ここから堀に沿って西に向かい、北堀橋を渡り、
松江城北側の内堀に沿うこのあたりは塩見縄手と呼ばれ、
古風な建物が続くこの一角に江戸時代の
この武家屋敷は塩見縄手の名前の由来となった
入口の長屋門を屋敷側から眺めた様子です。
長屋門は門の両脇に部屋があり、
こちらは主屋の様子です。
主屋のこちら側は、公務に係わる"表"と呼ばれる区画です。
こちらは主屋の"裏"と呼ばれる屋敷の
茶の間などもあり、穏やかな雰囲気でした。
武家屋敷から更に西に向かいました。
田部美術館には立ち寄らなかったのですが、
田部美術館の西隣には小泉八雲旧宅跡がありました。
小泉八雲の生誕名はパトリック・ラフカディオ・ハーン。
来日した4ヶ月後に松江に住み、翌1891年(明治24年)に
小泉八雲というと、松江というイメージが強かった
小泉八雲の旧宅は旧松江藩士・根岸家の武家屋敷です。
書斎の奥の部屋には机と椅子がありました。
小泉八雲はこの部屋で執筆活動を
松江城は国宝の現存天守が良く知られていますが、
お堀が当時の様子を今に伝える例は珍しく、
松江のお堀巡りは「堀川めぐり」という名称がついています。
堀川めぐりの乗船場に着いたのは、夕方に近く、
観光客もひと段落下時間帯だったのか、他には一組が
船は底の浅い造りで、屋根もあり、冬には
ふれあい広場の乗船場を離岸すると、
幅の広い堀を進むうちに、松江城の
ここで、堀川巡りの船は右に進路を切り、
左手の杜は松江城の椿谷です。
お堀脇には石垣も見えていました。
この先で、杜は一層深まっていきました。
深い杜の景色を過ぎると、周囲が開けてきました。
正面には三之丸の石垣も見えています。
歩行者用の緑樹橋をくぐりますが、
花園橋をくぐると、次は狭くて暗い
うべや橋を潜る際には船の屋根が下げられ
うべや橋の先で、お堀はT字路に突き当たります。
ここが松江城三之丸の南の端にあたります。
堀の畔には柳の木が並んでいます。
この先でカラコロ広場乗船場に立寄りました。
堀川巡りでは、計3か所の乗船場があり、
カラコロ広場の乗船場を出航し、
松江市の市街地の景色が続きます。
東京橋、栄橋と二つの橋をくぐり、
分け入った先の甲部橋では、橋の高さが低く、
甲部橋からは、松江城の三之丸の東端を北進します。
古風な橋もありました。
この辺りは緑も多く、アオサギも見かけました。
この先で、堀はT字路となります。
堀川巡りの船はそのT字路を左に折れ、
西に進んでくぐるのは普門院橋です。
堀川巡りの前に塩見縄手を散策したのですが、
普門橋をくぐると、前方に松江城が建つ亀田山の
北堀橋、宇賀橋をくぐると松江城の内堀に合流しました。
松江城の東北隅に架かる北惣門橋と
北惣門橋をくぐり、堀川巡りの船は
内堀の南の橋に大手前乗船場があります。
大手前乗船場から北を眺めた様子です。
内堀を北に進み、北惣門橋をくぐりました。
右手は、普門院橋をくぐってから内堀に向かって
松江
Matsue, Shimane
江戸時代の初めに松江城が築かれ、
城下町として発展しています。
夕日の美しさで知られる街です。
松江城をはじめ、市内を散策しました。
塩見縄手
(Shiomi-Nawate Area)
July 21, '20
堀川巡り
(Horikawa Pleasure Boat)
NEW! Aug. 02, '20
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宍道湖
(Lake Shinji)
中海に流れる大橋川の南に位置しています。
15分程で宍道湖に辿り着きます。
撮影: 2011年7月
思いがけず、波が押し寄せていました。
撮影: 2011年7月
宍道湖に浮かぶ嫁が島も波に呑まれてしまいそうでした。
撮影: 2011年7月
ここには玄丹お加代の胸像がありました。
撮影: 2011年7月
救った女性として知られているそうです。
明治維新後の1868年(慶応4年)に新政府が親藩だった
松江藩に山陰鎮撫使を送った際、無理難題を押し付け、
家老が切腹し謝罪するという状況に追い込まれていた所、
酒宴の席で、度胸ある振る舞いをし、山陰鎮撫使
一行の度肝を抜いた事により、状況が好転し、
松江藩の窮地を救ったと伝わっています。
島根県立美術館がありました。
この建物の前の芝生にはウサギの
オブジェクトが並んでいました。
撮影: 2011年7月
撮影: 2011年7月
松江での一番の目的地、松江城に向かいました。
宍道湖大橋を渡ります。
撮影: 2011年7月
湖から松江市内の様子が一望出来ました。
建つ銀行のビルが青空によく映えていました。
撮影: 2011年7月
お堀巡りの船に乗った後に再び宍道湖畔に戻りました。
島根県立美術館近くからの湖畔からは嫁が島の向こうに
陽が沈み、その様子はつとに美しいと言われています。
撮影: 2011年7月
でしたが、素敵な夕暮れのひと時を過ごす事が出来ました。
撮影: 2011年7月
塩見縄手
(Shiomi-Nawate Area)
北惣門橋から松江城北堀の畔に出ました。
撮影: 2011年7月
向かうと普門院がありました。
