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この名古屋鉄道本線は、名古屋を境に
北側と南側で歴史背景に差があります。
北側の名鉄名古屋 - 名鉄岐阜間は、名古屋電気鉄道、
初代の名古屋鉄道、尾西鉄道などによって、
1914年から1928年にかけて開業しています。
一方、南の豊橋側は愛知鉄道によって
1917年から1927年にかけて開業しています。
名鉄名古屋 - 名鉄岐阜間は、いくつもの私鉄を吸収
合併した経緯もあってか、線形も真っすぐではありませんが、
名鉄名古屋 - 豊橋間は直線的に両都市を結んでいます。
この名古屋鉄道本線にはJR東海道本線がほぼ並走しています。
線形が良く沿線の主要都市・岡崎の中心部を結んでいる豊橋側は
優位に立っていますが、名鉄名古屋 - 名鉄岐阜間は、
所要時間の差が大きく、苦戦を強いられているようです。
名鉄名古屋本線には何度も乗車した事がありますが
2009年9月に名鉄岐阜から豊橋まで、
パノラマ Superの展望車で乗り通しました。
この時の様子を紹介します。
名鉄岐阜 - 名鉄一宮
Meitstu Gifu - Meitetsu Ichinomiya
July 27, '13
名鉄一宮 - 名鉄名古屋
Meitetsu Ichinomiya - Meitetsu Nagoya
Aug. 04, '13
名鉄名古屋 - 東岡崎
Meitetsu Nagoya - Higashi Okazaki
Aug. 18, '13
東岡崎 - 豊橋
Higashi Okazaki - Toyohashi
NEW ! Aug. 28, '13
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名鉄岐阜 - 名鉄一宮
(Meitstu Gifu - Meitetsu Ichinomiya)
2009年9月21日、愛知環状鉄道に乗車した後に
岐阜に向かい、名鉄岐阜から豊橋まで
名古屋鉄道本線を乗り通しました。
駅の切符売り場で聞いてみると、
次の特急がパノラマ Superの編成で
展望座席が空いているという事だったので、
迷わず指定券を買って乗り込みました。
ホームに出ると 11:18 発となるパノラマ Superの
車両が丁度、名鉄岐阜駅に到着する所でした。
パノラマ Superは、不朽の名列車・パノラマカ―の
後継列車として、1988年に運行を開始しています。
名鉄岐阜駅に到着したパノラマ Superです。
短い名鉄岐阜駅のホーム一杯に停車しているので
列車の先頭部を写真に撮る事は出来ませんでした。
このパノラマ Superは、豊橋寄りの2両が座席指定車で、
その先頭部分が展望車になっています。
先頭部の様子です。
有料の指定席車両はJRの特急にもひけをとらない
リクライニング・シートになっています。
一般車両はJRの快速列車と同じ、
転換クロスシートになっています。
パノラマ― Superの先頭車両から眺める様子です。
名古屋鉄道本線は名鉄岐阜駅を出ると
JR東海道本線と高山線をアンダークロスしますが
その部分は、単線になっていました。
丁度、「ワイドビューひだ」が
高架線の上を通過していきました。
ワイドビュー「ひだ」の乗車記はこちらです。
この高架橋をくぐると岐阜市南部の
住宅密集地を走っていきます。
名鉄岐阜の次の駅は加納駅。
この辺りは、江戸時代の加納城の
城下町だったあたりです。
カーブを切りながら住宅密集地を抜け、
岐南を過ぎると田圃が広がるようになりました。
この先で、名鉄竹鼻線との
接続駅の笠松に到着しました。
この笠松は愛知県との県境の町です。
名古屋鉄道本線の名鉄岐阜から笠松までは
美濃電気軌道を買収した区間で、
その為カーブも多くなっています。
