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愛知環状鉄道はJR東海道本線の岡崎から
豊田市、瀬戸市を通り、春日井市の
高蔵寺までを結ぶ45.3kmの第三セクター路線です。
"環状"と名が付いていますが、路線は
名古屋の東部近郊を南北に結んでいます。
岡崎と高蔵寺で接続するJR東海道本線や
JR中央線とあわせて環状の交通システムを形成しています。
途中、中岡崎で名鉄本線、新上挙母で名鉄三河線、
新豊田、愛環梅坪で名鉄豊田新線、八草で
愛知高速交通(リニモ)、新瀬戸で名鉄瀬戸線と、
多くの駅で、名古屋に向かう路線と接続しています。
沿線の岡崎市、豊田市そして春日井市は人口30万人を超え、
瀬戸市も人口13万人を有しています。
沿線には大学も多く立地していることから、
毎年輸送人員を伸ばし、黒字経営を続ける
第三セクター鉄道としては優等生的存在です。
愛知環状鉄道は1988年に開業していますが、
その前身は、1970年(昭和45年)から
岡崎 - 北野桝塚間の貨物営業を始め、
1976(昭和51年)年4月に旅客路線として開業した
岡崎 - 新豊田間の国鉄岡多線です。
当時は一日僅か13往復しか列車が
運行しておらず大赤字の路線でした。
車内は高校生の通学時間帯を除くと
閑散としていて、今の愛知環状鉄道からは
想像も出来ない状態でした。
愛知環状鉄道発足後、運転本数や
また駅の数を増やし、利便性を高めて
乗客数を増やしています。
路線は単線区間も残っていますが、
2005年の愛知万博会場へのメインアクセスルートとなり
その際に複線化が進んでいます。
乗客増も相まって、運転本数も次第増え、
朝夕15分毎、日中約20分毎に列車が走っています。
この愛知環状鉄道の乗車記をいくつかの
区間に分けて紹介しようと思います。
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岡崎 - 北野桝塚
(Okazaki - Kitano Masuduka)
愛知環状鉄道の始点はJR岡崎駅。
2面4線のJR東海道線の線路の東の端、
片面ホームの0番線に発着しています。
愛知環状鉄道のホームは短く、
4両編成の電車では、ホームの端から
端まで電車が停まっているようになります。
上の写真、右手奥に見えるのが
JR東海道本線のホームと線路です。
停車中の電車の先頭車両からの眺めです。
丁度、東海道本線の上り
普通電車が到着したところです。
愛知環状鉄道の線路は、
JR東海道本線とは独立していて
渡り線もありません。
、
岡崎を発車し、しばらくJR東海道本線と並走します。
2004年までは、岡崎駅を発車するとしばらく
東海道本線の上り線を走り、しばらくして
東海道本線の上下線の間を走るような
線路配置になっていました。
まっすぐに伸びるこの路線が2004年11月に開通し
愛知環状鉄道の電車は、JR東海道本線の上り電車に
干渉されずに岡崎駅に進入出来ようになりました。
並走していた区間は約500m程ですが、
この専用路線が開通したおかげで
運転本数増加が可能になっています。
築堤からカーブしながら勾配を下る
JR東海道本線の上り電車の東側に
新しい愛知環状鉄道の線路が貼り付いています。
この区間を線路脇の道路から
写真に撮ってみました。
青空を背景にスマートな
ステンレス製の電車が走っていきます。
この区間はJR東海道本線の築堤の中程に
愛知環状鉄道の線路を設けたため、
土地の余裕はなく、東側はコンクリート製の
壁が道路際まで迫っています。
やがて、高さを増したJR東海道本線の上り線をくぐって
