明知鉄道は、中央本線の恵那から南下し、
国鉄明知線を1985年(昭和60年)に
前身の国鉄明知線は1934年(昭和9年)に全通しています。
明知鉄道への転換後も乗客数は低迷していますが、
2010年10月にこの明知鉄道に再乗しています。
2010年10月、名古屋から中央本線の
恵那で乗り換えの時間が20分程あったので、
駅舎のようには見えない明知鉄道の駅から
9:27 発の明智行が既にホームに入っていました。
明知鉄道のホームは恵那駅の駅舎側にあります。
中央本線と分かれた後、明知鉄道の線路は
この先で右にカーブし、恵那の街の周囲を
切通を抜けると、その先に東野駅がありました。
東野駅は、それまでの山深い景色とは異なり、
東野を発車すると、耕地が広がりました。
列車の後方には恵那の街が広がっていました。
明知鉄道は、地図で見るよりも山深いところを
明知鉄道は、地図で見るよりも山深いところを
この先で、明知線の線路は山間に分け入っていきました。
時折、のどかな景色が広がりました。
東野から10分程走ると、飯沼駅の
何の変哲もないような小駅ですが、この
蒸気機関車も走っていた国鉄時代には駅はなく
飯沼からも山間の景色の中を走りました。
やがて再び耕地が広がりました。
恵那から9.9kmの距離を20分程かけて
明知線が開業してからの駅で、
恵那から乗っていた高校生が阿木で下車していきました。
線路が左に右にくねる様に続いています。
日本の原風景のような眺めです。
この辺りの景色も長閑なものです。
この景色を眺めるうちに飯羽間駅に到着しました。
ホームが一面あるだけの小さな駅です。
僅か1kmで次の極楽に到着しました。
駅建設費の半額を、岐阜県に本社のある
またホームに使われているコンクリートの板は、
極楽を発車すると、明知鉄道の
岩村は、日本三大山城や女城主で知られる
長閑な景色を眺めながら、15.0kmを
岩村には交換設備があり、明知発の始発と、
恵那から乗車した際には終点の明智まで
その際に降り立った岩村駅の古いホームです。
女城主の里という案内板もありました。
腕式信号機の転轍機もありました。
今はもう使われていませんが、岩村と明智の間では
明智から岩村に戻った際に、
明智行の列車は、岩村を発車しました。
岩村からも引き続きのどかな景色の中を走ります。
耕地が狭くなって来た頃、線路際で
野焼きもなかなか見られない光景になってきましたが
緩やかな峠を越え、その先も長閑な田園風景が続きました。
こうした小駅で、地元の方が乗り降りする
この花白駅は、乗車した半年後の2011年3月から
花白からも長閑な景色が続きます。
花白から1.6kmで次の山岡に到着しました。
1985年に発足した明知鉄道。
ちなみにこの写真で写っている古い車両は
山岡からも長閑な山里の景色が続きました。
所々、線路際のススキの穂が
明知鉄道は、この先で再び山間に入り、
周囲の山は高くはないのですが、
峠を抜けると再びのどかな景色です。
この先で、野志駅に停車しました。
明知鉄道では恵那から二駅目の飯沼駅が
野志は明智へと向かう下り勾配になっています。
こうして、長閑な山里の景色を眺め続け、
明智は、織田信長を斃した明智光秀の
明智の町には大正時代の建物が多く残り、
列車を降りて駅舎に向かうと、恵那から乗って来た
明知鉄道
Akechi Railway
明知に至る25.1kmの第三セクターの鉄道です。
第三セクターに転換しています。
この明知線も昭和40年代以降のモータリゼーション以降に
乗客数が減少し、赤字路線になっていました。
沿線の岩村や終点の明智の歴史史跡があり、
多くのイベント列車を運行しています。
その際の様子を紹介します。
Ena - Agi
Feb. 15, '17
阿木 - 岩村
Agi - Iwamura
Feb. 18, '17
岩村 - 明智
Iwamura - Akechi
NEW ! Feb. 28, '17
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(Ena - Iwamura)
快速電車に乗り、恵那で下車しました。
撮影: 2010年10月
一旦改札を抜けて駅前に出てみると、新しい
JRの駅舎の北側に明知鉄道の駅舎がありました。
ホームに向かいました。
撮影: 2010年10月
明智行は2両編成でしたが、後ろの車両は、
遠足に出掛ける小学生専用になっていました。
定刻に発車し、少しの間は中央本線と並走しますが、
中央本線はすぐに左に大きくカーブを切っていきました。
撮影: 2010年10月
