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中央本線
Chuou MainLine
(Nagoya - Shiojiri)
中央本線は東京駅を起点に、甲府・塩尻を経由し、
木曽谷を抜け名古屋に至る全長392.3kmの路線です。
明治時代、軍事上の理由から太平洋沿岸に
鉄道を敷設する事に軍が反対し、中央本線の
建設がなされたそうですが、このルートは
人や物の流れとは一致しておらず、
直通列車は一本も走っていません。
東京口、名古屋口とも松本・長野へ
向かう列車が殆んどを占めています。
JR発足後は東京 - 塩尻がJR東日本、
名古屋 - 塩尻間がJR東海の所属となり、
実態に則した運営が図られている様です。
東京 - 塩尻間の中央東線の乗車記はこちらです。
その中央線の西側、JR東海の路線には日本初の
振り子式の特急「しなの」が走っていますが、
1995年に新型の振り子式車両が投入されました。
この車両は窓が大きく、景色の綺麗な中央西線沿線の
車窓風景が充分楽しめるだけでなく、長野方向の
先頭車のグリーン車からは前方の展望も楽しめます。
中央西線は何度も利用した事がありました。
2011年10月に乗車した際の様子を中心に
紹介しようと思います。
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名古屋 - 中津川
Nagoya - Nakatsugawa
名古屋駅10番線に入線した特急「ワイドビューしなの」です。
長野行の特急「ワードビューしなの」は、名古屋地区の
在来線の華で、ほぼ毎時一本の設定があります。
名古屋駅周辺には高層ビルが建ち並んでいます。
駅のホームからの名古屋駅のツインタワーが
見上げるように聳えているのが見渡せます。
特急「ワイドビューしなの」の1号車、長野方面の
先頭車はグリーン車で、運転席直後の1番A〜D席は、
前面展望が楽しめる特等席になっています。
2011年10月に7:00発の「ワイドビューしなの1号」の
展望席の指定券を入手し、乗車しました。
運転席の反対側のC・D席からは遮るものがなく
前面展望を独占することが出来ます。
グリーン車は、乗客がまばらな状態でした。
名古屋を発車すると、すぐに関西本線と
あおなみ線が右手に分岐していきます。
関西本線の乗車記はこちらです。
関西本線とあおなみ線が分岐すると、左から
名鉄名古屋本線が地上に現れ、並走します。
しばらく、東海道新幹線、中央本線、東海道本線
そして名鉄名古屋本線と4つの複線が並走します。
名古屋近郊は鉄道の輸送シェアが東京や大阪に
比べると低く車社会の地域ですが、この区間は
鉄道のステイタスを感じさせてくれます。
名鉄名古屋本線の乗車記はこちらです。
東海道新幹線の線路が右に離れていくと、
中央本線の線路は地上に降り、東海道本線と
名鉄名古屋本線の線路をくぐり金山へと向かいます。
金山駅前に建つ高層のホテルの
ビルが迫って見えてきました。
「ワイドビューしなの」は金山を抜け、左に
大きなカーブを切ると、スピードを上げ
高架で名古屋市内を駆け抜けます。
鶴舞駅を130km/Hで通過しました。
名古屋は、建物の集積度が低く、ビルが
集積する光景は名古屋駅前を除くと、
あまり鉄道沿線からは見られませんが、
この区間は都会らしい光景と思います。
鶴舞駅を通過したと思ったら、
掘割に入り、千種に到着しました。
千種は、地下鉄東山線との接続駅で、春日井や
岐阜県東農地区から名古屋へ向かう通勤客の
乗換駅になっており、名古屋近郊でも
有数の乗降客を誇る駅になっています。
千種を発車すると掘割の中を進み、
景色が開けると大曽根駅を通過しました。
大曽根も地下鉄名城線と名鉄瀬戸線と接続する
要衝の駅で、乗降客数は千種を上回っています。
大曾根を通過し瀬戸線と別れると、矢田川を渡り、
新守山駅を通過すると庄内川を渡ります。
名古屋市の西から北側を堀の様に囲う庄内川を
渡ると名古屋市を離れ、春日井市となります。
中央本線の線路は高架となり、勝川駅を通過しました。
勝川駅は2009年に高架化されています。
中央本線の上下線は2面あるホームの
外側を通るようになっています。
中央の開いた部分には勝川から枇杷島へと向かう
東海交通事業の城北線が乗り入れる予定になって
いるそうですが、その目途はたっていないようです。
勝川からは春日井市内の住宅密集地を走ります。
春日井を過ぎ、神領辺りで景色が開けてきました。
次の高蔵寺駅が近づいてきました。
高蔵寺愛知環状鉄道と接続しており、
また乗降客も多い要衝の駅です。
愛知環状鉄道の乗車記はこちらです。
朝夕に愛知環状鉄道との相互乗り入れが行われており、
下り線からも愛知環状鉄道への接続線が分岐しています。
高蔵寺を過ぎると山あいに入ります。
高蔵寺の先の渓谷では、昨晩の雨が
