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日豊本線は北九州市の西小倉を起点として
九州の東の海岸線に沿って南下し、
宮崎を経由して鹿児島中央に至る路線です。
営業キロは462.6kmの幹線です。
小倉から北九州市街地を抜け、行橋・
中津・柳ヶ浦と海岸沿いの平野を進み
宇佐から国東半島の根元の山間を走り杵築へ。
杵築から別府湾沿いに走り、大分に至ります。
大分からは宗太郎越えの険しい山間を走り、
日向辺りから日向灘沿いに南下し、宮崎へ。
宮崎からは西に向きを変え、大隅半島の
基部の山間を抜けて、隼人に至り、
隼人から桜島を望み錦江湾沿いを走り
鹿児島に至ります。
日豊本線の歴史は1895年(明治28年)に
九州鉄道が小倉 - 行橋間を開業した事に始まり、
1911年(明治44年)には大分に至ります。
大分以南へは1914年(大正3年)から延長が始まり、
1916年(大正5年)には佐伯、1922年(大正11年)には
重岡まで線路が伸びました。
一方、宮崎県でも1913年(大正2年)に宮崎 - 福島町
(佐土原付近)が開業し、1922年(大正11年)には
延岡まで線路が伸び、1923年(大正12年)に
重岡まで線路が伸びて小倉からの線路と繋がりました。
また宮崎以西では、1914年(大正3年)から都城を起点に
路線が伸び、1916年には都城 - 宮崎間が開業しています。
その後、1929年(昭和4年)から都城以西へ路線が伸び、
1932年(昭和7年)に日豊本線の全線が開通しています。
この日豊本線に初めて乗車したのは
1978年(昭和53年)の夏ですが、2009年5月に
久しぶりに全線にわたって乗車しました。
その時の様子を中心に紹介します。
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小倉 - 杵築
(Kokura - Kitsuki)
日豊本線の起点・小倉駅から
北九州市街を抜け、周防灘沿いを走り、
国東半島の基部を抜けて杵築へと至る区間は
博多からの特急列車「ソニック」が頻繁に走り、
都市間輸送の多い区間です。
小倉 - 中津
日豊本線の起点・小倉駅。
山陽新幹線との接続駅で、いつも
多くの乗降客で賑わっています。
駅ビルには北九州高速鉄道も乗り入れ
大都市・北九州の玄関駅です。
北九州モノレールの乗車記はこちらです。
2009年5月7日、この小倉駅から10:44発の
特急「ソニック13号」に乗車しました。
博多駅方面から到着した「ソニック13号」です。
ここで方向転換し、大分へと向けて発車です。
小倉からしばらくは鹿児島本線と並行して走ります。
小倉城の最寄駅・西小倉を過ぎると、山陽新幹線や
鹿児島本線と別れて、進路を南へと向けました。
小倉城の登城記はこちらです。
特急「ソニック13号」の車内です。
乗車した車両は883系という形式です。
座席のヘッドクッションが動物の耳の
様な形になっているのがユニークです。
この「ソニック」、1号車はグリーン席は全席、
普通席は窓側の席にコンセントが備えられていて
パソコンや携帯の使用に便利です。
西小倉から小倉の市街地を走って行きます。
車窓にはビル群が続き、北九州高速鉄道の
高架橋の下をくぐっていきました。
この先の城野では、日田彦山線の
線路が分離していきました。
小倉の市街は、山で囲まれた
狭い地域に密集しています。
城野の先で、その山を抜けると、
田圃が広がるようになりました。
15分程で行橋に到着しました。
平成筑豊鉄道との接続駅です。
行橋を発車すると、周防灘沿いの平野が広がりました。
のどかな田園風景を眺めるうちに豊前松江を通過し、
