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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



特急「宇和海」
(松山 - 宇和島)

Limited Express "Uwakai"
(Matsuyama - Uwajima)



乗車日:July 27, 2009






特急「宇和海」は、JR四国が運行する特急列車で、
松山から宇和島を結んでいます。

特急「宇和海」は1990年の夏に臨時列車として
初めて登場し、その後1993年3月のダイヤ改正から
松山 - 宇和島間の特急列車として定着しています。



Yahoo Mapを編集・加筆しました。


2012年3月のダイヤ改正では、
上り14本、下り16本が設定されています。

宇和島に発着する一部の列車は、岡山や高松と結んでおり、
これらの列車は岡山発着の列車は特急「しおかぜ」、
高松発着の列車は特急「いしづち」の愛称で運行されています。


この特急「宇和海」に2009年7月に乗車した際の様子を紹介します。
なお、この時には、宇和島から乗車していますので、
乗車したルートに沿って紹介しようと思います。




宇和島 - 八幡浜
(Uwajima - Yawatahama)
Dec. 15, '12


八幡浜 - 内子
(Yawatahama - Uchiko)
Jan. 03, '13


内子 - 松山
(Uchiko - Matsuyama)
NEW ! Jan. 14, '13





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宇和島 - 八幡浜
(Iyo Osu - Uwajima)







2009年7月末に、四国旅行をしました。

この時は、高知城を訪れた後に、
土佐くろしお鉄道の宿毛線に乗車し、
その後、バスで宇和島に向かった後に、
宇和島城と宇和島の街を散策していました。

土佐くろしお鉄道の乗車記は
こちらです。

宿毛から宇和島へのバスの乗車記はこちらです。

宇和島の散策記はこちらです。


その四国旅行の第3日目、朝一番に宇和島駅の
北にある和霊神社を訪れた後に、8:39 発の
特急「宇和島6号」で伊予大洲に向かいました。


宇和海6号は4両編成でした。



通勤時間もひと段落した時間帯に
発車するせいか、車内は空いていました。

先頭車両からの眺めです。



宇和島を定時に発車すると、
宇和島の街を抜け、北を目指して走ります。



宇和島の街の北を流れる須賀川を渡ると、
北宇和島を通過しました。

この北宇和島は、土讃本線の
窪川を結ぶ予土線との接続駅です。



北宇和島駅の構内の外れで、半分錆びついたような
予土線の細い線路が、分岐して行きました。


北宇和島を過ぎると、丘陵地の間を走って行きます。



この丘陵地の景色を眺めるうちに、
いくつかトンネルを抜け、やがて
進行方向左手に海が見えてきました。

列車名になっている「宇和海」です。



宇和海は、四国と九州の間に広がる
豊後水道の愛媛県側の海の呼び名です。

リアス式の海岸が続き、海に面する丘陵地は
愛媛ミカンの産地で、入り江では真珠や
ハマチの養殖が盛んだそうです。

宇和海の入り江の眺めが途絶えると、
伊予吉田駅に停車しました。



伊予吉田は小さな無人駅で、
乗り降りする人も殆どいませんでした。

2009年当時は、朝夕の4往復が停車していましたが、
2011年3月のダイヤ改正で全特急列車が
停車するようになっています。



この伊予吉田は、宇和島藩の伊達氏初代藩主の
伊達秀宗公五男の伊達宗純が3万石で
立藩し、陣屋跡も残っているようです。

その伊予吉田の街並みを抜け、
再び丘陵地の迫る山間を抜けると、
車窓左手遠くに宇和海が見えてきました。



かなり高い位置から宇和海を見下ろし、
やがてトンネルが連続するようになり
宇和海は車窓から遠ざかりました。

長いトンネルを抜けると下宇和を通過しました。



岡山や高松からの特急列車が走る予讃線は
JR四国随一の都市間輸送路線となっており
高速化の為に、一線スルー式という通過列車が
高速で中間駅を通過できる様に設備改善が
行われている駅がありますが、この下宇和は
古い配線のままで、駅の分岐をスピードを
落として進行していきました。

下宇和からは宇和川が寄り添うようになり、
平地が広がってきました。



宇和の街並みが広がると、卯之町に停車しました。
この卯之町では、下りの普通列車との
待ち合わせの為にしばらく停車します。



この卯之町は、江戸時代からの古い街並みが残っていて
是非訪れてみたいところですが、残念ながら、
途中下車出来ずに、先を急ぐ予定になっています。

しばらく停車するうちに、のっそりと
下り普通列車が入線してきました。



この普通列車は、以前は特急に使用されていた
185系という気動車が使われていました。


卯之町を出ると、田圃が広がる
のどかな景色となりました。



以前、予讃線に乗車した際にも、この卯之町周辺の
田園風景はとても記憶に残っていました。

はるか遠くの四国の最西端に近いこの場所で
このようなのどかな景色を眺められる
幸せに浸っていました。

田園風景が広がるなか、伊予石城に停車しました。



伊予石城は小さな駅です。
乗客の扱いはせずに、下りの
特急「宇和海」の通過待ちでした。

停車してしばらくすると、
特急「宇和海」が通過して行きました。


伊予石城を発車すると、
田園地帯から渓谷の景色となりました。



この山間を抜け、丘陵地の合間に
住宅が建ちこめてくると八幡浜に到着しました。



宇和島から34.8kmの距離を37分かけて到着しました。
この区間の評定速度は、56.4km/h でした。



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八幡浜 - 内子
(Yawatahama - Uchiko)