撮影: 2011年7月
松江城を築城し城下町を作った
際に創建したお寺です。
1610年(慶長15年)頃でしょうか。
撮影: 2011年7月
時の七代藩主・松平不昧公も時折訪れたそうです。
撮影: 2011年7月
内堀だけでなく、三ノ丸を囲む堀も、江戸時代の
まま残っていて、街の風情を高めています。
内堀の北側の道を更に西に向かいました。
撮影: 2011年7月
武家屋敷が残り、江戸時代の佇まいを残しています。
撮影: 2011年7月
武家屋敷が残っていました。
撮影: 2011年7月
塩見家の武家屋敷で、1733年(享保18年)の
大火の後に再建されたものだそうです。
撮影: 2011年7月
中間の住まいになっていました。
玄関(下右)と座敷(下左)の様子です。
撮影: 2011年7月
座敷では、この屋敷の主人が家来に何か指示を
出している様子が、人形で表現されていました。
撮影: 2011年7月
プライベートな居住空間になります。
撮影: 2011年7月
こちらの建物は田部美術館です。
撮影: 2011年7月
田部家伝来の美術品が展示されているそうです。
撮影: 2011年7月
1850年に当時イギリスの保護領だったレフカダ島で
生まれ、1890年(明治23年)4月に来日します。
撮影: 2011年7月
旧松江藩士の小泉湊の娘・小泉節子と結婚します。
小泉八雲は1891年11月には熊本に引越ししており、
松江で過ごしたのは僅か1年3ヶ月の事です。
のですが、滞在期間が僅か1年3ヶ月という事、
日本国籍を取って小泉八雲と改名したのが
1896年(明治29年)と松江を離れて5年も後の
事だったというのは意外な発見でした。
家の造りは開放的で、明るい雰囲気の中、
庭を眺める事が出来ました。
撮影: 2011年7月
撮影: 2011年7月
していたのでしょうか。
堀川巡り
(Horikawa Pleasure Boat)
お堀も当時のまま、ほぼ完全な姿で残っています。
そのお堀を巡る遊覧船も運行されています。
ふれあい広場 - カラコロ広場
武家屋敷の残る塩見縄手から更に西に向かった所に
堀川巡りの乗船場の「ふれあい広場」があります。
最終便に近い時間だったと思います。
撮影: 2011年7月
乗船しているだけで、船の一番前の席に座る事が出来ました。
撮影: 2011年7月
寒さを防ぐため、炬燵も用意されるそうです。
撮影: 2011年7月
堀を東に進みます。
撮影: 2011年7月
周囲に巡る内堀と合流します。
撮影: 2011年7月
新橋、稲荷橋と二つの橋を続けてくぐり、
松江城西側の内堀へと分け入って行きました。
撮影: 2011年7月
やがて亀田橋をくぐりました。
撮影: 2011年7月
撮影: 2011年7月
自然豊かなこの景色は、松江市内に居るとは思えません。
撮影: 2011年7月
進行右手の島根県立図書館を過ぎると、やがて
正面には島根県庁のビルが見えてきました。
撮影: 2011年7月
ここで堀は二手に分かれていて、左に
進むのが内堀ですが、堀川巡りの船は
右手の狭い堀に入って行きます。
撮影: 2011年7月
その先にも二つの橋が待ち構えています。
撮影: 2011年7月
うべや橋を通り抜けました。
撮影: 2011年7月
橋げたとの接触を避けていました。
ここで左に折れて東に進みます。
撮影: 2011年7月
周囲は松江市の中心街となっていて
ビルが建ち並んでいます。
撮影: 2011年7月
旧日本銀行のレトロな建物や、瀟洒なレストランが建ち、
雰囲気のいい町並みが船から眺める事が出来ました。
撮影: 2011年7月
撮影: 2011年7月
移動しながらお堀巡りを楽しむ事が出来ます。
同船していた一組の人達はここで下船しました。
カラコロ広場 - 大手前 - ふれあい広場
次の大手前乗船場を目指します。
ここからは貸し切りの状態です。
撮影: 2011年7月
建物の裏手には、運河への階段が残っていました。
撮影: 2011年7月
その先で、左手の堀に分け入ります。
撮影: 2011年7月
再び船の屋根を折りたたんで進みました。
この辺りは、住宅地の佇まいとなりました。
撮影: 2011年7月
この記事を書くにあたって調べてみましたが
この橋は近代的な橋に架け替えられたようです。
撮影: 2011年7月
撮影: 2011年7月
西に進んでいきました。
撮影: 2011年7月
その際に立ち寄った普門院の袂の橋です。
杜が見え、その頂きに松江城の天守も見えました。
撮影: 2011年7月
堀の周囲は石垣で囲われ、景色も開けてきました。
撮影: 2011年7月
その袂に建つ松江歴史館が見えています。
内堀の南の橋まで向かいました。
撮影: 2011年7月
一旦停留した後、ふれあい広場に向け出航しました。
撮影: 2011年7月
左手に、松江城二之丸の石垣が
綺麗に見えていました。
ここまでは大手前乗船場に向かった時の折り返しです。
撮影: 2011年7月
進んできた堀で、左手が松江城の北側を巡る内堀です。
ふれあい広場に向かう船は、左手の内堀に入ります。