JR西日本 / 三江線
JR West / Sanko Line
三江線は山陰本線の江津と芸備線の
三次を結ぶ108.1kmの路線です。
江津から三次まで、中国山地をうねる
様に流れる江の川に沿い続けています。
三江線はその歴史から3つの区間に分けられます。
まず、起点の江津から浜原間の50.1kmです。
1930年(昭和5年)に石見江津(現・江津)と川戸間が開業し、
1937年(昭和12年)に浜原までの区間が開業しています。
1975年(昭和50年)までは三江北線と呼ばれていました。
次に開業したのは三次 - 口羽間、28.4kmです。
この区間は1936年から着工が始まり、
1963年(昭和38年)に開業しています。
この区間は三江南線でした。
上記の2区間は、江の川の流れに忠実に沿い、
最高速度は65km/hに抑えられています。
そして残る浜原 - 口羽間、29.6kmですが、
この区間は1975年(昭和50年)に開業しています。
この区間は鉄道公団が建設し、比較的線形も
良く、最高速度は85km/hとなっています。
それどころか、利用者の減少が著しく、
度重なる自然災害もあり、2018年3月31日で
廃止になってしまう事が決まっています。
廃止になる前にと、2017年7月17日に、
およそ30年ぶりに三江線に乗りました。
その際の様子を紹介します。
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江津 - 浜原
(Gotsu - Hamahara)
江津駅にて
(at Gotsu Station)
2017年7月17日の前日は、萩の町を散策した後、
夕方の山陰本線の列車で江津に入りました。
萩の町の散策記はこちらです。
そして、乗車当日は江津駅近くのビジネスホテルを
5時過ぎにチェックアウトし、駅に向かいました。
5時半前に江津駅に到着していました。
夏ですが、さすがにこの時間には夜は
明けきっておらず、まだ薄暗い状態でした。
乗車予定の三江線の発車時間は5:53で、
まだ30分程あります。
こんなに朝早くに江津駅を訪れるのは、
兎にも角にも三江線の列車本数が
少ない為です。
江津駅発の三江線の列車は僅か5本です。
そのうち途中駅での乗り継ぎも含め、
終点の三次まで行ける列車は3本しかなく、
5:53発の次はなんと10時間後の15:15です。
利用客が少なく廃止が決まった三江線ですが、
三江線の乗り場の3番線に向かう跨線橋には
三江線の写真が貼られていました。
地元の方の写真が多く、コンテストがあったのか
優秀賞とか賞を貰った写真もいくつかありました。
跨線橋から眺めた江津駅構内の様子です。
2番線に停車中の列車は、山陰本線の
6:18発益田行の車両です。
三江線の始発列車は、江津駅の西側、
益田よりの留置線に待機中でした。
三江線の始発に乗る、鉄道ファンらしき人が
三々五々、ホームに集まりだした頃に、
三次行の車両が入線してきました。
時刻は5時45分頃、待ちに待った入線です。
列車は2両編成で、最後尾の運転席の
反対側のところに陣取りました。
さすがに乗客には鉄道ファンの姿が多く、
ローカル線に乗る際には、定席としている
最後尾のところにも他にも立つ人がいました。
あまり多くの人がこの場所に来たらどうしよう、
と内心思っていたのですが、他の人も夫々、
自分の席を確保したようです。
一両編成だったら、かなりの混雑になっていた
筈ですので、ホッとしました。
江津 - 石見川越
(Gotsu - Iwami Kawagoe)
こうして、5:53 定刻に三次行の
普通列車は発車しました。
江津駅の構内で既に右にカーブを切り、
山陰本線と別れると、三江線はすぐに
江の川に寄り沿いました。
これから三次までの108.1kmの区間を
三江線は、この江の川に沿って走ります。
ゆったりと流れる江の川は、
大河の風格を示していました。
一旦トンネルを抜けると、すぐに
江津本町駅に停車しました。
地元の方でしょうか、車に見送られて
この駅から乗り込む方も見受けられました。
江津本町を発車すると、再び
江の川に沿って走りました。
この眺めに、車内にいた多くの人が
車窓風景にカメラを向けていました。
広々とした江の川の川幅に対して、河岸の崖に
沿って走る三江線の線路は細く、心細い光景です。
線路の状態が悪い為か、列車はかなり揺れますが
