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JR九州 / 肥薩線
JR Kyushu / Hisatsu Line
肥薩線は鹿児島本線の八代から人吉を経由し、九州の尾根に
あたる山岳地帯を貫き、日豊本線の隼人に至る路線です。
営業キロは124.2kmです。
肥薩線は、元々門司港と鹿児島を結ぶ
鹿児島本線として建設が進められていました。
1903年(明治36年)に隼人 - 吉松間が開業しています。
その後、八代 - 人吉間が1908年(明治41年)、残る
人吉 - 吉松間が翌1909年(明治42年)に開業し、
鹿児島本線が全通しています。
1927年に八代から水俣、出水そして川内を経由する
海岸沿いの路線が開業すると、八代 - 隼人間が
肥薩線という路線として独立します。
線名に"薩"の字が付きますが、薩摩藩の領地は
通りますが、旧国名の薩摩は通っていません。
肥薩線は風光明媚な路線として知られています。
そのハイライトは、人吉 - 吉松間の山岳地帯で、
日本三大車窓風景の一つとして知られています。
また通過線のないスイッチバック駅がループ線の
途中にあるなど、鉄道ファンにも人気の路線です。
その肥薩線に2011年5月に久しぶりに乗車しました。
その際の様子を紹介します。
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隼人 - 吉松
Hayato - Yoshmatsu
2011年5月2日、前日に指宿枕崎線の観光列車
「指宿のたまて箱」で指宿から鹿児島に向かい、
鹿児島城を訪れた後、隼人に泊まりました。
翌朝、少々早起きして隼人駅に向かいました。
朝の隼人駅の様子です。
肥薩線のホームは朝の爽やかな空気に満ちていました。
乗車したのは隼人発 7:06 の吉松行です。
隣のホームには隣の国分発鹿児島中央行の特急
「きりしま81号」を待つ乗客がいました。
走行距離の短い通勤特急ですが、多くの乗客が待っていて
乗車率が高いと思ったのですが、時刻表を見てみると、
この列車の前後の普通列車の運転間隔が1時間も
空いていて、その間の利用者はこの特急に
乗らざるを得ないダイヤになっていました。
吉松行の普通列車は2両編成の気動車でした。
7:06 定時に隼人を発車し、日豊本線と別れ、
しばらく平地を走ります。
しかしほどなく山間へと入って行きました。
沿線の人口も少なく、思いがけない程の
山間の車窓風景です。
しかし、地図でみるとこの西、2km程の所に
鹿児島空港があるのですが、とても
そんな広大な平地があるとは思えません。
山間の表木山駅です。
鹿児島空港への最寄り駅ですが、そのアクセスは
担っておらず、小さな待合があるだけの無人駅です。
表木山駅を発車した後の車内の様子です。
高校生の利用客が多く、
座席がほぼ埋まった状態でした。
こちらは次の中福良駅の様子です。
近くの小学校に通う子でしょうか。
小学生も下車していきました。
中福良の次は嘉例川です。
1903年(明治36年)開業以来の駅舎が残り、
国の登録有形文化財に指定されています。
嘉例川には特急「はやとの風」が停車します。
この嘉例川で多くの高校生が乗車しました。
嘉例川を出ると、平地が広がる景色となりました。
田植え前の田圃の様子です。
こうして、霧島温泉に到着しました。
時刻は 7:38。隼人から32分で到着です。
霧島温泉は隼人 - 吉松間では要衝の駅です。
以前は、霧島西口という駅名でしたが、
2003年(平成15年)に改名しています。
霧島山の麓に点在する温泉群からは離れていますが、
地図で見ると、駅の西側にも温泉があります。
この霧島温泉で高校生がすべて下車し、
車内にはほぼ無人の状態となりました。
霧島温泉からも、のどかな景色の中を走りました。
そんなのどかな景色を眺めていると、
立派な高速道路の橋脚が現れました。
いつもこうした高速道路を眺めるたびに思うのですが
この道路の建設費や維持費の何十分の一のお金で
並走する鉄道路線の利便性が大幅に改善する筈で、
ましてや道路ばかり便利になり、鉄道が廃止される
という愚策も起きないと思います。
大隅横川に到着しました。
この大隅横川の駅舎も1903年の開業以来のもので、
国の登録有形文化財に指定されています。
大隅横川では下り列車と交換しました。
高速道路の高架橋をバックに、去り行く
気動車の様子がなんとも言えない光景でした。
大隅横川から山間の景色を走り抜けると、
広々とした光景が広がってきました。
しばらくすると赤茶けた山野線の
廃線跡も並走するようになりました。
山野線は水俣から肥薩線の栗野を結ぶ
55.7kmの路線でしたが、国鉄分割民営から
1年も経たない1988年2月に廃止されています。
山野線との分岐駅だった栗野駅に到着しました。
もう何十年前だったか記憶も薄れていますが、
山野線に乗った際には列車の接続が悪く、
この栗野駅で時間を潰したことがあります。
当時は駅員もおり、鉄道の要衝のような佇まいの
栗野駅でしたが、今では無人化され、立派だった
駅舎は改札部分以外は立ち入り出来ないように
柵で覆われ、廃屋のような雰囲気になっていました。
寂れきった栗野駅の様子を知り、寂しい
思いをしながら次の吉松を目指します。
素晴らしい景色が、いつも以上に心に染みました。
隼人を 7:06 に発車した列車は、
僅かな乗客が下車しました。
吉松は隼人から37.4kmの距離にあります。
評定速度は 34.0km/h。
立派な高速道路が出来てしまっては、
車との競争には勝てない状況です。
吉松は都城へ向かう吉都線との分岐駅です。
この吉松も鉄道の要衝駅です。
かつては博多と宮崎を結ぶ特急「おおよど」や
急行「えびの」が停車して賑わいもみせていた
と思いますが、これらの優等列車は廃止され、
吉都線の乗客数も大幅に減少し、
廃止が取りざたされています。
跨線橋から眺める隼人からの列車です。
吉松から列車を乗り継いで人吉に向かうのですが、
次の列車は、約1時間後の 9:06 発です。
一旦、駅舎を出てみました。
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吉松 - 人吉
Yoshmatsu - Hitoyoshi
隼人から肥薩線の列車に乗って、吉松まで
やってきましたが、人吉方面に行くには、
吉松で1時間程の待ち時間がありました。
途中下車し、吉松駅周辺を歩いてみましたが
駅前に蒸気機関車が置かれているばかりでした。
C55機関車は旅客列車牽引用として、北海道から
九州に至る全国各地で活躍した蒸気機関車です。
このC55 52号機は、1937年3月に製造され、
当初は山陽本線で活躍した後、九州各地を
渡り歩き、1972年に現役を引退しています。
他に時間を潰すところもなく、ホームに戻ると
人吉行きの列車は既にホームに入っていました。
キハ31系気動車の単行列車です。
発車時間まで45分近くありました。
しばらく無人の車内で発車時間を待ちました。
キハ31系の車内の様子です。
先頭部から人吉方向を眺めた様子です。
今は、肥薩線も接続する吉都線も閑散路線に
なってしまっていますが、かつては博多と
宮崎を結ぶ特急「おおよど」も走っていました。
運転士席に掲げられていた時刻表によると
35km先の人吉までおよそ1時間掛けて走ります。
吉都線の列車の到着を待ち、
定刻に吉松駅を発車しました。
乗客は10人程でしたが、その大多数は
鉄道ファンと思しき人でした。
発車直後の眺めです。
右手は吉都線の線路です。
吉松からは、九州の背骨を形作っている
九州山地を横切る山岳路線になります。
山間の急勾配を上って行きました。
時折、木々の間から麓の景色が
広がるようになりました。
山間の景色が続くうち、いくつかの
線路が分岐しているのが見えてきました。
今まで走ってきた線路は行き止まりとなり、
列車は引き返し、駅に停車しました。
真幸駅です。
真幸駅は、スイッチバック駅です。
スイッチバック駅は蒸気機関車が主役だった時代、
勾配区間に停車すると発車する事が困難となる為、
勾配区間の本線を横切るように平坦な線路を設け、
その平坦な線路に駅を設けたものです。
かつては全国でいくつもあったスイッチバック駅も
気動車化や電化に伴い、勾配区間にホームを
設けるように改修されたり、駅そのものが
廃止されたりして数が減ってきています。
しかも、他のスイッチバック駅は、その駅に停車する
必要のない優等列車や貨物列車には、駅に寄らずに
そのまま本線を直進できる様、通過線と呼ばれる
線路が設けられている事が多いのですが、この
真幸駅ではその通過線のない珍しい構造です。
真幸駅を発車後、再びスイッチバックを行い、
本線に戻って次の矢岳を目指して走り出すと
進行右手下に真幸駅がよく見えてきました。
スイッチバックの構造が一目瞭然です。
ホームで、写真を撮っている若者の姿が印象的でした。
かつては、博多や熊本と宮崎を結ぶ特急「おおよど」や
急行「えびの」がこの真幸駅に立ち寄って進行方向を
変えていたかと思うと、更に感慨が深まります。
真幸から再び勾配を登っていきます。
トンネルを抜け、木々が途絶えると、
雄大な景色が広がりました。
生憎、霞んでいて遠くの視界は良くなかったのですが、
この眺めが日本三大車窓風景の一つ、矢岳の眺めです。
良く晴れていると、手前の平地の向こうに聳える
霧島岳、桜島そして薩摩半島の先端にある開聞岳
迄もが一望に見渡せるそうです。
この先の矢岳駅に到着しました。
標高は536.9mで、肥薩線で
最も高い位置にある駅です。
周囲には集落も見当たらず、古いままの駅舎が、
時代に取り残されてしまった肥薩線の
歴史を物語っていました。
矢岳を過ぎると肥薩線は下り勾配となり、時折
耕地や人家が現れる高原のようなところを走りました。
のどかな耕作地の景色と、深い森の景色が交互に現れた後、
肥薩線の線路が大きく右に曲がりだしました。
右に弧を描いて下り続けるこの線形は、大畑駅のループ線です。
肥薩線の人吉 - 吉松間の九州山地越えの地形は厳しく
勾配に弱い蒸気機関車の時代に標高差を稼ぐには、
スイッチバックだけでなくループ線が必要でした。
大畑駅は日本で唯一、ループ線の途中に
設けられたスイッチバック駅です。
大畑駅の手前では、ループを下った人吉へと向かう線路を
跨ぐので、車窓からその線路が見えないか、と注意して
いましたが、その線路は見つけられませんでした。
上の写真をよく見ると、線路脇に立つ通信ケーブル用の
電柱が並んでいるので、それがそうなのかな、と思います。
やがて、線路の分岐が現れました。
直進する線路はこの先でトンネルに吸い込まれ、その上の
山の中腹には、先ほど通った線路が横切っているのが判ります。
ここがループ線に設けられた大畑スイッチバック駅です。
ポイントを直進した吉松からの列車は、一旦停止し
今度は後方へと折り返し、大畑駅のホームに向かいます。
大畑駅舎と停車中のキハ31系気動車です。
立派な駅舎ですが、乗降する人はおらず
ひっそりと佇んでいます。
人吉から勾配を上ってきた蒸気機関車の給水の為に
設けられた駅との事で、最寄りの集落までは
歩いて一時間もかかるそうです。
2018年には駅構内にレストランが開業しているそうです。
大畑駅で再び折り返し、人吉へ向かいました。
駅構内を外れたあたりの様子です。
一番右手の線路が矢岳から下ってきた線路で、真ん中の
線路がスイッチバックして大畑駅のホームに向かう線路です。
そして左側が大畑駅のホームから人吉へと下る線路になります。
大畑からは下り勾配を順調に下って行きました。
標高も下がり、周囲の展望も開けなくなっています。
やがて耕地が広がり、麓まで下りてきた事を感じます。
地図でみると大畑からは丘陵地の尾根を通って来たようです。
やがて球磨川を渡り、人吉の市街地を走る様になりました。
鉄橋を渡るとすぐに「くまがわ鉄道」の
線路が寄り添うようになりました。
くまがわ鉄道には、相良藩願成寺のホームがありますが、
肥薩線にはホームは無く、接続駅にはなっていません。
しばらく、くまがわ鉄道の線路と並走し、その後
くまがわ鉄道の線路と合流しました。
こうして、10:03定刻に人吉に到着しました。
人吉駅には、10:09発の熊本行「九州横断特急」と、
肥薩線の人吉 - 吉松間を走る観光列車
「いさぶろう・しんぺい号」がホームに停車していました。
昭和の雰囲気を残す人吉駅のホームには
これまた懐かしい駅弁売りの人の姿もありました。
人家の少ない山岳路線を走って来た後では、
人吉駅の賑わいは、都会の雰囲気のようにも
感じられました。
人吉駅の駅舎は城郭検知器を模したような
堂々としたもので、駅舎内もレトロな雰囲気でした。
人吉では、くまがわ鉄道の乗車と、人吉城や
人吉の街の散策を楽しみました。
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人吉 - 八代
Hitoyoshi - Yatsushiro
2011年5月3日、前日に隼人から人吉に向かい、
くまがわ鉄道の乗車や人吉の散策をした後に
人吉で泊まり、この日に八代まで乗車しました。
人吉駅の改札口には、温泉旅館のような
暖簾が掛かっていました。
7:37 発の八代行普通列車に乗りました。
熊本や八代と人吉の間は、特急や観光列車も
走っていますが、空いている休日の早朝の
普通列車に乗るのも、景色を独り占め出来て
なかなかいいものです。
人吉を発車直後の駅構内です。
かつての留置線は空き地になっていますが
古い機関車庫は残っているようでした。
この日はどんよりとした天気で
雲も暑く垂れこめていました。
しばらく人吉盆地の平凡な景色の中を走りました。
二つ目の渡駅の様子です。
球磨川急流下り下車駅の看板もありました。
人吉の街を散策していた際、人吉城址を望む場所に
乗船場があり、温泉町までの川下りがありましたが、
それ以外にも、渡駅からの川下りもあるのでしょうか。
渡駅を発車し、しばらくすると球磨川を渡ります。
この鉄橋を渡った後、肥薩線は
球磨川に沿って下っていきます。
鉄橋から眺める球磨川の流れです。
次の那良口駅の様子です。
ここから球磨川は大きく蛇行していきます。
次の一勝地で、下りの普通列車と交換しました。
一勝地は、渡駅や下流の坂本駅と並び、
特急停車駅になっています。
同じような景色が続き、次の球泉洞に到着しました。
球泉洞からも深く切れ込んだ谷間を走り、
車窓右手に球磨川が流れています。
球磨川は、最上川、富士川と並び日本
三大急流として知られているようです。
今は昔に比べ水量が減ってしまっている
筈なので、穏やかな流れに見えますが、
以前は、山間の狭い隘路を流れる川は、
船の航行を難しくさせていたのでしょうか。
白石駅の重厚な駅舎です。
白石駅はSL・人吉号の停車駅ですが、
SLとこの駅舎は良く似合う事と思います。
山と球磨川に挟まれた狭い平地に駅が築かれ、
集落は駅から500m程離れたところにあるようです。
白石を出ると、球磨川は豊富な水を湛え、
流れがなくなってしまいました。
次の吉尾の様子です。
崖の下に、小さな片面ホームがある小駅です。
吉尾からも同じように、水を湛えた
球磨川に沿って走りました。
地図で見ると、この辺りのすぐ西側を
九州新幹線が走っていますが、山間を
トンネルで抜ける九州新幹線は
車窓からは見えませんでした。
次の海路駅に到着しました。
吉尾駅と同様に崖際に片面ホームの駅です。
海路を発車し、しばらく走ると、
ダムが見えてきました。
白石辺りから水を湛えていた球磨川を
堰き止めていた瀬戸石ダムです。
瀬戸石で、再び下り列車と行き違いをしました。
瀬戸石を出ると、球磨川を渡りました。
人吉からは2度目の球磨川に架かる
鉄橋を渡った事になります。
谷が広くなったような感じがしますが、
同じような渓谷の景色が続いていました。
特急停車駅の坂本を過ぎると、
九州新幹線のコンクリート橋をくぐります。
この先では、肥薩オレンジ鉄道の鉄橋をくぐりました。
肥薩オレンジ鉄道の乗車記はこちらです。
かつて特急「有明」や、寝台特急「はやぶさ」や
「明星」、「あかつき」が走っていた鉄橋も
九州新幹線が開業して以降は、肥薩オレンジ鉄道の
気動車と貨物列車が走るだけとなっています。
肥薩線の線路は、肥薩オレンジ鉄道の鉄橋を
くぐった後、大きく右にカーブし、肥薩オレンジ
鉄道の線路に寄り添う様になりました。
そして八代に到着しました。
人吉から51.8kmを1時間14分かけての到着です。
評定速度は42.0km/hになります。
八代駅は以前は鹿児島本線の特急「有明」が
一時間に1本は停車し賑わっていましたが、
九州新幹線の開業以降は優等列車は
肥薩線の特急列車のみになっています。
八代駅のホームには肥薩線の0キロポストがありました。
0キロポストは、その路線の起点駅を示すものです。
かつては、八代から人吉、隼人を通り鹿児島に
至るルートが鹿児島本線でした。
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