Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



近畿日本鉄道 「アーバンライナー」
(近鉄名古屋 - 大阪難波)


Kintetsu "Urban Liner"
(Kintetsu Nagoya - Osaka Namba)







「アーバンライナー」は、
近鉄名古屋 - 大阪難波間を走る
名阪ノンストップ特急の愛称です。
近鉄の名古屋と大阪の間には
1947年(昭和22年)から
特急列車が走っていました。

当時は、名古屋線が1067mmの狭軌で、
標準軌(1435mm)の大阪線との間で
直通運転は出来ず、伊勢中川で
乗り換え運転となっていました。

転機が訪れたのは1959年
(昭和34年)の伊勢湾台風です。
この伊勢湾台風で名古屋線が大被害を受けると、
近鉄は、路線復旧にあわせて、名古屋線を
標準軌への改軌を行うという離れ業を行い、
以来、大阪の中心・大阪難波と名古屋を
結ぶ直通特急を走らせています。




この名阪間の特急は近鉄の看板列車で、
新幹線開業後しばらくは、利用客が減少しましたが
旧国鉄の運賃値上げの影響で、乗客が戻り、
1988年(昭和63年)に「アーバンライナー」が登場し、
最高速度120km、大阪難波 - 近鉄名古屋間を
1時間59分で結ぶと、安さと快適さから
利用客が大幅に伸びました。

現在では、名阪間には近鉄名古屋 - 鶴橋間を
ノンストップの特急と、主要駅に停車する特急の
2本が30分毎に運行されています。

ノンストップ特急には「アーバンライナーPlus」と
「アーバンライナーNext」という専用車両が使われ、
これが「アーバンライナー」という愛称で
広く知られるようになりました。



「アーバンライナー」は6両固定編成で、
名古屋寄りの車両はデラックスカーです。



このデラックスカーは3列シートで、
JRのグリーン車をしのぐ車両なのですが、
料金は410円なのでいつも利用しています。

そんな「アーバンライナー」の
乗車記を紹介します。


近鉄名古屋 - 津
(Kintetsu Nagoya - Tsu)
Aug. 27, '10

津 - 大和八木
(Tsu - Yamato Yagi)
Aug. 30, '10

大和八木 - 大阪難波
(Yamato Yagi - Osaka Namba)
NEW ! Sep. 01, '10




"Urban Liner"のTOPに戻る

近畿日本鉄道のTOPに戻る

民鉄編に戻る


Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない









近鉄名古屋 - 津
(Kintetsu Nagoya - Tsu)