日豊本線は、海岸沿いを走るようになりました。
遠浅の浜辺の先に入り江がありました。
宇島を通過すると、再び田園風景となり
国境の山国川を渡りました。
ここから大分県に入ります。
山国川を渡るとすぐに中津の町並みが広がりました。
小倉から30分で、中津に到着しました。
この中津は福沢諭吉の出身地で、
江戸時代には中津藩が置かれていました。
中津の散策の様子はこちらです。
中津城の登城記はこちらです。
中津 - 杵築
中津を過ぎると、遠くにのこぎり状の
山が連なっているのが見えてきました。
九重連山だと思います。
田圃の向こうの山々を眺めるうちに
古びた煉瓦造りの倉庫を見かけました。
柳ヶ浦辺りだったと思います。
レンゲが綺麗に咲いていました。
やがて、駅館川を渡りました。
宇佐を通過すると、それまで田園風景が
広がっていた車窓から、山間へと変わっていきます。
進行方向も東から南東へと変わりました。
山間に入り、上下線が大きく分かれます。
再び合流すると立石駅に運転停車しました。
山間の小さな立石駅。
ここで上り普通電車と行き違いです。
この立石からは国東半島の基部の山並みを
抜けるので、いよいよ山深くなりました。
小川に沿って谷間を走っていくと
のどかな山間に、立派すぎる
高架橋が現れました。
大分空港へと向かう自動車道です。
この高架橋の下をくぐると杵築の駅に到着です。
杵築は、人口3万人程の街ですが、
市街地は駅から離れていて、駅周辺は
のどかな景色が広がっていました。
杵築の散策の様子はこちらです。
杵築城の登城記はこちらです。
日豊本線は気候温暖な九州の東海岸に沿って走りますが、
2009年12月に乗車した際には思わぬ大雪となりました。
雪に埋もれた宇佐駅と、中山香辺りの様子です。
墨絵の世界で、初夏の時とは全く違った車窓でした。
杵築 - 大分
(Kitsuki - Ohita)
「ソニック」は杵築を発車して大分を目指します。
杵築 - 大分間は2009年に普通電車でも
乗車しています。
車窓風景はその際の様子を紹介します。
杵築からは別府湾に沿って走ります。
車窓風景も山間の景色から
のどかな田園風景に変わりました。
大神駅に停車中の下り普通電車です。
(上り普通電車から撮影したものです)
大神駅を過ぎたところの光景です。
12月に撮影したものですが、
暖かな日差しが降り注いでいました。
のどかな光景を眺めるうちに暘谷駅に至ります。
暘谷駅を通過する下り「ソニック」です。
暘谷は、日出の集落の最寄駅です。
2009年12月にはこの駅で途中下車し、
日出城や日出の町の散策をしました。
日出の散策の様子はこちらです。
日出城の登城記はこちらです。
暘谷を過ぎると、のどかな別府湾の
眺めが時折車窓から眺められます。
対岸の高崎山が見えていました。
キラキラと輝く海の景色が綺麗でした。
進行右手には別府を取り囲む
山々も見えてきました。
麓からロープウェーが架かる
鶴見岳とそれに連なる山々です。
この鶴見岳の裏側には
由布岳も聳えている筈ですが、
その姿は判りませんでした。
やがて、周囲にビルが建ち込め、
別府に到着しました。
駅名標に温泉マークがあるのが、
湯どころ、別府ならではです。
小倉から別府までは120.8kmの距離です。
「ソニック」の所用時間は1時間8分程で、
最高速度130km/hで走る「ソニック」の
俊足ぶりがわかります。
「ソニック」は大分行ですが、大分以南に向かう
際には別府で特急「にちりん」に乗り換えます。
(註 別府での乗り換え接続は、大分駅の高架化工事中の
暫定処置で、2012年3月には大分乗換が便利になります。)
別府駅に到着した「ソニック13号」(下写真左)と、
宮崎空港行き特急「にちりん11号」(下写真右)です。
