シカゴ川に沿う駅舎はごく普通のビルで、
駅全体は地下にあるので、列車の姿も見えず、
入り口にあるAMTRAKというサインを見逃してしまうと
どこが駅なのか迷ってしまいそうな程です。
しかし、シカゴ川から1ブロック離れて
南北に走っているCanal Streetに面して
博物館と見まがう程立派な建物が建っています。
この建物がChicago Union Stationです。
往時の鉄道がアメリカの交通の
中心だった時代の遺跡の様です。
大理石の建物に入ると、一段低いホールに続く階段があります。
この階段が、映画「アンタッチャブル」で、銃撃戦の最中に
乳母車が転げ落ちた場面に使われたと思います。
そして、階段を降りると広々としたホールに下り立ちました。
ホールの天井はとても高く、その広々とした空間に
ポツンと、いくつかの長椅子が置かれています。
この駅舎が建てられた1925年から60年代にかけて
多くの旅行客が列車の発車を待ったり、
見送りや出迎える為にこのホールに集った事でしょう。
今では広い空間には似つかわしくない、
僅かばかりの人が三々五々
思い思いの時間を過ごしているようです。
ホールの外れに"TO ALL TRAINS"という表示があります。
AMTRAKや郊外列車のMETRAの乗り場は
Canal Streetの下をくぐったこの先にあります。
このシカゴユニオンステーションからAMTRAKの
列車に乗るのは5回目になるのですが、
いつもここからAMTRAKの乗り場に
向かう時は胸がわくわくしてきます。
通路を進み、今のAMTRAKの駅舎に入ると
古いユニオンステーションの駅舎とは異なり
天井が低く、薄暗い雰囲気になります。
それでもこちらは多くの人が行き来し、
活気を感じます。
アメリカの鉄道は往時の輝きを失ったままですが、
このシカゴからはニューヨークやワシントン、
ボストンといった東部への列車と、
サンフランシスコやシアトルへ向かう列車、
更にはニューオリンズや中距離のミシガン州や
ウィスコンシン州、カンザス州への列車が発着し、
ニューヨークのペンステーションと並んで
アメリカの鉄道のメッカになっています。
下の写真はAMTRAKの窓口の様子です。
列車の発車が少ない時間帯なのか
窓口を待つ人の列は短く、
すぐに順番がやってきました。
ここではインターネットで予約した際の
Confirmation(確認書)のコピーを提示し、
乗車券を発行してもらいます。
これから乗るシカゴから翌朝のデンバーまでだけでなく、
翌々日のデンバーから終着のエメリービル、
更にはその後行く予定のヨセミテまでの
チケットも全て発券してもらいました。
また、この窓口では飛行機の様に
荷物のチェックインサービスもあり、
大きな荷物は預ける事が出来ます。
車中で着替えとかが必要なので、
荷物は預けずに持ち歩く事にしました。
これが、これから乗るデンバーまでの
『California Zephyr号』のチケットです。
日付の上に見える"5"という数字は
『California Zephyr号』の列車番号、
そして"0531"というのが車両番号です。
その左側の07が個室寝台の部屋番号です。
寝台車の乗客にはラウンジが用意されていて
このラウンジで発車までのひと時を過ごします。
ソフトドリンクとちょっとした軽食がサービスされています。
列車の発車を示すモニター画面に
水色の『California Zephyr』号の
案内が表示されています。
午後1時を過ぎ、発車時間の50分前に
『California Zephyr号』の乗車案内がありました。
ラウンジ奥の出入り口に『California Zephyr』号の乗客が並び始め、
午後1時15分に、いよいよBoardingの開始です。
係員に引率され、地下の暗いホームを歩いていきます。
目の前に高さが5メートルを越える2階建てのステンレス製の
スーパーライナーという車両が出迎えています。
これが『California Zephyr号』の車両です。
列車の編成は、後ろから座席(コーチ)車が3両、
ラウンジカー、食堂車、そして寝台車が3両。
さらにその前に2両の荷物車が連結され、
先頭には2両の機関車が連結されています。
指定された531号車に乗り込み、
さっそく自分の個室に荷物を置きました。
さて、いよいよこれから、まずはデンバーまでの
1038mile (1670km)、17時間25分の旅の始まりです!
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シカゴからデンバー
from Chicago to Denver
発車の30分以上も前に列車に乗り込み
発車を待っていました。
AMTRAKでは寝台車毎にアテンダントの人がいます。
僕の車両はデビットという50過ぎぐらいの陽気な人で、
挨拶がてらにペットボトルの水を配って各部屋を回っています。
静かに待つうちにいつしか時は経ち、
Emeryville行き『California Zephyr号』は
2007年1月11日午後1時50分、定刻に
シカゴユニオンステーションを発車しました。
広大なヤードの脇を抜け、右にカーブを切り、
シカゴの摩天楼を見ながらゆっくり進んでいきます。
シカゴからデンバーまではイリノイ州からアイオワ州、
ネブラスカ州を通り、途中15の駅に停まり、
デンバーには翌朝7時15分の到着予定です。
途中ネブラスカ州のオマハには午後10時19分着です。
しばらくシカゴ郊外の景色が続きます。
古びたアパートが続き、それが一戸建ての住宅へと変わり、
また街並みが広がりビルが建ち
郊外鉄道のMETRAの駅を通過して行きます。
そんな景色を繰り返しながら、約40分程で
最初の停車駅、Napervilleに到着しました。
シカゴの広い郊外の街並みもこのNapervilleで尽き、
次第に中西部の平原が広がってきました。
この大平原を眺めに、ラウンジカーに向かいました。
列車のほぼ中央に連結されているラウンジカーは、
天井まで窓が続く開放的な構造です。
車両の2階にあるので、線路際の障害物に
邪魔されずに景色を楽しむ事が出来ます。
誰でもが景色を楽しめるフリースペースに
座席が窓に向かうように配置され、
何人かの人が思い思いの時間を過ごしていました。
車窓に広がる中西部の平原。
地平線まで広がる平原が続いています。
広大なアメリカ大陸を今まさに西に向かっています。
明朝到着するデンバーまで、この大平原が続いている筈です。
そう思うと、『California Zephyr号』の走る鉄路も
果てが無いように思えてきます。
ラウンジカーで、しばらくこの景色を眺めているうち、
食堂車の予約を取るとの車内アナウンスが入りました。
寝台車の料金には食事代も含まれていて、
食堂車での食事が楽しめます。
事前に予約を取りに係りの人が各車両を廻るので、
一旦、自分の部屋に戻る事にしました。
個室からも同じ冬枯れの平原の眺めが続いています。
やがて、食堂車の予約を取る係りの人が廻ってきて
午後6時15分に予約を入れました。
予約を入れたので、再び個室を離れ、
今度は列車の最後尾に行って見ました。
最後尾の通路の窓から去り行く線路を眺める為です。
真っ直ぐな線路が地平線まで伸びています。
列車は快調に走るのですが、景色はなかなか変化しません。
緩やかに起伏している大地が続き、
時折線路際に僅かばかりの集落が現れました。
この景色を眺めるうちに、
次第次第に周囲が暗くなってきました。
2時間半ほど走り、シカゴから162mile
(260km)離れたGalesburgに到着しました。
夕方の4時半。駅舎の電灯の灯りが
仄かに周囲を照らしています。
このGalesburgはロサンゼルスへ向かう
『Southwest Chief号』の路線との分岐駅なのですが、
駅の西側に広大な貨物ヤードがあり、
その線路がどれかを見つけることは出来ませんでした。
の一往復だけです。
この他に、ウィンターパーク行の
スキートレインが運行されています。
しばらくするとアナウンスがあり、『California Zephyr号』の
到着は更に遅れ、9時着、9時20分発との事でした。
駅で待っていた人たちは諦め顔で、駅を出て行きます。
多分、朝ご飯でも食べに行ったのでしょう。
僕は、何をすると言う事も無く、
デンバーRTDの路線図やシカゴで入手した
METRAの時刻表などを眺めていたら、
「シカゴから来たの?」と、声をかけられました。
「元々は日本だけど、一昨日シカゴから
California Zephyr号に乗ってデンバーで泊まって。
でも、よくシカゴから来たって判ったね?」
などど、会話が始まりました。
声を掛けてくれたのは、Mack。
以前シカゴに住んでいたそうで、それでMETRAの
時刻表を眺めていた僕を見つけて声を掛けたそうです。
歳は見たところ30歳程。友達のJoeと二人で、
デンバーから211mile (340km)程離れた
Grand Junctionに向かうそうです。
9時をまわり、ようやく乗車開始です。
大きな荷物を持った人たちが
スーパーライナーに乗り込みます。
座席がセットされたコンパートメントの室内です。
列車は結局1時間半遅れの、
9時35分に発車しました。
発車すると、広大な貨物ヤードの向こうに
デンバーの街並みが広がっていました。
心配していたSnow Stormは夜のうちに通り過ぎたのか
晴れ上がって、雪に反射する朝陽が眩しい程です。
個室に鞄を置くと、早速ラウンジカーに向かいました。
ロッキーの眺めを楽しもうという人達で、
ラウンジカーは既に満員状態です。
しばらく走るとデンバー郊外の街並みの向こうに
ロッキーの山々が見えてきました。
今から、あの山に向かって進んでいくんだ、
と思うとワクワクしてきますが、
『California Zephyr号』は何故か
ここでしばらく停車してしまいました。
住宅地も近いのですが、鹿の姿も見られました。
しばらくして動き出し、ロッキー山脈の
裾野の勾配を上り始めました。
あたり一面大雪原で、その向こうに
ロッキーの山々が連なる雄大な景色です。
勾配がきつく列車は右へ左へと何度も
大きくカーブを切りながら上って行きました。
先頭の機関車がよく見えています。
この大きなカーブはBig 10 と呼ばれていて
『California Zephyr号』の見所の一つになっています。
この景色を眺めているうちに、先ほどデンバーの駅で
知り合ったMackとJoeもラウンジに姿を見せました。
Joeはなんでも、コロラド州プエブロにある
鉄道試験線に勤めているそうです。
ここの試験線は、世界一級の鉄道試験線で
日本の試験車両もここで試験を行うケースがあります。
そんなJoeは一眼レフのカメラと共に、
AMTRAKが使っているのと同じ
トランスシーバーを持っていて、
運転士の交信を聞き取ったりしています。
勾配をかなり上り、列車はようやく
ロッキー山脈に取り付いたようです。
車窓間近に山が迫ってきました。
青い空に雪と樹木が映えています。
ラウンジカーの人たちも、皆息を呑む
ような感じで車窓に見入っています。
山が途切れ、広大な原野が現れます。
下の写真は、デンバー方面に果てしなく広がる雪原。
平らに見えますが、これがロッキーの裾野です。
列車はやがてトンネルに入り、急に赤茶けた
ゴツゴツとした岩肌が車窓を過ぎりました。
岩が列車の上に覆いかぶさるように
迫ってきてとても迫力があります。
27つのトンネルが連続すると言うアナウンスがあり、
ラウンジカーでは、トンネルに入る旅に
カウントダウンの声が沸き起こります。
トンネルとトンネルの間には雄大な景色が広がります。
AMTRAKのガイドブックによると
South Boulder Canyonのようです。
この雄大な景色を、Mackがくれた
ビールを飲みながら楽しんでいると
列車は急にスピードを落とし、
停車してしまいました。
圧倒されるほどの雄大な景色の中、
シーンと静まり返る車内。
Joeのトランシーバーでの傍受によると、
ポイントが雪の為に凍結してしまったようです。
窓の外を良く見てみると、日の光に
キラキラと輝いているものが見えます。
多分、ダイヤモンドダストだと思います。
空気中の水蒸気が直接凍り、空気中に漂い、
太陽の日を浴びて輝く現象です。
-30℃程の低温下で発生するそうです。
小さな氷の結晶が光り輝きながら漂う
様子はなんとも言えず、綺麗なものでした。
12:00丁度、30分程停まっていた列車が
ゆっくり動き出しました。
ラウンジカーの乗客から拍手が沸き起こりました。
列車は、いくつもトンネルに入っていくのですが、
停車している間、幾つ目のトンネルか忘れてしまったのか
もうカウントダウンの声は出ませんでした。
車窓右手遠くにGross Reservoirダムが見えてきました。
再び、ロッキーの赤茶けた岩肌が剥き出た山間を走ります。
大きなビルほどの岩山が列車のすぐ近くに現れました。
岩山の車窓はしばらく続きます。
1時間以上もこうした景色が連続しています。
ロッキーの岩山の景色から、深い渓谷の景色となり、
列車は長いトンネルに入りました。
モファット・トンネル (Moffat Tunnel) です。
海抜2816mの高さに掘られたこのトンネルは
1927年に完成し、長さは6.2mile (約10km) 。
分水嶺のトンネルです。
『California Zephyr号』は9分程で
このトンネルを抜けました。
雪山が車窓左手に輝いていました。
やがてスキー場が現れ、
Fraser-Winter Park駅に到着です。
