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豊肥本線は熊本と大分を結び、
九州を横断するJRの幹線です。
阿蘇の外輪山の中を走る景色のいい路線で、
営業キロは148.0kmあります。
この豊肥本線には過去3度乗車した事があります。
一番最初は、確か1979年か1980年頃です。
この時は、前日熊本に泊まり、朝5時頃の
始発の普通で大分まで乗り通す予定でした。
ところが、途中の宮地 - 豊後竹田間が、
その数週間前の大雨で不通になっていて
バスでの振り替え輸送になっていたので、
この区間を乗り残してしまったのでした。
そして、1992年1月26日。
南阿蘇鉄道に乗った後、再び豊肥本線の列車に乗り、
乗り残していた宮地 - 豊後竹田間に乗車し、
この時、旧国鉄の全線乗車を果たしたのでした。
そんな思い出深い豊肥本線に、2003年12月28日、
熊本電気鉄道や熊本市交通局の路面電車に乗った際に
阿蘇山に向かい、その帰り道に乗りました。
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熊本 - 阿蘇
(Kumamoto - Aso)
2003年12月28日、この日は朝から素晴らしい天気でした。
前日に熊本電気鉄道と熊本市交通局を乗り終えたので、
急遽、阿蘇に行く事にしました。
阿蘇の様子はこちらです。
草千里からバスで阿蘇駅に出て、
ここから特急列車で熊本に向かいました。
バスの乗客は少なく、阿蘇駅もひっそりとしていました。
夕陽を浴びる阿蘇駅の駅舎です。
当時は、行楽期に熊本からのウェスタン調の
蒸気機関車も走っていて駅舎も
そんな雰囲気でした。
しばらく待つうちに、赤いJR九州独特の
塗装の3両編成の特急列車が到着しました。
阿蘇、14:54発の「あそ4号」です。
出来れば普通列車で、車窓景色を楽しみながら
豊肥本線に乗車したかったのですが、
スケジュールの都合で致し方ありませんでした。
自由席に空席を見つけて荷物を置いたのですが、
すぐに最後尾の車両に移って、
去り行く線路を眺めてみました。
阿蘇からは、阿蘇山と外輪山に
挟まれた阿蘇谷を走ります。
日を浴びた外輪山が綺麗に見えています。
車窓左手には阿蘇の山々が、
これも日を浴びて輝くように聳えていました。
しばらく、阿蘇山や外輪山の
雄大な景色を眺めながら進みます。
赤水駅で上り普通列車と交換しました。
この赤川水を過ぎると、阿蘇谷も尽き、
阿蘇谷を流れてきた黒川の
作る渓谷に沿って走ります。
線路の両側から山が迫り、
黒川の河床は日陰になっていました。
山には陽が差し込み、長閑な雰囲気でした。
一旦、谷が狭まったのですが、しばらく走ると
谷が広がり、遠く阿蘇中岳が見えてきました。
先ほど、線路のすぐ近くの狭い谷を流れていた黒川が
線路よりも遥かに低く、広い谷を作っています。
阿蘇を取り巻く外輪山が大きく開けている
立野に近づいてきたようです。
列車の後部からだけ望める雄大な景色。
一人でこの光景を眺めていました。
やがて列車は、広い谷を進行右手に
見下ろすところで停車しました。
線路が二手に分かれています。
上の写真の左側の線路を走ってきた
列車がここで方向を変え、今度は
右手の線路を下っていきました。
ここが、立野のスイッチバックです。
阿蘇谷を走ってきた豊肥本線が
外輪山の出口の急勾配を下る時に
このようにジグザグに走りながら
高低差を稼いでいくのです。
勾配に弱い鉄道は、急勾配区間を克服するのに
ループ状に距離を稼ぐ例は比較的多いのですが、
こうしてスイッチバックで勾配を緩和しているのは
ここの他には島根県を走る木次線だけではないでしょうか。
スイッチバック区間の勾配を
下っていくと立野の駅に到着です。
立野は南阿蘇高原鉄道との接続駅。
しかし、ホームでこの列車を待つ人は
数える程だったように思います。
立野を発車すると阿蘇の裾野の勾配を下り、
肥後大津辺りでは、住宅や工場も立て込んで来ます。
宮本武蔵が眠る武蔵塚を過ぎ、
阿蘇から50分程で熊本市内に辿り着きました。
水前寺周辺の様子です。
交差する道路には熊本市交通局の
路面電車の軌道が敷かれていました。
熊本市交通局の乗車記はこちらです。
熊本の市街を半周するように走り、
熊本駅に到着しました。
阿蘇から58分。15:52の到着でした。
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