2009年5月の際には、この別府で
特急「にちりん11号」に乗り換えました。
別府を発車した「にちりん11号」はビルの合間から
鶴見岳を眺めながら進んで行きます。
高崎山の麓辺りで別府湾
沿いを走るようになりました。
背後に山が迫っていて崖の下の
様な狭い隘路を走って行きます。
国道の向こうに、別府湾の
景色が広がっていました。
別府からわずか9分程で大分に着きました。
大分は久大本線、豊肥本線との接続駅です。
豊肥本線の乗車記はこちらです。
大分市の府内城登城記はこちらです。
大分 - 延岡
(Ohita - Nobeoka)
小倉から大分までは「ソニック」が一時間に2本走り、
博多との間や各都市間の輸送量の多い区間ですが、
大分以南は峠越えもあり、車窓風景ものどかな
ローカル線区間になっています。
大分 - 佐伯
特急「にちりん11号」で大分以南を目指しました。
大分駅を発車する時、別府まで乗って来た
「ソニック13号」が停車しているのが見えました。
大分を発車した直後の特急
「にちりん11号」の車内です。
わずか3両の編成でしたが
車内は良く空いていました。
大分川を渡り、東に進みます。
この先、19.1km先の幸崎までは
平野を走って行きました。
遠くに、工場のクレーンが見えていました。
幸崎の手前で日豊本線は向きを南に変えます。
大分県の南部は入り組んだリアス式海岸になり、
幸崎からは佐賀関半島の基部の丘陵地を抜けます。
長いトンネルを抜けると、山間に
臼杵湾がちらりと見えました。
臼杵湾が見えたのは佐志生駅辺りですが、
そこからしばらく丘陵地の間を走ります。
やがて、市街地が広がり、大分から36.3kmを
30分で走り臼杵に到着しました。
臼杵に停車中の「にちりん11号」です。
臼杵を発車すると、しばらく
臼杵湾を眺めながら走りました。
この日、小倉を出た時はどんより
曇っていたのですが、この辺りに来ると、
雲が途切れ、青空がのぞくようになりました。
しばらく、この景色を眺めると、
隣町の津久見市との間に横たわる
長目半島の基部をトンネルで抜け、
津久見に到着しました。
津久見を発車して見かけた漁港の様子です。
臼杵からは、港町の中心駅に停車し、
岬や半島を越えて次の港町へという
パターンを繰り返しています。
今度は津久見と佐伯の間の
四浦半島を横切ります。
浅海井付近から佐伯湾に沿って走りました。
のどかな佐伯湾を眺めているうち、
工場や家が建ち並び、佐伯に到着しました。
大分から64.9km、約1時間程の乗車時間でした。
佐伯では、一旦途中下車し、
佐伯城を目指しました。
佐伯の散策の様子はこちらです。
佐伯城の登城記はこちらです。
佐伯 - 延岡
佐伯での2時間程の散策を終え駅に戻り、
特急「にちりん15号」に乗車しました。
今度の「にちりん15号」はJR九州のコーポレート
カラーに身を包んだ485系特急電車でした。
2011年に九州新幹線が全通した後、それまで
博多 - 新八代間で走っていた「リレーつばめ」用の
車両が日豊本線に配属されているので、今では、
この赤い車両を見かける事はないと思います。
特急「にちりん15号」は佐伯発15:08でした。
乗車した2009年5月7日はGWも明けた
木曜日で、車内は空いていました。
佐伯城のある城山をトンネルで抜け、
番匠川に沿って山間に入って行きました。
大分から佐伯までは、大分県南部の
リアス式海岸の岬や半島をトンネルで抜け、
入り江を結ぶように走りましたが、
佐伯からは海から離れ、山塊を抜けていきます。
のどかな山里の風景となりました。
番匠川の支流の久留須川の
流れに沿って遡っていきました。
どこにでもありそうな景色ですが、
こうした光景は車窓からは、