愛知環状鉄道のかつての本線が左手から現れ、
その線路に沿うように、右にカーブを切ります。
下の写真、左側の線路が赤茶けていますが
この線路がかつての愛知環状鉄道の本線です。
ポイントを渡って複線状の線路の左側に
入っていくと最初の停車駅、六名です。
1988年1月に開設された
新しい駅で無人駅です。
六名を出ると単線となり、
乙川の堤防に沿って走るようになります。
進行右手に真宮遺跡の杜も見えてきました。
真宮遺跡の様子はこちらです。
愛知環状鉄道は、岡崎駅近くを除くと
全線立体交差の路線ですが、
この周辺は線路際に道路が並走し
愛知環状鉄道の電車を近くで写す事が出来ます。
この先で、複線となり、乙川を渡ります。
乙川を渡ると高架となり、名鉄名古屋本線を
オーバークロスすると中岡崎に到着です。
名鉄名古屋本線の様子はこちらです。
左側の下り線ホームは開業当初からのもので
右側の新しく作られた上り線ホームは
有効長が短くなっています。
高架の中岡崎駅からは、
岡崎城を望む事が出来ます。
岡崎城の様子はこちらです。
岡崎城前の乙川で打ち上げられる
岡崎の花火大会の際には、中岡崎駅周辺は
隠れた花火見学の名所となっています。
中岡崎を発車してすぐ左手の高架下に
八丁味噌の味噌蔵が見えてきます。
八丁蔵通り の様子はこちらです。
すぐに国道1号線をオーバークロスし、
岡崎の街中を高架で一直線に貫きます。
愛知環状鉄道の前身の岡多線は、
街の中心地を外して路線が敷かれ、
中岡崎から北岡崎にかけても
人家の少ない国道248号線の
バイパスに沿って建設されました。
時は流れ、今はバイパスに沿ってマンションや
郊外型の店舗が建ち並ぶようになっています。
中岡崎 - 北岡崎の駅間は、岡多線の
開通当時から複線になっていました。
やがて、北岡崎駅に到着しました。
駅の手前に、左に分岐するような路盤がありますが、
これは、1971年から沿線のユニチカの工場への
貨物輸送を行っていた際の引込み線跡です。
1999年(平成11年)9月に
貨物輸送は廃止になっています。
北岡崎駅を出ると、左にカーブを
切りながら進んでいきます。
車窓右手には、岡崎市内の村積山と
その背後の三河山地の山々が見えてきました。
大門を出て、しばらく走ると矢作川を渡ります。
矢作川の鉄橋からも三河の
山々を望む事が出来ます。
矢作川の堤防から眺める愛知環状鉄道の電車です。
矢作川を渡り終えると、愛知環状鉄道の
本社のある北野桝塚に到着します。
車両基地もあり、北野桝塚駅の構内は広く、
2面4線のホームが電車を待ち受けていました。
北野桝塚 - 新豊田
(Kitano Masuduka - Shin Toyota)
北野桝塚では下り列車の乗務員が交代します。
数分間の停車時間の間に、岡崎からの運転手さんと車掌さんが
ホームで待つ新しい運転手さんと乗務員さんに
簡単な引継ぎを行い、高蔵寺に向かって発車します。
北野桝塚駅の北側には、車両基地があり
日中には、何本もの電車が停まっています。
この車両基地を過ぎると住宅地の
間を右にカーブしていきます。
1970年に、愛知環状鉄道の前身の
国鉄岡多線が開業した際には
この北野桝塚から高架の引込み線が延び、
トヨタ自動車の完成車を輸送していました。
今では高架の引込み線は住宅地となり
その痕跡を見つけることは出来ません。
カーブを曲がりきると、三河上郷に到着です。
駅の前方には伊勢湾岸自動車道の
立派な高架橋が見えています。
その伊勢湾岸道路をくぐると
田圃の中を走るようになり、
車窓左手にはトヨタ自動車の
上郷工場が見えてきました。
田圃の向こうの大きな工場を
眺めるうちに永覚に到着です。
