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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない

JR九州 / 肥薩線
JR Kyushu / Hisatsu Line

肥薩線は鹿児島本線の八代から人吉を経由し、九州の尾根に
あたる山岳地帯を貫き、日豊本線の隼人に至る路線です。
営業キロは124.2kmです。

肥薩線は、元々門司港と鹿児島を結ぶ
鹿児島本線として建設が進められていました。

1903年(明治36年)に隼人 - 吉松間が開業しています。
その後、八代 - 人吉間が1908年(明治41年)、残る
人吉 - 吉松間が翌1909年(明治42年)に開業し、
鹿児島本線が全通しています。

1927年に八代から水俣、出水そして川内を経由する
海岸沿いの路線が開業すると、八代 - 隼人間が
肥薩線という路線として独立します。

線名に"薩"の字が付きますが、薩摩藩の領地は
通りますが、旧国名の薩摩は通っていません。

肥薩線は風光明媚な路線として知られています。
そのハイライトは、人吉 - 吉松間の山岳地帯で、
日本三大車窓風景の一つとして知られています。

また通過線のないスイッチバック駅がループ線の
途中にあるなど、鉄道ファンにも人気の路線です。

その肥薩線に2011年5月に久しぶりに乗車しました。
その際の様子を紹介します。

隼人 - 吉松
Hayato - Yoshimatsu
Uploaded: Sep. 28, '18

吉松 - 人吉
Yoshimatsu - Hitoyoshi
Uploaded: Mar. 27, '19

人吉 - 八代
Hitoyoshi - Yatsushiro
NEW ! July. 27, '19

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隼人 - 吉松
Hayato - Yoshmatsu


2011年5月2日、前日に指宿枕崎線の観光列車
「指宿のたまて箱」で指宿から鹿児島に向かい、
鹿児島城を訪れた後、隼人に泊まりました。

翌朝、少々早起きして隼人駅に向かいました。
朝の隼人駅の様子です。


撮影: 2011年5月

肥薩線のホームは朝の爽やかな空気に満ちていました。
乗車したのは隼人発 7:06 の吉松行です。


撮影: 2011年5月

隣のホームには隣の国分発鹿児島中央行の特急
「きりしま81号」を待つ乗客がいました。

走行距離の短い通勤特急ですが、多くの乗客が待っていて
乗車率が高いと思ったのですが、時刻表を見てみると、
この列車の前後の普通列車の運転間隔が1時間も
空いていて、その間の利用者はこの特急に
乗らざるを得ないダイヤになっていました。

