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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない

京都丹後鉄道・宮豊線
Kyoto Tango Railway, Miyatoyo Line

京都丹後鉄道宮豊線は宮津から山陰本線との
接続駅、豊岡に至る 58.9km の路線です。
1932年(昭和7年)に全線開通した歴史の長い路線です。

正式には、西舞鶴から宮津を経由し豊岡に至る区間が
宮津線であり、宮豊線はその西半分の通称になっています。

宮豊線の区間は、1925年(大正14年)に宮津 - 丹後山田
(現・与謝野)が開業し、翌年までに網野まで延長されています。
その後、1927年(昭和2年)に豊岡 - 久美浜間が開業し、
1932年(昭和7年)に全線が開業しています。

1987年(昭和62年)の国鉄民営化の際にJR西日本に移管され、
1990年(平成2年)に宮津線は北近畿タンゴ鉄道に移管されました。

その後、2015年(平成27年)に北近畿タンゴ鉄道が第三種鉄道事業者、
WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)が第二種鉄道事業者となる
上下分離方式による経営分離がなされています。

宮豊線には、国鉄時代に初めて乗車し、その後、
北近畿タンゴ鉄道時代の2012年4月に乗車しています。

宮津 - 夕日ヶ浦木津温泉
(Miyazu - Uhigaura Kizuonsen)

2012年4月、福知山から快速「大江山浪漫号」に乗り、宮津に到着しました。

京都丹後鉄道宮福線の乗車記はこちらです。


撮影: 2012年4月

宮津では6分停車した後に進行方向を変え、天橋立に向かいました。
宮津を発車し、宮津の市街地を見下ろしながら走ります。
家並みの向こうに宮津湾が見えています。


撮影: 2012年4月

宮津から5分で天橋立に到着しました。
駅舎は、1990年に改築された立派でした。
ここで途中下車して、天橋立を散策しました。

天橋立の散策記はこちらです。


撮影: 2012年4月

日本でも有数の観光名所の最寄り駅ですが、
天橋立駅の一日当たりの乗客数はわずか
437人(2019年のデータ)と寂しい数字になっています。

天橋立と伊根の舟屋群を散策した後、天橋立駅に戻り、
14:32 発の豊岡行特急「はしだて5号」に乗車しました。

伊根浦の散策記はこちらです。


撮影: 2012年4月

特急「はしだて5号」が到着した隣の番線には
京都行の特急「はしだて6号」が入線していました。

特急「はしだて6号」は天橋立発 15:01で、今は廃車に
なっていますが、国鉄型の183系型特急車両でした。
電化された宮福線経由で、天橋立まで走る特急列車用に
宮豊線も、宮津 - 天橋立間は電化されています。


撮影: 2012年4月

特急「はしだて5号」は未電化区間に乗り入れるため、
KTR8000系というディーゼル気動車です。
この列車も全面展望が楽しめました。

発車して、進行右手に阿蘇海が見えてきました。


撮影: 2012年4月

阿蘇海に延びる松林の海岸が天橋立です。
この位置から眺める天橋立は、砂嘴かどうかは
分らないので、普通の松林の海岸線と変わりません。

海岸線を離れ、次の岩滝口駅を過ぎると
のどかな田園風景となりました。


撮影: 2012年4月

田圃に水が張られ、とても美しい景色と思います。
天橋立から7分で野田川に着きました。

野田川は、元の駅名は丹後山田でした。
2015年に京都丹後鉄道に経営が移された際に
再度改名され、今は与謝野という駅名です。


撮影: 2012年4月

この野田川(でも途中下車し、加悦の町並みを散策しました。
折角の特急でしたが、この野田川でお別れです。

加悦の散策をした後、17:00の普通列車で
宮豊線の旅を続けました。


撮影: 2012年4月

野田川を発車すると、車窓左手に加悦へと続く
野田川沿いののどかな景色が続いていました。


撮影: 2012年4月

宮豊線は、野田川を過ぎると、北に向きを変え、
丹後半島の基部を形作っている山あいへと分け入ります。


撮影: 2012年4月

山あいを抜け、丹後大宮(現・京丹後大宮)に到着しました。


撮影: 2012年4月

乗車時は、丹後大宮という駅名でしたが、2004年(平成16年)に
網野町、大宮町、峰山町、久美浜町などが合併して誕生した
京丹後市の名前を冠した駅名に2015年に改名しています。

丹後大宮からは平地が広がり、車窓には
スーパーなども見えて、都市郊外の様相でした。


撮影: 2012年4月

この先に宮豊線の中心駅の一つ峰山があります。
峰山を過ぎると、のどかな丘陵地を走るようになりました。


撮影: 2012年4月

沿線には芝桜が咲いていました。
何度かシャッターチャンスを逃していたのですが、
なんとかその様子をカメラに収めることが出来ました。


撮影: 2012年4月

峰山から7.4kmの駅間距離で網野に到着しました。
山あいを走っている事や、国鉄のローカル線だった
影響もあり、各駅の駅間距離が長くなっています。


撮影: 2012年4月

乗車した当時は、福知山から宮津を経由して豊岡まで
走る特急列車が5往復走っていましたが、2024年3月の
ダイヤでは、天橋立から西に向かう特急が一日4往復に
減っており、更にうち2往復はこの網野止まりになっています。

