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JR東海 関西本線
(名古屋 - 亀山)
JR Central, Kansai Main Line
関西本線は名古屋から四日市、亀山、奈良を経由し、
大阪のJR難波に至る174.9kmの路線です。
JR発足後は、名古屋 - 亀山間がJR東海によって、
亀山 - JR難波間がJR西日本によって運営されています。
名古屋と大阪の近郊区間になっている、名古屋 - 亀山・
加茂 - 奈良 - JR難波間は電化されていますが、
中間の関 - 加茂間は未電化区間です。
このページではJR東海の運営する
名古屋 - 亀山間を紹介します。
JR西日本の関西本線の乗車記はこちらです。
関西本線の歴史は、1888年(明治21年)に大阪鉄道が
湊町(現:JR難波) - 柏原間を開通させた事でスタートしています。
大阪鉄道は1892年(明治25年)に奈良までの路線を開業しています。
1890年(明治23年)には関西鉄道が、奈良以東の路線を開業させ、
1899年(明治32年)に名古屋 - 奈良間が開通しました。
翌1900年(明治33年)には、大阪鉄道が関西鉄道に路線を譲渡し、
名古屋 - 湊町間が関西鉄道の路線として運営されるようになりました。
1907年(明治40年)に関西鉄道が国有化され、
1987年(昭和62年)にはJR化され、亀山以東がJR東海、
亀山以西がJR西日本の路線になっています。
JR東海が運営する事になった名古屋 - 亀山間は、国鉄時代には、
未電化で、運転本数も少なく、客車列車も走るような路線でしたが、
JR化後は運転本数も増え、伊勢鉄道経由で鳥羽行の快速「みえ」や
亀山行の快速も毎時一往復づつ走るようになりました。
快速「みえ」の乗車記はこちらです。
その関西本線の名古屋 - 亀山間は、何度も乗ったことがあります。
2010年10月に乗車した際の様子を中心に紹介しようと思います。
名古屋 - 桑名
Nagoya - Kuwana
Sep. 24, '16
桑名 - 四日市
Kuwana - Yokkaichi
Sep. 30, '16
四日市 - 亀山
Yokkaichi - Kameyama
NEW! Oct. 04, '16
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名古屋 - 桑名
(Nagoya - Kuwana)
名古屋駅の関西本線のホームは、
新幹線に最も近い12番線と13番線になっています。
13番線に停車中の四日市行の普通電車です。
ホーム反対側は特急「ワイドビュー南紀」や
快速「みえ」が発着する12番線です。
2010年10月に乗車した際にも、快速「みえ」を
待つ乗客が長い列を作っていました。
2010年10月、7:40発の普通列車に乗車しました。
関西本線は、名古屋を発車すると、
すぐに新幹線をアンダークロスします。
東海道本線と中央西線の線路も左に分かれていきました。
中央西線の乗車記はこちらです。
その先で、あおなみ線の線路もアンダークロスし、
再開発された笹島地区を進んでいきます。
あおなみ線の乗車記はこちらです。
振り返ると、名古屋駅前の高層ビルが
建ち並んでいました。
あおなみ線のささしまライブ駅を過ぎると、
進行右手に車両基地が広がります。
この車両基地には、JR東海の看板列車の特急「ワイドビューひだ」や
特急「ワイドビュー南紀」用のキハ85系の車両が停車していました。
この先のJR東海名古屋工場を過ぎると、
複線だった関西本線は単線となりました。
進行右手から近鉄の線路がより沿ってきます。
丁度、アーバンライナーが走り去っていきました。
左手にはあおなみ線の電車も走っています。
この辺りは鉄道路線が集中しているので、
車窓風景が楽しい区間です。
地平から勾配を上ると、左手を走っていたあおなみ線は
左にカーブを切り関西線と分かれていきます。
関西本線は右にカーブを切り、八田駅に到着しました。