永覚は岡多線時代から設置されている駅ですが
2006年の一日当たり乗客数はわずか181人。
当時の岡多線が住宅地を避けて建設されたこともありますが、
岡崎 - 新豊田間では、最も乗客数の少ない駅です。
上郷工場からわずか500m程なのですが
この乗客数からすると、愛知環状鉄道で
通勤する人は、殆どいないようです。
永覚を発車して東名高速道路をくぐると
田圃が広がり、右手遠くに三河の
山々が見えてきます。
やがて、丘陵地となり、岡崎を発車して
初めてのトンネルが見えてきました。
このトンネルをくぐると末野原です。
1988年(昭和63年)1月に開設された駅ですが
いつも、末野原で乗り降りする乗客がいて、
利用客は比較的多いという印象です。
調べてみると一日あたり611人でした。
当初は無人駅だったのですが、今では
時間限定ながら駅員が配置されているようです。
末野原を発車すると、住宅地の間に
茶畑の広がる丘陵地を走り、
やがて左にカーブを切るようになります。
カーブの右手、遠くに、トヨタ自動車の
本社ビルが見えてきました。
上の写真、遠くに見えるのがトヨタ本社ビルです。
世界を代表する企業の一つですが
その本社ビルは以外に質素なものです。
そして右手には、本社工場が建っています。
本社工場を眺めながら三河豊田駅に到着です。
この三河豊田駅は、2面4線分の敷地が確保されていますが、
現在はその片側だけの1面2線の線路配置になっています。
トヨタ自動車は、本社地区の社員に
公共交通機関を使った通勤を奨励しているようで
三河豊田駅の一日あたりの乗車人員は
3479人にのぼり、2008年3月からは朝の通勤時間帯に
新豊田 - 三河豊田間のシャトル列車も運行されています。
三河豊田駅を発車してすぐの様子です。
シャトル列車の運行に先立って、
三河豊田 - 新豊田間は複線化されています。
シャトル列車が発着する上り本線(1番線)から
折り返し列車が下り線に入れるように
渡り線が設けられています。
三河豊田を発車して、しばらくすると
再び車窓右手に三河の山々が見えてきました。
周囲に田圃が広がっています。
よく見ると、田圃や住宅地を縫って、
名鉄挙母線の廃線跡がありました。
名鉄挙母線は、上挙母と岡崎市の大樹寺を
結んでいた路線でしたが、乗客数の減少と、
国鉄岡多線の建設のために1973年(昭和48年)に
廃線になっています。
車窓左手には名鉄三河線の線路が見えてきました。
名鉄三河線は碧南から刈谷、知立
そして豊田市駅を通り猿投に至る路線です。
名鉄三河線の乗車記はこちらです。
三河線をオーバークロスすると、
遠くに豊田スタジアムが見えてきました。
収容人員4万3千人の素晴らしい
サッカー専用のスタジアムです。
複線線路の両側に片面ホームのある
新上挙母を過ぎると、再び丘陵地となります。
豊田市美術館の建物が
丘陵地の左手に見えています。
この丘陵地は、挙母城の城址だったところで
美術館左手に、挙母城の隅櫓が一瞬その姿を現します。
挙母城の登城記はこちらです。
丘陵地を抜けると、豊田市の市街地が
車窓右手に見えてきます。
駅前に建つ百貨店の様子です。
豊田市はトヨタ自動車の成長とともに
発展してきた街で、いまから30年程前は
街の核がなく、市内のあちらこちらに
住宅地が築かれていたのですが、
今や駅前に多くのビルが建ち、30万人を超える
街としての風格が備わってきたように思います。
岡崎からの19.5kmをおよそ30分かけて
新豊田駅に到着です。
愛知環状鉄道の中心駅で、
乗客数は23駅なか最も多く、
4440人(2006年度)に上ります。
新豊田駅前の様子です。
名古屋グランパスの旗がはためき
