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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない

中央本線
(名古屋 - 塩尻)

Chuou MainLine
(Nagoya - Shiojiri)

中央本線は東京駅を起点に、甲府・塩尻を経由し、
木曽谷を抜け名古屋に至る全長392.3kmの路線です。

明治時代、軍事上の理由から太平洋沿岸に
鉄道を敷設する事に軍が反対し、中央本線の
建設がなされたそうですが、このルートは
人や物の流れとは一致しておらず、
直通列車は一本も走っていません。

東京口、名古屋口とも松本・長野へ
向かう列車が殆んどを占めています。

JR発足後は東京 - 塩尻がJR東日本、
名古屋 - 塩尻間がJR東海の所属となり、
実態に則した運営が図られている様です。

東京 - 塩尻間の中央東線の乗車記はこちらです。

その中央線の西側、JR東海の路線には日本初の
振り子式の特急「しなの」が走っていますが、
1995年に新型の振り子式車両が投入されました。

この車両は窓が大きく、景色の綺麗な中央西線沿線の
車窓風景が充分楽しめるだけでなく、長野方向の
先頭車のグリーン車からは前方の展望も楽しめます。

中央西線は何度も利用した事がありました。
2011年10月に乗車した際の様子を中心に
紹介しようと思います。

名古屋 - 中津川
Nagoya - Nakatsugawa
Jan. 15, '22

中津川 - 木曽福島
Nakatsugawa - Kiso Fukushima
Jan. 24, '22

木曽福島 - 塩尻
Kiso Fukushima - Shiojiri
NEW! Feb. 07, '22

篠ノ井線 (塩尻 - 篠ノ井)
Shiojiri - Shinonoi

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名古屋 - 中津川
Nagoya - Nakatsugawa