勾配をどんどんと上っていきます。
撮影: 2010年10月
取り囲むように勾配を上っていきます。
撮影: 2010年10月
ホームに接して、ビルが建っていました。
介護施設の建物だそうです。
撮影: 2010年10月
走っていて、勾配も思った以上にきつく
東野からも33‰の勾配が続きます。
撮影: 2010年10月
走っていて、勾配も思った以上にきつく
東野からも33‰の勾配が続きます。
列車はエンジンの音を響かせながら走っていきます。
撮影: 2010年10月
短いホームが見えてきました。
撮影: 2010年10月
飯沼駅は33‰の急勾配に設けられていて
日本一の急勾配にある駅だそうです。
明知鉄道となった1991年に設置されています。
沿線には集落もあまり見当たりません。
撮影: 2010年10月
撮影: 2010年10月
阿木に到着しました。
撮影: 2010年10月
交換設備も残っています。
(Agi - Iwamura)
阿木を発車し、再びのどかな景色の中を走っていきます。
撮影: 2010年10月
この先の築堤からの眺めです。
撮影: 2010年10月
この先で丘陵地を越えると、田園風景が広がりました。
撮影: 2010年10月
列車は既に岩村町に入っていますが、岩村町の
富田地区は日本一の農村景観と言われています。
車窓からもその片鱗がうかがえました。
撮影: 2010年10月
飯羽間からも長閑な景色が広がっていますが
それでも、勾配は続いていました。
撮影: 2010年10月
2008年に開業した新しい駅です。
撮影: 2010年10月
スーパー「バロー」が寄付したそうです。
愛知万博の際に愛知環状鉄道八草駅で
ホーム拡幅用に使われていたものを
再利用したりしているようです。
主要駅・岩村駅ももうすぐです。
撮影: 2010年10月
岩村城の麓に栄えた城下町です。
岩村駅にアプローチする左カーブの正面に
岩村城の山が見えていました。
丁度、30分かけて岩村に到着しました。
撮影: 2010年10月
恵那発の最終列車を除くすべての列車が
ここで交換するダイヤになっています。
乗りとおしましたが、その後に折り返して岩村で
下車し、岩村城と岩村の町並みを散策しました。
撮影: 2010年10月
撮影: 2010年10月
駅舎内には地元の名産品や沿線の
名所の写真が掲げられています。
撮影: 2010年10月
2004年3月末まで腕式信号機が使われており、
今は産業遺産として、残されているようです。
明智行の列車を撮った様子です。
撮影: 2010年10月
(Iwamura - Akechi)
腕式の信号機が現役で活躍していたら
とても絵になるような岩村駅構内の様子です。
撮影: 2010年10月
丘陵地の間に、広がった耕地に沿って
緩やかな勾配を上っていきました。
撮影: 2010年10月
野焼きをしてる人を見かけました。
線路際で見られるとは珍しいような気がします。
撮影: 2010年10月
岩村から6分程で、次の花白(乗車当時)に到着しました。
撮影: 2010年10月
姿を見るのはほのぼのとした感じになります。
花白温泉に駅名が改称されています。
駅前に温泉施設があるそうです。
撮影: 2010年10月
駅構内に、明知鉄道が第三セクターとして発足した
際に導入されたレールバスの車両が置かれていました。
撮影: 2010年10月
鉄道車両は40年や50年使われることも珍しくないので
既に廃車となった姿には驚きましたが、それだけ第三
セクターの鉄道も年月を重ねているという事でしょうか。
2016年7月に山岡駅「かんてんかん」の
森の列車カフェに用いられているようです。
撮影: 2010年10月
日差しを浴びて輝いていました。
撮影: 2010年10月
峠に差し掛かりました。
撮影: 2010年10月
この峠は木曽川水系と矢作川水系を
分ける峠で、線路の勾配は急でした。
撮影: 2010年10月
撮影: 2010年10月
粘着式鉄道としては日本一急勾配に
設けられた駅になっていますが、この野志駅が
2番目の急こう配の駅になっています。
暫く走ると、進行左手に明智の集落が見えてきました。
撮影: 2010年10月
恵那から49分で終点の明智に到着しました。
撮影: 2010年10月
出生地の候補の一つになっている所です。
それらの建物を活かした日本大正村という
テーマパークが発足しています。
撮影: 2010年10月
遠足の園児の一団が下車している所でした。
この中で一人でも将来の鉄道ファンが
生まれてくれれば、と思いました。