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鉄道旅行へのいざない



JR東海 快速「みえ」
(名古屋 - 鳥羽)

JR Central Rapid Train "Mie"
(Nagoya - Toba)








快速「みえ」は名古屋と鳥羽を結ぶ列車です。

名古屋から関西本線、四日市の先の河原田から
伊勢鉄道に入り、津から多気まで紀勢本線、
多気からは参宮線に分け入り鳥羽へと至ります。



Yahoo Mapを編集・加筆しました。


関西本線は電化されていますが、河原田からの
伊勢線や紀勢本線、参宮線は未電化路線なので
キハ75という気動車で運行されています。

キハ75の最高速度は気動車でも120km/hと速く、
122.5kmの区間を最速列車で1時間42分で走ります。
評定速度は70.2km/hと、特急列車並みの俊足です。



快速「みえ」が走り出したのは
1990年3月10日のダイヤ改正からです。

現在では8:35 〜 20:30 の間、
毎時1本運行されています。

名古屋から伊勢志摩方面は、伊勢神宮もあり、
戦前は東京からも直通列車が走る幹線区間でしたが
戦後に近鉄が特急列車を高頻度で走らせ始めると
旧国鉄は競争力を失い、一時期は名古屋から
伊勢や鳥羽を結ぶ直通列車は無くなっていました。

快速「みえ」はこの状況を覆そうと設定された列車で、
特別料金が不要という事もあり、1時間に1本ながら
名古屋 - 桑名間を中心に乗客の多い列車です。

従来は2両編成でしたが、2011年3月12日の
ダイヤ改正からは4両編成となりました。


この快速「みえ」に2009年1月12日に乗車しました。
その時の様子を紹介します。




名古屋 - 四日市
(Nagoya - Yokkaichi)
Mar. 27, '11

四日市 - 津
(Yokkaichi - Tsu)
Mar. 28, '11

津 - 多気
(Tsu - Taki)
Apr. 03, '11

多気 - 鳥羽
(Taki - Toba)
NEW ! Apr. 07, '11




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名古屋 - 四日市
(Nagoya - Yokkaichi)







