中津
Nakatsu Japan







中津は大分県と福岡県の県境近くに位置しています。

江戸時代には中津藩が置かれ、
福澤諭吉はこの中津出身です。

福澤諭吉以外にも江戸後期から幕末・
明治にかけ、前野良沢や奥平昌鹿、
奥平昌高らの多くの人物を輩出した町です。




小倉から日豊本線の普通電車に乗り、
約30分程で中津に着きます。

駅に降り立つと、福澤諭吉の
銅像が出迎えていました。



中津駅でレンタサイクルして
中津の街の散策をしてみました。





寺町



中津駅から自転車を西に走らせると
宝蓮院の立派な山門が見えてきました。



宝蓮院は、1600年(慶長5年)に細川忠興公が
中津に入封した際に、行橋から移された
浄喜寺がその基だそうです。

ちなみにこの宝蓮院の三代目の住職・
村上良蔵は、勅命で聖徳太子の経典を侵講し、
大阪・四天王寺の聖徳太子像を拝領したそうです。

大阪・四天王寺の様子はこちらです。

この宝蓮院から北に、いくつもの
お寺が連なる寺町が広がっています。




当時の中津城総曲輪の東側に
十にのお寺が連なっているそうです。

白壁が続く寺町の佇まいです。



宝蓮院の北にある松巌寺です。



このお寺は1717年(享保2年)に城主となった
奥平氏が藩主となった以降に開かれたそうです。


松巌寺から更に小路を歩いていくと
情緒ある白壁ではなく赤い壁が現れました。

合元寺です。



1587年(天正15年)に黒田孝が中津城の
築城を始めた際に姫路から移ってきた
開山空誉上人が開基したと伝わります。

その2年後、黒田孝は前領主の
城井鎮房を謀殺したそうですが、
その際に城井鎮房の家臣らがこの合元寺に籠り
黒田方との激戦の末に敗れ、命を落としたそうです。

それ以降、このお寺の壁は血痕が絶えなくなり、
ついには赤く塗るようになったそうです。


小路を挟んで北側の本傳寺を過ぎ、
大法寺に向かいました。
1600年(慶長5年)に開基された日蓮宗のお寺です。

この大法寺には加藤清正を祀る
浄池宮がありました。



清正は熱心な日蓮宗の信者でしたが
領主ではなかった加藤清正を、
何故中津の地で祀ったのか、
不思議に思います。


大法寺の北隣の円応寺です。



この円応寺には江戸中期の寂玄上人が
河童を仏道に入らせたそうで、
河童はそのお礼に寺を火災から
守ったという話が伝わっています。

境内には河童のお墓もありました。





福澤諭吉旧宅



寺町から北に向かうと
福澤諭吉の旧宅がありました。




福澤諭吉は1835年(天保5年)に、中津藩の
下級武士・福澤百助の次男として生まれました。

福澤諭吉が生まれたのは、中津藩の大坂蔵屋敷で、
1歳半の時に、父と死別し、中津に来たそうです。


寺町から新堀町を経て留守居町に入ると、
肌色の趣ある土塀が見えて来ました。



ここが福澤諭吉の旧居でした。


福澤諭吉は慶応義塾大学を開き、
『学問のすゝめ』を著しています。

「天は人の上に人を造らず、
人の下に人を造らず」

で知られています。



福澤諭吉がこの家に住んだのは
15年程だったようです。

1854年(安政元年)、19歳の時に長崎に遊学し、
翌年からは大阪の適塾で緒方洪庵に学んでいます。

長崎の様子は
こちらです。
大阪・適塾の様子はこちらです。



この福澤諭吉の旧居は、諭吉の家族が
東京に転居した後は親戚の渡辺氏が住み、
その後は旧藩主の奥平氏が所有していたそうです。

旧居の傍らには小さな土蔵がありました。



福澤諭吉少年は、この土蔵で米を搗いたり、
二階で勉強したりしていたそうです。


この福澤諭吉の旧宅に隣り合わせて
福澤記念館が建てられています。

この記念館を見学していると、
学生風のグループが訪れて来ました。
東京の慶応義塾の学生さんだったのでしょうか。





和田公園から中津城、旧藩校跡



福澤諭吉旧宅を訪れた後、
西に向かい中津城を目指しました。

その途中、和田公園がありました。



中津出身の和田豊治氏の旧居跡を
公園にしているようです。

和田豊治氏は中津藩のお鷹部屋・
和田薫男の長男で、慶応義塾で学んだ後、
三井銀行や鐘ヶ淵紡績、富士紡に入社し、
その後、財政界の重要人物になった人です。


和田公園を過ぎると中津川の畔に出ました。
大分県と福岡県の県境を流れる山国川から
分流し日向灘に流れ込む川です。



中津市街を囲む様に、その西側を流れています。
水量は少なく、葦が生い茂っていました。

中津城もこの中津川の河畔に築かれています。



この後、中津城を訪れてみました。

中津城の登城記はこちらです。


中津城の散策を終え、駅に向かう途中で
小幡記念図書館前を通りました。




この図書館は、慶応義塾の2代目塾長・
小幡篤次郎の遺言で出来た図書館です。

この小幡記念図書館は藩校だった
進脩館跡に建てられているそうです。



進脩館は1780年(安永9年)に家塾を開いた事に始まり、
1796年(寛政8年)に中津藩の藩校になっています。

当初は藩士のみが学んでいたようですが
その後は神官・僧侶、農民や町人も学んだそうです。

地方の小藩だった中津藩が教育に力を注ぎ
その結果、多くの人物がこの地から育って
いったと思うと、感慨深いものがありました。



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