吉松行の普通列車は2両編成の気動車でした。


撮影: 2011年5月

7:06 定時に隼人を発車し、日豊本線と別れ、
しばらく平地を走ります。


撮影: 2011年5月

しかしほどなく山間へと入って行きました。
沿線の人口も少なく、思いがけない程の
山間の車窓風景です。


撮影: 2011年5月

しかし、地図でみるとこの西、2km程の所に
鹿児島空港があるのですが、とても
そんな広大な平地があるとは思えません。

山間の表木山駅です。


撮影: 2011年5月

鹿児島空港への最寄り駅ですが、そのアクセスは
担っておらず、小さな待合があるだけの無人駅です。

表木山駅を発車した後の車内の様子です。


撮影: 2011年5月

高校生の利用客が多く、
座席がほぼ埋まった状態でした。

こちらは次の中福良駅の様子です。
近くの小学校に通う子でしょうか。
小学生も下車していきました。


撮影: 2011年5月

中福良の次は嘉例川です。


撮影: 2011年5月

1903年(明治36年)開業以来の駅舎が残り、
国の登録有形文化財に指定されています。


撮影: 2011年5月

嘉例川には特急「はやとの風」が停車します。
この嘉例川で多くの高校生が乗車しました。


撮影: 2011年5月

嘉例川を出ると、平地が広がる景色となりました。
田植え前の田圃の様子です。


撮影: 2011年5月

こうして、霧島温泉に到着しました。
時刻は 7:38。隼人から32分で到着です。


撮影: 2011年5月

霧島温泉は隼人 - 吉松間では要衝の駅です。
以前は、霧島西口という駅名でしたが、
2003年(平成15年)に改名しています。

霧島山の麓に点在する温泉群からは離れていますが、
地図で見ると、駅の西側にも温泉があります。

この霧島温泉で高校生がすべて下車し、
車内にはほぼ無人の状態となりました。


撮影: 2011年5月

霧島温泉からも、のどかな景色の中を走りました。


撮影: 2011年5月

そんなのどかな景色を眺めていると、
立派な高速道路の橋脚が現れました。


撮影: 2011年5月

いつもこうした高速道路を眺めるたびに思うのですが
この道路の建設費や維持費の何十分の一のお金で
並走する鉄道路線の利便性が大幅に改善する筈で、
ましてや道路ばかり便利になり、鉄道が廃止される
という愚策も起きないと思います。

大隅横川に到着しました。


撮影: 2011年5月

この大隅横川の駅舎も1903年の開業以来のもので、
国の登録有形文化財に指定されています。

大隅横川では下り列車と交換しました。
高速道路の高架橋をバックに、去り行く
気動車の様子がなんとも言えない光景でした。


撮影: 2011年5月

大隅横川から山間の景色を走り抜けると、
広々とした光景が広がってきました。


撮影: 2011年5月

しばらくすると赤茶けた山野線の
廃線跡も並走するようになりました。


撮影: 2011年5月

山野線は水俣から肥薩線の栗野を結ぶ
55.7kmの路線でしたが、国鉄分割民営から
1年も経たない1988年2月に廃止されています。

山野線との分岐駅だった栗野駅に到着しました。


撮影: 2011年5月

もう何十年前だったか記憶も薄れていますが、
山野線に乗った際には列車の接続が悪く、
この栗野駅で時間を潰したことがあります。

当時は駅員もおり、鉄道の要衝のような佇まいの
栗野駅でしたが、今では無人化され、立派だった
駅舎は改札部分以外は立ち入り出来ないように
柵で覆われ、廃屋のような雰囲気になっていました。

寂れきった栗野駅の様子を知り、寂しい
思いをしながら次の吉松を目指します。


撮影: 2011年5月

素晴らしい景色が、いつも以上に心に染みました。

隼人を 7:06 に発車した列車は、
8:09 に終点の吉松に到着しました。


撮影: 2011年5月

僅かな乗客が下車しました。

吉松は隼人から37.4kmの距離にあります。
評定速度は 34.0km/h。
立派な高速道路が出来てしまっては、
車との競争には勝てない状況です。

吉松は都城へ向かう吉都線との分岐駅です。


撮影: 2011年5月

この吉松も鉄道の要衝駅です。

かつては博多と宮崎を結ぶ特急「おおよど」や
急行「えびの」が停車して賑わいもみせていた
と思いますが、これらの優等列車は廃止され、
吉都線の乗客数も大幅に減少し、
廃止が取りざたされています。

跨線橋から眺める隼人からの列車です。


撮影: 2011年5月

吉松から列車を乗り継いで人吉に向かうのですが、
次の列車は、約1時間後の 9:06 発です。


撮影: 2011年5月

一旦、駅舎を出てみました。

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吉松 - 人吉
Yoshmatsu - Hitoyoshi


