松阪
Matsusaka Japan
松阪は三重県の中部、県都・津の南、
20km程の所にある城下町です。
後に会津若松城を築いた蒲生氏郷が
1588年(天正16年)に松坂城を築いたことから
松阪の町の歴史は始まります。
会津若松城の登城記はこちらです。
伊勢街道も町を通り、宿場もおかれ、
松阪は城下町としてだけでなく
商人の街としても栄えていったようです。
三井財閥の祖となった三井高利も
この松阪の出身です。
今も近鉄山田線、JR紀勢本線が通り、
交通の要衝として栄える松阪の様子を紹介します。
松阪までの快速「みえ」の乗車記はこちらです。
松阪商人の街
(Old town in Matsusaka)
Apr. 23, '11
御城番屋敷周辺
(Gojyoban Yashiki)
NEW ! May 10, '11
松坂城
(Matsusaka Castle.)
May 08, '11
Shane旅日記 日本編に戻る
松阪商人の街
(Old town in Matsusaka)
松阪の古い街並みは、松阪駅から
西北西に約500m程の所にあります。
松坂駅の様子です。
松阪駅前通りを真っ直ぐ歩いて行くと、
左手に小さなお寺が見えてきました。
願證寺です。
真宗高田派のお寺で、親鸞聖人も
このお寺に立ち寄ったことがあるそうです。
願證寺の先に旧伊勢街道と交わる
大きな交差点を左折します。
その先には古風な佇まいの鯛旅館があり、
角向かいには本陣跡の碑が立っていました。
この先には、松阪牛で有名な
和田金のお店もありました。
旧伊勢街道から一歩入った道の佇まいが
良さそうだったので、そちらに足を向けてみました。
小路の先にあったのは継松寺でした。
由緒によると聖武天皇の勅願により行基が
743年(天平15年)に創建した古刹で、
日本最初の厄除観音の霊場です。
継松寺の境内の様子です。
室町時代の普賢菩薩像や江戸時代の書院、
鐘楼、銅燈篭・銅香炉等が今に残っているそうです。
上右の写真に鐘楼が写っています。
思いがけず古いお寺に出会った後は
再び旧伊勢街道に戻りました。
街道に沿って西北の方角を目指すと
三井家発祥の地がありました。
1612年(慶長17年)に三井家の家祖・
三井高利はこの家で生まれたそうです。
三井高利はその後、江戸日本橋で呉服商を構え、
日本を代表する大商人となりました。
東京・日本橋の様子はこちらです。
この三井家発祥の地から更に旧伊勢街道を
進むと豪商・旧小津家がありました。
ここは「松阪商人の家」として公開されています。
小津家の当主は代々清左衛門と称し、
3代目の長広が紙店を開いた事により
その後の繁栄の礎を築いたそうです。
小津家は1755年(宝暦5年)に、
紀州藩の御為替御用を命じられています。
この辺りは道も狭く、江戸時代の
佇まいがよく残されていました。
この「松阪商人の家」から通り一つ西側にも
古い松阪の町並みが残されています。
その小路にある豪商・長谷川家の様子です。
長谷川家は3代正幸が1675年(延宝3年)に
30歳で独立し、江戸で木綿問屋を始めます。
その後、江戸で5つもの店舗を持つ大店になり、
大阪では紀州藩の御為替組御用を勤めたそうです。
長谷川家前の通りの様子です。
この向かいに本居宣長旧宅跡がありました。
松阪出身の国学者・本居宣長が12歳から
亡くなった72歳まで過ごしたところです。
本居宣長は江戸中期の1730年に生まれています。
本居頼長はこの地で、全国からの
500名を超える門人を指導したそうです。
宣長の邸宅の「鈴屋」は保存の為、
松坂城址に移築されています。
御城番屋敷周辺
(Gojyoban Yashiki)
松坂城の裏門の東側に御城番屋敷と呼ばれる
江戸時代からの屋敷群が残っています。
松坂城裏門を出て振り返って眺めた松坂城です。
松坂城の登城記はこちらです。
この裏門を出たすぐ先に生垣に
囲まれた長屋がありました。
この屋敷が御城番屋敷です。
1863年(文久3年)に、松坂城の御城番として赴任した
二十人の紀州藩士の組屋敷として建てられたものです。
通りの両側に二棟の建物があります。
この御城番屋敷は国の重要文化財ですが、
実際に住んでいる方がいらっしゃいます。
西側の建物は修復中でしたが
ここには公開中の家もあったので、
そこが見られずに残念でした。
この御城番屋敷の北側には土蔵がありました。
この土蔵は一説によると松坂城隠居丸にあった
米蔵を移築したものと言われているそうです。
御城番屋敷の中には、紀州藩祖・
徳川頼宣公を祀る南龍神社もありました。
振り返って眺めた御城番屋敷の様子です。
この御城番屋敷を抜けたところに
松阪神社の大きな鳥居がありました。
この神社は古来、意悲神社といい
平安時代以前の創建と伝わる古い神社です。
この先、松阪工業高校の敷地の角に
小さな川が流れていました。
この側溝を流れる小さな川は
江戸時代に松坂城の外堀でした。
堀を切り拓いた土を盛った土居が堀に沿って築かれ、
高さ6m、基盤の幅は15mもあったそうです。
松阪の町と松坂城を散策して駅に戻る途中、
樹敬寺を訪れてみました。
蒲生氏郷が松坂城下建設を行った
1588年(天正16年)にその前身の
松ヶ島城下から移ってきた古刹です。
この樹敬寺には本居宣長のお墓があります。
本堂の脇の通路を抜けた先にある筈なのですが
場所がよく判らずに見逃してしまいました。
多少の見逃しはありましたが、
充実した松阪の散策でした。
駅に近い交差点で見かけた道案内の石碑です。
松阪の町は伊勢神宮に向かう旅人で、
江戸時代には賑わっていたことでしょう。
Shane旅日記 日本編に戻る