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篠ノ井線
Shinonoi Line
(Shiojiri - Matsumoto - Shinonoi)
篠ノ井線は長野の南、信越本線の篠ノ井から
南下し、松本を通り、塩尻に至る路線です。
篠ノ井線は、信越本線と中央本線を結ぶ路線として、
1900年(明治33年)から1902年(明治35年)にかけて
開業しています。
1906年(明治39年)には中央本線が東京から
塩尻まで伸び、篠ノ井線と接続しています。
当初は、中央本線の一部になっていましたが、
1911年(明治44年)に篠ノ井線として独立しています。
信越本線の乗車記はこちらです。
篠ノ井線の開業は、篠ノ井側から始まった為か、
線路戸籍上は篠ノ井が起点になっています。
現状は、名古屋からの特急「ワイドビューしなの」が
篠ノ井線全線を走る優等列車となっており、塩尻から
松本へは、中央東線の特急「あずさ」が走っています。
篠ノ井線は名古屋から長野や松本に向かう際に
何度も乗車しています。
2016年9月に、長野から名古屋に向かった
際の様子を中心に紹介します。
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篠ノ井 - 姨捨
Shinonoi - Obasute
2016年9月に長野発11:00の特急
「ワイドビューしなの10号」に乗車しました。
北陸新幹線と並走し、長野市内を抜け、
犀川を渡ると8分程で篠ノ井に到着しました。
信越本線の乗車記はこちらです。
篠ノ井駅到着前に、構内に入った様子です。
篠ノ井駅を発車すると、篠ノ井線は右に分岐して
いくのですが、「ワイドビューしなの」は
信越本線の上り線を直進し、1番線に到着しました。
特急「ワイドビューしなの」は篠ノ井駅を発車すると、
ポイントを渡って、右に分岐していく線路に入ります。
直進する線路は、しなの鉄道の路線になります。
しなの鉄道の乗車記はこちらです。
篠ノ井線に入ると、周囲には
長閑な田園風景が広がりました。
やがて次の稲荷山を通過しました。
稲荷山からは25‰の勾配を上るようになります。
松本から長野へは犀川が流れていますが、曲がりくねって
狭い峡谷を流れる犀川沿いには線路を敷く事が出来ずに
冠着山をトンネルで抜けるルートになっています。
勾配を上るにつれ、千曲川の作る
平地が見渡せるようになりました。
この景色を眺めるうちに桑ノ原信号場を通過しました。
桑ノ原信号場は、稲荷山から4,5kmの位置に
あるスイッチバック式の信号場です。
下の写真は、松本方面から長野方面に向かう
「ワイドビューしなの」から眺めた様子です。
手前から斜め右に延びる線路が通過線で、
直進する線路がスイッチバックの信号場に
向かう線路になっています。
篠ノ井線は、この先も上り坂が続き、やがて
善光寺平を見渡せる景色が広がりました。
この雄大な眺めは、JR北海道・根室本線の
狩勝峠、JR九州・肥薩線の矢岳越えと共に、
日本三大車窓風景としても知られています。
根室本線の乗車記はこちらです。
この雄大な眺めに目が釘付けになるうちに
姨捨駅を通過しました。
上の写真は、長野に向かう特急「ワイドビュー
しなの」の先頭車から撮ったものです。
姨捨駅もスイッチバック駅となっていて、
特急「ワイドビューしなの」はホームのない
通過線を駆け抜けてしまうので、姨捨駅を
通過するのに気が付かない事も良くあります。
ここは姨捨伝説の土地で、善光寺平へと続く斜面に
築かれた棚田は、日本棚田百選にも選ばれています。
その棚田に映る「田毎の月」は江戸時代から
その美しさが知られた景勝地でした。
篠ノ井線は、いつも特急「ワイドビューしなの」で
駆け抜けてしまっているので、姨捨駅には
降り立った事は無かったのですが、2015年5月に
その機会が訪れました。
夕方近く、長野から松本行の普通列車に乗車しました。
車内は、思いかけず多くの乗客が居て、姨捨までは
座る事が出来ずに立ち詰めでした。
姨捨駅に到着した松本行の普通列車です。
列車は一旦、姨捨駅を行き過ぎ、そこから
後退してホームに到着しています。
姨捨駅から眺める善光寺平の眺めです。
遠くが霞んでしまっていますが、雄大な
眺めが一望出来、素晴らしい光景です。
姨捨駅の駅舎は綺麗に整備されていました。
駅名標が、スイッチバック形式になっています。
駅舎を出て、駅の周辺を歩いてみました。
地平のホームへと続く線路です。
そしてその先、通過線と交差する駅ホームへの
線路と、駅舎と反対側の待避線の様子です。
スイッチバック駅は、以前は日本各地にありましたが、
急こう配の緩和を目的に作られたスイッチバック駅は
蒸気機関車の運行が無くなってから徐々に姿を消し、
2022年1月現在、残っているのは12駅だそうです。
篠ノ井線でも、姨捨駅、桑ノ原信号場以外にも
潮沢信号場(明科 - 西条間)、羽尾信号場