2009年1月12日、名古屋発 7:50の
快速「みえ51号」に乗り、鳥羽を目指しました。

名古屋駅12番線に停車中の快速「みえ」です。



左隣は高山線の特急「ワイドビューひだ」です。
特急「ワイドビューひだ」号の乗車記は
こちらです。

2009年の時点では、「みえ」は2両編成でしたが
日曜祝日に運行されるこの「みえ51号」は
4両編成でした。



4両中鳥羽方面の先頭車両が指定席車で
後ろより3両が自由席車両でした。

4両目の自由席車両の
最後尾に陣取る事としました。

名古屋駅を発車し、名古屋臨海高速鉄道
「あおなみ線」のホームを眺めながら進みます。



この先で、新幹線をアンダークロスし、
笹島の車両基地の脇を走っていきます。

その手前、列車の最後尾からは
名古屋駅前の高層ビルが見えていました。



車両基地の脇を抜け、近鉄の名古屋本線が
進行方向右手に寄り添うと、関西本線は
複線から単線へと変わり、高架橋を走るようになります。

近鉄・名古屋本線を走る
アーバンライナーの乗車記はこちらです。



この先で名古屋臨海高速鉄道の線路が
左へと別れ、「みえ」は近鉄名古屋本線に
寄り添いながら高架の八田駅を通過しました。

八田駅の先で近鉄をアンダークロスすると、
伊勢湾に臨むゼロメートル地帯を走るようになります。



庄内川を渡りました。
川面と線路の鉄橋の間のクリアランスが低く、
川も流れがないので、堀のように見えます。

この先で高架になり、高層アパートが
建ち並ぶ春日駅を通過すると再び
地上に戻り蟹江駅へと向かいます。



この写真は、この日の帰路に
上り「みえ」から撮った蟹江駅の様子です。
亀山行きの下り普通電車と交換しました。

蟹江から再び尾張平野の
低地帯を走るようになりました。



水郷地帯のような景色を走り
田圃が広がるようになりました。
永和駅を過ぎると東名阪高速道路の
高架橋が見えてきました。


この先で弥富駅を過ぎると、
複線となり、木曽川鉄橋を渡ります。



この写真も帰路に撮ったものです。
右手に見えるのは近鉄名古屋線の鉄橋です。

木曽川鉄橋を渡り終え、輪中の長島を通り、
再び長い揖斐・長良川鉄橋を渡りました。



こちらはJR関西線から眺めた
近鉄名古屋線の揖斐・長良川鉄橋です。

この揖斐・長良川鉄橋を渡ると
関西本線は右に大きなカーブを曲がり
桑名駅へと差し掛かります。



桑名駅の手前、並走する近鉄特急列車が
養老鉄道の線路をオーバークロスする様子です。



桑名は名古屋から23.8kmの距離にあり、
快速「みえ」は20分程で走ります。

この区間はJRの方が運賃が安い事もあり
「みえ」の利用客も多い区間です。

桑名を発車すると、三岐鉄道
北勢線をアンダークロスしました。



北勢線は軽便鉄道から始まった鉄道で
軌間は762mmのナローゲージです。

規模の小さな築堤の上に
細いガーター橋が載っている鉄橋は
軽便鉄道の線路そのものです。


桑名を過ぎ、近鉄名古屋本線と別れると
田圃が広がるのどかな景色となります。



朝日を通過した辺りの景色です。
この先で朝明川を渡ると再び
集落が増え、富田です。

富田駅の手前で三岐鉄道三岐線と
近鉄名古屋本線をアンダークロスします。



丁度、三岐鉄道三岐線の普通電車が
「みえ」をオーバークロスしていきました。

三岐鉄道三岐線の乗車記はこちらです。


富田からは車窓右手遠くに御在所岳を望むようになり
左手には四日市のコンビナート群が見えてきます。

富田の様子はこちらです。
御在所岳の様子はこちらです。

コンビナートの煙突を眺めながら
三滝川の鉄橋を渡りました。



三滝川を渡ると貨物用の留置線が現れ、
工場地帯の中のような四日市駅に到着しました。

四日市駅は市の中心部から離れていて、
ひっそりとした佇まいです。



僅かばかりの乗客が下車すると、
快速「みえ」は、次の停車駅の
鈴鹿を目指して発車しました。



名古屋 - 四日市間はJR関西本線の
ページでも紹介しています。

関西本線のページはこちらです。



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四日市 - 津
(Yokkaichi - Tsu)








快速「みえ51号」は四日市駅を
8:19 定刻に発車しました。

四日市駅のホームには欠き取られ、
伊勢鉄道の気動車が停車しています。



四日市駅の南側に貨物用の
留置線が広がっていました。

四日市を発車し、コンビナートの
間を走ると、南四日市です。



ここも貨物用の留置線が並んでいます。

南四日市を過ぎ、内部川の鉄橋を渡ると
関西本線の線路が分離してゆき、
快速「みえ」は伊勢鉄道へと乗り入れ、
築堤の上を走るようになりました。

築堤の上の伊勢鉄道河原田駅です。



分岐した関西本線の河原田駅は
上の写真の築堤の左下にあります。

快速「みえ」が乗り入れた伊勢鉄道は
河原田駅と津駅間の22.3kmを結んでいます。

この区間は、1973年(昭和48年)に
旧国鉄伊勢線として開業しましたが
1987年(昭和61年)に旧国鉄の路線としては廃止され
第三セクターの伊勢鉄道に経営が引き継がれています。

伊勢鉄道の路線は、四日市と津を真っ直ぐ
結んでいるので周辺に住宅が少なく
河原田を過ぎると周囲には田圃が広がりました。



やがて車窓右手に市街地が広がり、
近鉄鈴鹿線をオーバークロスすると鈴鹿駅です。



伊勢鉄道の鈴鹿駅からは乗り換えなしに
四日市や津に行くことが出来ますが、
伊勢鉄道の鈴鹿駅の乗降客数は少なく、
一日に500人弱です。

この時も乗降客は少なく、上り線ホームに居た
二人連れの乗客の姿が目につきました。



鈴鹿駅停車中の最後尾からの眺めです。

未電化区間に複線の線路が伸びている光景は
日本ではあまり目にすることが出来ません。


鈴鹿を発車すると再び
のどかな田園風景が広がりました。



名古屋からしばらくはどんよりとした曇り空で
時折、小雪も舞うような天気でしたが、
この辺りから青空ものぞき、
日が差し込んできました。

新しい住宅が建ち並ぶようになり、
車両基地のある玉垣駅を通過しました。



こじんまりとした車両基地ですが、
伊勢鉄道には、この快速「みえ」や
特急「南紀」とJRからの乗り入れ列車が多く、
線内を走る普通列車用としては僅か
4両の車両しか所有していないそうです。

