松山
Matsuyama, Japan
愛媛県松山市
日本最古の温泉として知られる
道後温泉や正岡子規で有名な街です。
また江戸時代の天守が残る松山城も知られています。
この松山へは、2005年のゴールデンウィーク行ってきました。
松山市内や近郊にいくつもの路線を持つ
伊予鉄道に乗りに行った際に市内観光をしたのです。
松山市内を走る「坊ちゃん列車」の様子です。
伊予鉄道の様子はこちらです。
その後、2009年夏にも訪れています。
この2回の松山訪問での見所を紹介しようと思います。
道後温泉
2005年に訪れた際には前日の夕方、松山に入り
一泊した後、まずは、坊ちゃん列車に乗り、
道後温泉を目指しました。
終点の道後温泉駅は、朝9時を少し過ぎた
頃というのに多くの観光客で賑わっていました。
この建物は伊予鉄道が開業した当時の
駅舎を1986年に復元したもののようです。
駅前広場には、坊ちゃんやマドンナがいて、
坊ちゃん列車をバックに写真を撮ってくれています。
こちらは道後温泉駅停車中の「坊ちゃん列車」です。
夏目漱石の「坊ちゃん」にも出てくる列車ですが、
当時は蒸気機関車だったものを、
ディーゼル機関車で再現したものだそうです。
この道後温泉駅から、歩いてしばらく
行ったところに道後温泉本館がありました。
道後温泉の歴史は3000年にも
及ぶと言われているそうです。
江戸時代初めに松山藩主になった松平定行が
道後温泉の施設の充実化を図り、
その後、今の本館が出来たのは
明治27年(1894年)のことだそうです。
周囲には温泉旅館が立ち並び、
ここも多くの人でごった返していました。
僕は温泉には入らなかったのですが、
又新殿という天皇の入浴用に作られた
湯殿を含めた見学コースもあって、
道後温泉本館の内部を見てきました。
又新殿は豪華な造りで、出入り口も一般用とは
区別されていて、さすがに天皇家用に作られた湯殿です。
そして下の写真は「坊ちゃんの間」です。
夏目漱石も何度かこの道後温泉に足を運び、
この部屋で湯上りのひと時をくつろいだそうです。
湯築城
道後温泉のすぐ南には、道後公園
という市民の憩いの公園があります。
この道後公園は、戦国時代にこの地方を治めていた
河野氏の居城だった湯築城の城跡です。
最寄りの伊予鉄道市内線の
道後温泉停留所付近の様子です。
道後公園には、道後温泉の湧出口で、
奈良時代から使われていた湯釜もありました。
湯築城の遺構としては、土塁や堀が残っています。
外側の土塁の裾には低いながらも石垣が巻かれています。
排水溝も残り、城内がしっかり整備されていた事が判ります。
また発掘調査の結果に基づいて
武家屋敷も復元されていました。
松山城
道後温泉の見学を終えて、
次に松山城に向いました。
松山城は、秀吉子飼いの武将加藤嘉明が
1602年(慶長7年)に築城を開始し、
1627年(寛永4年)に完成をみたお城です。
標高132mの勝山の山の上に築かれた松山城は
伊予15万石の名に恥じない立派なお城です。
この松山城の天守は、1784年に落雷で
焼失したのですが、1854年に再建され、
江戸時代から現存する天守としては
最も新しいものだそうです。
松山城は天守の他にもいくつかの建物も残り、
さらに第二次大戦や放火で失った櫓等を、
1966年(昭和41年)から木造で復元しており、
当時の城郭が残っている全国でも珍しいお城です。
松山城へはリフトに乗って向かいました。
ここから緩やかな坂道を上っていくと、
榎戸門跡に至り、ここからは本丸の
高石垣が目の前に迫っていました。
この高石垣に沿って進むと、
大手門跡の石垣が見えてきました。
大手門から左に折れ、緩やかな坂道を上ると
太鼓櫓が間近に見えるようになってきました。
戸無門、筒井門そして太鼓門を
抜けると本丸へと入ります。
本丸からは天守が見えてきました。
天守閣は小天守や櫓で囲まれ、
より堅牢な防御を敷いています。
小天守とその向こうが南隅櫓です。
そして、低い土塀の右手に一の門があります。
一の門は、天守閣への入口です。
天守からは松山の街が
眼下に広がっていました。
当時のお殿様は、天守閣から
自分の領土が一望に出来たわけですね。
秋の夕暮れに、稲が黄金に実ったところを
遠望した日には、さぞ晩酌が美味しかった
だろうなぁと思いながらこの景色を眺めていました。
天守に上った後、天守閣の
南側にある乾門まで下りていきました。
天守群のある城山(勝山)から
登城路を下ると二之丸跡です。
広い敷地の周りを塀が囲んでいます。
この二之丸跡は庭園が史跡として残され、
大井戸の史跡も見学できます。
愛媛県庁周辺
松山城のある城山の南の麓に愛媛県庁があります。
1929年(昭和4年)に建てられた愛媛県庁本館です。
この愛媛県庁の近くに、いくつか
史跡があったので訪れてみました。
県庁の東に「坂の上の雲ミュージアム」があります。
この周辺は、藩政時代に武家屋敷が
建ち並んでいた事が発掘調査で
明らかになったそうです。
その先に、萬翠荘があります。
その入り口です。
この先に、夏目漱石の、
松山時代の下宿跡がありました。
夏目漱石は、家老屋敷の離れに下宿しています。
「坊ちゃん」の舞台となったのが,この愛松亭です。
夏目漱石の住まいはいくつか訪れています。
東京・白山の様子はこちらです。
熊本の散策記はこちらです。こちらです。
また夏目漱石が海外で暮らした街も訪れています。
Londonの様子はこちらです。
Pitlochryの様子はこちらです。
萬翠荘はこの先にありました。
名前から、古風な茶屋を想像していましたが、
萬翠荘は立派な洋館でした。
この萬翠荘は、松山藩主の子孫の久松定謨伯爵が
1922年(大正11年)に建てたフランス風の建物です。
各界の名士が集う、社交の場だったようです。
この萬翠荘の傍らには、
藩政時代の井戸も残っていました。
この萬翠荘の奥には愚陀佛庵がありました。
この愚陀佛庵は、先ほどの愛松亭の後に
夏目漱石が暮らした下宿です。
結核を病んだ正岡子規もここで、
漱石と一緒に暮らしたそうです。
愚陀佛庵は戦災で焼失したものを
1982年(昭和57年)に復元したものだそうです。
室内には、仄かに灯りが灯され、
とても趣のある建物でしたが、
残念な事に2010年7月の大雨で土砂崩れが発生し、
この愚陀佛庵は全壊してしまいました。