近鉄名古屋駅は、JR名古屋駅の
地下に位置しています。

広い地下駅には5つの発着番線があり、
そのうち、1番線と2番線が特急専用の
ホームになっています。



大阪難波行き 8:00発の「アーバンライナー」は
1番線からの発車でした。

2009年5月2日に乗車した際は
いつものデラックスカーではなく、
大阪難波よりの1号車に乗車しました。

定刻の8:00 丁度にゆっくり発車です。
発車して、狭く暗いトンネルを走りました。



このトンネルを抜けると、右にカーブを切り、
JR関西本線の北側に沿って走るようになります。

車窓右手後方には、名古屋駅の
高層ビルが見えてきました。



この区間の左手には、JR東海の名古屋車両区があり、
特急「ワイドビューひだ」や「ワイドビュー南紀」、
それに快速「みえ」用の車両を見ることが出来ます。

特急「ワイドビューひだ」の乗車記は
こちらです。


黄金、烏森と小さな駅を通過すると
近鉄八田駅の手前で、高架橋に駆け上ります。



上りの「アーバンライナー」と
すれ違いました。

アーバンライナーの運転席の様子です。



運転士さんの向こう側に
JR関西線の線路が見えています。

そのJR関西線をオーバークロスし、
住宅街の間を走っていきます。

この辺りは名古屋南部の低地地帯で、
湖のように水路が広がっていました。



住宅地の合間合間に田圃が広がるようになり
近鉄弥富を過ぎると、木曽川と長良・揖斐川を
長い鉄橋で駆け抜けていきます。

まずは、愛知・三重の県境を流れる
木曽川鉄橋を渡りました。



近鉄の木曽川橋梁のすぐ北側には
JR関西本線の鉄橋が並走しています。

865mの長い鉄橋を渡る終えると
近鉄長島の駅を過ぎ、再び
長い鉄橋を渡ります。



こちらは長さ991.7mの揖斐・長良川橋梁で、
長良川と揖斐川を一跨ぎしています。


滔々と流れる木曽三川を超えると、
左にほぼ90度の大カーブを曲がり、
JR関西本線の線路をオーバークロスして
桑名駅に向かいます。

桑名駅の手前で、養老鉄道の線路が
チラッと、車窓右手に見えました。



JRの駅に併設された桑名を通過し
三岐鉄道北勢線の細い鉄橋をくぐりました。



この写真は、最後尾からの眺めです。
右手に見える線路はJR関西本線です。

近鉄とJR関西本線の線路をまたぐ北勢線は、
近鉄の路線でしたが2003年(平成15年)4月1日に
三岐鉄道に譲渡されています。

三岐鉄道北勢線の乗車記はこちらです。


桑名を過ぎ、再び関西本線をオーバークロスすると
田圃が広がるのどかな景色になりました。



しばらく走ると、住宅が建ちこめ、
車窓右手から三岐鉄道三岐線の
線路が近づいてきました。



JR関西本線の線路をオーバークロスしながら
三岐線の線路が寄りそうに様になり、
近鉄富田駅に進入していきました。

富田は壬申の乱で、大海人皇子が
この付近の海岸に上陸した際に、
白鳥が飛び立ったとされる伝承の地です。

富田の集落を抜けると、のどかな田園地帯の
向こうに遠く鈴鹿山脈が見えてきました。



このあたり、車窓左手には
コンビナートが続いています。

やがてビルが建ち並ぶ様になり、
高架橋を走るようになると、近鉄四日市です。



「アーバンライナー」の走る近鉄名古屋線とJR関西本線は、
名古屋から何度も絡み合うようにほぼ並走していましたが、
この四日市では路線が離れ、近鉄が市街地の中心にあります。


四日市では離れて走っていた二つの線路が
四日市の南で再び交錯します。



大きな化学工場の間を走る
JR関西本線の線路を一跨ぎすると
塩浜地区のコンビナートが
車窓左手に見えてきました。



このコンビナート地帯を抜けると
再び田園地帯が広がります。

再び遠くに鈴鹿山脈が見えてきました。



途中、伊勢若松で鈴鹿線が
車窓右手に分岐していきます。



白子を過ぎると長閑な田園風景が続きます。
その田園風景の向こうに伊勢鉄道の
高架線が見えてくると、津も間近です。



JR紀勢本線と伊勢鉄道の線路を
オーバークロスすると津です。

7:00発の名阪ノンストップ特急は
津にも停車します。

近鉄名古屋から66.5km、
46分で津に到着しました。



津駅はJR紀勢本線との共同駅です。
JRの津駅の片隅に、伊勢鉄道の
1両編成のディーゼルバスが
ポツンと停まっていました。



"Urban Liner"のTOPに戻る




津 - 大和八木
(Tsu - Yamato Yagi)








津を出ると、JR紀勢本線と並走し
津の市街地を抜けて行きます。



名古屋に向かう近鉄特急とすれ違いました。
街中で安曇川を渡り、しばらく走ると
JR紀勢本線の単線の線路が左に分かれ
田園地帯が広がりました。



遠くに青山高原を望み、
田圃が整然と広がる様子は
長閑というよりも、どことなく
厳かな雰囲気を感じました。

この田園風景の中を快調に走り
雲出川を渡りました。



雲出川の鉄橋で上りの
「アーバンライナー」とすれ違いです。


雲出川を渡ると、近鉄名古屋線と大阪線の
接続駅・伊勢中川駅に差し掛かりますが
「ア^バンライナー」はその手前で、
短絡線へと乗り入れました。




上の地図のように、伊勢中川駅では
近鉄名古屋線も大阪線も名古屋や大阪から
伊勢方面にそのまま向かう路線配置になっている為、
この短絡線を通って、方向転換せずに
名古屋から大阪難波に向かいます。



「アーバンライナー」の最後尾からの車窓風景です。
左の単線が短絡線、右の複線が大阪難波から
伊勢に向かう近鉄大阪線の線路です。

この短絡線を走行している間に
先頭の運転席では運転士の
交代が行われています。


短絡線から大阪線に乗り入れると、
再び、田園地帯が広がりました。

車窓左手にJR名松線が並走している
筈ですが、見落としてしまいました。

先ほど渡った雲出川を再び渡ります。



鈴鹿山脈から南へ続く青山高原へと差し掛かり、
トンネルもいくつか抜けるようになります。

この辺りの山間の様子です。



地図で見るとゴルフ場ばかりなのですが、
この景色も神々しい雰囲気でした。

山間にトンネル新設に伴い
廃線となったレール跡が見えました。



急に山深くなり、トンネルが連続します。
トンネルとトンネルの間に、2つのホームに
待避線もある立派な東青山駅を通過しました。



駅のすぐ前に「東青山四季のさと」公園もあり
青山高原へのアクセス駅です。
伊勢中川方面からの普通電車の半数が
この東青山止まりとなって折り返しています。

東青山駅を通過し、全長1,165mの垣内トンネルをくぐり、
すぐに全長5,652mの新青山トンネルに入りました。



新青山トンネルは私鉄最長のトンネルです。
以前はこの区間は山岳区間の隘路で、
単線のトンネルがありましたが、
1971年(昭和46年)に正面衝突事故があり
この新青山トンネルの完成を急いだそうです。

ほぼ東西に真っ直ぐに貫く新青山トンネル。
東から西への片勾配が続き、
遥か遠くに出口が光っていました。


新青山トンネルを抜けると
再びのどかな田園地帯です。



やがて車窓右手に、
伊賀鉄道の鉄橋が見えてきました。



伊賀鉄道は近鉄大阪線の伊賀神戸と
JR関西線の伊賀上野とを結ぶ16.6kmの路線です。

2007年(平成19年)10月に
近鉄から経営移管されています。

忍者のイラストの描かれた伊賀鉄道の
電車が停留する伊賀神戸駅を通過し、
山間の田園地帯が丘陵地が住宅地に変わり、
名張の街を走るようになります。



名張駅手前の車両基地です。
名張は上本町から67.2km離れた駅ですが
大阪市内への通勤客が多く、
多くの通勤電車が走っています。


この名張を過ぎると、再び
のどかな田園地帯を走りました。



このあたりは東西に伸びる谷あいで、
小さな田畑が連なっているのですが
車窓には立派な農家が集まった集落が
次々に現れ、豊かな地域である事を実感します。



やがて車窓右手に、三角形の三輪山が見え、 住宅が増えると桜井です。



桜井はJR和歌山線との共同駅ですが
地平ホームのJRの駅は煤けた感じで
近代的な近鉄の駅とは対照的な雰囲気です。

桜井からは奈良盆地となり、
山間の長閑な景色から一変し
新興住宅も多く近代的な景色となります。

しかし、さすがに奈良盆地だけあって、
三輪山や耳成山も見えてきました。



写真は桜井を通過して
振り返って眺める三輪山(写真左)と
耳成山(写真右)の様子です。



"Urban Liner"のTOPに戻る




大和八木 - 大阪難波
(Yamato Yagi - Osaka Namba)








大和三山の一つ耳成山を眺めるうちに
大和八木を通過しました。



この大和八木は奈良盆地を東西に走る大阪線と
南北に走る橿原線が交わる要衝の駅です。

大阪線と橿原線は大和八木駅で
交差していますが大和八木の西側で、
この2つの路線が連絡線で結ばれています。



大阪線から橿原線に向かう連絡線です。
この線路を使って、京都と伊勢志摩を
結ぶ特急列車が運行されています。

大和八木を過ぎ、再び
住宅地の中を走って行きます。



車窓左手には遠く
葛城山地が見えています。



この葛城山を眺めていると、
二つの峰を持つ二上山が見えてきました。

麓に当麻寺があり、山の頂には
大津皇子のお墓もあり、
古の日本の歴史に登場する山です。



"うつそみの人なる我や明日よりは
二上山(ふたかみやま)を
弟(いろせ)と我(あ)が見む
"

自害した大津皇子を偲び、
姉の大来皇女が詠んだ詩です。


二上山を眺めるうちに山間に入り
大和川を渡り、JR関西本線を
オーバークロスすると、車窓右手に
生駒山地に連なる高安山が見えてきました。



この山々の向こうには信貴山があり、
近鉄信貴線が伸びています。

河内山本で信貴線の線路が見えました。



生駒山系の西側は住宅が密集する
大阪平野となり、近鉄大阪線も
高架となって一気に突き進みます。

住宅密集地の間に、2008年3月15日に開業した
JRおおさか東線の高架橋が見えてきました。



JRおおさか東線の乗車記はこちらです。

住宅密集地のはるか向こうには
大阪駅周辺の高層ビルが
小さく見えていました。



住宅密集地を走るうちに
車窓右手から近鉄奈良線の
高架線が迫ってきました。



合流したところが布施駅で、
一日の利用客が41,000人を数える主要駅です。
大阪線は奈良線のホームの下にホームがあります。



「アーバンライナー」は一番外側の
通過線を疾走していきました。

布施駅の西側で奈良線が大阪線に
並ぶようになり、複々線の線路が続きます。



大阪線の下り線(東行き)を近鉄特急や
「アーバンライナー」が走っていきました。

大阪市営地下鉄今里筋線との
接続駅・今里を過ぎると鶴橋に到着です。



大阪市営地下鉄今里線の乗車記はこちらです。

鶴橋駅はJR大阪環状線との乗り換え駅で
乗降客も多く賑わっていました。

鶴橋駅からも複々線が続きますが
上本町の手前で、地平ホームに向かう線路と
地下ホームへの線路が分かれて行きます。



地平ホームに向への線路は上本町で
行き止まりとなる大阪線の路線です。
地下ホームへの線路は、そのまま地下を走り
大阪難波へと向かう難波線の路線です。

「アーバンライナー」の最後尾から
「伊勢志摩ライナー」が近づいて来て、
上本町駅地平ホームに向かっていきました。



地下に潜ってすぐに上本町駅に着き、
ここから地下鉄のようにトンネルの
中を走って行きました。



上本町から大阪難波までの地下区間は
難波線という路線名になっています。
開業したのは1970年(昭和45年)です。

地下の近鉄日本橋駅を通過すると
やがて前方が明るく輝くようになり、
終着の大阪難波に到着しました。

近鉄名古屋から189.7km、
2時間7分で到着です。



大阪難波駅に到着した
12000系の「アーバンライナー」です。

「アーバンライナー」が停車しているその先も
線路が続き、青い出発信号が灯っていました。



以前は引き上げ線があるだけでしたが
2009年3月20日に、阪神なんば線が開業し、
近鉄電車と阪神電車が相互乗り入れを始めました。

この「アーバンライナー」も阪神なんば線を
一駅走った桜川駅まで、回送されていきます。



"Urban Liner"のTOPに戻る

近畿日本鉄道のTOPに戻る

民鉄編に戻る


Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない