佐伯
Saiki Japan
佐伯は大分県南部にあり、毛利氏が治めた
2万石の城下町として栄えた街です。
大分県南部は、リアス式海岸が続いています。
佐伯の街も、そんなリアス式海岸の
切れ込んだ湾の奥にありました。
2009年5月、日豊本線の特急「にちりん号」で
南下している際に、この佐伯で途中下車しました。
日豊本線の乗車記はこちらです。
佐伯で途中下車した目的は駅から
2km程離れた佐伯城を訪れる為でした。
佐伯城に向かう途中、思いがけず
武家屋敷の町並みが残っていました。
佐伯城の登城記はこちらです。
佐伯川から国道217号線に沿って南下し、
臼坪川の流れに沿って小路を歩いて行きました。
臼坪川に沿って綺麗に花が咲いていました。
菖蒲園も整備されているようですが、
時期が少し早かったようです。
臼坪川に沿う小路は山際通りとなり、
そのまま歩いて行くと通りの左手に
日露戦争の忠魂碑がありました。
ここは藩政時代に馬場先
御番所があったところです。
この向かいに古い佇まいを
残すお寺がありました。
藩主・毛利氏の菩提寺・養賢寺です。
初代藩主の毛利高政公が
1605年(慶長10年)に創建しています。
白壁と門の佇まいがとても良かったです。
藩主の墓所もあり、拝願しようと思ったのですが
「拝願御断り」の表示があり、諦めました。
この先にも山際通りに沿って
古風な建物が続いていました。
養賢寺の先で見かけた長屋門です。
黒塗りの堂々とした門です。
これは江戸時代からの現存でしょうか。
この先にも、白壁が続いています。
国木田独歩館がありました。
国木田独歩は明治時代の小説家で、
千葉出身で、広島や山口で育っています。
明治26年から27年にかけて佐伯で過ごした際、
下宿していた坂本家が博物館となっていました。
国木田独歩館の先には、
安井(あんせい)の井戸がありました。
飲料水の不足に苦しむ佐伯城下の人々を救う為
藩医・今泉元甫が掘った井戸だそうです。
この井戸は御米倉跡前にありました。
その米倉は今は汲心亭になっています。
こうした古い城下町の佇まいを残す建物は
すべて山際通りの右手、山麓にあります。
反対側の左手は、当時は防御に為、
沼田になっていたそうです。
この先にあった立派な薬医門。
佐伯城からの移築門だそうです。
その向かいには矢野龍渓の
屋敷跡の碑がありました。
矢野龍渓は佐伯出身のジャーナリストで
国木田独歩を佐伯の地に招いたそうです。
城下町の佇まいの残る
山際通りを歩いてきましたが
この先で、佐伯城三の丸跡となります。
三の丸大手門を抜けて
佐伯城本丸を目指しました。
佐伯城の登城記はこちらです。
佐伯城本丸下から眺めた佐伯の街です。
佐伯湾越しに豊後水道が広がる
とても景色のいい眺めでした。