時刻は13;40。約3時間半の遅れです。
Denverから62mile (約100km) を
4時間5分程かけて到着しました。
この駅では、160人ものスキー客が下車したそうです。
『California Zephyr号』の隣には、
Denverに向かうスキートレインが停車中でした。
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フレイザーウィンターパークからソルトレイクシティ
from Frazer-Winter Park to Salt Lake City
Frazer-Winter Park駅を出ると今までの
景色とは異なり雪原が広がっていました。
ちなみに駅のあるFrazerの町は、以前は
全米で、冬期の最低気温を記録していたそうです。
穏やかな景色が続き、40分程で、
次のGranvyに到着しました。
GranvyはRocky Mountain国立公園への玄関口で、
列車からは見えないのですが、駅の北に
Granvy湖も広がっているようです。
Granvyを出ると、再び岩山が迫ってきました。
そしてコロラド川に沿うByers
Canyonに入って行きました。
遥か下流で雄大なグランドキャニュオンを造る
コロラド川もこの辺りでは細い流れで、
狭い渓谷を作っています。
川の流れに沿ってカーブが続き、
列車はスピードを落として走っています。
川面は雪で覆われていました。
Byers Canyonを抜けると、
再び広大な平原が広がりました。
遠くに山が連なり、コロラド川に沿い、
広大な原野を彷徨っているような感じです。
コロラド川に沿って広がる牧場です。
何頭かの馬が雪に埋もれた
草を食べているようでした。
この広大なロッキーの山中にも
確かに人の営みが行われている事に
新鮮な驚きを感じました。
30分程もこの景色が続いたでしょうか。
川幅が広くなったコロラド川が
車窓に迫るように流れてきました。
この眺めも、圧倒される程の雄大な景色です。
広い雪原が尽き、再び深い渓谷に入りました。
Gore Canyonです。
先ほどの大平原が幻だったかのように
切り立った狭い渓谷となりました。
冬の太陽が既に西に傾きかけ、その光が
コロラド川の細い流れに輝いています。
先ほどの滔々としたコロラド川の流れも
細くなっています。
進行方向の反対側を振り返ると、
太陽の光を浴びた谷が輝いていました。
この景色も素晴らしいものでした。
『California Zephyr号』の車窓風景の中でも
特に思い出に残る景色の一つです。
このような素晴らしい景色に巡り合えて、
アメリカ鉄道横断の旅をして
本当に良かったと思いました。
やがて谷が広がり始めました。
山並みの間に雪原が広がろうとしています。
雪と針葉樹だけの白と黒のモノトーンの世界。
冬の厳しさを感じさせる光景でした。
併走する道路もなく、人の手の入っていない
原野が広がっています。
列車に驚いて逃げていく鹿が見えました。
しばらく走ると再び、渓谷に入りました。
Littel Gore Canyonです。
先ほどの渓谷に比べると谷の両側の
崖の傾斜も緩く、谷の長さも短いようです。
上の写真、左手の対岸の崖に
ちょっとした段差がついています。
Joeが教えてくれたのですが、
この段差は、その昔、幌馬車でアメリカ大陸を
横断していた時の道の名残だそうです。
多くの人が幌馬車で西に向かった時、
細く険しいこの谷の向こうに
彼らの夢が輝いていたのでしょうか。
Littel Gore Canyonが尽き、再び原野が広がろうとした時、
コロラド川の上を悠々と飛ぶ2頭の白頭鷲が飛んでいました。
「Eagle !」との声がラウンジカーに上がり、
誰もが車窓に釘付けになっています。
アメリカの国鳥の白頭鷲ですが、アメリカ人でも
殆どその姿を見ることはないそうです。
その後もエルクの姿を見たりしながら
自然のままの姿で流れる
コロラド川に沿って走って行きました。
陽もかなり西に傾き、それまでの見事な車窓風景に
興奮気味だったラウンジカーの人たちも
今はぼんやりと外の景色を眺めています。
コロラド川の作る、緩やかな谷に
沿ってしばらく走っていたのですが、
再び、渓谷を走るようになりました。
赤い岩山がコロラド川にそそり立つ、
その名もRed Canyonです。
この景色を眺めているうちに、
寝台車の乗客から夕食の時間予約を
取り始めるとのアナウンスが入りました。
一旦個室に戻って、予約係りの人が
来るのを待つ事にしました。
時刻は既に午後4時近く。
6時間以上もラウンジカーで移り行く