なかなか見られなくなっています。
トンネルが続くようになり、
山間の重岡駅を通過しました。
山間を走る、佐伯以南は普通列車が
一日に僅か3往復しか走らない路線です。
重岡からは山もいよいよ深く、トンネルと
切り立った渓谷を走るようになりました。
並走する国道10号線にも
行き交う車は殆どありませんでした。
次の宗太郎駅で上りの「にちりん」と列車交換です。
人名のようなこの駅は山深い県境に位置し、
一日の乗降客数は僅か0.3人だそうです。
宗太郎駅を過ぎても険しい山間を走ります。
分水嶺を越えたのか、その谷は次第に
広がり、川の流れも太くなって行きました。
集落もまばらな宗太郎峠を越え、
久しぶりに家が建ち込むようになり
延岡の市街地が広がるようになりました。
2005年9月の台風14号による水害で
廃止となった高千穂鉄道の廃線跡を眺め、
佐伯から約1時間程で、延岡に到着しました。
深い山間地を走った後では、延岡駅は賑わった
雰囲気で、乗客も入れ替わっていました。
高千穂鉄道の前身、旧国鉄高千穂線の様子はこちらです。
延岡 - 南宮崎
(Nobeoka - Minami Miyazaki)
特急「にちりん15号」は延岡を発車すると
次の南延岡に停車した後、更に南を目指します。
延岡以南では、遠浅の海岸が広がり、
日向市などの都市も点在しています。
延岡以北は3往復しか走っていない普通電車も
延岡以南は16往復の設定があります。
「にちりん15号」も延岡や南延岡で乗車があり
4割程の座席が埋まるようになりました。
日向灘を眺めてしばらく走り、
門川駅を通過しました。
この先の日向市に停車した後、
住宅地や畑を眺め、やがて再び
日向灘を眺めて走るようになります。
白い美々津大橋を眺めながら
美々津川を渡りました。
この先の美々津駅を過ぎると
車窓左手に高架橋が並走してきました。
この高架橋は、1977年(昭和52年)に
旧国鉄が開設したリニアの実験線です。
延長7.0kmのこの実験線では1979年(昭和54年)に
最高速度517km/hの記録を出しています。
この実験線は1996年(平成8年)にその役割を終え
現在は廃線になっているそうです。
車窓右手には、遠く九州の背骨に連なる山々が
水を張った田圃の向こうに見えていました。
リニア実験線跡の高架橋が尽き、都農を過ぎると
車窓左手に日向灘が広がるようになりました。
東風が吹き、浜辺に打ち寄せる
波が大きかったように思います。
列車の揺れに身を任せながら
こうした景色をのんびり眺めていると
ふと「遥々遠くに来たな」と思います。
15q程、この砂浜が続き、
小丸川の河口を渡りました。
思わず雄大な景色に目を奪われました。
日向市から26分程で高鍋駅に到着です。
上り大分行の特急「にちりん」と列車交換しました。
特急同士の行き違いですが、
ホームの様子ものんびりしたものでした。
高鍋からは海岸を離れていきます。
1984年(昭和59年)に廃止になった妻線との
接続駅だった佐土原にも停車し、
普通電車と行き違いしました。
旧国鉄妻線の様子はこちらです。
車窓に水田が広がるようになり、
水田の向こうに遠くシーガイアの
高層ビルも見えていました。
この辺りの水田には水が張られ
稲が植えられていました。
大分県辺りではまだ植えられていなかったので、
それだけ、宮崎は暖かいのでしょうか。
時折ソテツも見る事が出来ました。
佐伯から2時間15分程で、宮崎に到着しました。
小倉から349.9km。
直通の特急では5時間程かかります。
宮崎で、乗客が入れ替わり、
宮崎空港を目指し、発車しました。
高架化された宮崎駅を出ると、傾いた陽射しに、
ビルがシルエットの様に浮かび上がっていました。
やがて大淀川を渡りました。
30年以上前、初めて九州を訪れた際、
この大淀川沿いのビジネスホテルに
泊まった事が思い出されます。
宮崎から3分で南宮崎に到着しました。
南宮崎は、日南線との接続駅です。
特急「にちりん15号」はこの南宮崎で
日豊本線と別れ、宮崎空港を目指します。
宮崎空港線の乗車記はこちらです。
南宮崎 - 鹿児島
(Ohita - Nobeoka)
日豊本線は、宮崎からは日向灘と別れ、
大隅半島の基部を横切り都城から
隼人へと至り、錦江湾に沿って走り
鹿児島へと至ります。
2009年5月7日、宮崎空港線に乗り、
JR全線乗車と九州の鉄道全線乗車を達成し、
南宮崎駅に戻り、西都城行の普通電車に乗りました。
南宮崎 - 都城
南宮崎空港駅から南宮崎に戻ると
既に18時になろうとしていました。
宮崎空港線の乗車記はこちらです。
南宮崎駅に到着した西都城行の電車です。
学校帰りの高校生が多数乗り込んで、
18:18、定刻に発車しました。
なだらかな丘陵地の中に広がる
宮崎市近郊の景色を走り、
南宮崎から二駅目の清武に到着しました。
充実したこの日の夕陽が
沈もうとしていました。
清武からはのどかな山里の
景色が広がりました。
夕暮れの迫る中、近くの荒平山が
茜色に染まりだした空に
浮かび上がっていました。
南宮崎から13分程で、
日向沓掛に停車しました。
上りの普通電車と行き違いです。
山間の小駅で、家路に就く人を見送るのは
何故かふと寂しい気持ちになります。
日向沓掛を発車し、美しい山里の
景色の向こうに日が沈んでいきました。
素晴らしい日没の光景を眺める事が出来ました。
次の田野では、多くの高校生が
下車していきます。
賑やかだった車内も次第に
淋しくなっていきました。
田野の先で、清武川を渡り、
日豊本線は山間に分け入ります。
山深い青井岳駅に停車中の
西都城行の普通電車です。
青井岳駅を発車するとトンネルで分水嶺を越え、
都城市のある盆地へと下っていきます。
この時、空は既に暗くなりつつあったのですが、
西の空は赤く染まり、遠く霧島連峰の
高千穂の峰が聳えていました。
既に午後7時になろうかとしている時刻でしたが、
素晴らしい夕暮れの景色でした。
山之口駅で上り普通電車と交換します。
山之口からも、遠くに夕暮れの
高千穂の峰を眺めて走りました。
餅原駅停車中に眺めた高千穂の峰です。
高千穂の峰を眺めるうちに夜の帳が下り、
19:19、都城駅に到着しました。
南宮崎から一時間程の乗車時間でした。
車内に残っていた大部分の乗客が下車し、
電車はひっそりと終着の西都城に
向かって発車していきました。
都城 - 国分
2009年GWの九州鉄道の旅。
第一日目の5月7日は、小倉発10:44の「ソニック13号」で
日豊本線の旅をスタートし、佐伯で途中下車した後に、
宮崎空港線で宮崎空港まで足を伸ばして
夕暮れ後の都城で、宿をとりました。
翌日は、都城を7:02に出る普通電車で
日豊本線の旅を続けました。
都城駅の駅舎です。
都城は、人口約17万人。
宮崎県南部の主要都市ですが、駅周辺は
朝の通勤時間帯なのですが閑散としていました。
駅舎も駅構内も古びた感じです。
都城、7:02発の鹿児島中央行普通列車は、
2両編成のディーゼル列車でした。
日豊本線は特急電車も走り電化されていますが、
ディーゼル列車を走らせるのは、JR九州も、
この区間には投資しないという事なのでしょうか。
7:02発の鹿児島中央行の車内です。
この列車は、5:28に宮崎を発車した
始発列車で、都城には6:40着。
ここで20分以上も停車しています。
通勤時間帯に都城から西に向かう唯一の
列車ですが、車内は閑散としていました。
特急用車両を使用した西都城発宮崎行きの