それでも40km/h程のスピードしか出していません。
しばらく江の川に沿っていましたが
やがて川から離れ、千金駅に到着しました。
地図で確認すると、部分的に大きく蛇行する
江の川から離れ、ショートカットしていました。
発車してしばらくは、車窓の風景を撮影しようと、
席を移動していた鉄道ファンも、のどかな景色が
広がるようになると落ち着きて来たようです。
この辺りでの車内の様子です。
空席も目につきますが、右側の空いた席には
確か3人連れの方が座っていたと思います。
また先頭車両には後部車両よりも多くの
乗客が居て立っている人も見受けられました。
上右の写真は、一緒に最後尾に立っていた
方のカメラです。
窓際の台の上に三脚でカメラがセットされ
走行中の様子をずっと録画していたようです。
車内の光が写り込まないように、カメラの
周囲には黒い紙で覆われていて、
手慣れた感じです。
列車は江の川に沿って走り、
川平駅に着きました。
川沿いの無人駅でしたが、かつては交換設備も
あった様で、その痕跡が残っていました。
川平からも江の川に沿って走りました。
江の川の両岸には山が迫り、線路も
川渕の崖のところを走っていきます。
並走する国道は川の反対側を通っていて、
崖が近い所では川のギリギリを走り、
少し余裕が出来ると川との間に
雑木林が出来ています。
その雑木林も枝を払ったりしていないのか、
列車が揺れる度に側面に枝が当たっています。
遠目に見ると、列車の通る部分だけ、ポッかりと
穴が開き、自然のトンネルのようになっていました。
やがて江の川の支流・八戸川を渡りました。
そして、久しぶりに住宅が現れ
川戸駅に到着しました。
1930年(昭和5年)に初めて三江線が
開業した際に、終点になった駅です。
2014年度の乗車人数は一日当たり38人。
1999年度は117人だったので、その間に
随分減少してしまった事がわかります。
川戸からも江の川に沿って走りました。
しばらく走ると、谷が広がってきました。
江の川との間に耕地も広がったように見える
のですが、よく見ると耕地と思えたところは
耕された形跡がなく、耕作放棄地のようです。
川戸を出てからは農家の姿を見ることもなく
この辺りの沿線人口は極端に少なく、また
高齢化も進んでいるのではないでしょうか。
次の田津駅の様子です。
一日の乗車人数はわずか7人です。
それでも田津を過ぎると小さいながらも
集落を抜けて走るようになりました。
この景色を見ていると、鉄道というよりも
LRTとして走った方がいいような路線です。
ところで時折、先頭車両から最後尾にやってきて
写真を撮っていた人がいたのですが、見覚えの
ある人だったので、声を掛けてみると、記憶の
通り地元の小学校で1〜2年上の人でした。
その方は覚えていなかった様ですが、昔の話を
したら、僕の事はわかってくれたようです。
今は高校の先生をされていて、鉄道研究会の
生徒さんを連れての旅だそうです。
石見川越を過ぎると、川沿いに田圃も広がり、
やっと何処にもある田園風景が広がりました。
石見川越 - 浜原
(Iwami Kawagoe - Hamahara)
石見川越を出てからも、蛇行する江の川の流れに沿い、
平地に広がる長閑な田園風景を走ったかと思うと、
江の川が寄せてくると、川渕を走るようになります。
田園景色の中に溶け込むような鹿賀駅の様子です。
利用客はいなかったのですが、
この列車を見送る人がいました。
鹿賀駅を出たところで、江の川の川岸を走る様子です。
川のすぐ脇を走っていても、川との間に
雑木林が生い茂っている事が多く、
なかなか川面を眺めることが出来ません。
そんな景色を眺めていると、急に景色が開けてきました。
大きなショッピングセンターなども現れ、それまでの
景色と打って変わって、近代的な景色でした。
久しぶりに大きな街に到着したような感じます。
列車は因原に到着しました。
地図で見ると駅周辺にコンビニもあるようですが、
列車からは他の駅と同じく長閑な景色です。
因原からも江の川に沿って走りました。
先ほどのショッピングセンターの
景色とはまるで異なる景色です。
列車のスピードは遅く、恐々と
川沿いを走っている感じです。
日本の鉄道風景の中でも、こうした景色はなかなか
眺めることは出来ないと思いますが、車内は静かに
なって、外の景色に目を遣る人も少なくなっていました。
こうして 7:02 石見川本に到着しました。