(姨捨 - 冠着間)のスイッチバック式信号場が
ありましたが、現在では廃止されています。
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姨捨 - 松本
Obasute - Matsumoto
特急「ワイドビューしなの」は姨捨駅を通過していきます。
下の写真は、右側の線路がスイッチバック駅へと繋がる
線路で、左側が駅とは反対側の待避線、中央が通過線です。
姨捨を過ぎると、冠着山の麓の山間を走り、
やがて冠着トンネルへと入って行きました。
冠着トンネルは1900年(明治33年)に
開業した全長 2,656mのトンネルです。
開業当時は日本一長いトンネルだったそうです。
トンネル内も、姨捨から冠着に向けて25‰の
急勾配が続き、蒸気機関車が用いられていた
当時は、運転士の窒息事故も起きる程の
過酷なトンネルだったそうです。
冠着トンネルを出ると直ぐに冠着駅を通過しました。
冠着駅の標高は676mで、篠ノ井線で
最も標高の高い地点になります。
冠着からは、のどかな高原の景色が広がりました。
蕎麦の花も車窓を過ります。
聖高原を通過し、次の坂北で長野行の
「ワイドビューしなの」と列車交換しました。
坂北駅の待避線には別の特急用車両も
停車していますが、これは回送列車でしょうか。
次の西条では長野行の普通電車と行き違いをしました。
西条を出ると、1988年(昭和63年)に開通したトンネルで
勾配と急カーブを解消した新ルートを走ります。
このトンネルは、複線用の断面で造られていますが
線路は単線分しか敷かれていません。
現在、篠ノ井線は「ワイドビューしなの」と
普通列車が各1本ずつという運転頻度なので、
複線化の必要はないという事なのでしょう。
トンネルを抜けると明科です。
明科からは松本盆地となり平地が広がります。
生憎雲がかかっていましたが、遠くには
北アルプスの山々が連なっています。
田沢駅を過ぎると、犀川が迫る
岸の端を走るようになりました。
犀川の向こうには、遠く北アルプスの
山々が屏風の様に連なっています。
2011年10月に篠ノ井線に乗車した際には
北アルプスの山々が見渡す事が出来ました。
大糸線の線路が右側から寄り添いました。
複線の様に、並走して松本へと向かいます。
大糸線の乗車記はこちらです。
大糸線は北松本駅に差し掛かりますが、
篠ノ井線にはホームは無く、その横を
素通りしていきました。
大糸線の普通電車とすれ違い、
松本駅に到着しました。
松本駅は、新宿から特急「あずさ」も乗り入れる
交通の要衝で、乗降客数は1日22,000人に上ります。
松本駅に停車中の様子です。
長野からの普通列車の多くは松本止まりで、
松本からは諏訪方面と木曽方面の中央西線に
乗り入れる普通列車が発着しています。
上の写真、ホームの反対側に停車している電車は、
中央西線に乗り入れて中津川に向かう列車です。
中央西線の乗車記はこちらです。
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松本 - 塩尻
Matsumoto - Shiojiri
特急「ワイドビューしなの」は、2分程の
停車時間の後に、松本を発車しました。
松本駅の広い構内から線路が次々に収斂していきます。
松本から塩尻に向かう篠ノ井線の線路は、ポイントを
渡ることなくほぼ真っすぐに進んでいきました。
篠ノ井線は松本からは複線になっています。
程なく多くの線路が分岐し、南松本を通過します。
南松本には貨物駅があり、石油を運ぶタンク車を
連ねた貨物列車が停まっていました。
長野県のガソリン輸送は、鉄道貨物の依存度が高く、
災害などで中央西線が不通になるとしばしば
ニュースでも取り上げられます。
南松本からは真っすぐな線路が続き、
平田、広丘と短い間隔で駅が続きます。
松本 -塩尻間は、沿線人口も多く、
平田駅は2007年に新たに開業した駅です。
松本行の特急「あずさ」とすれ違いました。
写真の列車は、E257系と呼ばれる車両ですが、
2002年から2019年までの18年間使用された後、
いまは後継のE353系に置き換わっています。
長野行の特急「ワイドビューしなの」と
丁度、広丘駅ですれ違いをしました。
塩尻 - 松本間の複線区間を上手く利用した
列車ダイヤになっています。
広丘を過ぎると田畑が広がりました。
遠くに北アルプスの山々を眺める雄大な景色です。
やがて塩尻駅の構内が見えてきました。
松本 - 塩尻間はわずか13.3kmです。
特急「ワイドビューしなの」は僅か8分で到着しました。
塩尻駅は篠ノ井線の終点の駅ですが、線路は
中央東線と中央西線へと続き、途中駅の趣です。
特急「ワイドビューしなの」は短い停車時間で
名古屋に向けて発車していきました。
中央東線の乗車記はこちらです。
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