隼人から肥薩線の列車に乗って、吉松まで
やってきましたが、人吉方面に行くには、
吉松で1時間程の待ち時間がありました。

途中下車し、吉松駅周辺を歩いてみましたが
駅前に蒸気機関車が置かれているばかりでした。

C55機関車は旅客列車牽引用として、北海道から
九州に至る全国各地で活躍した蒸気機関車です。


撮影: 2011年5月

このC55 52号機は、1937年3月に製造され、
当初は山陽本線で活躍した後、九州各地を
渡り歩き、1972年に現役を引退しています。

他に時間を潰すところもなく、ホームに戻ると
人吉行きの列車は既にホームに入っていました。


撮影: 2011年5月

キハ31系気動車の単行列車です。
発車時間まで45分近くありました。
しばらく無人の車内で発車時間を待ちました。


撮影: 2011年5月

キハ31系の車内の様子です。
2 X 1 列の転換クロスシートが並んでいました。

先頭部から人吉方向を眺めた様子です。


撮影: 2011年5月

今は、肥薩線も接続する吉都線も閑散路線に
なってしまっていますが、かつては博多と
宮崎を結ぶ特急「おおよど」も走っていました。


撮影: 2011年5月

運転士席に掲げられていた時刻表によると
35km先の人吉までおよそ1時間掛けて走ります。

吉都線の列車の到着を待ち、
定刻に吉松駅を発車しました。
乗客は10人程でしたが、その大多数は
鉄道ファンと思しき人でした。

発車直後の眺めです。
右手は吉都線の線路です。


撮影: 2011年5月

吉松からは、九州の背骨を形作っている
九州山地を横切る山岳路線になります。
山間の急勾配を上って行きました。


撮影: 2011年5月

時折、木々の間から麓の景色が
広がるようになりました。


撮影: 2011年5月

山間の景色が続くうち、いくつかの
線路が分岐しているのが見えてきました。


撮影: 2011年5月

今まで走ってきた線路は行き止まりとなり、
列車は引き返し、駅に停車しました。


撮影: 2011年5月

真幸駅です。
真幸駅は、スイッチバック駅です。

スイッチバック駅は蒸気機関車が主役だった時代、
勾配区間に停車すると発車する事が困難となる為、
勾配区間の本線を横切るように平坦な線路を設け、
その平坦な線路に駅を設けたものです。


撮影: 2011年5月

かつては全国でいくつもあったスイッチバック駅も
気動車化や電化に伴い、勾配区間にホームを
設けるように改修されたり、駅そのものが
廃止されたりして数が減ってきています。

しかも、他のスイッチバック駅は、その駅に停車する
必要のない優等列車や貨物列車には、駅に寄らずに
そのまま本線を直進できる様、通過線と呼ばれる
線路が設けられている事が多いのですが、この
真幸駅ではその通過線のない珍しい構造です。


撮影: 2011年5月

真幸駅を発車後、再びスイッチバックを行い、
本線に戻って次の矢岳を目指して走り出すと
進行右手下に真幸駅がよく見えてきました。
スイッチバックの構造が一目瞭然です。

ホームで、写真を撮っている若者の姿が印象的でした。
かつては、博多や熊本と宮崎を結ぶ特急「おおよど」や
急行「えびの」がこの真幸駅に立ち寄って進行方向を
変えていたかと思うと、更に感慨が深まります。