その向こうに百貨店が聳えています。
百貨店を抜けたところに
名鉄豊田新線の豊田市駅があり、
約5分ほどで乗り換える事が出来ます。
新豊田 - 八草
(Shin Toyota - Yagusa)
新豊田駅を東側から眺めた様子です。
以前は単線の線路に片面ホームの造りでしたが、
東側の上り線を増設し、2面2線の構造になっています。
百貨店からのペディストリアンデッキから
直接上り線ホームに行ける
便利な構造になっています。
新豊田では、殆どの乗客が入れ替わり
数分停車した後に発車します。
新豊田からは単線になりますが、
駅の先の上り本線用の路盤上に
新豊田で折り返す列車用の
留置線が設けられています。
新豊田駅を発車し、しばらく住宅地を走ると、
丘陵地が現れ、トンネルで抜けていきます。
短いトンネルを抜けると再び住宅地になります。
車窓右手後方を振り返ると豊田スタジアムの
屋根が逆行の中、光っていました。
そして愛環梅坪に到着です。
愛環梅坪は2005年3月に開設され、貝津駅と共に
愛知環状鉄道でもっとも新しい駅です。
名鉄の梅坪駅にも近く、駅のすぐ北側を
名鉄豊田新線の高架橋がオーバークロスしています。
名鉄豊田新線は、かなりの急勾配で、
高架の愛知環状鉄道の上を越えいます。
愛環梅坪を出ると、豊田の市街地を抜け
周辺には田圃が広がってきます。
愛知環状鉄道の電車は大きく
左にカーブを切って進みます。
前方には、猿投山の姿が見えていました。
進行方向をほぼ西に向けたあたりで
田圃の中の四郷駅に到着しました。
この駅も広い敷地が確保してありますが
今は単線の路線に行き違い設備の付いた
1面2線の線路配置になっています。
愛知環状鉄道の前身の国鉄岡多線は、1970年に
岡崎 - 北野桝塚間の貨物輸送を始めていますが
元々の目的は、岡崎から高蔵寺に抜けさらには
稲沢へと結ぶJR東海道本線の貨物バイパス線でした。
北野桝塚、三河豊田やこの四郷駅の広い敷地は
当時の岡多線が複線で全線開通し、貨物列車が
走るようになった際に列車の待避用に
使われる予定だったのでしょうか。
四郷駅近くの田園風景です。
四郷から、愛知環状鉄道の北側は
丘陵地となり、そこに大学が点在しています。
この写真は、日本を代表する多くの
アスリートを輩出している中京大学です。
直線の線路の途中に、片面の短い
ホームが突き出ている貝津駅です。
中京大学への最寄り駅として
2005年3月に開設された新しい駅です。
次第に丘陵が線路に近づいています。
丘陵地と丘陵地の間にのどかな
景色が広がっています。
貝津からわずか1.3kmで保見駅です。
カーブした線路に列車交換設備のある
2面2線の線路配置になっています。
保見駅を発車してすぐにトンネルに入ります。
三河と尾張の国境の丘陵地に差し掛かり、
狭い谷を国道155線と平行して進んでいきます。
トンネルを抜けてしばらく走りと篠原に到着です。
ここで上り電車と交換です。
左上の写真、ちょっと小さくてわかり難いかもですが
何故か渡り線が二箇所設けられていました。
篠原は丘陵地の中の小集落に設けられた駅で
乗客数が146人(2006年)で愛知環状鉄道で最も少ない駅です。
篠原から再びトンネルとなり、それを抜けると八草です。
八草駅のかなり手前に、途中で途切れた
留置線のような線路を見かけました。
2005年の愛知万博の際には、名古屋駅から
10両編成の直通電車が運行されていたので
その電車の折り返し用に使われていたものの
名残と思います。
そして八草駅に到着しました。
豊田市と瀬戸市、三河と尾張の
国境に位置する駅です。
万博輸送で賑わったこの八草駅も