笠松を発車すると、左手に競馬場を眺めながら、
電車は左にカーブを切りながら勾配を駆け上がり、
愛知・岐阜県境を流れる木曽川を渡ります。
この木曽川橋梁は1934年(昭和9年)に
完成し、延長は484.5mです。
木曽川を渡りると再び田園地帯となります。
この後、新木曽川駅に到着しました。
以前の名古屋本線の特急列車は、名鉄岐阜を
発車すると名鉄一宮まではノンストップでした。
この様に笠松や新木曽川に小まめに停車するように
なったのは2008年12月のダイヤ改正以降の事です。
それまで直通客を担っていた名鉄特急が
並走するJR東海道本線の快速列車に押され、
途中駅の乗客の集客を狙った策と思われます。
新木曽川を発車すると直線が続くようになり、
しばらくするとJR東海道本線と並走します。
この区間では、名鉄特急も最高速度の120km/kmで走行し、
スピードが売り物のJR快速列車と覇を競っています。
石刀、今伊勢を通過し、
玉ノ井からの尾西線が合流しました。
そして名鉄一宮に到着です。
名鉄岐阜から13.4km、所要時間は12分です。
岐阜の南でのカーブ区間を考慮すると、十分に
快速運転していると思いますが、並走するJRは
線形が良く、岐阜 - 尾張一宮間は僅か8分です。
名鉄一宮 - 名鉄名古屋
(Meitetsu Ichinomiya - Meitetsu Nagoya)
JR東海道本線の尾張一宮駅と隣接する
名鉄一宮は名古屋本線の主要駅の一つです。
以前は、名鉄の方が利用客が多かったようですが、
現在は、名鉄一宮駅が一日、1万6千人程、
尾張一宮駅が2万6千人程となっています。
名鉄一宮駅を発車すると、弥富へと向かう
尾西線が並走し、やがて分岐していきます。
名鉄一宮からはしばらく高架を走り、
田圃の景色を眺めながら走りますが、
地平を走るようになると国府宮駅に到着しました。
国府宮は稲沢市の中心街に近くに位置しています。
名鉄岐阜 - 名鉄名古屋間は、JR東海道本線と
ほぼ並走する於いてこの駅は、JRとは離れていて、
JR稲沢駅よりも乗降客が多くなっています。
国府宮を発車すると再び田圃の景色となりました。
この田園地帯を過ぎると大里駅を通過します。
この大里駅は、東海道新幹線との立体交差付近にあり、
いつも新幹線の車窓から眺めている駅です。
大里駅を通過するとすぐに新幹線のガードをくぐります。
この先で、清州の街をかすめるように走り、
新清洲駅を通過して五条川の鉄橋を渡ります。
鉄橋の向こうに遠く名古屋駅前の
高層ビルが見えてきました。
丸ノ内駅を過ぎると須ヶ口駅にさしかかります。
この須ヶ口駅は津島線との接続駅です。
須ヶ口発着の特急も数本運行されていますが、
名鉄岐阜発の特急列車は、この須ヶ口は通過していきます。
名鉄一宮からは直線的な線路だった名古屋本線でしたが、
須ヶ口の手前から再び、カーブが多くなって行きます。
細かいカーブを繰り返し、まずは東海道新幹線と
JR東海道本線と、ほぼ直角に交わるように交差します。
交差してすぐのところが西枇杷島駅です。
4両編成の列車がやっと停まれるだけの
狭いホームがある小さな駅です。
線路はこの西枇杷島の先で
二手に分かれ、犬山線に合流します。
右手が犬山線が合流し、名鉄名古屋へと向かう路線、
左の路線が犬山線に合流し、犬山方面に向かいます。
こうした構造を三角線といいますが、これ程
コンパクトな三角線も珍しいのでは、と思います。
犬山線と合流する手前で、2000系の
「ミュースカイ」とすれ違いました。
2005年に開業した中部国際空港へのアクセスとして
導入された特急列車で、全車両が座席指定になっています。
犬山線と合流し、庄内川を渡ると名古屋市内に入ります。
この辺りでは、名古屋駅前の高層ビルが
車窓右手に見えていました。
右にカーブを切りながら住宅密集地を走ります。