川霧となって湧上っていました。
高蔵寺は、尾張平野の端に位置しており、
ここから先は庄内川の渓谷に沿って走ります。
以前は、渓谷に沿って走っていたのですが、
その後の線路改良で、今ではトンネルで
ショートカットしていきます。
途中、定光寺と古虎渓の駅のところは、
昔ながらの渓谷添いの景色となります。
特急「ワイドビューしなの」では景色の移り変わりが
速過ぎて、なかなか写真に撮ることが出来ません。
2012年12月に快速電車に乗った際の写真です。
古虎渓の渓流の景色が終わると、県境を越え
岐阜県となり、谷が開け多治見に到着しました。
多治見は美濃太田へと向かう太多線との接続駅です。
多治見からは、土岐・瑞浪と同じような規模の
都市が続いています。
周囲には山が迫り、山里の景色となります。
2011年10月に乗車した際には川霧が
立ち込め、幽玄な景色でした。
多治見を発車すると、土岐、瑞浪と
同じような規模の都市が続きます。
名古屋への通勤客も多い街ですが、
車窓風景は、のどかで綺麗な
山里の景色となりました。
時折、中央本線に寄り添うように流れる
土岐川を何度となく渡ります。
のどかな景色を眺めるうちに、
「ワイドビューしなの」は
恵那を通過しました。
恵那は、岩村や明智へと向かう
明智鉄道との接続駅です。
駅を通過すると、明智鉄道の単線の
線路が分かれていくのが見えました。
明智鉄道の乗車記はこちらです。
恵那からは、緩やかな下り勾配を
走り、中津川に向かいました。
遠くに高峰山が見えると、
そろそろ中津川です。
中津川は、名古屋から79.9kmの距離にあります。
「ワードビューしなの1号」は48分で到着しました。
この区間の評定速度は約100km/hにもなります。
上の写真は、2021年10月に馬籠宿・妻籠宿に
向うために中津川で下車した際の様子です。
木曽路・馬籠宿の散策記はこちらです。
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中津川 - 木曽福島
Nakatsugawa - Kiso Fukushima
中津川は鉄道の要衝の駅で、すべての
特急「ワイドビューしなの」が停車し、
名古屋からの近郊電車の終着駅になっています。
中津川以北の普通電車の運転本数は、10本の
坂下、南木曾行を除くと、一日9本と、
きわめて少なくなっています。
中津川を発車して、しばらくは
長閑な田園風景の中を走ります。
やがて木曽川が寄り添うようになり、
落合川を通過しました。
中央西線はずっと木曽川に沿って走っている様に
思っていますが、意外にも名古屋から80km以上も
走って、やっとその流れを目にすることになります。
この後、一旦谷あいに平地が広がり、坂下の駅を
通過しますが、その後再び木曽川の渓谷となり、
長野県に入り、南木曾に停車しました。
南木曾は、妻籠宿の最寄り駅で、
バスで手軽に訪れる事が出来ます。
木曽路・妻籠宿の散策記はこちらです。
南木曾からは木曽川の造る渓谷に沿って走ります。
旧中山道とも並走しています。
是より北、中山道の碑は、馬籠宿と落合宿の間にありますが、
中央西線の木曽路は、南木曾以北という感じがします。
木曽川には高度成長期に関西方面に電力を供給した
関西電力のダムが連なり、流れは穏やかになっています。
やがて十二兼駅を通過しました。
中央西線は、十二兼までは複線ですが、
十二兼以北は単線になっています。
時折、渓谷が広がり、のどかな
山里の景色が広がりました。
次の野尻駅に差し掛かった様子です。
野尻も、中山道の宿場町だったところです。
いつも、通過するばかりですので、いつかは
野尻の宿場跡も訪れてみたいものです。
野尻からも木曽川に沿って走ります。
この辺りは、木曽川の流れが東西方向に傾いており、
塩尻方面に向かう中央西線の下り列車の進行左手には、
遠くに中央アルプスの木曽駒ケ岳が見えて来ました。
中山道の宿場町だった須原の町並みを眺めました。
宿場町の佇まいが今に残っているようです。
特急「ワイドビューしなの1号」は須原で
運転停車して、上りの「ワードビューしなの」
の通過待ちをしました。
須原からも木曽川の渓谷添いに走ります。
倉本を過ぎると、線路は複線になりました。
しばらく走ると、中央西線で随一の見所、
「寝覚めの床」を通過しました。
寝覚めの床は、木曽川の流れが、
柱状岩の狭い間を流れる景勝地です。
寝覚めの床は、浦島太郎伝説に基づいています。
テーブル状の岩の上にある祠で浦島太郎が
玉手箱を開け夢から覚めたとのことです。
浦島太郎伝説は、日本各地にあるようですが、
海亀に連れられて竜宮城に行った浦島太郎が
この木曽の山の中にもその話が残っているのは
面白いものです。
寝覚めの床を過ぎ、上松に到着しました。
上松は木曽檜で名高い国有林に近く、
最盛期には総延長400kmにも及ぶ
森林鉄道が上松から伸びていました。