綾野を過ぎると、再び山あいを走るようになりました。


撮影: 2012年4月

夕暮れも近づき、山間を抜け、田圃が広がるようになると
木津温泉(現・夕日ヶ浦木津温泉)に到着しました。


撮影: 2012年4月

網野から木津温泉も5.6kmの駅間距離でした。


撮影: 2012年4月

木津温泉は、かつてあった列車交換用の待避線が
剥がされていましたが、趣のある駅でした。

この日は、木津温泉で下車し、
夕日ヶ浦温泉で宿泊しました。

夕日ヶ浦温泉の散策記はこちらです。

夕日ヶ浦木津温泉 - 豊岡
(Uhigaura Kizuonsen - Toyooka)

夕日ヶ浦温泉で一泊し、再び宮豊線の旅を続けました。
木津温泉駅(現・夕日ヶ浦木津温泉駅)の駅舎です。


撮影: 2012年4月

上の写真は、前日に撮影したものです。
その翌日は木津温泉(現・夕日ヶ浦木津温泉)を
9:07に発車する豊岡行きの普通列車に乗車しました。


撮影: 2012年5月

木津温泉に到着した一両編成のディーゼルカーです。
この列車でも、運転席横に立ち、前方の景色を眺めました。


撮影: 2012年5月

木津温泉(現・夕日ヶ浦木津温泉)を発車すると、
しばらくの間、緩やかな丘陵地帯を走りました。


撮影: 2012年5月

丘陵地を通り抜けると、水を張った水田が広がりました。
GW近くのこの景色は、日本の美しい景色の一つと思います。


撮影: 2012年5月

上の写真には、小さく白い鳥が写っています。
白鷺と思うのですが、この先の県境を越えた地域では
コウノトリが繁殖していますので、もしや、と思わされます。

やがて次の停車駅、小天橋駅(こてんきょう)に到着しました。
当時の駅名は丹後神野でしたが、2015年に改称しています。


撮影: 2012年5月

小天橋の名は、これから宮豊線がその畔を走る
久美浜湾と日本海を隔てる砂州の名前です。
久美浜湾という名前ですが、砂州によって
日本海と隔てられた潟湖です。

小天橋からは平野が続いています。
下の写真にも白い大型の鳥が写っています。


撮影: 2012年5月

程なく次のかぶと山駅に到着しました。


撮影: 2012年5月

かぶと山駅も、乗車した2012年には甲山(こうやま)
という記載でしたが、2015年4月に京都丹後鉄道に
経営移管された際に、現在の駅名に改称されています。

かぶと山からはしばらく久美ヶ浜湾を眺めながら走りました。


撮影: 2012年5月

かぶと山駅からは2.3kmで久美浜駅に到着しました。
旧国鉄時代に開業した宮豊線は駅間距離が長い
区間が多いのですが、久美浜までは短い駅間でした。


撮影: 2012年5月

立派な駅舎を有する有人駅ですが、
2019年の一日当たりの乗車人数は77人です。

久美浜を発車すると、丹後半島の
基部の山あいを走るようになります。
県境のトンネルをくぐりました。


撮影: 2012年5月

トンネルを越え、山里の景色になると
次のコウノトリの郷に到着しました。


撮影: 2012年5月

2012年に乗車した際は、正式名称は
但馬三江という駅名で、コウノトリの郷は
愛称でしたが、2015年に改称しています。

日本のコウノトリは1971年に絶滅してしまいますが、
この地では、199年にコウノトリの保護・繁殖を
目的に県立の施設が開設されています。

兵庫県以外にも千葉県でも同じような取り組みがなされ、
現在では500羽近い個体が棲息しているそうです。


撮影: 2012年5月

コウノトリの郷から田園風景が広がりました。
この景色の中に、コウノトリがいるかもと思い、
目を凝らしていましたが、その姿は分りませんでした。

そして、大きな川を渡りました。


撮影: 2012年5月

円山川橋梁です。
2010年4月に新しい橋に架け替えられています。

円山川を渡り終えると、豊岡の街並みが広がり、
京都丹後鉄道の線路は、山陰本線に寄り添います。


撮影: 2012年5月

定刻の9:06、終点の豊岡に到着しました。


撮影: 2012年5月

乗車した2012年当時は一日に4本の特急列車が
宮津を経由して福知山から豊岡まで走っていましたが、
2024年現在では、特急列車の末端の普通列車として
乗り入れる列車はありますが、宮豊線の優等列車は
一本も豊岡には乗り入れておらず、少々寂しい状況です。

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