今度は、パノラマスーパーと行き違いです。
東枇杷島の先で左にカーブを切り、
JR東海道本線と並走するようになりました。
貨物線も含め複々線のJR東海道本線に
東海道新幹線そして名鉄名古屋本線の
線路が並ぶ光景は、都会の景色です。
パノラマスーパーは栄生駅を過ぎ、やがて
地下にもぐり、名鉄名古屋駅に到着しました。
名鉄岐阜から31.8kmの距離を32分程かけて到着です。
名鉄名古屋駅は一日800本もの列車を、
わずか2線3面の配線で裁いています。
名鉄名古屋 - 東岡崎
(Meitetsu Nagoya - Higashi Okazaki)
名鉄名古屋駅は、名鉄百貨店下の地下にある駅です。
一日の乗降客数は27万人近い、
名古屋鉄道きってのターミナル駅です。
以前は新名古屋という駅名でしたが、
2005年に今の名鉄名古屋に改称されています。
名古屋を中心に放射線状に延びる名鉄各線に
向かう列車が集中する駅ですが、手狭な地下駅で
発着番線が2つしかないので、停車位置の違いで
行き先を分けるという細かい芸当をしています。
名鉄名古屋を発車すると急勾配を駆け上ります。
この勾配は35‰あり、名古屋鉄道での
最も急な勾配という事です。
この勾配を駆け上がり高架を走るようになると
JR東海道本線、中央本線、東海道新幹線と並走します。
高速道路がオーバークロスし、この辺りは都会の光景です。
次の山王駅を過ぎると名鉄の名古屋本線は、JR中央線を
オーバークロスし、JR東海道本線との間を走るようになります。
右の写真の高層ビルは金山駅前のホテルです。
上下線の間に留置線が見えると金山駅に到着しました。
この金山駅は、名古屋駅に次ぐターミナル駅と
なっており、JR東海道本線、中央本線と
名古屋市営地下鉄との乗換駅です。
手狭な名鉄名古屋駅に比べ、この金山駅は
2面4線の線路配置となっており、常滑線の
普通列車は輸送力の逼迫する名鉄名古屋駅に
乗り入れずに、この金山発着となっています。
金山を出ると、1989年まで使用された旧金山橋駅跡を過ぎ、
JR東海道本線と並走しながら南下します。
名鉄名古屋本線は複々線となり
中央の2つの線路を常滑線方面の列車が走り、
外側の2つの線路が名古屋本線の列車用です。
次の神宮前駅手前の様子です。
神宮前は、熱田神宮の最寄駅で、駅の西側
すぐに熱田神宮の杜が広がっています。
熱田神宮の様子はこちらです。
神宮前発車時の様子です。
神宮前駅南方で、常滑線が名古屋本線の下り線を
オーバークロスする為、急な上り勾配となっています。
名古屋本線の線路は、神宮前を発車すると、
急な左カーブを切り、高架線となって
名古屋市南部の商業地を貫きます。
堀田駅を過ぎるまでのこの直線区間は
周囲に高いビルもほとんどなく、
乗っていて気持ちのいい区間です。
やがて高架区間も終わり、山崎川の鉄橋を渡ると、
住宅密集地の中を走るようになりました。
この辺りもカーブが多く、密集地を縫って走る様子は、
幹線鉄道というよりも路面電車の趣もあります。
名鉄の特急電車は比較的高速でこの密集地を
駆け抜けるので、先頭車両に乗っていると、
少々スリリングでもあります。
笠寺観音の最寄駅、本笠寺駅を通過しました。
笠寺観音の様子はこちらです。
本笠寺を出ると景色も開け、
幹線路線の雰囲気となります。
住宅地を抜けると、天白川を渡りました。
天白川を渡ると鳴海の街です。
車窓左手の丘の上に、
鳴海城址の杜が見えてくると
高架の鳴海駅に差し掛かりました。
鳴海城の登城記はこちらです。
鳴海駅を通過すると、
丘陵地の間を走るようになります。
この東側の丘陵地一帯が、1560年(永禄3年)に
織田信長が今川義元を討ち取った
桶狭間の戦いの主戦場だったところです。
桶狭間古戦場の様子はこちらです。
主戦場に向かう信長はこの辺りを
駆け上がったのかも知れません。