上松を発車し、次の木曽福島との間で、
車窓左手の山の間に御岳山が見えます。
御嶽山は、名古屋市内からも見えますが、
中央西線沿線の山間に入ると、その姿は
隠れてしまいますが、ここが唯一、
その姿を見られる場所と思います。
こうして名古屋から133.1kmを1時間29分かけて、
木曽福島に到着しました。
木曽福島は、江戸時代にも陣屋が置かれ、
関所も設けられた要衝の地でした。
特急「ワイドビューしなの」も全列車が
この木曽福島に停車します。
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木曽福島 - 塩尻
Kiso Fukushima - Shiojiri
木曽福島を発車しました。
構内に、D51が保存されていました。
この蒸気機関車は1942年(昭和27年)に作られ、
1971年(昭和56年)から中央西線で活躍しています。
1973年に、「さよなら列車」を木曽福島から
塩尻まで牽引しています。
木曽福島を発車して眺める町並みです。
木曽福島からはのどかな山里の景色が広がります。
とても穏やかな景色なのですが、福島の2駅先の
宮ノ越は、木曽義仲が旗揚げした地です。
宮ノ越駅には木曽義仲旗揚げの地の碑も立っていました。
木曽義仲が挙兵したのは、1180年(治承4年)です。
倶利伽羅峠の戦いで平家軍を退けた義仲は、
1183年(寿永2年)に京に入っています。
ここも、いつか散策してみたい地です。
宮ノ越を過ぎると、細くなった
木曽川の流れを何度か渡っていきます。
木曽谷も奥深くに迫り、木曽川の源流と
なっている鉢盛山も近づいています。
藪原の集落が現れ、しばらく車窓左手に家々が続きます。
藪原も、中山道の宿場町です。
木曽路・藪原宿の散策記はこちらです。
藪原の宿を過ぎると、中央西線の線路は
木曽川と分れ、鳥居峠をトンネルで越えます。
鳥居峠は、太平洋と日本海との分水嶺で、
中山道でも難関の一つでした。
列車は延長1,673mの鳥居トンネルで越えてしまいますが、
旧中山道の峠道は今も整備されて、歩く事が出来ます。
木曽路・鳥居峠の散策記はこちらです。
特急「ワードビューしなの」は
鳥居トンネルを越えると奈良井を通過します。
奈良井も中山道の宿場町で古い町並みが良く残っています。
観光客も多い宿場で、「ワイドビューしなの」が奈良井に
停車すれば、利用客もいると思うのですが、どうでしょうか。
木曽路・奈良井の散策記はこちらです。
奈良井の次の木曽平沢も旧中山道の宿場町です。
2012年9月に普通列車で松本に向かった際は
この木曽平沢で上り列車との行き違いで
しばらく停車していました。
木曽平沢も旧中山道の宿場町で、古い町並みが残り、
重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
木曽平沢を出ると、奈良井川の作る谷も広がり、
綺麗な山里の景色が楽しめます。
やがて車窓に一面の蕎麦の畑が広がりました。
9月には蕎麦の白い花が咲き、見事な景色でした。
贄川、日出塩を通過し、洗馬過ぎると、
松本盆地が広がりました。
周囲を高い山に囲まれていますが、
狭い木曽谷の峡谷を長く走った後なので、
とても広々とした景色に思えます。
一面の葡萄畑も車窓を過りました。
広々とした景色を眺めるうちに
塩尻駅に到着しました。
塩尻は名古屋から174.8km。
特急「ワイドビューしなの1号」は2021年の
ダイヤでは、1時間57分で走破しています。
評定速度89.6km/hと、在来線としては
トップクラスの速度です。
塩尻では、東京方面に向かう中央東線と
長野へ向かう篠ノ井線との接続駅です。
東京 - 塩尻間の中央東線の乗車記はこちらです。
名古屋方面からの中央西線も、東京からの
中央東線も、塩尻ではともに長野・松本方面に
直進する形で、塩尻駅に到着します。
中央本線は線路の戸籍上は、東京と名古屋を結んでいますが、
現在の線路配置では、中央本線を通り、東京と名古屋を結ぶ
列車が走った場合は塩尻駅で方向転換する必要があります。
1982年までは塩尻駅は現在よりも500m程南東にありました。
移転前は名古屋から東京方面に直進出来る線路配置で、
特急「しなの」は塩尻で方向転換していました。
この当時の線路に沿う様に、現在も
塩尻駅南側に連絡線が残されています。
2016年9月に中央西線に乗車した際、
この連絡線を観察してみました。
上の写真は塩尻駅から名古屋方面の列車に
乗車した際に先頭車両から撮ったものです。
車窓左手から、中央東線からの連絡線が伸び、
塩尻駅南側で、中央西線に接続していました。
現在、中央東線と中央西線を跨って走る
定期列車は設定されておらず、この線路を走る
列車に乗る機会はなかなか難しい状況です。
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