景色を眺めていた事になります。
下の写真は、個室から眺めたコロラド川の様子。
周囲が夕陽にピンク色に輝き始めています。
午後5時15分からの夕食の予約を入れると
再びラウンジカーに戻って景色を眺める事にしました。
太陽はいよいよ低くなり、
谷間の山陰に沈みかけています。
長いようで短い、『California Zephyr号』での
一日が暮れようとしています。
山の端もピンクに染まり、綺麗な日没になりました。
しばらく車窓から渓谷の様子を眺めるうちに、
5時15分の食事の準備が出来た
というアナウンスが入りました。
ラウンジカーでずっと一緒に景色を眺めていた
MikeとJoeと分かれて、食堂車に向かいます。
食事した後も、ラウンジカーに戻るつもりだったのですが、
夕食時にワインを飲んだせいか、個室に戻ると
いつの間にか、ウトウトしてしまいました。
ふと、気が付くとGrand Junctionの駅に停まっていました。
時刻は午後7時45分。
3時間半の遅れです。
MikeとJoeはこの駅で下りる筈なので、
駅舎まで行って姿を探しました。
駅についてしばらく経っていたせいか
駅舎に人影は少なかったのですが、
Mikeの姿を見かけ、今日一日、
一緒に居てくれたことのお礼と
別れの挨拶をする事が出来ました・・・
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ソルトレイクシティからエメリービル
from Salt Lake City to Emeryville
列車のベットでまどろみ、
ふと目が覚めると朝の5時でした。
夜半にソルトレイクシティは過ぎ、
多分今はネバダ州を走っている筈です。
外はまだ真っ暗で、灯りを消した寝台個室からは
車窓に綺麗な星が見えていました。
三日月も空に浮び、列車の中から
こんな星空が見えるとは思ってもいませんでした。
時折、カーブを曲がった時に、
先頭の機関車のライトが闇に一筋の
光を燈しているのが見えてきます。
やがて次第に東の空が明るくなり、
山の端が赤く染まってきました。
今日もいい天気のようです。
次第次第に空の明るさが増し、
広々とした原野に朝陽が差し込んできました。
2007年1月14日の素晴らしい日の出でした。
6時半を廻り、食堂車へ向かう人の姿を見つけ、
僕も早いうちに朝食を摂る事にしました。
ソルトレイクシティから乗車したRetrickと、
NancyとBillの夫婦と相席になりました。
Retrickは、仕事でこの『California Zephyr号』に乗車していて
Sacramentで下車し、『Coast Starlight号』に乗りついで
シアトルに向かうそうです。
飛行機が駄目で、シアトルへの出張の際は
いつもAMTRAKに乗るとの事。
そういう乗客もいるのか、と知りびっくりしました。
NancyとBillの夫婦はサンフランシスコ観光とのことです。
食事をしている間にElkoに停車しました。
時刻は7時20分。
定刻なら明け方の3時21分に着いている筈なので
依然、4時間程の遅れです。
ゆっくり食事を摂り、8時半頃に個室に戻りました。
いつしか平原が尽き、川に寄り添い渓谷を走ります。
川は半分凍りつき、水蒸気も立ち昇って
外は随分寒そうな様子です。
川の両側に岩山が立ちはだかり、
ロッキー山脈の渓谷にも似たような雰囲気でした。
しかし、間もなく渓谷を抜けると、
再び広大な平原が広がります。
この雄大な景色を見ようとラウンジカーに移動しました。
遠くに雪を抱いた山脈が連なり、
その間には何もない景色が続きます。
ロッキー山脈を走る間は賑わっていたラウンジカーも
この雄大な景色を見渡す事が出来るのに、
あまり人もいなくて静かな感じでした。
雪原の向こうに見えていた山脈が次第に遠ざかり、
また雪も次第に消えて、枯れ草がどこまでも続く
何もない光景が広がってきました。
遥か遠くに山並みが見えますが、あの山までは
何十キロも離れているのではないでしょうか。
砂漠の様な景色の中を列車は
ゆっくりと走って行きます。
雄大景色は変わらないように思えるのですが、
気が付くと、遠くに見えていた山が
次第に近づいてきます。
山肌に「W」の文字が見えてきました。
ラウンジカーにいた70過ぎのおじいさんと
多分90歳に近い二人のお爺さんが話をしていて、
若い方のお爺さんが、「山肌にWの字が見えますよ」と
言っているのですが、90歳に近いと思われるお爺さんは
その字がなかなか見つからず、若い方のお爺さんが
熱心に判りやすく説明している様子が聞こえてきます。
なんだかほのぼのした気分になりました。
