明知鉄道
Akechi Railway

明知鉄道は、中央本線の恵那から南下し、
明知に至る25.1kmの第三セクターの鉄道です。

国鉄明知線を1985年(昭和60年)に
第三セクターに転換しています。

前身の国鉄明知線は1934年(昭和9年)に全通しています。
この明知線も昭和40年代以降のモータリゼーション以降に
乗客数が減少し、赤字路線になっていました。

明知鉄道への転換後も乗客数は低迷していますが、
沿線の岩村や終点の明智の歴史史跡があり、
多くのイベント列車を運行しています。

2010年10月にこの明知鉄道に再乗しています。
その際の様子を紹介します。

恵那 - 阿木
Ena - Agi
Feb. 15, '17


阿木 - 岩村
Agi - Iwamura
Feb. 18, '17


岩村 - 明智
Iwamura - Akechi
NEW ! Feb. 28, '17

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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない

恵那 - 岩村
(Ena - Iwamura)

2010年10月、名古屋から中央本線の
快速電車に乗り、恵那で下車しました。


撮影: 2010年10月

恵那で乗り換えの時間が20分程あったので、
一旦改札を抜けて駅前に出てみると、新しい
JRの駅舎の北側に明知鉄道の駅舎がありました。

駅舎のようには見えない明知鉄道の駅から
ホームに向かいました。


撮影: 2010年10月

9:27 発の明智行が既にホームに入っていました。
明智行は2両編成でしたが、後ろの車両は、
遠足に出掛ける小学生専用になっていました。

明知鉄道のホームは恵那駅の駅舎側にあります。
定刻に発車し、少しの間は中央本線と並走しますが、
中央本線はすぐに左に大きくカーブを切っていきました。


撮影: 2010年10月

中央本線と分かれた後、明知鉄道の線路は
勾配をどんどんと上っていきます。


撮影: 2010年10月

この先で右にカーブし、恵那の街の周囲を
取り囲むように勾配を上っていきます。

切通を抜けると、その先に東野駅がありました。


撮影: 2010年10月

東野駅は、それまでの山深い景色とは異なり、
ホームに接して、ビルが建っていました。
介護施設の建物だそうです。

東野を発車すると、耕地が広がりました。


撮影: 2010年10月

列車の後方には恵那の街が広がっていました。

明知鉄道は、地図で見るよりも山深いところを
走っていて、勾配も思った以上にきつく
東野からも33‰の勾配が続きます。


撮影: 2010年10月

明知鉄道は、地図で見るよりも山深いところを
走っていて、勾配も思った以上にきつく
東野からも33‰の勾配が続きます。

この先で、明知線の線路は山間に分け入っていきました。
列車はエンジンの音を響かせながら走っていきます。


撮影: 2010年10月

時折、のどかな景色が広がりました。

東野から10分程走ると、飯沼駅の
短いホームが見えてきました。


撮影: 2010年10月

何の変哲もないような小駅ですが、この
飯沼駅は33‰の急勾配に設けられていて
日本一の急勾配にある駅だそうです。

蒸気機関車も走っていた国鉄時代には駅はなく
明知鉄道となった1991年に設置されています。

飯沼からも山間の景色の中を走りました。
沿線には集落もあまり見当たりません。


撮影: 2010年10月

やがて再び耕地が広がりました。


撮影: 2010年10月

恵那から9.9kmの距離を20分程かけて
阿木に到着しました。


撮影: 2010年10月

明知線が開業してからの駅で、
交換設備も残っています。

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阿木 - 岩村
(Agi - Iwamura)