八幡浜を発車した「宇和海」は
しばらく丘陵地の景色を走ります。



小さな分水嶺を越え肘川に沿って走るようになり、
やがて肘川の鉄橋を渡り、車窓右手に
大洲城が見えて来ました。



平成に入ってから復元された
4層の天守が聳える姿が綺麗でした。

鉄橋を渡るとすぐに伊予大洲に到着です。



夏の日差しが照りつけるホームに
僅かばかりの下車客と一緒に降り立ちました。

ここで、途中下車して、大洲城と
伊予大洲の町の散策に向かいました。

大洲城の登城記はこちらです。
大洲の散策記はこちらです。


特急「宇和海」から降り立った
伊予大洲の駅舎の様子です。



夏の陽射しが強い一日でした。

大洲城と伊予大洲の町を2時間程散策し、
再び特急「宇和海」の旅を続けました。



伊予大洲駅に停車中の
特急「宇和海」の前方の眺めです。

伊予大洲では平日の日中でしたが、
10人程の乗車がありました。


伊予大洲から肱川沿いに走ります。
伊予大洲から3km程走った所で
線路が二手に分かれました。

伊予若宮信号場です。



左手に分かれる線路は、元々の予讃線です。
肱川に沿って下った後、伊予長浜から下灘と
伊予灘に沿って走り、松山へと至ります。

右手に分かれる線路は、1986年(昭和61年)に
新しく造られた線路で、それまで内子から
五郎に向かっていた線路を伊予大洲に繋ぎ、
伊予 - 内子 - 伊予大洲を短絡する新線です。

内子線は、それまでは1日に数往復の普通列車が
走る閑散線でしたが、この短絡線の開業によって、
特急列車の走るメインルートとなりました。


特急「宇和海」は、肱川支流の川が刻む
小さな谷に沿って走って行きます。



やがて、高速道路の巨大な
高架橋の下をくぐって行きました。
押しつぶされそうな圧迫感を感じます。

この高架橋を抜けだすと、
新谷の駅を通過しました。



以前は、内子線は普通列車が走るだけの閑散線で、
線路も整備は行き届いていませんでしたが
特急列車が走る路線に昇格した今は、
「宇和海」は快調に走っていきます。

谷も次第に狭くなっていきました。



当時は、狭い谷をカーブを繰り返しながら
走っていたように記憶していますが、
そのカーブも少なくなっているようです。



五十崎駅の先には長いトンネルが
待ち構えていました。

30年ほど前に乗った内子線の
面影が残っていないのは残念ですが、
特急「宇和海」は、そのような感傷に浸る間もなく、
内子駅に差し掛かりました。



内子駅の手前、進行右手から
寄り添ってきた新しい道路です。

地図で調べていると、この道路が
以前の内子線の路線跡の様です。

高架の内子駅に進入しました。



伊予大洲から内子までは、
僅か9分の所要時間でした。

この区間の評定速度は74.7kmになります。
未電化単線区間としては、かなりの駿足です。

内子まで乗って来た上りの特急「宇和海」が、
宇和島行の「宇和海」と行き違いをしました。



この内子駅で途中下車し、街中を散策しました。

内子の散策記はこちらです。

内子駅から眺める内子の町並みの様子です。



途中下車し、高架の内子駅を見上げた様子です。



立派な高架橋の下に、小さな駅舎がありました。

駅前には小さな公園があり、
蒸気機関車が展示されていました。



C12機関車です。
その昔、内子線を走っていた機関車でしょうか。



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内子 - 松山
(Uchiko - Matsuyama)







内子の町を1時間ほど散策し、
再び特急「宇和海」の旅を続けます。

内子の散策記はこちらです。


内子駅にやってきたのは13:50発の
岡山行き特急「しおかぜ22号」です。



松山以西の予讃線の特急列車名は、
松山以東に乗り入れるものを「しおかぜ」と「いしづち」、
松山で運転が打ち切られる列車が「宇和海」です。

厳密には「宇和海」ではありませんが、
車両も同じものなので、「宇和海」として
松山まで紹介します。


内子からは1986年に開業した新しい区間です。
新谷 - 内子間は、地方交通線の「内子線」ですが、
内子から松山方面は幹線の予讃線です。

内子を出ると、長いトンネルが連続します。
トンネルを抜けると山間の伊予立川を通過しました。



狭い谷に高速道路の立派な高架橋も聳えていました。
しばらく、肘川支流の中山川の谷間を進んで行きます。



この辺りは海岸も近いのですが山は深く、
次の伊予中山駅を過ぎると、標高874mの泰皇山を貫く
延長6,012mの犬寄トンネルを抜けて行きます。


トンネルを抜けると深い山から
急に海の広がる景色となりました。



向井原で、伊予大洲から海岸に沿って
下灘を経由した路線と合流するのですが、
あっという間で気が付きませんでした。


内子から16分で伊予市に到着しました。



伊予市で上りの普通列車と行き違いしました。
伊予市では、駅前広場の通りを隔てて
伊予鉄道郡中線の郡中港駅があります。

伊予鉄道郡中線の乗車記はこちらです。


伊予市からは広々とした田園風景の中を走ります。

この日は夏空が広がり、青々とした
稲の海が車窓に続いていました。



やがて、田園風景の向こうに
松山の街並みも見えてきました。

小高い丘に建つ松山城の
天守も小さく見えていました。

松山の散策記はこちらです。
松山城の登城記はこちらです。

松山南部を流れる重信川を渡りました。



この重信川と石手川の合流地点近くに
立派な野球スタジアムが造られています。

この先で石毛川を渡ると住宅地が広がりました。
伊予鉄道郡中線をオーバークロスしました。



いよいよ松山駅も間近です。
単線だった線路が枝分かれし、
留置線が広がっていきます。



珍しく電気機関車の姿が見えると、
松山駅に到着です。



内子から僅か25分の所要時間でした。
この区間の評定速度は90.2km/hにもなりました。



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