江津から1時間10分かけての到着です。
石見川本で、女子高校生が下車しました。
多分、この列車に乗っていた唯一
"まとも"な乗客だったと思います。
それにしても、彼女はどの駅から乗ったのでしょうか。
江津からとすると、毎日の通学で6時前の列車に乗り、
32.6kmの距離を通っていることになります。
この三江線が廃止されてしまうと、
どのように通学するのか、と頭を過ります。
彼女の卒業を待って、廃止されるのでしょうか。
この石見川本では上り列車と交換しました。
途中駅の浜原を6:20に発車した列車です。
2両編成でしたが、この列車は空いていました。
石見川本からは大きく蛇行する
江の川を眺めながら走ります。
この先で、江の川沿いの木路原に停車しました。
木々が線路際まで生い茂り、
列車の側面に当たっています。
列車の形でトンネルのようになっています。
木路原からしばらくは江の川に沿い、
川面を眺めながら走っていきました。
木路原の次の竹の様子です。
駅名標の隣に、石見神楽の案内板がありました。
気が付いていなかったのですが、各駅に違った演目を
題材にした神楽の案内がなされているようでした。
木路原からずっと江の川に沿っていましたが、
乙原の手前から平地が広がりました。
赤い石見瓦の集落を眺めることが出来ました。
日本各地で、こうした田園風景が眺められますが
三江線沿線では珍しい光景です。
乙原の先で再び江の川に沿って
走るようになりました。
川沿いに続く細い線路は、江の川が
氾濫すると一たまりもありません。
実際、三江線では豪雨災害による
長期運休が度々発生しています。
廃線になってしまうのも、その災害の復旧費が
掛かり過ぎるというのも理由の一つです。
しかし、この日の江の川の流れは緩やかでした。
石見川本からは、江の川を眺められる区間が長く、
山深い川沿いの景色が一番楽しめた区間でした。
この辺りまで、乗車時間は既に1時間半を超え、
かなり山奥を走っている様に思えます。
しかし、江の川の流れは大きく蛇行している為、
地図で見ると、最寄りの大田市まで直線で15km程です。
ここまで、江の川の左岸を走っていましたが、
初めて江の川を渡り、粕淵に着きました。
列車の最後尾で動画を撮っていた方は、
粕淵で下車していきました。
粕淵は美郷町の中心部に近く、一日の状況客は1日25人と、
僅かですが、三江線内では最も乗降客が多い駅です。
三江線は、次の浜原が要衝の駅になっています。
7:42 江津から50.1kmの距離を
1時間50分かけて到着しました。
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浜原 - 口羽
(Hamahara - Kuchiba)
浜原を発車すると、三江線としては最も新しく
1975年(昭和50年)に開業した区間に入ります。
江津から浜原の間は、江の川の淵を走ったりと、
線形も良くなく35km/hのスピードでしたが、
浜原からは一気にスピードを上げました。
急にスピードが上がったので揺れも激しくなり
思わず手摺につかまってしまう程でした。
浜原からは江の川の流れから離れて走り、
次の沢谷は田園の広がる景色の中でした。
沢谷を出ると長いトンネルを抜け、
江の川の畔を走るようになりました。
駅名標を撮り損ねましたが、次の駅は
山間にあるのに"潮"という名前でした。
ちょっと意外な駅名ですが、この辺りの地名が
潮村といい、潮温泉という温泉も近くにあるようです。
短いトンネルをいくつもくぐり、
やがて耕地を高架で駆け抜けました。
江津から浜原までも、こうした線形だったら
三江線の運命もきっと変わっていた事でしょう。
石見松原、石見都賀と停車し、
長閑な集落のすぐ先を走ります。
住んでいる人にとっては、列車の騒音が
迷惑な事と思いますが、一日僅か数本の列車では
それもあまり影響ないのでしょうか・・・
再び江の川の畔を一直線に走るようになりました。
走り去る景色の写真が流れていて、
列車の速度が速い事がわかります。
この先で、トンネルに入り、トンネルと
トンネルの間で江の川を渡りました。
江の川の流れる谷は狭く、両側の山も険しく
江の以外に平地は全く見られませんでした。
江の川を渡って再びトンネルに入り、
二つ目のトンネルを抜けると眼下に
小さな谷が広がり、駅に停車しました。
宇津井駅です。