今では、ひっそりとした感じです。
万博会場跡地を通り、名古屋市交通局の
地下鉄・東山線の藤が丘駅とを結ぶ
愛知高速交通(通称・リニモ)との
接続駅になっています。
そのリニモの車両が愛知環状鉄道の
駅の上に、停車していました。
愛知高速交通(リニモ)の乗車記はこちらです。
八草 - 高蔵寺
(Yagusa - Kouzouji)
愛知高速交通(通称・リニモ)との接続駅、
八草を過ぎるとトンネルに入っていきます。
愛知高速交通(リニモ)の乗車記はこちらです。
このトンネルをくぐると三河から
尾張の国に入ります。
のどかな丘陵地から一変し、
住宅地が線路脇に広がっていました。
愛知環状鉄道が開業した当初は
これ程の住宅は建っていなかったように思います。
瀬戸市も人口が増え、丘陵地の
宅地開発が進んでいるのでしょうか。
待避線のある山口駅で上り電車と交換です。
山口からも新しい住宅地の中を走りました。
丘陵地を横切ると、留置線が現れてきました。
この留置線は、朝夕の通勤時間に設定されている
名古屋から瀬戸口行きのの直通列車の
折り返し用に使われています。
朝の通勤時にはこの直通列車には
10両編成の車両が使われているので
留置線も一見、複線区間になったと
錯覚する程の長さになっています。
留置線が単線の本線に吸収されると
待避線が現れ、1面2線の構造の
瀬戸口駅に到着しました。
駅の右手はコンクリートの壁と柵が
続いていますが、以前はここにもう一つ
ホームが設置出来る空間が確保されていました。
その土地は、周辺の宅地化が進み、
愛知環状鉄道は手放してしまったのでしょうか。
瀬戸口を発車し、トンネルを抜けると
マンションが建つ市街地を
直線状の高架で貫いて行きます。
瀬戸市の中心街は、
愛知環状鉄道の東側にあります。
その中心街の方向を眺めるうち
名鉄瀬戸線の線路をオーバークロスすると
瀬戸市駅に到着です。
名鉄瀬戸線にも交差部に新瀬戸駅が設置され、
乗り換えが可能になっていています。
岡崎から瀬戸市までは旧国鉄岡多線として
建設されていた区間です。
計画では岡多線は瀬戸市から山間を抜け、
多治見に至る予定でしたが、この区間は建設されず
旧国鉄瀬戸線として計画されていた
瀬戸市から高蔵寺へと線路が繋がっています。
1988年の愛知環状鉄道の開業に先立ち、
岡多線の建設予定ルートになっていた
岡崎駅から瀬戸市を通り、多治見に抜ける
国鉄バスが、1930年(昭和5年)に
全国で初めて運行されていました。
瀬戸市からは複線となり、発車して
長いトンネルを抜けると中水野です。
中水野で上り列車と行き違いました。
中水野も、以前はトンネルとトンネルの間の
山深い駅という印象ですが、今では
住宅がたくさん建ち並んでいます。
中水野を出ると再びトンネルを抜け、
立派なトラス鉄橋を渡りました。
尾張平野の東の端に位置する
高蔵寺も近づき、周囲は東濃の
山々へと連なる丘陵地帯が
広がっていました。
やがて、上り線と下り線をつなぐ
渡り線を通り、東濃の山々の間を
流れてきた庄内川を渡りました。
上り本線はJR中央本線からの直通列車が走り、
高蔵寺駅の愛知環状鉄道ホームを発車した上り列車は
ここまでは下り線を逆行し、この渡り線を通り
上り本線へと入って行きます。
愛知環状鉄道の上り本線が
JR中央本線をオーバークロスし、
愛知環状鉄道の上下線の間に
JR中央本線のホームがいくつも
並んでいるのが見えてきました。
そして、高蔵寺駅の1番ホームに到着しました。
岡崎から45.3km、約1時間程の乗車時間でした。
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