Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



JR東日本 信越本線
(高崎 - 横川、篠ノ井 - 長野、直江津 - 新潟)
JR East, Shinetsu Main Line




撮影: 2010年10月



信越本線は、元々は群馬県の高崎を起点に、
碓氷峠を越え、長野から直江津経由で新潟に至る
営業キロ327.1kmの国鉄を代表する幹線でした。

信越本線は高崎 - 軽井沢間が中山道幹線の一部として建設され、
直江津 - 軽井沢間はその資材運搬用に建設されたそうです。

高崎 - 直江津間が全通したのは1893年(明治26年)の事です。

一方、直江津 - 新潟間は私鉄の北越鉄道が
1897年(明治30年)に春日新田駅 - 鉢崎間の営業を始め、
1904年(明治37年)に初代新潟駅まで営業区間が伸び、
1907年(明治40年)に北越鉄道が国有化されています。



wikipediaの路線図に追記


以降の信越本線は、1931年(昭和6年)に高崎と新潟を直結する
上越線の開業で、その役割を大きく変えていきます。

東京と長野あるいは北陸を結ぶ役割を持つ高崎 - 直江津間と
日本海縦貫線の一躍を担う直江津 - 新潟間とに
路線の性格が大きく分かれていきます。


その信越本線の位置づけが大きく変わったのは
長野新幹線と北陸新幹線の開業です。

1997年(平成9年)に北陸新幹線が長野まで開業すると
上野と長野を結ぶ特急列車が廃止となり、
横川 - 軽井沢間が廃止となり、軽井沢 - 篠ノ井間が
しなの鉄道に移管されてしまいます。

次の転機は、2015年(平成27年)に北陸新幹線が
金沢まで延長開業すると、長野 - 直江津間が
えちごトキめき鉄道に移管されてしまいます。

この結果、上の路線図にあるように、信越本線は
3つの区間に分断され、直江津 - 新潟間に
4往復の特急列車が走るだけになっています。


このJR 信越本線をいくつかの区間に
分けて紹介しようと思います。



高崎 - 横川
Takasaki - Yokokawa



篠ノ井 - 長野
Shinonoi - Nagano
NEW ! Aug. 02, '16


直江津 - 新潟
Naoetsu - Niigata
June 15, '16





信越本線のTOPに戻る

JR編に戻る


Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない






直江津 - 新潟
(Naoetsu - Niigata)




撮影: 2010年10月



2010年10月、新潟を訪れた際、久しぶりに信越本線の
列車に乗って、直江津まで行く機会がありました。

信越本線の直江津と新潟間は1980年代の初めに乗車しています。
上野と新潟を結ぶ特急「とき」には何度か乗りましたが、
長岡 - 直江津間を乗車した事はそれ程多くはありませんでした。

