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特急「つばめ」について
〜 歴史や現状 〜
About Limited Express "Tsubame"
特急「つばめ」の歴史は1930年に遡ります。
東京 - 神戸間の特急として、デビューしています。
その後、東京 - 大阪間を8時間20分(神戸までは9時間)と
当時、他の特急よりも2時間半もスピードアップを図り、
超特急「つばめ」と呼ばれていました。
当時は、那トンネルも未開通で、また電化も進んでいなかった当時、
蒸気機関車による運転で、御殿場線や関が原越えの勾配区間では
補機といって列車後部に後押し用の機関車を連結したり
解放したりといった作業が必要になるのですが、
画期的な工夫によって、その為の時間を省いて
2時間半もの大幅な時間短縮を達成しています。
なにせ、僅か30秒の停車時間に、列車の後部に
補機を連結したそうですから、神業のようです。
そして、勾配区間が終わると、不要となった補機を
走行中に切り離していたそうです。
また、蒸気機関車を動かすためには、石炭の他に水も必要になります。
当時は、主要駅で長時間停車し、その間に給水を行っていたのですが、
「つばめ」は給水車を連結し、主要駅での停車時間をきり詰めていました。
戦後、特急「つばめ」が復活したのは、1950年1月です。
その前年に運行された東京 - 大阪間の特急「へいわ」を改称したものでした。
この特急「つばめ」には、特急「はと」という姉妹列車が運行されていて、
どちらも、展望車付きの一等車を連結して、多くの名士が乗車したそうです。
戦後復活した「つばめ」は、当初は東京 - 大阪間を
9時間かけて運転していましたが、翌年には8時間に短縮されて、
その後、東海道本線の全線電化による電気機関車への牽引化によって
東京 - 大阪間の所要時間は7時間30分になっていました。
その次の特急「つばめ」の変革は、1960年6月の電車特急化です。
これは、1958年に東京 - 大阪間に、電車特急「こだま」が
6時間50分で運行されるようになると、客車列車の
「つばめ」はスピードの点で見劣りがしていました。
そこで「つばめ」も「こだま」と同じ電車に置き換えられたのです。
その後、1964年に東海道新幹線が開業すると、
「つばめ」の名は、新幹線の列車名には採用されず、
新大阪で新幹線に接続する山陽本線の特急名となり、
新大阪 - 博多間の運転となりました。
その後、山陽新幹線が博多まで開業した1975年には
特急「つばめ」の名前は時刻表から消えてしまいました。
特急「つばめ」の歴史は華やかなもので、国鉄の看板列車でした。
昔、国鉄バスには、車体にツバメマークが入っていたし、
国鉄の持っていたプロ野球のチームも「国鉄スワローズ」
という愛称で、ここでも「つばめ」の名前が使われています。
しかし、「つばめ」の歴史を振り返ってみると
日本で最初に導入された画期的な列車名には
その名前は使われていません。
日本最初の特急も、初の電車特急の座も、
そして新幹線の名称も他の列車に譲っています。
新幹線開業時に、「つばめ」の名前が使われず、
それ以降は、少々都落ちの様な印象もありました。
その状況が変わったのは、国鉄が解体し、
JRが発足してしばらく経った時です。
1992年に、JR九州は新形式の787系特急型車両を新製し、
この車両をメインルートに当たる博多 - 西鹿児島間に充当しました。
この時、従来の特急「有明」の名前を「つばめ」に改めています。
787系車両は、メタリックな感じの斬新な車体で、
JR九州の看板列車になりました。
2004年2月の時刻表によると、特急「つばめ」は
博多 - 西鹿児島間、317.1kmの区間を3時間48分で結び、
評定速度は、83.4km/hと在来線特急としては
まずまずの俊足ぶりを発揮していました。
そして、九州新幹線の開業が決まると、
列車名にこの「つばめ」が採用されました。
九州新幹線の名前は公募され、実は「はやと」が
最も得票数が多く、「つばめ」は第3位だったそうですが、
「はやと」が、既に東北新幹線で走っていた「はやて」と
紛らわしいという理由で、「つばめ」の名称が採用されたそうです。
九州新幹線の開業は、2004年3月13日です。
九州新幹線は暫定開業の為、新八代と鹿児島中央
(西鹿児島から改称)間での運転となっていて、
博多 - 新八代間は、新幹線「つばめ」に接続する
「リレーつばめ号」が運転されています。
博多 - 鹿児島中央間の最速は、2時間12分と
大幅なスピードアップが達成されています。
概ね1時間に2本が運転されていて、
鹿児島への行き来が非常に便利になったと思います。
工事中の博多 - 新八代間が開通すると、
新大阪から鹿児島中央への直通新幹線が
運行される予定だそうです。
この時、新大阪発鹿児島行きの新幹線の列車名には
どんな名前が付くのでしょうか。
「つばめ」の名前が、その列車に付けられて欲しいなと思っています。
【註】 このページの特急「つばめ」の歴史については、
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を
参照にさせて頂きました。
特急「リレーつばめ号」
(博多 - 新八代)
Ltd. Express "Relay Tsubame" (Hakata - Shin Yatsushiro)
2006年11月10日、鹿児島に行ってきました。
その鹿児島行きの大きな目的の一つが
九州新幹線「つばめ」に乗る事だったのです。
鹿児島の訪問記はこちらです。
名古屋から乗車した「のぞみ1号」を終着博多で下り、
「リレーつばめ」に乗り継ぎです。
乗車したのは11時30分の「リレーつばめ43号」です。
博多駅は駅構内の工事の最中で、線路の路盤を
新しく作り変えているようです。
「リレーつばめ号」に発車10分程前に現れました。
JR九州は、この「リレーつばめ号」だけではなく、
長崎行きの「かもめ」や大分行きの「ソニック」、
そして「ゆふいんの森」といった魅力的な車両を
次々にデビューさせています。
この「つばめ」用に作られた787系の
車両は、精悍な顔つきです。
博多を発車すると、しばらく新幹線の高架橋と併走し、
やがて住宅密集地へ、と思うと竹下や南福岡の
車両基地が見えてくると言った感じで、
景色の変化が多くて、楽しい区間です。
あまりに景色の変化があるので、
いつもこの区間では写真がなかなか撮れません。
密集していた住宅が、郊外の様子を見せてくると、
7世紀に築かれた水城を一瞬の間に通り過ぎてしまいます。
山間が迫り、甘木に向かう甘木鉄道のレールが
左に分岐していくのが見えると基山で、
最初の停車駅、鳥栖はもうすぐです。
この辺りの車窓風景は、長崎行きの
特急「かもめ」の乗車記も参考にしてください:
鳥栖駅前には、J2サガン鳥栖の本拠地の
サッカースタジアムが建っています、
鳥栖を過ぎ、平野の風景の中を走ると、
筑後川を渡り、久留米に入ります。
阿蘇の外輪山に源を発し、大分県日田市を流れ、
有明湾に注ぐこの川は、利根川、吉野川と共に
日本三大暴れ川の一つとして、筑後次郎の名が付いています。
堤防の間に水を湛えたこの川を渡ると、
何故かいつも九州の南部に足を踏み入れる、
という実感が湧いてきます。
このあたりからは、水田が広がり
のどかな景色となります。
大牟田を出ると、一旦海岸線に沿って走りますが、
やがて内陸部を走るようになり、
車窓左手にのどかな丘陵が広がるようになります。
玉名を過ぎ、菊地川を渡りました。
この菊地川の鉄橋を渡ると、周囲の丘陵地が
次第に近づきいてきます。
列車も右へ、左へとカーブする事が多くなり、
車窓も、のどかな里山の風景となってきます。
この辺りの景色は、なかなか気に入っているのですが、
熊本の手前のこの勾配区間が田原坂(たばるざか)。
この坂を挟んで、南下する政府軍と、
薩摩軍が激戦を交わしたところです。
列車の車窓からは、そのような戦いがあったとは
思えない、のどかな景色の連続です。
田原坂を過ぎると急に住宅が増え、熊本に到着です。
博多から1時間20分。
のんびりと車窓を眺めていると
あっという間に到着してしまう感じです。
博多 - 熊本間は在来線でも120km程の距離なので、
この区間に新幹線が出来れば、
40分弱で結ばれる事になりそうです。
熊本の旅行記はこちらです。
熊本を出ると、再びのどかな田園地帯を走ります。
時折、コンクリート橋が連なった工事現場を見かけましたが、
それが九州新幹線の工事なのでしょうか。
熊本から20分で新幹線との接続駅、新八代に到着です。
新八代の駅は在来線の鹿児島本線が、真っ直ぐ
八代方面に伸びていて、その上を九州新幹線が
斜めに交差するような配置になっています。
「リレーつばめ号」は、新八代の手前で走行方向の右側に分岐し、
勾配を上り、九州新幹線のホームの反対側に到着するように
アプローチ線が新しく作られていました。
定刻の13:12に新八代に到着しました。
ホームの向かいに九州新幹線「つばめ」が
乗り継ぎ客を待っていました。
いよいよこれから九州新幹線に乗車です。
九州新幹線「つばめ号」
(新八代 - 鹿児島中央)
B>Kyushu Shinkansen "Tsubame" (Shin Yatsushiro - Kagoshima Chuou)
特急「リレーつばめ号」からホームに降り立ち、
ホームの反対側に停車している、
九州新幹線「つばめ43号」に乗り換えです。
ホームには改札もなくスムーズに乗換えが出来ました。
鉄道雑誌では何度も見ているのですが、
初めて見る、実際の九州新幹線「つばめ」です。
白い車体にJR九州のコーポレートカラーの
赤い細いラインが入っています。
九州新幹線は6両編成と、短い編成です。
車内は木製の背もたれで、車内は落ち着いた雰囲気です。
新幹線なのに座席配置は、通路を挟んで2列ずつで、
肘掛も大型のものが備わっていて、ゆったりとしています。
車内の写真を撮ったりしているうちに
13:15、定刻に発車です。
車内の案内放送は、日本語・英語に続いて、
韓国語や中国語の案内も流れ、
外国に近い九州に来ている事を実感します。
新八代を発車し、八代の市街を遠くに眺めながら
スピードを上げていきます。
すぐにトンネルに入り、それを抜けると球磨川を渡ります。
狭く険しい谷に、水量豊富な球磨川が流れ、
それに寄り添うように、肥薩線の古びたレールが見えました。
なかなかいい景色で、写真に収めたかったのですが、
あっという間に通り過ぎて次のトンネルに入ってしまいました。
しばらくトンネルが続きます。
時折、トンネルとトンネルの間に
広がる景色はのどかなものでした。
九州新幹線が、博多から離れた新八代 - 鹿児島中央間を
先行して開業させたのは、この区間の鹿児島本線が、
山の迫る海岸線を走るため、カーブの連続で
スピードが上がらず、所要時間がかかっている為です。
それと、トンネルの掘削技術が向上した為、
用地買収が必要な地上区間を建設するよりも
工事期間や費用が少なくて済むという事情もあるようです。
そこで、博多 - 鹿児島間の時間短縮に最も効果の
高いこの区間を先に建設開業したようです。
利用者が多いと思われる博多 - 新八代(あるいは熊本)間を
後回しにしたのは、色々議論があったと思われます。
トンネルの連続から抜けると、次の停車駅の新水俣です。
この辺りでは遠くに海を眺める事が出来ました。
海を眺めていると出水で、新水俣からは僅か8分で到着です。
博多 - 鹿児島間の速達性を向上するために、
先行開業された九州新幹線ですが、新幹線開通以前に
博多と西鹿児島を結ぶ特急列車が走っていた路線は
八代 - 川内間がJRの経営から離れ、
「肥薩おれんじ鉄道」という沿線自治体が主に出資している
第三セクターの鉄道に運営が切り替わっています。
新水俣や次の出水ではその肥薩おれんじ鉄道と接続しています。
肥薩オレンジ鉄道の乗車記はこちらです。
出水からは再びトンネルの連続となり、川内(せんだい)に着きました。
ほぼ10分毎に駅に停車するのですが、少なからず乗降する人がいて、
比較的小まめに利用されているようです。
開業からまだ年月が経っていないせいか、
小さなお子さんを連れ、初めて乗車される
家族連れの方も見受けました。
川内の周辺では平野が広がり、
のどかな景色を眺める事が出来ました。
その後、再びトンネルが連続する山岳区間となり、
終着、鹿児島中央駅に到着のアナウンスが聞こえてきます。
車窓左手に城山が見え、定刻の14:02、
鹿児島中央駅に到着しました。
各駅に停車しても新八代から僅か47分。
この区間の実キロが126.8kmなので、表定速度は162km/hです。
途中駅に停まらない速達タイプの「つばめ」は、この区間を35分。
表定速度:217km/hもの速度で走っています。
上の写真は、つばめ号の車体に書かれた、ロゴです。
終着の鹿児島中央駅は、新幹線開業前までは
西鹿児島という駅名でした。
鹿児島本線と日豊本線の終点、鹿児島駅は
鹿児島市の東北のやや外れにあり、
以前から西鹿児島駅が、街の玄関になっていたのですが、
新幹線開業に伴って、鹿児島の玄関駅であることを
明確にさせるため、駅名変更を行っています。
駅には、百貨店やホテルが隣接し、
百貨店の屋上には大きな観覧車もありました。
帰りに、駅で適度に時間が余ったので
その観覧車に乗ってみると、桜島とともに
新幹線の駅が良く見渡せました。
鹿児島の訪問記はこちらです。
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