そして、その「W」の字が山腹に刻まれた山の麓に
集落が広がり『CaliforniaZephyr号』が停車しました。
Winnemucca駅に到着です。
山い刻まれた「W」の字はWinnemucaの
「W」を描いたものなのでしょうか。
Winnemuccaを4時間半程遅れて発車すると
再び、砂漠の様な原野が広がりました。
車窓左手遠くに雪を被った山脈が見えています。
線路にほぼ沿うように I-80が併走しているようで、
時折、大型トラックがゆっくり走る
『CaliforniaZephyr号』を追い抜いていきます。
しばらく走ると、小さな集落が現れました。
Lovelockという町です。
ラウンジカーにいた女性がこの町の出身らしく、
町に学校が一つしかないこと、
町外れの刑務所で働いていた事などを
問わず語りに話をしています。
ネバダのこの広大な原野の中の町で暮らすのは
想像も出来ないほど、大変な事もあるのでしょう・・・
その女の人が、車窓右手にSnake Riverが
見えるからと教えてくれて、シャッターを押しました。
原野だったところに、一筋の川の流れが見えています。
川の青さが広大な景色に潤いをもたらしてくれました。
この雄大な景色を眺めるうちにお昼を過ぎ
やや遅めの昼食を摂りに食堂車に向かいました。
食堂車では、朝同席になった
NancyとBillの夫婦とまた相席になりました。
2度目なので、日本の事とか
話も弾んで楽しい昼食になりました。
食事を終えて、再びラウンジカーに向かうと
原野の景色は尽き、赤茶けた岩山の間の
渓谷となりました。
渓谷が尽きると、久しぶりに集落が広がり、
Sparksの駅に到着です。
途中で徐行運転を繰り返していた為か
6時間遅れの午後2時40分に到着です。
Sparksの駅の側線にはドームカーと
プルマン社の古い車両が停まっています。
どうやらこの2両の車両を『CaliforniaZephyr号』の
最後尾に連結してEmeryvilleに向かうようです。
のんびり、ゆったりとしたAMTRAKの旅ですが、
この連結作業の為、遅れは更に拡大して
6時間半遅れの午後3時23分に発車しました。
このままの遅れだと、終着のEmeryvilleに
到着するのは午後11時を廻り、
ホテルへの足や、ホテルの予約が
キャンセルされてしまわないか、
不安になってきます。
Sparksから僅か3mile (約4.8km)で
次の停車駅、Renoに到着です。
Renoはカジノの街で、久しぶりに
コンクリートの建物を見ました。
駅も掘割の中にあり、近代的というよりは
ちょっと異様な感じがします。
Renoからは雪山が迫る渓谷を走ります。
定刻であれば朝の9時14分に発車していた筈の
Renoの駅で朝刊が積み込まれ、
各個室に配られていました。
陽は既に傾き、列車の走る谷底には
もう陽が蔭っています。
1時間程渓谷を走り、Truckeeを過ぎると列車は
急に勾配を上り、険しい峠道に差し掛かりました。
遠くの山並みに西陽が当たり、
ピンク色に輝いています。
眼下にDonnerLakeという湖を眺めながら
日没の瞬間を迎えました。
遠くの山の頂だけに僅かに日が差し、
その陽も弱くなり、西の空が赤く輝いてきました。
カリフォルニア州とネバダ州の境に広がる
シェラネバダ山脈越えの景色でした。
ネバダ州とカリフォルニア州の間に
このような険しい山脈があるとは知らず、
素晴らしい景色に巡り合えて、とても良かったです。
日が沈み、暗くなった車窓の中を4〜5時間かけて
後は、終点のEmeryvilleに向かって走ります。
列車が遅れた為に、寝台車の乗客には
特別に夕食がサーブされる事になりました。
嬉しいサービスです。
しばらくすると、「Ladies and Gentlemen、
Boys and Girls! We have a very good News!」
と列車長の嬉しそうなアナウンスが入りました。
「この先は全て複線で、前を走る足の遅い貨物もなく、
我々のCaliforniaZephyr号を邪魔するものはもういません。
従って、これから先の到着時間が判明しました!」
というお知らせです。
列車の大幅な遅れで気を揉んでいたのですが、
このアナウンスには思わず笑ってしまいました。
この案内放送によると、Emeryvilleには
遅れを若干取り戻して、約6時間遅れの
10時40分から45分に到着予定との事でした。
特別サービスの夕食を摂り、個室に戻ってまどろむうちに
『CaliforniaZephyr号』はサンフランシスコ湾に差し掛かる頃でした。