名古屋駅10番線に入線した特急「ワイドビューしなの」です。
長野行の特急「ワードビューしなの」は、名古屋地区の
在来線の華で、ほぼ毎時一本の設定があります。


撮影: 2011年10月

名古屋駅周辺には高層ビルが建ち並んでいます。
駅のホームからの名古屋駅のツインタワーが
見上げるように聳えているのが見渡せます。


撮影: 2015年5月

特急「ワイドビューしなの」の1号車、長野方面の
先頭車はグリーン車で、運転席直後の1番A〜D席は、
前面展望が楽しめる特等席になっています。

2011年10月に7:00発の「ワイドビューしなの1号」の
展望席の指定券を入手し、乗車しました。


撮影: 2011年10月

運転席の反対側のC・D席からは遮るものがなく
前面展望を独占することが出来ます。

グリーン車は、乗客がまばらな状態でした。


撮影: 2011年10月

名古屋を発車すると、すぐに関西本線と
あおなみ線が右手に分岐していきます。

関西本線の乗車記はこちらです。
あおなみ線の乗車記はこちらです。

関西本線とあおなみ線が分岐すると、左から
名鉄名古屋本線が地上に現れ、並走します。


撮影: 2011年10月

しばらく、東海道新幹線、中央本線、東海道本線
そして名鉄名古屋本線と4つの複線が並走します。

名古屋近郊は鉄道の輸送シェアが東京や大阪に
比べると低く車社会の地域ですが、この区間は
鉄道のステイタスを感じさせてくれます。

名鉄名古屋本線の乗車記はこちらです。

東海道新幹線の線路が右に離れていくと、
中央本線の線路は地上に降り、東海道本線と
名鉄名古屋本線の線路をくぐり金山へと向かいます。


撮影: 2011年10月

金山駅前に建つ高層のホテルの
ビルが迫って見えてきました。

「ワイドビューしなの」は金山を抜け、左に
大きなカーブを切ると、スピードを上げ
高架で名古屋市内を駆け抜けます。

鶴舞駅を130km/Hで通過しました。


撮影: 2012年9月

名古屋は、建物の集積度が低く、ビルが
集積する光景は名古屋駅前を除くと、
あまり鉄道沿線からは見られませんが、
この区間は都会らしい光景と思います。

鶴舞駅を通過したと思ったら、
掘割に入り、千種に到着しました。


撮影: 2011年10月

千種は、地下鉄東山線との接続駅で、春日井や
岐阜県東農地区から名古屋へ向かう通勤客の
乗換駅になっており、名古屋近郊でも
有数の乗降客を誇る駅になっています。

千種を発車すると掘割の中を進み、
景色が開けると大曽根駅を通過しました。


撮影: 2011年10月

大曽根も地下鉄名城線と名鉄瀬戸線と接続する
要衝の駅で、乗降客数は千種を上回っています。

大曾根を通過し瀬戸線と別れると、矢田川を渡り、
新守山駅を通過すると庄内川を渡ります。


撮影: 2012年9月

名古屋市の西から北側を堀の様に囲う庄内川を
渡ると名古屋市を離れ、春日井市となります。

中央本線の線路は高架となり、勝川駅を通過しました。

勝川駅は2009年に高架化されています。
中央本線の上下線は2面あるホームの
外側を通るようになっています。


撮影: 2011年10月

中央の開いた部分には勝川から枇杷島へと向かう
東海交通事業の城北線が乗り入れる予定になって
いるそうですが、その目途はたっていないようです。

勝川からは春日井市内の住宅密集地を走ります。
春日井を過ぎ、神領辺りで景色が開けてきました。


撮影: 2011年10月

次の高蔵寺駅が近づいてきました。
高蔵寺愛知環状鉄道と接続しており、
また乗降客も多い要衝の駅です。

愛知環状鉄道の乗車記はこちらです。


撮影: 2011年10月

朝夕に愛知環状鉄道との相互乗り入れが行われており、
下り線からも愛知環状鉄道への接続線が分岐しています。

高蔵寺を過ぎると山あいに入ります。


撮影: 2011年10月

高蔵寺の先の渓谷では、昨晩の雨が
川霧となって湧上っていました。

高蔵寺は、尾張平野の端に位置しており、
ここから先は庄内川の渓谷に沿って走ります。
以前は、渓谷に沿って走っていたのですが、
その後の線路改良で、今ではトンネルで
ショートカットしていきます。

途中、定光寺と古虎渓の駅のところは、
昔ながらの渓谷添いの景色となります。


撮影: 2012年9月

特急「ワイドビューしなの」では景色の移り変わりが
速過ぎて、なかなか写真に撮ることが出来ません。
2012年12月に快速電車に乗った際の写真です。

古虎渓の渓流の景色が終わると、県境を越え
岐阜県となり、谷が開け多治見に到着しました。


撮影: 2011年10月

多治見は美濃太田へと向かう太多線との接続駅です。
多治見からは、土岐・瑞浪と同じような規模の
都市が続いています。


撮影: 2011年10月

周囲には山が迫り、山里の景色となります。
2011年10月に乗車した際には川霧が
立ち込め、幽玄な景色でした。

多治見を発車すると、土岐、瑞浪と
同じような規模の都市が続きます。
名古屋への通勤客も多い街ですが、
車窓風景は、のどかで綺麗な
山里の景色となりました。


撮影: 2012年9月

時折、中央本線に寄り添うように流れる
土岐川を何度となく渡ります。


撮影: 2012年9月

のどかな景色を眺めるうちに、
「ワイドビューしなの」は
恵那を通過しました。


撮影: 2011年10月

恵那は、岩村や明智へと向かう
明智鉄道との接続駅です。
駅を通過すると、明智鉄道の単線の
線路が分かれていくのが見えました。

明智鉄道の乗車記はこちらです。

恵那からは、緩やかな下り勾配を
走り、中津川に向かいました。

遠くに高峰山が見えると、
そろそろ中津川です。


撮影: 2012年9月

中津川は、名古屋から79.9kmの距離にあります。
「ワードビューしなの1号」は48分で到着しました。
この区間の評定速度は約100km/hにもなります。


撮影: 2021年10月

上の写真は、2021年10月に馬籠宿・妻籠宿に
向うために中津川で下車した際の様子です。

木曽路・馬籠宿の散策記はこちらです。

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中津川 - 木曽福島
Nakatsugawa - Kiso Fukushima