トンネルとトンネルの間の渓谷を高架で
超える所に駅が作られたので、ホームは
地上から20mもの高さの所に造られました。
地上からホームに行くには116段もの
階段を上るしか術はありません。
一日の平均乗車人数はわずか1名という事ですが
このホームへの階段を上るのは大変なことでしょう。
上の写真は宇津井駅を発車した直後の様子です。
谷の下の集落が見えますが、列車はすぐに
またトンネルへと入って行きました。
トンネルを抜けると再び江の川を渡りました。
江の川を渡ると再びトンネルに入ります。
この辺りの江の川は島根県と広島県の県境に
なっていて、川を渡ると広島県に入っています。
いくつか連続するトンネルを抜けると、
僅かな耕地が現れ伊賀和志駅に停車しました。
小さな集落の駅前を出ると、浜原から
3度目の江の川の鉄橋を渡りました。
昭和12年までに開業した江津 - 浜原間では
一度しか江の川を渡っていないのとは対照的でした。
三度目の鉄橋を渡ると、再び島根県となり、
久しぶりに田園地帯が広がりました。
そして、8:22に口羽に到着しました。
浜原からの29.6kmを39分で走っています。
この区間の評定速度は45.5 km/hでした。
江津 - 浜原間は27.6km/hでしたので
見違えるようなスピードです。
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口羽 - 三次
(Kuchiba - Miyoshi)
口羽を 8:23 に発車しました。
再び江の川に沿って走るようになりました。
口羽からは、1936年(昭和11年)から着工が始まり、
1963年(昭和38年)に開業した区間です。
線路の規格が低く、列車の速度は再び遅くなり、
45km/h以下で走っているような感じです。
列車は、江津 - 浜原間と同じように、山間の
江の川にへばり付いて走るようになりました。
口羽の次の江平駅を発車した際の様子です。
ここから二駅先の香淀駅までの6.5kmを、
ほぼ江の川に沿って走りました。
この辺りの江の川は、ゆったりと流れていました。
香淀駅の手前で、江の川を渡りました。
香淀駅では、羅生門の神楽が飾られています。
香淀の手前で江の川を渡った後に、西を向いていた
列車は、大きく蛇行する江の川に沿い、進行方向を
ほぼ180°変え、東に向かって走るようになりました。
そして、再び江の川を渡りました。
再び三江線は、江の川の左岸を走るようになりました。
次の式敷から終点・三次の一駅手前の尾関山までの
6駅間、12.4kmを江の川を進行方向の右手に
眺めながら、東に向かって走っていきます。
沿線の木々の枝が列車に当たるようになりました。
列車の形に、自然のトンネルが出来ています。
これも、江津 - 浜原間と同じです。
船佐駅に到着した様子です。
ここでも鉄道ファンの方が写真を撮っていました。
ホームの神楽の題材は『悪狐伝』でした。
江津を発車してからしばらくはこの神楽の案内板に
気が付いてなかったのですが、各駅に停まる毎に、
写真に収めるのも面白かったと思います。
船佐からの江の川の流れです。
水量が少なくなり、岩を噛んで流れていましたが、
この上流に堰があり、そこからは水量豊富な
緩やかな流れになりました。
この辺りの車内の様子です。
既に乗車時間も3時間を過ぎ、発車直後は
江の川の眺めに席を立って景色を眺めていた
人達も、同じような眺めに飽きてしまったのか、
スマホの画面を眺める人が多くなっていました。
やがて再び江の川を渡りました。
江津を発車してから、計7度目の江の川の鉄橋です。
最後の江の川の鉄橋を渡る終えると、
周囲に住宅地が広がり尾関山に到着しました。
既に三次市の市街地となり、三江線も高架で
住宅密集地を走るようになりました。
この先で江の川の支流・馬洗川を渡ると、
進行右手から芸備線の線路が近づき、
それに合流すると三次駅の構内になりました。
7度目の江の川の鉄橋を渡ってからの
景色の展開が急でしたが、9:21に
終点の三次に到着しました。
江津から108.1km、使用時間は3時間28分の旅でした。
廃線となる2018年3月までに再び三江線に
乗車する機会は恐らくない事と思います。
この記事をレクイエムとして記憶に
残しておこうと思います。
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