「さわやかライナー」という通勤快速が
到着すると、定刻に発車しました。
広い駅構内も線路が剥がされ、
雑草が生い茂っています。
車窓には明るい日差しが降り注いでいましたが
ちょっと淋しい光景での今日の旅の始まりでした。
吉都線の線路が右手に分かれ、
都城市街を走ります。
昨日の夕暮れに眺めた高千穂の峰が
住宅地の向こうに、霞んでいました。
都城市街を半周するように回り込み、
3分程で高架の西都城に到着しました。
西都城で行き違いした宮崎神宮行の普通電車です。
こちらは多くの通勤通学客を乗せた斬新な車両でした。
西都城を発車すると、進行左手に
ぷっつりと途切れた高架橋が見えました。
この高架橋は1987年(昭和62年)に
廃止された志布志線の廃線跡です。
志布志線には30年ほど前に乗車しました。
志布志からのどかな景色の中を走った後で、
近代的なこの高架橋を走って西都城に
到着した時には、眩しいような、古い気動車には
不釣り合いのような印象があったのですが、
その志布志線も高架化されて僅か8年後には
廃止になってしまって、残念です。
志布志線の様子はこちらです。
西都城を発車すると、都城盆地の
のどかな景色が広がりました。
のどかな田園風景を眺めるうちに県境を越え、
二駅目の財部で上りの宮崎行き
特急「きりしま2号」と行き違いをしました。
財部駅は旧財部町の中心駅で、
周囲には集落もあるのですが、
乗り降りする人は殆どなく、
ひっそりと発車していきました。
この財部で都城盆地は尽き、
霧島連峰へと連なる山塊へと
分け入っていきました。
横市川の支流の小さな流れに沿って行きます。
山間の北俣駅に停車しました。
錆びついた北俣駅の駅名標です。
この辺りは人口密度も低く、
駅周辺にも集落は見当たりません。
再び山間を走り、大隅大河原駅に停車しました。
ここも山間の小駅で、駅周辺に
集落は見当たりませんでした。
周囲に山が迫っています。
知らず知らずのうちに、かなり標高の
高いところを走っているようです。
北永野田に停まり、トンネルを抜けると
久しぶりに広い構内の霧島神宮に到着しました。
霧島神宮は5q程離れた
霧島温泉郷への最寄駅です。
ホームには沢山の女子高生が列車を待っていて
車内は、都城を発車して以来初めて活気づきました。
霧島神宮を発車すると下り勾配となり
快調に走っていきます。
丘陵地の向こうに、再び
高千穂の峰が聳えていました。
のどかな山里の景色の中を走っていましたが
トンネルを抜けると、車窓右手に
思いがけず低い位置に平野が現れました。
地図で見ると日豊本線はこの辺りでは
丘陵地の尾根を下るように走ります。
列車は急勾配を下り、あれよあれよという間に
国分平野の田園風景を走るようになりました。
久しぶりに広々とした車窓風景となり、
霧島神宮から13分で国分に着きました。
国分は霧島市の中心駅で、
かつては大隅線との接続駅でした。
僕が大隅線に乗車した時は、
志布志を昼近くに発車した列車でした。
駅弁を買って乗り込んだのですが、
列車は学校帰りの高校生で満員で、
弁当を食べる事が出来ずに
国分まで乗りとおした思い出があります。
その大隅線も1987年(昭和62年)に廃止となり、
代行バスも乗客が少なく廃止になっているそうです。
国分 - 鹿児島
都城から乗車した鹿児島中央行は国分駅に
8:03に到着した後、41分間も停車します。
しかし、到着したホームの向かいから8:04発の
国分始発の普通列車が接続しており、その後も、
8:17に普通、8:32に特急「きりしま83号」と
続々と発車していきます。
(列車ダイヤは乗車した2009年5月時点です)
8:04発の普通には既に多くの乗客が乗っていたので
一本待って、8:17発の鹿児島中央行に乗る事にしました。
国分8:17発の鹿児島中央行は
斬新な817系電車でした。
この車両は側面の窓がとても大きく
また座席も革のシートで、
通勤用とは思えない程の車両です。
3両編成の電車には座席の半分弱が
埋まるほどの乗車率でした。
国分を発車し、天降川の鉄橋を渡ると
肥薩線との接続駅、隼人です。
数ある鉄道駅の中でも、好きな駅名の一つですが、
この隼人駅にやってきたのは、何十年ぶりでしょうか。
隼人は、錦江湾にも近く、
周囲には田圃が広がっています。
この先でなだらかな丘陵地を越えると加治木です。
多くの乗客が下車し、仕事場や
学校に向かっていきました。
時刻は8:28。
都城を朝の7時に出て以来、1時間以上も
のどかな車窓風景を楽しんでいたので、
すっかり旅行気分に浸っていましたが、
まだまだ通勤通学の真っ最中の時間帯です。
次の錦江でも多くの乗客が乗り込みました。
錦江の先で、別府川を渡ります。
別府川の河口を見ると、
遠く桜島が見えていました。
いよいよ錦江湾も近づいています。
次の帖佐では上り普通電車との行き違いです。
ホームには小学生の姿もたくさん見かけました。
この日は朝から良く晴れ、車窓の陽射しも眩しい程です。
線路際に、オレンジ色の花も咲いていました。
電車は、この先の姶良や重富でも、
多くの乗客を乗せ鹿児島中央駅に向かいました。
日豊本線は予想以上に鹿児島への
通勤通学の足として機能しているようです。
重富を出ると、錦江湾に沿って走るようになりました。
キラキラと輝く錦江湾の向こうに
桜島がとてもきれいに見えました。
長い日豊本線の旅の最後にこの景色を眺められるとは
なんと、素晴らしい事かと思います。
上の写真は2011年5月に乗車した際のものです。
重富から鹿児島に到着するまでの約10分間、
波静かな錦江湾に沿ってこの景色が続いていました。
この辺りは、シラス台地が錦江湾に落ち込んでおり、
線路はその台地下のギリギリのところを走っています。
1993年8月にはこの地域を豪雨が襲いました。
重富 - 鹿児島間にある竜ヶ水では、
シラス台地の土砂崩れで交通が寸断され、
2000人を越える方々がフェリーで救出されたそうです。
この日見た穏やかな錦江湾の光景からは
想像も出来ない自然の脅威だったと思います。
その竜ヶ水駅を知らないうちに通過し、
島津家別邸だった仙巌園の前を通り、
8:51、鹿児島に到着しました。
仙巌園の様子はこちらです。
帖佐で乗車した小学生の一団も
鹿児島で下車しました。
鹿児島駅は鹿児島本線と日豊本線の終点の駅で、
駅名も市名を冠していますが、駅の所在地は
鹿児島の中心街から外れた東側にあります。
2006年11月に訪れた際の鹿児島駅の様子です。
駅前には鹿児島市交通局の路面電車も
乗り入れていますが、日豊本線の列車は
一駅先の鹿児島中央まで運行しています。
鹿児島市交通局の乗車記はこちらです。
鹿児島駅を発車し、しばらくすると
城山の麓をトンネルで抜けました。
このトンネルの手前右手には、西郷隆盛が
西南戦争で立てこもった洞窟や終焉の地が、
また、左手には鹿児島城があります。
鹿児島・城山界隈の様子はこちらです。
鹿児島城の様子はこちらです。
城山のトンネルを抜けると
鹿児島の市街地を高架で抜けました。
そして終着、鹿児島中央駅に到着です。
2006年11月に九州新幹線が部分開業して以来
すっかり鹿児島の中心駅として整備された鹿児島中央駅ですが、
2011年の九州新幹線全線開業で更に利用客が増えている事と思います。
九州新幹線「つばめ」の乗車記はこちらです。
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