八田駅は地下鉄東山線と近鉄名古屋線との接続駅です。
2002年に高架化されていますが、その際に500m東側に
駅の場所が移り、他路線との乗り換えが便利になっています。
名古屋から八田までの区間の前面展望の動画です:
八田を発車すると地平に下り、近鉄をアンダークロスしました。
近鉄名古屋線は、名古屋 - 四日市間で概ね関西本線と
並走していますが、ここから弥冨までの区間は、
1 ~ 2km程、JRの南側を走る様になります。
近鉄をアンダークロスすると、庄内川と
新川の鉄橋を続けて渡りました。
名古屋の西側は、濃尾平野の低湿地が続き
ゼロメートル地帯が広がっています。
新川を越えると、新しい住宅が増え、マンションや
高層団地も車窓から見えるようになり、
春日駅に到着しました。
八田 - 春日間の前面展望の動画です:
春日駅は2001年に開業した新しい駅ですが、
周囲にこうしたアパートや住宅があるため、名古屋と
桑名の間の駅では、最も利用客の多い駅になっています。
春日を発車すると、平地に住宅地が広がる光景になりました。
春日の次の駅が蟹江です。
2012年3月に乗車した際には、
ここで快速「みえ」と交換しました。
名古屋地区の関西本線は、鳥羽へ向かう快速「みえ」と
亀山行きの快速、そして四日市の普通列車が2本と
一時間に4本の列車が走っています。
しかし、名古屋から弥富までは単線区間が続く為、
頻繁に列車の交換があります。
蟹江から次の永和に向かう線路の様子です。
単線ですが、複線用の土地は確保されています。
この区間の関西本線の線路容量は限界にきている様にも
思えるので、早く複線化されないか、といつも思います。
列車は日光川を渡りました。
まるで水郷地帯のような眺めです。
次の永和では亀山からの快速電車の通過待ちでした。
広い濃尾平野を走っているので、
ずっと平地が続いています。
遠くに高速道路が見えて来ました。
田圃の中、複線になったと思ったら、
電車が停車しました。
ここは白鳥という名前の信号場です。
2010年10月に乗車した際には、この白鳥信号場に
停車中に、快速「みえ51号」が先行していきました。
白鳥信号場から住宅が増え、到着したのは弥富駅です。
弥富駅は名鉄尾西線との乗換駅です。
![]() 撮影: 2010年10月 |
![]() 撮影: 2012年3月 |
弥富駅に発着する列車は、JR・名鉄とも一時間に2本ですが、
接続は考慮されておらずJRの列車に乗っていて、
名鉄の車両を見る機会はそれ程多くはありません。
この弥富駅は海抜マイナス0.93mの位置にあり、
地上駅としては日本で最も低い駅になっています。
弥富を発車すると関西本線は立派な
複線となり、木曽川橋梁を渡ります。
愛知県と三重県の県境を越え、鉄橋を渡り終えると、
木曽川と長良川に挟まれた長島に入ります。
周囲を堤防で囲われた輪中の地です。
弥富 - 長島間の前面展望の動画です:
長島で行違った名古屋行きの普通電車です。
長島を発車し、再び勾配を上り
長良川の鉄橋へと向かいました。
車窓から眺める輪中の景色です。
以前は、堤防に沿って集落が形成されていたそうですが
今では、平地にも住宅地が広がっています。
車窓から眺める輪中の景色です。
以前は、堤防に沿って集落が形成されていたそうですが
今では、平地にも住宅地が広がっています。
揖斐・長良川橋梁を渡りました。
近鉄の揖斐・長良橋梁が並走し、
その向こうに長良川河口堰も見えています。
![]() 撮影: 2010年10月 |
![]() 撮影: 2012年3月 |
長良川に続き、堤防で長良川と隔てられた
揖斐川も渡っていきます。
木曽川も合わせ、川幅いっぱいに水を湛えて流れる
この三つの川はいかにも大河といった感じがします。
揖斐・長良橋梁を渡りえ終えると
関西線は大きく左にカーブを切りました。
この区間の動画は、こちらです:
進行方向左手を走っていた近鉄名古屋線が
右側に移ると、次の桑名ももうすぐです。
名古屋から33分で桑名に到着しました。
桑名は名古屋 - 四日市駅間で最も乗降客の多い駅です。