恵那から乗っていた高校生が阿木で下車していきました。
阿木を発車し、再びのどかな景色の中を走っていきます。


撮影: 2010年10月

線路が左に右にくねる様に続いています。
この先の築堤からの眺めです。


撮影: 2010年10月

日本の原風景のような眺めです。
この先で丘陵地を越えると、田園風景が広がりました。


撮影: 2010年10月

この辺りの景色も長閑なものです。
列車は既に岩村町に入っていますが、岩村町の
富田地区は日本一の農村景観と言われています。
車窓からもその片鱗がうかがえました。

この景色を眺めるうちに飯羽間駅に到着しました。


撮影: 2010年10月

ホームが一面あるだけの小さな駅です。
飯羽間からも長閑な景色が広がっていますが
それでも、勾配は続いていました。


撮影: 2010年10月

僅か1kmで次の極楽に到着しました。
2008年に開業した新しい駅です。


撮影: 2010年10月

駅建設費の半額を、岐阜県に本社のある
スーパー「バロー」が寄付したそうです。

またホームに使われているコンクリートの板は、
愛知万博の際に愛知環状鉄道八草駅で
ホーム拡幅用に使われていたものを
再利用したりしているようです。

愛知環状鉄道の乗車記はこちらです。

極楽を発車すると、明知鉄道の
主要駅・岩村駅ももうすぐです。


撮影: 2010年10月

岩村は、日本三大山城や女城主で知られる
岩村城の麓に栄えた城下町です。
岩村駅にアプローチする左カーブの正面に
岩村城の山が見えていました。

岩村城の登城記はこちらです。

長閑な景色を眺めながら、15.0kmを
丁度、30分かけて岩村に到着しました。


撮影: 2010年10月

岩村には交換設備があり、明知発の始発と、
恵那発の最終列車を除くすべての列車が
ここで交換するダイヤになっています。

恵那から乗車した際には終点の明智まで
乗りとおしましたが、その後に折り返して岩村で
下車し、岩村城と岩村の町並みを散策しました。


撮影: 2010年10月

その際に降り立った岩村駅の古いホームです。


撮影: 2010年10月

女城主の里という案内板もありました。
駅舎内には地元の名産品や沿線の
名所の写真が掲げられています。

腕式信号機の転轍機もありました。


撮影: 2010年10月

今はもう使われていませんが、岩村と明智の間では
2004年3月末まで腕式信号機が使われており、
今は産業遺産として、残されているようです。

明智から岩村に戻った際に、
明智行の列車を撮った様子です。


撮影: 2010年10月

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岩村 - 明智
(Iwamura - Akechi)

明智行の列車は、岩村を発車しました。
腕式の信号機が現役で活躍していたら
とても絵になるような岩村駅構内の様子です。


撮影: 2010年10月

岩村からも引き続きのどかな景色の中を走ります。
丘陵地の間に、広がった耕地に沿って
緩やかな勾配を上っていきました。


撮影: 2010年10月

耕地が狭くなって来た頃、線路際で
野焼きをしてる人を見かけました。

野焼きもなかなか見られない光景になってきましたが
線路際で見られるとは珍しいような気がします。


撮影: 2010年10月

緩やかな峠を越え、その先も長閑な田園風景が続きました。
岩村から6分程で、次の花白(乗車当時)に到着しました。


撮影: 2010年10月

こうした小駅で、地元の方が乗り降りする
姿を見るのはほのぼのとした感じになります。

この花白駅は、乗車した半年後の2011年3月から
花白温泉に駅名が改称されています。
駅前に温泉施設があるそうです。

花白からも長閑な景色が続きます。


撮影: 2010年10月

花白から1.6kmで次の山岡に到着しました。
駅構内に、明知鉄道が第三セクターとして発足した
際に導入されたレールバスの車両が置かれていました。


撮影: 2010年10月

1985年に発足した明知鉄道。
鉄道車両は40年や50年使われることも珍しくないので
既に廃車となった姿には驚きましたが、それだけ第三
セクターの鉄道も年月を重ねているという事でしょうか。

ちなみにこの写真で写っている古い車両は
2016年7月に山岡駅「かんてんかん」の
森の列車カフェに用いられているようです。

山岡からも長閑な山里の景色が続きました。


撮影: 2010年10月

所々、線路際のススキの穂が
日差しを浴びて輝いていました。


撮影: 2010年10月

明知鉄道は、この先で再び山間に入り、
峠に差し掛かりました。


撮影: 2010年10月

周囲の山は高くはないのですが、
この峠は木曽川水系と矢作川水系を
分ける峠で、線路の勾配は急でした。

峠を抜けると再びのどかな景色です。


撮影: 2010年10月

この先で、野志駅に停車しました。


撮影: 2010年10月

明知鉄道では恵那から二駅目の飯沼駅が
粘着式鉄道としては日本一急勾配に
設けられた駅になっていますが、この野志駅が
2番目の急こう配の駅になっています。

野志は明智へと向かう下り勾配になっています。
暫く走ると、進行左手に明智の集落が見えてきました。


撮影: 2010年10月

こうして、長閑な山里の景色を眺め続け、
恵那から49分で終点の明智に到着しました。


撮影: 2010年10月

明智は、織田信長を斃した明智光秀の
出生地の候補の一つになっている所です。

明智の町には大正時代の建物が多く残り、
それらの建物を活かした日本大正村という
テーマパークが発足しています。


撮影: 2010年10月

列車を降りて駅舎に向かうと、恵那から乗って来た
遠足の園児の一団が下車している所でした。
この中で一人でも将来の鉄道ファンが
生まれてくれれば、と思いました。

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