やがて有松駅を通過しました。
有松絞りで知られる有松の集落には
昔ながらの問屋が多く残っています。
有松の様子はこちらです。
この先で、緩やかなカーブを切りながら
丘陵地を抜け、前後と豊明の駅を通過すると
線路も直線状となり、田圃も広がるようになりました。
上の写真、右手は尾張と三河の国境を
流れる境川の堤防へと続く勾配です。
境川を過ぎ、再び田園風景を眺めた後、
台地の上の住宅地を走るようになりました。
直線状に線路が続き、最高速度の120km/h
ギリギリのスピードで快適に走ります。
やがて三河線との接続駅、知立に到着しました。
北側3線が名古屋本線用の線路、
南側の2つの線路が三河線です。
三河線の乗車記はこちらです。
三河線はこの知立でスイッチ
バックする構造になっています。
名古屋本線から豊田市に向かう
直行列車があれば便利なような気がしますが、
名古屋本線と三河線の間の渡り線は赤錆ていました。
知立を発車したところで見かけた三河線の列車です。
知立を発車すると築堤を上り、三河線の
豊田市方面の線路をオーバークロスします。
名古屋本線と三河線は、元々は別の私鉄として
建設されたので、以前は交差している辺りに
接続駅が設けられていたようです。
三河線の駅は三河知立駅として残っていますが
名古屋本線の駅は廃止になってしまいました。
知立の街を抜けると再び、
真っ直ぐの線路を走ります。
知立から先も洪積台地の上を走りますが、
灌漑用水が整備され、綺麗な水田が続いています。
知立から4.8kmで新安城に停車しました。
この新安城は安城市街地からは
北に2km程離れた所にあります。
知立から僅か4分で到着しました。
西尾線との接続駅で、駅の東側で南に向かう
西尾線の線路が分かれていくのが見えました。
西尾線の乗車記はこちらです。
新安城を発車すると再び、
田園風景の中を走ります。
直線状の線路が続き、
気持ちのいい光景です。
名鉄の名古屋本線は、名古屋以北では線形が悪く、
JR東海道本線に乗客をかなり奪われていますが、
名古屋以南は、知立・岡崎・豊橋をほぼ直線状に結び
所用時間と運賃でJRに対し優位に立っています。
矢作橋駅を過ぎると、勾配を
駆け上がり矢作川を渡りました。
矢作川の川下を眺めた様子です。
この数km南にはJR東海道本線が走っていて
JRの列車が矢作川を渡る様子を見る事も出来ます。
矢作川を渡ると、愛知環状鉄道をアンダークロスし
接続駅である岡崎公園前を通過します。
愛知環状鉄道の乗車記はこちらです。
普段は普通列車しか停車しない小駅ですが、
4月の桜祭りや、8月第一土曜日の花火大会には
多くの観光客で賑わいます。
岡崎公園前を過ぎると乙川を渡ります。
車窓左手に、岡崎城の杜が見え、
天守もその姿を見る事が出来ました。
岡崎城の登城記はこちらです。
この辺りは、岡崎の中心街にも近く
住宅や商店が連なっています。
高架の上から、岡崎の市街地を
眺めながら東岡崎に到着しました。
名古屋鉄道本線のTOPに戻る
東岡崎 - 豊橋
(Higashi Okazaki - Toyohashi)
東岡崎駅で停車中の様子です。
東岡崎は、東と付いていますが、岡崎の中心街に
近く、岡崎市内では最も乗降客の多い駅です。
名鉄名古屋方面からの列車が到着すると
多くの乗客が下車しますが、この展望部にいると
そうした乗降の様子を窺い知る事は出来ません。
東岡崎を発車すると、すぐに
六所神社の参道の踏切を過ぎます。
丘陵地を抜け、男川駅を通過すると
車窓に田圃が広がりました。
田園を眺めながら築堤を走り、
やがて急行停車駅の美合を通過します。
美合を過ぎると丘陵地を掘割で抜け、
やがて松並木が車窓に見えてきます。
列車の速度が速く、写真には写せませんでしたが
これは旧東海道の松並木で、
やがて藤川宿の脇を走り抜けます。