玉垣駅周辺の住宅が途切れると、
車窓右手は緩やかな丘陵地となり
鈴鹿サーキットのスタンドも見えました。



丘陵地帯を抜けると田圃が広がり、
徳田駅を通過しました。

次の中瀬古から単線となり、
車窓右手に丘陵地、左に田圃が
広がる景色を快調に走っていきました。



車窓は青空が広がり
景色も爽やかでした。

交換設備のある河芸駅を通過します。



帰路、上り「みえ」からの様子です。


河芸を過ぎると、車窓右手に集落が見え
その中に大きな屋根のお寺が見えてきました。



高田本山専修寺の門前町、
一身田の町並みです。

田圃の中から紀勢本線の
線路が近づき、合流しました。



紀勢本線の線路と伊勢鉄道の線路が
複線のように寄り添いながら、
近鉄名古屋線をアンダークロスすると
津駅に到着です。


津は、JR紀勢本線と伊勢鉄道、
そして近鉄名古屋線の共同駅です。



近鉄のホームには、この「みえ51号」と同じ
7:50 に名古屋を発車し、鳥羽に向かう
アーバンライナーも停車していました。

快速「みえ51号」は、この津で2分間停車し、
上り特急「ワイドビュー南紀2号」と交換します。



「ワイドビュー南紀」の到着を待ち、
停車中の「みえ」の様子です。


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津 - 多気
(Tsu - Taki)








津駅で2分間停車し、
新宮発の「ワイドビュー南紀2号」の
到着を待って発車しました。



津を発車すると、津の市街地の
西側の縁に沿って走って行きます。



津を発車して、しばらく
近鉄名古屋線と並走します。

近鉄の津新町辺りで、津駅でみかけた
「アーバンライナー」を追い抜きました。



津新町は、津市役所や津の中心街に
近い位置にありますが、近鉄の駅だけで
JRには駅が設けられていません。

こうしたところにも、旧国鉄やJRの
経営努力の無さが見えてきます。

津新町の先で近鉄と別れ、住宅地と
田圃が混在する郊外の景色となりました。

津駅から二つ目の高茶屋で
上り普通列車と交換しました。



JR東海の未電化区間用の
近郊気動車のキハ11です。


この高茶屋を出ると、広々とした
田圃の景色が続きました。



雲出川を渡ると、紀伊半島の中央の山塊の
最高峰・大台ケ原へと続く山々が遠くに見えていました。



冬の青空も広がり胸の透くような景色でした。

この景色を眺めるうちに
次の六軒駅を通過しました。



この写真は上り列車から撮ったものです。

六軒駅の外れの踏切の脇に、
石碑が建っているのを見つけました。



1956年(昭和31年)にこの駅で発生した
六軒事故の慰霊碑と思います。

六軒事故は、名古屋発鳥羽行の快速列車が
注意信号を見落とし駅南側のポイントで脱線、転覆。
そこに反対方向から来た上り列車が
衝突した惨事で42名もの方が亡くなっています。