真幸から再び勾配を登っていきます。


撮影: 2011年5月

トンネルを抜け、木々が途絶えると、
雄大な景色が広がりました。

生憎、霞んでいて遠くの視界は良くなかったのですが、
この眺めが日本三大車窓風景の一つ、矢岳の眺めです。


撮影: 2011年5月

良く晴れていると、手前の平地の向こうに聳える
霧島岳、桜島そして薩摩半島の先端にある開聞岳
迄もが一望に見渡せるそうです。

この先の矢岳駅に到着しました。


撮影: 2011年5月

標高は536.9mで、肥薩線で
最も高い位置にある駅です。


撮影: 2011年5月

周囲には集落も見当たらず、古いままの駅舎が、
時代に取り残されてしまった肥薩線の
歴史を物語っていました。

矢岳を過ぎると肥薩線は下り勾配となり、時折
耕地や人家が現れる高原のようなところを走りました。


撮影: 2011年5月

のどかな耕作地の景色と、深い森の景色が交互に現れた後、
肥薩線の線路が大きく右に曲がりだしました。


撮影: 2011年5月

右に弧を描いて下り続けるこの線形は、大畑駅のループ線です。

肥薩線の人吉 - 吉松間の九州山地越えの地形は厳しく
勾配に弱い蒸気機関車の時代に標高差を稼ぐには、
スイッチバックだけでなくループ線が必要でした。

大畑駅は日本で唯一、ループ線の途中に
設けられたスイッチバック駅です。


撮影: 2011年5月

大畑駅の手前では、ループを下った人吉へと向かう線路を
跨ぐので、車窓からその線路が見えないか、と注意して
いましたが、その線路は見つけられませんでした。

上の写真をよく見ると、線路脇に立つ通信ケーブル用の
電柱が並んでいるので、それがそうなのかな、と思います。

やがて、線路の分岐が現れました。
直進する線路はこの先でトンネルに吸い込まれ、その上の
山の中腹には、先ほど通った線路が横切っているのが判ります。


撮影: 2011年5月

ここがループ線に設けられた大畑スイッチバック駅です。
ポイントを直進した吉松からの列車は、一旦停止し
今度は後方へと折り返し、大畑駅のホームに向かいます。


撮影: 2011年5月

大畑駅舎と停車中のキハ31系気動車です。
立派な駅舎ですが、乗降する人はおらず
ひっそりと佇んでいます。


撮影: 2011年5月

人吉から勾配を上ってきた蒸気機関車の給水の為に
設けられた駅との事で、最寄りの集落までは
歩いて一時間もかかるそうです。

2018年には駅構内にレストランが開業しているそうです。

大畑駅で再び折り返し、人吉へ向かいました。
駅構内を外れたあたりの様子です。


撮影: 2011年5月

一番右手の線路が矢岳から下ってきた線路で、真ん中の
線路がスイッチバックして大畑駅のホームに向かう線路です。
そして左側が大畑駅のホームから人吉へと下る線路になります。


撮影: 2011年5月

大畑からは下り勾配を順調に下って行きました。
標高も下がり、周囲の展望も開けなくなっています。
やがて耕地が広がり、麓まで下りてきた事を感じます。

地図でみると大畑からは丘陵地の尾根を通って来たようです。

やがて球磨川を渡り、人吉の市街地を走る様になりました。


撮影: 2011年5月

鉄橋を渡るとすぐに「くまがわ鉄道」の
線路が寄り添うようになりました。

くまがわ鉄道の乗車記は
こちらです。


撮影: 2011年5月

くまがわ鉄道には、相良藩願成寺のホームがありますが、
肥薩線にはホームは無く、接続駅にはなっていません。
しばらく、くまがわ鉄道の線路と並走し、その後
くまがわ鉄道の線路と合流しました。


撮影: 2011年5月

こうして、10:03定刻に人吉に到着しました。


撮影: 2011年5月

人吉駅には、10:09発の熊本行「九州横断特急」と、
肥薩線の人吉 - 吉松間を走る観光列車
「いさぶろう・しんぺい号」がホームに停車していました。


撮影: 2011年5月

昭和の雰囲気を残す人吉駅のホームには
これまた懐かしい駅弁売りの人の姿もありました。

人家の少ない山岳路線を走って来た後では、
人吉駅の賑わいは、都会の雰囲気のようにも
感じられました。


撮影: 2011年5月

人吉駅の駅舎は城郭検知器を模したような
堂々としたもので、駅舎内もレトロな雰囲気でした。

人吉では、くまがわ鉄道の乗車と、人吉城や
人吉の街の散策を楽しみました。


くまがわ鉄道の乗車記はこちらです。
人吉の街の散策の様子はこちらです。
人吉城の登城記はこちらです。

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人吉 - 八代
Hitoyoshi - Yatsushiro


2011年5月3日、前日に隼人から人吉に向かい、
くまがわ鉄道の乗車や人吉の散策をした後に
人吉で泊まり、この日に八代まで乗車しました。


くまがわ鉄道の乗車記はこちらです。
人吉の街の散策の様子はこちらです。
人吉城の登城記はこちらです。

人吉駅の改札口には、温泉旅館のような
暖簾が掛かっていました。


撮影: 2011年5月

7:37 発の八代行普通列車に乗りました。


撮影: 2011年5月

熊本や八代と人吉の間は、特急や観光列車も
走っていますが、空いている休日の早朝の
普通列車に乗るのも、景色を独り占め出来て
なかなかいいものです。

人吉を発車直後の駅構内です。
かつての留置線は空き地になっていますが
古い機関車庫は残っているようでした。


撮影: 2011年5月

この日はどんよりとした天気で
雲も暑く垂れこめていました。

しばらく人吉盆地の平凡な景色の中を走りました。
二つ目の渡駅の様子です。


撮影: 2011年5月

球磨川急流下り下車駅の看板もありました。
人吉の街を散策していた際、人吉城址を望む場所に
乗船場があり、温泉町までの川下りがありましたが、
それ以外にも、渡駅からの川下りもあるのでしょうか。