中津川は鉄道の要衝の駅で、すべての
特急「ワイドビューしなの」が停車し、
名古屋からの近郊電車の終着駅になっています。

中津川以北の普通電車の運転本数は、10本の
坂下、南木曾行を除くと、一日9本と、
きわめて少なくなっています。

中津川を発車して、しばらくは
長閑な田園風景の中を走ります。


撮影: 2015年5月

やがて木曽川が寄り添うようになり、
落合川を通過しました。


撮影: 2015年5月

中央西線はずっと木曽川に沿って走っている様に
思っていますが、意外にも名古屋から80km以上も
走って、やっとその流れを目にすることになります。

この後、一旦谷あいに平地が広がり、坂下の駅を
通過しますが、その後再び木曽川の渓谷となり、
長野県に入り、南木曾に停車しました。


撮影: 2012年9月

南木曾は、妻籠宿の最寄り駅で、
バスで手軽に訪れる事が出来ます。

木曽路・妻籠宿の散策記はこちらです。

南木曾からは木曽川の造る渓谷に沿って走ります。
旧中山道とも並走しています。


撮影: 2012年9月

是より北、中山道の碑は、馬籠宿と落合宿の間にありますが、
中央西線の木曽路は、南木曾以北という感じがします。


撮影: 2012年9月

木曽川には高度成長期に関西方面に電力を供給した
関西電力のダムが連なり、流れは穏やかになっています。

やがて十二兼駅を通過しました。
中央西線は、十二兼までは複線ですが、
十二兼以北は単線になっています。


撮影: 2011年10月

時折、渓谷が広がり、のどかな
山里の景色が広がりました。


撮影: 2012年9月

次の野尻駅に差し掛かった様子です。


撮影: 2011年10月

野尻も、中山道の宿場町だったところです。
いつも、通過するばかりですので、いつかは
野尻の宿場跡も訪れてみたいものです。

野尻からも木曽川に沿って走ります。


撮影: 2012年9月

この辺りは、木曽川の流れが東西方向に傾いており、
塩尻方面に向かう中央西線の下り列車の進行左手には、
遠くに中央アルプスの木曽駒ケ岳が見えて来ました。

中山道の宿場町だった須原の町並みを眺めました。
宿場町の佇まいが今に残っているようです。


撮影: 2011年10月

特急「ワイドビューしなの1号」は須原で
運転停車して、上りの「ワードビューしなの」
の通過待ちをしました。


撮影: 2011年10月

須原からも木曽川の渓谷添いに走ります。
倉本を過ぎると、線路は複線になりました。
しばらく走ると、中央西線で随一の見所、
「寝覚めの床」を通過しました。

寝覚めの床は、木曽川の流れが、
柱状岩の狭い間を流れる景勝地です。


撮影: 2012年9月

寝覚めの床は、浦島太郎伝説に基づいています。
テーブル状の岩の上にある祠で浦島太郎が
玉手箱を開け夢から覚めたとのことです。

浦島太郎伝説は、日本各地にあるようですが、
海亀に連れられて竜宮城に行った浦島太郎が
この木曽の山の中にもその話が残っているのは
面白いものです。

寝覚めの床を過ぎ、上松に到着しました。


撮影: 2011年10月

上松は木曽檜で名高い国有林に近く、
最盛期には総延長400kmにも及ぶ
森林鉄道が上松から伸びていました。

上松を発車し、次の木曽福島との間で、
車窓左手の山の間に御岳山が見えます。


撮影: 2011年10月

御嶽山は、名古屋市内からも見えますが、
中央西線沿線の山間に入ると、その姿は
隠れてしまいますが、ここが唯一、
その姿を見られる場所と思います。

こうして名古屋から133.1kmを1時間29分かけて、
木曽福島に到着しました。


撮影: 2012年9月

木曽福島は、江戸時代にも陣屋が置かれ、
関所も設けられた要衝の地でした。
特急「ワイドビューしなの」も全列車が
この木曽福島に停車します。

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木曽福島 - 塩尻
Kiso Fukushima - Shiojiri


木曽福島を発車しました。
構内に、D51が保存されていました。


撮影: 2012年9月

この蒸気機関車は1942年(昭和27年)に作られ、
1971年(昭和56年)から中央西線で活躍しています。
1973年に、「さよなら列車」を木曽福島から
塩尻まで牽引しています。

木曽福島を発車して眺める町並みです。


撮影: 2012年9月

木曽福島からはのどかな山里の景色が広がります。


撮影: 2012年9月

とても穏やかな景色なのですが、福島の2駅先の
宮ノ越は、木曽義仲が旗揚げした地です。


撮影: 2012年9月

宮ノ越駅には木曽義仲旗揚げの地の碑も立っていました。
木曽義仲が挙兵したのは、1180年(治承4年)です。
倶利伽羅峠の戦いで平家軍を退けた義仲は、
1183年(寿永2年)に京に入っています。

ここも、いつか散策してみたい地です。

宮ノ越を過ぎると、細くなった
木曽川の流れを何度か渡っていきます。


撮影: 2012年9月

木曽谷も奥深くに迫り、木曽川の源流と
なっている鉢盛山も近づいています。

藪原の集落が現れ、しばらく車窓左手に家々が続きます。


撮影: 2012年9月

藪原も、中山道の宿場町です。

木曽路・藪原宿の散策記はこちらです。

藪原の宿を過ぎると、中央西線の線路は
木曽川と分れ、鳥居峠をトンネルで越えます。


撮影: 2011年10月

鳥居峠は、太平洋と日本海との分水嶺で、
中山道でも難関の一つでした。

列車は延長1,673mの鳥居トンネルで越えてしまいますが、
旧中山道の峠道は今も整備されて、歩く事が出来ます。

木曽路・鳥居峠の散策記はこちらです。

特急「ワードビューしなの」は
鳥居トンネルを越えると奈良井を通過します。


撮影: 2011年10月

奈良井も中山道の宿場町で古い町並みが良く残っています。
観光客も多い宿場で、「ワイドビューしなの」が奈良井に
停車すれば、利用客もいると思うのですが、どうでしょうか。

木曽路・奈良井の散策記はこちらです。

奈良井の次の木曽平沢も旧中山道の宿場町です。
2012年9月に普通列車で松本に向かった際は
この木曽平沢で上り列車との行き違いで
しばらく停車していました。


撮影: 2012年9月

木曽平沢も旧中山道の宿場町で、古い町並みが残り、
重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

木曽平沢を出ると、奈良井川の作る谷も広がり、
綺麗な山里の景色が楽しめます。


撮影: 2012年9月

やがて車窓に一面の蕎麦の畑が広がりました。
9月には蕎麦の白い花が咲き、見事な景色でした。


撮影: 2012年9月

贄川、日出塩を通過し、洗馬過ぎると、
松本盆地が広がりました。


撮影: 2011年10月

周囲を高い山に囲まれていますが、
狭い木曽谷の峡谷を長く走った後なので、
とても広々とした景色に思えます。


撮影: 2011年10月

一面の葡萄畑も車窓を過りました。
広々とした景色を眺めるうちに
塩尻駅に到着しました。


撮影: 2011年10月

塩尻は名古屋から174.8km。
特急「ワイドビューしなの1号」は2021年の
ダイヤでは、1時間57分で走破しています。
評定速度89.6km/hと、在来線としては
トップクラスの速度です。

塩尻では、東京方面に向かう中央東線と
長野へ向かう篠ノ井線との接続駅です。

東京 - 塩尻間の中央東線の乗車記はこちらです。
篠ノ井線の乗車記はこちらです。

名古屋方面からの中央西線も、東京からの
中央東線も、塩尻ではともに長野・松本方面に
直進する形で、塩尻駅に到着します。

中央本線は線路の戸籍上は、東京と名古屋を結んでいますが、
現在の線路配置では、中央本線を通り、東京と名古屋を結ぶ
列車が走った場合は塩尻駅で方向転換する必要があります。

1982年までは塩尻駅は現在よりも500m程南東にありました。
移転前は名古屋から東京方面に直進出来る線路配置で、
特急「しなの」は塩尻で方向転換していました。

この当時の線路に沿う様に、現在も
塩尻駅南側に連絡線が残されています。


撮影: 2016年9月

2016年9月に中央西線に乗車した際、
この連絡線を観察してみました。

上の写真は塩尻駅から名古屋方面の列車に
乗車した際に先頭車両から撮ったものです。

車窓左手から、中央東線からの連絡線が伸び、
塩尻駅南側で、中央西線に接続していました。
現在、中央東線と中央西線を跨って走る
定期列車は設定されておらず、この線路を走る
列車に乗る機会はなかなか難しい状況です。

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