この写真の右手あたりに
当時の本陣があったと思います。
その藤川宿の本陣跡から眺めた
パノラマスーパーの様子です。
藤川宿の様子はこちらです。
藤川を過ぎると、名鉄名古屋本線は
丘陵地の間を走るようになります。
藤川の先で、車両基地が見えてきました。
この先から丘陵地の間を走っていきます。
山間の名電山中駅を通過しました。
名古屋と豊橋間で、名鉄名古屋本線と競合している
JR東海道本線は、この丘陵地を通らず、
海沿いの蒲郡を通り、岡崎市の南部を通っています。
この線形については、岡崎が鉄道開通に反対したという説が
地元では伝えられていますが、東海道本線が開業した
1888年(明治21年)当時、蒸気機関車が牽引する貨物列車にとって、
この丘陵地の勾配がきついというのが、その理由の様です。
名電山中を過ぎ、一旦田圃が広がります。
この盆地の様な地形が本宿です。
小さな集落には不釣り合いのような
高架の立派な本宿駅を通過しました。
本宿の駅を過ぎたところで、車窓右手に
名刹・法蔵寺の甍も見えていました。
ここは、徳川家康が幼少の頃に手習いをし、
また近藤勇の首塚もあるお寺です。
本宿の様子はこちらです。
この本宿を過ぎると再び丘陵地が迫ります。
この辺りは、東名高速道路や国道一号線、
旧東海道もこの狭い谷間に集まっています。
山間の景色が続くなか、特急列車とすれ違いました。
乗車しているパノラマスーパーの後継車両の2200系です。
この山間の景色も、それ程は長く続かず、
丘陵地を抜け、田圃が広がる景色となりました。
車窓右手に、国道一号線が走り
その向こうに旧東海道の家並みがあります。
この辺りが、赤坂宿・御油宿のあった辺りです。
赤坂宿・御油宿の様子はこちらです。
御油駅で通過するパノラマスーパーを流し撮りしてみました。
御油まで来ると、平野が広がってきます。
御油の次の駅が国府駅です。
国府駅は豊川線との接続駅です。
駅構内には留置線があり、駅の南側で
分岐していく豊川線の線路が見えていました。
豊川線の乗車記はこちらです。
国府からは真っ直ぐに線路が続き、
豊川平野を一気に走って行きます。
広い車両基地のある伊奈駅を過ぎると
名古屋本線の上下線が大きく分かれて行きました。
名鉄の名古屋本線は、この先でJR飯田線と合流します。
JR飯田線の乗車記はこちらです。
私鉄の名鉄が旧国鉄のJRの線路と共有するのは
ちょっと不思議な感じもしますが、これは
長い鉄道の歴史に関わっています。
豊川鉄道が豊橋駅 - 豊川駅間を
開業させたのは1897年(明治30年)。
その後、愛知電気鉄道が1927年(昭和2年)に
伊奈から豊橋に向けて延長開業しています。
この時、私鉄同士だった豊川鉄道と愛知電気鉄道が
互いに単線の線路を共用して複線の線路として
利用し始めたのが、その始まりです。
名鉄の名古屋本線に合流するJR飯田線の上り線です。
ここからがJR飯田線との共用区間です。
合流してすぐに豊川放水路を渡り、
しばらく走ると下地駅です。
下地駅の先で、豊川を渡り、
船町を通過すると豊橋ももうすぐです。
緩やかな勾配を上ると、留置線が広がりました。
JRの主力車両の311系も停まっていました。
いくつか分岐する線路から名鉄用ホームの
3番線を目指して、ゆっくりと進ます。
豊橋駅に到着したパノラマスーパーです。
名鉄岐阜からの99.8kmを1時間19分かけての到着です。
評定速度は75.8kmです。
JR東海道本線の特別快速や新快速が、豊橋 - 岐阜間の
102.7qを最速で1時間12分で走っているのと比較すると
多少見劣りしますが、名鉄名古屋 - 豊橋間では、
線形が有利な事もあり、JRの快速よりも
3〜5分程早い49分で走っています。
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