国鉄時代には、殆どの乗客が近鉄を利用していたと思いますが、
国鉄末期に、名古屋 - 桑名間には特定区間運賃が適用され
JRになって以降、消費税改定以外に運賃値上げがなかった為、
この区間の運賃はJRの方が90円安くなり、運転本数が
増えた事もあって、JRを利用する人も増えたようです。
桑名は、養老鉄道と三岐鉄道北勢線との接続駅です。
発車した後、進行左手に北勢線の電車が見えました。
近鉄名古屋線は軌間が1,435mmの標準軌、JRと養老鉄道が
1,067mmの狭軌、そして北勢線の軌間は762mmの特殊狭軌です。
こうした3つの軌間の異なる路線が集まっている駅は、
日本の中では、桑名駅だけだと思います。
世界的にも珍しいのではないでしょうか。
三岐鉄道北勢線の乗車記はこちらです。
桑名を発車すると単線となり、先ほど
眺めた北勢線をアンダークロスしました。
北勢線の鉄橋や橋桁は、いかにも心細い造りです。
この橋桁を過ぎると、関西本線は再び複線になります。
北勢線の鉄橋を掛けかえれば、単線区間を解消する
事が出来ますが、その計画はないように思います。
複線となり、しばらく走ったところで、
上り電車とすれ違いました。
この先で、近鉄をアンダークロスしていきます。
この辺りは直線的な線路配置が続き、
関西本線の電車もスピードを上げて走ります。
緩やかな丘陵地を抜け、朝日を過ぎ、
田圃が広がる景色となりました。
朝明川を渡ると、関西線は3つの鉄橋を
次々とアンダークロスしていきます。
最初と二つ目の鉄橋が三岐鉄道三岐線、
最後の一つが近鉄名古屋線の鉄橋です。
この辺りの関西本線、三岐鉄道、そして
近鉄名古屋線の線路配置は少々複雑です。
西側(進行右手)から近づいてきた三岐鉄道・
三岐線の線路がまずは、JR関西本線を跨ぎます。
一旦、関西本線を跨いだ三岐線の線路が、
再びJR関西本線を跨いで西側に移り、最後に
近鉄名古屋線が、関西本線を横断するように
オーバークロスするという線路配置です。
三岐鉄道三岐線は、元々は関西本線の富田駅に
乗り入れていたのですが、運転本数が少なく、不便な
関西本線を諦め近鉄富田駅に乗り入れる様になっています。
このため、関西本線を二回も跨ぐ線路配置になっていますが、
一つ目と二つ目の鉄橋の間で、貨物線が分岐していて、
近鉄をくぐる際には、その貨物線と関西本線が並走しています。
上右の写真、鉄橋をくぐる一番左の線路がその貨物線です。
三岐線は終点の2駅手前の東藤原駅と愛知県の衣浦臨海鉄道との間で
貨物列車が運行されていて、この貨物線は今も現役です。
三岐鉄道三岐線の乗車記はこちらです。
こうして富田駅に到着しました。
四日市市北部の住宅も密集している地区ですが
多くの人が、近くの近鉄富田駅を利用する為、
関西本線の富田駅はひっそりとしています。
富田の町の散策記はこちらです。
富田駅に停車中の亀山行の普通電車です。
この富田で、上り列車との行き違いです。
反対側のホームには貨物列車も停車していました。
桑名の先の北勢線のガードをアンダークロスしてから富田までは
複線でしたが、富田を出ると単線となり住宅地の間を抜けていきます。
国道一号線のガードを潜り、
しばらく走ると富田浜に到着です。
2012年1月に、この富田浜から関西本線の
電車に乗る機会がありました。
この富田浜も乗降客が少なく、一日僅か179人で、
駅員のいない無人駅になっています。
2012年1月に乗車した際、到着した
四日市駅行きの電車の様子です。
日中、富田浜駅に到着するのは、
1時間に2本の四日市行の普通のみです。
富田浜を発車すると、景色が開け、
進行左手には、コンビナート群が見えてきます。
コンビナートの手前に、大阪万博の際の
オーストラリア館だった建物が見えていました。
四日市は、1960年代に深刻な公害の被害がありました。
四日市喘息の被害の中心は南部の塩浜地区でしたが、
この富田周辺では重油による魚の汚染が発生したようです。
コンビナートを眺めるうちに、三滝川を渡り、
引き込み線が寄り添っていました。
四日市駅も、もうすぐです。
富田浜 - 四日市間の前面車窓風景の様子です。
この区間は、再び複線になっています。
四日市に到着した普通電車です。
2012年1月に乗車した際には、
この四日市で、亀山行に乗り換えました。
その待ち時間の間に、上りの特急
「ワイドビュー南紀」が到着しました。
「ワイドビュー南紀」は名古屋と紀伊勝浦を結ぶ観光特急です。
一日に定期列車は4往復と本数も限られていますが、
四日市から終点の名古屋に向かう列車に
乗り込む人がいたのはちょっと驚きました。
四日市は、名古屋との結びつきが強く、
三重県最大の都市です。
四日市の散策記はこちらです。
本来であればこの関西本線も乗客で
溢れていても不思議ではありませんが、
あまり活気がありません。
四日市駅の東に広がる貨物の
留置場と工業地帯の様子です。
以前は、この四日市駅が中心駅で、近鉄名古屋線も
駅前まで乗り入れていましたが、街の中心が西側に移り、
近鉄は線路配置を変え、繁華街に駅を設置しています。
今では、利便性なども含め、名古屋 - 四日市間の
競争では全くといっていい程、勝負にはなっていません。
四日市を発車すると亀山方面のホームの端に
伊勢鉄道の列車が停まっていました。
伊勢鉄道は、関西本線の河原田で分岐し、津へと向かう鉄道です。
名古屋からの特急「ワイドビュー南紀」や、鳥羽や伊勢に向かう
快速「みえ」もこの路線を走りますが、国鉄民営化の際に
何故か第三セクターの運営する路線になっています。
「ワイドビュー南紀」が一日4往復、快速「みえ」が
毎時一本走るほか、先ほどのレールバスが
毎時一本程、四日市と津の間を結んでいます。
側線が寄り添い、また工業地帯へと向かう
貨物の枝線が分岐していきました。
この先で近鉄名古屋線のガードをくぐります。
進行左手には、再びコンビナートが見えています。
塩浜地区のコンビナートです。
コンビナートの景色を眺めるうちに南四日市駅となり、
ここからは複線になりました。
この複線区間で、快速「みえ」とすれ違いました。
快速「みえ」の乗車記はこちらです。
この先で内部川を渡ると、複線の線路間隔が
広がり、その内側に分岐していきました。
真っすぐに進む線路が伊勢鉄道の線路で、
このまま複線で鈴鹿方面に向かいます。
関西本線の名古屋地区の実態は、名古屋 から
特急「ワイドビュー南紀」や快速「みえ」も走る
伊勢鉄道経由で津や松阪に向かう線路が本線で、
ここから亀山に向かう路線は支線の様です。
内側に分岐した関西線の線路は上下線が合流し
単線となって河原田駅に向かいました。
地平にある関西本線の河原田駅です。
伊勢鉄道の駅は、左手の高架上にあります。
河原田駅から関西本線は鈴鹿川に沿うように
西へと向かっていきます。
のどかな景色が広がります。
次の河曲(かわの)駅の北側は、
伊勢国分寺があったところとされています。
次の加佐登で、上り電車と交換しました。
この辺りも、とてものどかなところです。
日本武尊の終焉の地とされていますが、
その事はあまり知られていないようです。
のどかな加佐登駅ですが、かつては
鈴鹿市の代表駅になっていた事がありました。
次の井田川も、小さな無人駅です。
井田川を発車し、田圃が広がる景色の中、
やがて右に大きくカーブを切り、線路が
いくつも分岐するようになると亀山です。
車窓左手から紀勢本線が合流するのですが、
駅の構内が広く、また合流するのが駅の直前なので
その線路を見つけるのは、なかなか容易ではありません。
こうして亀山に到着した電車です。
日中の快速運転している時間帯で、名古屋から59.9kmの
距離を、1時間5分程、朝夕は、1時間20分程の所要時間です。
亀山駅の様子です。
一時は液晶TVの生産基地として、「世界の亀山」
とまで称されましたが、駅はひっそりとしていました。
亀山には江戸時代に亀山藩が置かれていました。
亀山城の登城記はこちらです。
城下町・亀山の散策記はこちらです。
亀山は、JR東海とJR西日本との接続駅です。
奈良方面に向かうには、JR西日本の列車に
乗り換えになります。
JR西日本の関西本線の乗車記はこちらです。