渡駅を発車し、しばらくすると球磨川を渡ります。


撮影: 2011年5月

この鉄橋を渡った後、肥薩線は
球磨川に沿って下っていきます。
鉄橋から眺める球磨川の流れです。


撮影: 2011年5月

次の那良口駅の様子です。


撮影: 2011年5月

ここから球磨川は大きく蛇行していきます。


撮影: 2011年5月

次の一勝地で、下りの普通列車と交換しました。
一勝地は、渡駅や下流の坂本駅と並び、
特急停車駅になっています。


撮影: 2011年5月

同じような景色が続き、次の球泉洞に到着しました。


撮影: 2011年5月

球泉洞からも深く切れ込んだ谷間を走り、
車窓右手に球磨川が流れています。


撮影: 2011年5月

球磨川は、最上川、富士川と並び日本
三大急流として知られているようです。
今は昔に比べ水量が減ってしまっている
筈なので、穏やかな流れに見えますが、
以前は、山間の狭い隘路を流れる川は、
船の航行を難しくさせていたのでしょうか。

白石駅の重厚な駅舎です。
白石駅はSL・人吉号の停車駅ですが、
SLとこの駅舎は良く似合う事と思います。


撮影: 2011年5月

山と球磨川に挟まれた狭い平地に駅が築かれ、
集落は駅から500m程離れたところにあるようです。

白石を出ると、球磨川は豊富な水を湛え、
流れがなくなってしまいました。


撮影: 2011年5月

次の吉尾の様子です。


撮影: 2011年5月

崖の下に、小さな片面ホームがある小駅です。
吉尾からも同じように、水を湛えた
球磨川に沿って走りました。


撮影: 2011年5月

地図で見ると、この辺りのすぐ西側を
九州新幹線が走っていますが、山間を
トンネルで抜ける九州新幹線は
車窓からは見えませんでした。

次の海路駅に到着しました。
吉尾駅と同様に崖際に片面ホームの駅です。


撮影: 2011年5月

海路を発車し、しばらく走ると、
ダムが見えてきました。


撮影: 2011年5月

白石辺りから水を湛えていた球磨川を
堰き止めていた瀬戸石ダムです。

瀬戸石で、再び下り列車と行き違いをしました。


撮影: 2011年5月

瀬戸石を出ると、球磨川を渡りました。
人吉からは2度目の球磨川に架かる
鉄橋を渡った事になります。


撮影: 2011年5月

谷が広くなったような感じがしますが、
同じような渓谷の景色が続いていました。


撮影: 2011年5月

特急停車駅の坂本を過ぎると、
九州新幹線のコンクリート橋をくぐります。


撮影: 2011年5月

この先では、肥薩オレンジ鉄道の鉄橋をくぐりました。

肥薩オレンジ鉄道の乗車記はこちらです。


撮影: 2011年5月

かつて特急「有明」や、寝台特急「はやぶさ」や
「明星」、「あかつき」が走っていた鉄橋も
九州新幹線が開業して以降は、肥薩オレンジ鉄道の
気動車と貨物列車が走るだけとなっています。

かつての特急「有明」の乗車記はこちらです。
肥薩オレンジ鉄道の乗車記はこちらです。

肥薩線の線路は、肥薩オレンジ鉄道の鉄橋を
くぐった後、大きく右にカーブし、肥薩オレンジ
鉄道の線路に寄り添う様になりました。


撮影: 2011年5月

そして八代に到着しました。
人吉から51.8kmを1時間14分かけての到着です。
評定速度は42.0km/hになります。


撮影: 2011年5月

八代駅は以前は鹿児島本線の特急「有明」が
一時間に1本は停車し賑わっていましたが、
九州新幹線の開業以降は優等列車は
肥薩線の特急列車のみになっています。

八代駅のホームには肥薩線の0キロポストがありました。


撮影: 2011年5月

0キロポストは、その路線の起点駅を示すものです。
かつては、八代から人吉、隼人を通り鹿児島に
至るルートが鹿児島本線でした。

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