のどかな車窓風景からは、昔、
そのような惨事があったとは信じられません。


六軒を過ぎると、近鉄の線路をアンダークロスしました。



再び車窓右手遠くに、紀伊半島の中央部の
山塊へと続く山々が見えてきました。



のどかな景色の中、細いレールが
田畑の中から現れました。
松阪と伊勢奥津を結ぶ名松線の線路です。



名松線には30年近く前、1979年の夏に乗りました。
名松線の様子はこちらです。

利用客が少なくなんとか廃止を免れてきた名松線ですが
末端の家城 - 伊勢奥津間が2009年に台風18号の被害で、
不通になり、現在もバスで代行運転されています。

このまま廃止かと危惧していましたが
JR東海が復活の意思を示し、なんとか
存続の目途が立ったようです。


しばらく名松線の線路と並走し、松阪に到着しました。



名古屋から1時間12分掛かっての到着です。
松阪には江戸時代の町並みや松阪城も残り、
この日の帰りに散策してみました。

松阪の様子はこちらです。

松阪を発車すると、しばらく近鉄と並走します。



途中で行きかった近鉄電車です。

近鉄山田線の線路と別れ徳和駅を
過ぎると再びのどかな光景が広がり、
なだらかな丘陵地を抜け、櫛田川を渡りました。



この櫛田川も雲出川と同じように水を満々と湛えていました。
水を湛えた川の流れはあまり見られなくなっているので、
こうした光景も貴重なものだと思います。

櫛田川を渡ると、紀勢本線と参宮線との
分岐駅、多気に到着しました。



多気で上り「みえ4号」と交換しました。
数人の乗客が下車し、のんびりと
改札に向かっていきました。


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多気 - 鳥羽
(Taki - Toba)








多気はJR紀勢本線と参宮線の分岐駅です。
多気駅を発車すると、2つの線路が寄り沿い
紀勢本線の線路が右へと別れていきました。



参宮線に入ると再びのどかな景色になりました。



伊勢の地は、本当に肥沃な土地だと思います。
この景色を眺め、10分程で田丸を通過しました。
田丸は玉城町の中心駅です。



鳥羽からの帰り道に、この田丸で途中下車し、
近くの田丸城に行ってきました。

田丸城の様子はこちらです。

田丸城址は駅からほど近く、
駅の跨線橋から城跡の杜が見えました。




参宮線は多気から伊勢市を通り、
鳥羽へと至る29.1kmの路線です。

参宮線という名前は、伊勢神宮への
参拝客を輸送する為の目的から付いています。

1960年に入り、近鉄が名古屋から鳥羽まで
直通特急を走らせると、単線未電化の参宮線は
競争力を失い、地域輸送を担う
ローカル線へとなっています。


田丸の次の宮川で、
上りの普通列車と交換しました。



参宮線の線路は近鉄山田線とは離れていて、
この田丸や宮川辺りの鉄道路線は参宮線だけですが、
快速「みえ」は田丸や宮川には停車せず、
次の停車駅、伊勢市を目指します。


宮川を出ると程なく、駅名に
なっている宮川を渡りました。



伊勢路で出会う川は、どの川も
ゆったりとした流れです。
こうした川の流れがこの地に
肥沃さをもたらしているのでしょうか。


宮川を渡ると市街地となり、近鉄の線路が
寄り沿い伊勢市駅に到着しました。



伊勢市駅は伊勢神宮の最寄駅です。

伊勢神宮の様子はこちらです。

お正月とあって、車内に残っていた
人の殆どが下車していきました。

伊勢市を発車後の車内の様子です。



残った乗客はごくわずかで、
まるで回送列車の様でした。

伊勢市を出ると、今度は五十鈴川を渡りました。



五十鈴川は伊勢神宮の内宮の脇を流れる川です。
この五十鈴川の様子も、神々しいものでした。

やがて快速「みえ」は二見浦に停車しました。



島式ホームの両側に行き違いの線路が走っています。

この二見浦駅からは、伊勢湾に浮かぶ夫婦岩が近く
正月にかけては多くの観光客で賑わいます。

二見浦を発車すると、トンネルに入り、
山間を抜けると、急に海の景色が広がりました。



池の浦の眺めです。

JR東海は1989年に、ここに
臨時駅の池の浦シーサイドを開業させ、
快速「みえ」も夏に海水浴客用に
臨時停車しています。

快速「みえ」は、海と海の間の
築堤を走っていきました。



車窓の両側に海が広がっていました。
この先で、参宮線は近鉄鳥羽線を
アンダークロスし並走するようになりました。
2階建てのビスターカーがすれ違っていきました。



近鉄と並走しながら、快速「みえ」は
スピードを落とし、終着の鳥羽に到着しました。



鳥羽駅の白地に青い駅舎が爽やかでした。


この日乗車した快速「みえ51号」の
名古屋 - 鳥羽間の所要時間は1時間48分。
評定速度は68.0kmでした。



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