一番最近では、寝台特急「北陸」でしたが、その際は
夜間でしたので、日中の景色を眺めるのは
30年ぶりだったかも知れません。

寝台特急「北陸」の乗車記は
こちらです。


この直江津 - 新潟間を、乗車した終点側の
新潟から途中の長岡で分けて紹介します。



新潟 - 長岡

2010年10月18日、新潟を6:48 に
発車する長岡行の電車に乗りました。


撮影: 2010年10月

まだ明けきっていない新潟駅に停車中の115系電車です。
6両編成でしたが、まだ朝も早い事もあってか
車内はガラガラの状態で発車しました。


撮影: 2010年10月

新潟を発車するとしばらくの間、
新幹線の高架橋の脇を走りました。


撮影: 2010年10月

信越本線は新潟を出ると東に向かいますが、
上越新幹線は、西に向かっています。
新潟から東に延びる新幹線の高架橋は
車両基地への引込線になっています。

発車してすぐに進行方向を南に変えると
車窓左手には白新線が分かれ、線路が
何本も輻輳している様子が眺められます。

やがて車窓には広大な新潟平野が広がりました。


撮影: 2010年10月

東側には五頭連峰の山が連なり、ようやく陽が上り始めています。
西側には遠く、弥彦山が平野の向こうに聳えていました。

この景色を眺めながら、ぼんやりと
列車の揺れに身を任せていました。

早朝の県都・新潟から離れる方向の列車ですが、
越後石山、亀田と停車すると、何人も乗車して来ます。


撮影: 2010年10月

やがて車窓に機関車の姿が見えてきました。
羽越本線や磐越西線との接続駅・新津も間近です。

磐越西線の乗車記はこちらです。


新津は鉄道の要衝で、構内も広く、
留置線には多くの列車が停まっていました。


撮影: 2010年10月

7:05に新津駅に到着しました。


撮影: 2010年10月

かつては夜行寝台特急も停車した長いホームです。
新津ではそこそこ乗車客もあり、
各ボックスに2人ほどの乗車率になりました。


新津からも広々とした新潟平野を走って行きました。


撮影: 2010年10月

次第次第に、乗車する人が多く、通路にも立つ人が現れ
左側の車窓の様子は眺められなくなりました。

新津から4駅目、羽生田駅に停車中の様子です。


撮影: 2010年10月

羽生田の次は加茂ですが、
その手前で廃線跡を見かけました。


撮影: 2010年10月

これは、加茂と五泉を結んでいた蒲原鉄道の廃線跡です。
1985年(昭和60年)に加茂と村松間が廃止になり、
1999年(平成11年)に全廃されています。

1994年に当時残っていた五泉 - 村松間に乗車しましたが
加茂と村松の間も乗っておけば良かったと思います。

蒲原鉄道の乗車記はこちらです。


その加茂に到着した際の様子です。


撮影: 2010年10月

丁度、信越本線の下り列車も到着し
多くの高校生が下車していました。

加茂から2駅目の東三条に到着しました。


撮影: 2010年10月

加茂と、この東三条でも多くの乗客が乗り込み、
通路もぎっしり人で埋まるようになりました。

東三条は弥彦線との接続駅です。


撮影: 2010年10月

発車してしばらくすると、弥彦線の
線路が分かれていきました。

三条の市街地が尽きると再び広大な田園が広がり、
その向こうに弥彦山が聳える光景となります。


撮影: 2010年10月

新津辺りから30分程走っていますが
同じような光景が続いています。


東三条から3駅目の帯織駅に停車中の様子です。


撮影: 2010年10月

当時の時刻表を見てみると、乗車した電車は
この帯織の手前で大阪発新潟行きの急行
「きたぐに」とすれ違うダイヤになっています。

途中ウトウトして見過ごしたのか、撮り損ねたのか
「きたぐに」の様子が写真に残っておらず残念です。
急行「きたぐに」は2012年3月のダイヤ改正で
定期列車として運行が停止されています。


やがて車窓に上越新幹線の高架橋が見えて来ました。


撮影: 2010年10月

久しぶりに車窓に大きな変化があったように思います。
ゆっくり高架橋が近づき、並走する様になります。


撮影: 2010年10月

こうして8:01 長岡駅に到着しました。


撮影: 2010年10月

新潟から 1時間15分の所要時間でした。
新潟から離れる列車でしたが、途中の新津からは
通勤・通学客に良く利用され混み合う列車でした。

ちなみに、長岡駅は江戸時代の長岡城の跡地にあります。

長岡城の登城記はこちらです。




長岡 - 直江津

2010年10月18日、新潟を6:46 発の列車に乗り
長岡で8:06 発の直江津行に乗り換えました。


撮影: 2010年10月

長岡駅に着いたのは4番線。
8:06 発の電車は跨線橋を渡った3番線からの発車です。

新潟からの電車が到着したホームの向かい側の
乗り場は空いていて、そこから接続列車を
発車させる事も可能な筈なのですが、
JRは何故かそういう配慮をしてくれません。

それ以上に、問題なのが、長岡を通り越して
列車に乗ろうとすると30分から一時間近くも
待たないといけないケースが良くあります。

こうした不便なダイヤは早く見直しして欲しいものです。


長岡で乗り換えた列車の車内の様子です。


撮影: 2010年10月

高校生の姿が多く、
席の半分が埋まっていました。

長岡を発車し、次の宮内駅に到着しました。


撮影: 2010年10月

長野との県境にも近い新井発の
快速「くびき野」とすれ違いました。

宮内は上越線との接続駅です。


撮影: 2010年10月

宮内を発車すると、上越線が左に分岐していきました。
以前、特急「とき」が駆け抜けた線路ですが、
今では18往復の普通列車が走るのみです。
この先で信濃川を渡りました。


撮影: 2010年10月

信濃川を渡ると来迎寺です。


撮影: 2010年10月

来迎寺は以前、魚沼線との接続駅でした。
魚沼線は1984年(昭和59年)に廃止になっています。
来迎寺駅到着前に、廃線跡を確認する事が出来ました。


来迎寺を過ぎると東頸城山地に入っていきます。
進行方向を南に変え、信濃川の支流の
渋海川の谷に沿って走りました。

次の越後岩塚では駅の東側に
立派な神社の社殿が見えていました。


撮影: 2010年10月

調べてみると宝徳山稲荷大社です。
縄文時代から続く古い神社です。

この先で、渋海川の谷間は霧が掛かってきました。


撮影: 2010年10月

次第に山間の景色となり、東頸城山地を
トンネルで越え、越後広田に到着しました。


撮影: 2010年10月

平地が広がるようになり、北条を過ぎると
進行方向を西へと変えました。

車窓左手遠くに高い山が見えて来ました。


撮影: 2010年10月

標高993mの米山と思います。
この米山の姿を眺めるうちに柏崎に到着しました。


撮影: 2010年10月

長岡から36.7km、新潟からは丁度100.0kmの距離です。
通学の高校生もいつしか下車していて
車内はひっそりしてしまいました。


柏崎を発車し、次の鯨波から
日本海に沿って走るようになりました。


撮影: 2010年10月

米山の山塊が海に落ち込む地形になっているので
鉄道は日本海の海岸ギリギリに敷設されたのです。

信越本線は、岬の基部はトンネルで越えて行きますが
以前は、忠実に地形に沿って海岸を走っていたようで、
廃線跡の線路も眺める事が出来ました。


撮影: 2010年10月

この先で青梅川駅に到着しました。


撮影: 2010年10月

下り線のホームが海に面していて
海に最も近い駅として知られています。

この駅から眺める夕焼けの光景も
素晴らしいそうです。

青海川を発車しても、ずっと日本海に沿って走ります。


撮影: 2010年10月

鯨波から柿崎まで、5駅分、15kmもの距離になります。

以前も何度か乗った事はありますが、
信越本線が、これ程まで日本海に沿って
走ってたとは、この時初めて実感しました。


しばらく窓を開け、日本海を眺めていましたが、
柿崎駅の辺りから海岸線から離れ、
松林が広がるようになりました。

上下浜駅に停車中の様子です。


撮影: 2010年10月

2駅先の土底浜駅まで車窓
右手には松林が広がっていました。


撮影: 2010年10月

土底浜の次の停車駅が犀潟です。


撮影: 2010年10月

この犀潟駅は上越線の六日町とを結ぶ
北越急行 ほくほく線との接続駅です。

北陸新幹線が金沢に延伸される以前は、越後湯沢と金沢を
結ぶ特急「はくたか」が高頻度で走っていた線区です。
犀潟からは火力発電所や車窓に工場が見られる
ようになり、また広大な操車場の脇を走りました。


関川を渡ると、この電車の終点・直江津に到着しました。


撮影: 2010年10月

当時は、北陸本線との接続駅でしたが、
北陸新幹線が金沢まで延長開業した現在では、
富山方面、長野方面とも越後トキめき鉄道の
路線との接続となっています。


信越本線のTOPに戻る




篠ノ井 - 長野
(Shinonoi - Nagano)








かつては高崎から長野を経由して新潟に至る国鉄の
幹線だった信越本線は、北陸新幹線の開業によって
第三セクター化され、3つの区間に分かれています。

このうち篠ノ井 - 長野間は、北陸新幹線の長野開業後も
第三セクター化されずにJRが運行を続けています。


この区間は、その特急「ワイドビューしなの」で何度も乗りました。
2011年10月に、松代を訪れた際に、「ワイドビューしなの」に
乗って、篠ノ井駅に到着する際の様子です。


撮影: 2011年10月

篠ノ井線と軽井沢方面からの しなの鉄道が合流する接続駅で、
2006年までは貨物取り扱いを行っていた為か、
いまも構内にはいくつもの線路が敷かれています。

特急「ワイドビューしなの」の乗車記はこちらです。
篠ノ井線の乗車記はこちらです。
しなの鉄道の乗車記はこちらです。

篠ノ井に到着した特急「ワイドビューしなの」です。


撮影: 2011年10月

この時は、183系特急用車両の回送列車も停車していました。
篠ノ井駅を発車した直後の様子です。


撮影: 2015年5月

篠ノ井駅は北陸新幹線が並走し、駅舎は
新幹線の線路の上に設けられています。

その様子を眺め、篠ノ井からは北陸新幹線と並走しました。
新幹線の高架橋の橋脚の向こうに川中島の景色が見えています。


撮影: 2015年5月

篠ノ井の次の今井駅は1997年に開業した比較的新しい駅です。
うまく写真に撮れませんでしたが、長野オリンピックの際の
選手村を活用した団地が駅前に建ち並んでいました。

進行方向の右手はのどかな景色が広がっています。


撮影: 2015年5月

この先で犀川を渡りました。


撮影: 2016年9月

犀川はこの下流で千曲川と合流し、
信濃川となって新潟で日本海に注ぎます。

犀川を渡ると周囲に宅地も増え、安茂里駅を通過しました。


撮影: 2015年5月

この安茂里も1985年に開業した新しい駅です。
JR化以降、長野近郊にはいくつも駅が設けられ
利便性を向上させているようです。

この先で裾花川を渡るといよいよ長野の市街地です。


撮影: 2015年5月

進行左手には北陸新幹線の車両も
見えてくると長野駅に到着です。


撮影: 2015年5月

長野駅に到着した「ワイドビューしなの」です。


撮影: 2015年5月

この篠ノ井 - 長野間は、北陸新幹線が長野まで開業した際にも
JRのまま運営がなされていますが、上田方面からしなの鉄道に
乗って長野に向かう乗客は2つの鉄道会社を跨いで利用する事に
なる為に割高の運賃を払う事になっています。

この区間はしなの鉄道が第二種鉄道業者となれば
篠ノ井 - 長野間は、JR・しなの鉄道とも運賃は
他の自社区間との通しでの金額となります。
利用者への便宜を図る様に出来ないものでしょうか。

しなの鉄道が運営している長野 - 豊野間も同じように
JRが第二種鉄道事業者になれば、長野を通り過ぎて
乗り継ぐ乗客にも便利になると思います。

しなの鉄道の乗車記はこちらです。




信越本線のTOPに戻る

JR編に戻る


Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない