亀山 - 伊賀上野
(Kameyama - Iga Ueno)
関西本線の亀山駅は、JR東海とJR西日本の
接続駅になっています。
この亀山駅では関西本線の他に津、松阪方面に
向かう紀勢本線の起点にもなっています。
2012年に訪れた際に、紀勢本線の列車を見かけました。
撮影: 2012年1月
この車両はキハ40系と呼ばれる国鉄時代から
引き継がれている車両です。
JR東海では、2016年3月のダイヤ改正で
廃車になっています。
2010年10月、名古屋発7:40の普通電車に乗り、
亀山で、加茂行きの普通列車に乗って
関西本線の旅を続けました。
名古屋から亀山までは電化されていましたが、
亀山からの関西本線は未電化区間となります。
撮影: 2010年10月
亀山 - 加茂間で運行されている
キハ120系の気動車です。
レールバスタイプの車両です。
関西本線の亀山 - 加茂間は、列車本数も少なく、
運行される車両数も少ないのですが、
いつも混雑している印象があります。
2010年に乗車した際には2両編成でした。
亀山駅を発車した加茂行きからの
前面展望の様子です。
撮影: 2010年10月
多くの線路が輻輳しています。
亀山駅の西側には、かつて広大な車両基地がありましたが
その大部分は撤去され、雑草が生える空き地になっていました。
加茂行きの車内の様子です。
撮影: 2010年10月
座席がほぼ埋まった状態でしょうか。
ローカル線の車内としては賑わっている方だと思います。
しばらく走ると、前方に鈴鹿山脈の
山々が見えてきました。
撮影: 2010年10月
山並みの一番右端が鎌ヶ岳でしょうか。
その奥に御在所岳がある筈です。
御在所岳の様子はこちらです。
この先で立派な高速道路の下をくぐり、
しばらく走ると関に到着しました。
亀山に向かう上り列車が停車していました。
撮影: 2010年10月
関は東海道の宿場町です。
今でも当時の面影が残る宿場の様子が残っています。
関宿の散策記はこちらです。
この関駅の佇まいも、蒸気機関車が走っていた時代、
そのままのような気がします。
関を出ると、関西本線は鈴鹿川の
小さな谷に分け入っていきました。
撮影: 2010年10月
人家も少なく、次第に山深くなっていきました。
撮影: 2010年10月
鈴鹿山脈の鞍部を越えていくのですが、
それでも、山深い峠越えです。
途中の加太に到着しました。
撮影: 2010年10月
加太は山間の小駅です。
一日の乗降客数は150人に足りていません。
加太からは鈴鹿山脈を越える峠になり、
25‰の勾配を上っていきました。
広々とした高原のような景色の中を
走っていきます。
撮影: 2010年10月
加太越と呼ばれる区間で、蒸気機関車全盛の時代には
D51が重連で貨物列車を牽引し、黒い煙を吐きながら
走る様子はファンの間では有名だったようです。
急勾配がしばらく続くと、人家のないところに
側線が分岐・合流するのが見えてきました。
撮影: 2010年10月
駅間距離が8.9kmもある加太と次の柘植の
間に設けられた中在家信号場です。
急勾配が続く区間に信号場を設けた為、
スイッチバック式になっています。
以前、この区間には名古屋 - 奈良間の急行「かすが」や
名古屋から京都に向かう急行「平安」、京都 - 鳥羽間の
急行「志摩」などの優等列車や、貨物列車も運行されており、
中在家信号場も活躍していましたが、2006年以降は
使われなくなっています。
中在家信号場を過ぎ、加太トンネルで
鈴鹿山脈を越えました。
撮影: 2010年10月
蒸気機関車が走っていた時代には、このトンネル内で
乗務員の窒息事故を防ぐため、名古屋側のトンネルの
入り口に遮断幕が設けられ、列車がトンネルに
入った直後に幕が下されていたそうです。
加太トンネルを抜けると下り勾配となります。
貯水池の脇を抜け、薄の穂の中を
快適に下っていきました。
撮影: 2010年10月
しばらく人家を見かけませんでしたが、
やがて車窓に集落が見えて来ます。
撮影: 2010年10月
こうして草津線との接続駅・柘植に到着しました。
電化されている草津線のホームには
架線が張られていました。
撮影: 2010年10月
柘植では多くの乗客が下車し、
草津線の電車に乗り換えて行きました。
撮影: 2010年10月
柘植を発車した際の前面展望の様子です。
電化されている草津線の線路が直進し、
関西本線の線路は左手に分かれていきます。
撮影: 2010年10月
線路配置や草津線の架線柱を見ていると
支線の草津線の方が本線のように思えてきます。
実際、関西鉄道が鉄道を敷設した際も、
東海道に沿う草津線ルートを優先して
柘植まで開業させたそうです。
柘植駅を発車すると、のどかな田園風景が広がりました。
撮影: 2010年10月
田圃の中をほぼまっすぐに線路が続いています。
次の新堂駅に停車した際の様子です。
撮影: 2010年10月
車内もそうですが、比較的
若い人の姿が目につきました。
新堂からものどかな田園風景の
中を走って行きました。
撮影: 2010年10月
この辺りの家々は、堂々とした造りの家が多く、
豊かな地域という印象があります。
次の佐那具に到着しました。
撮影: 2010年10月
先ほどの新堂は1日の乗降客数が約500人。
この佐那具駅は300人ほどしかありません。
そんな小駅の佐那具駅ですが、駅構内の
ホームは長く、以前は長い編成の列車が
発着していた事を伺わせます。
上下線の間隔が広いのは、往時はこの間に
中線と呼ばれる貨物列車の退避用の
線路があった証です。
やがて工場やマンションなども
遠くに現れるようになりました。
その向こうの丘陵地の上には
伊賀上野城の天守も見えてきました。
撮影: 2010年10月
亀山から34.6kmの距離を約45分かけて
伊賀上野駅に到着しました。
撮影: 2010年10月
伊賀上野は上野市の中心街に向かう
伊賀鉄道との接続駅です。
JR西日本・関西本線のTOPに戻る
伊賀上野 - 奈良
(Iga Ueno - Nara)
伊賀上野は、伊賀鉄道との接続駅です。
日本100名城に名を連ねている上野城へは
この伊賀上野で伊賀鉄道への乗り換えが便利です。
2015年には、上野城に訪れた後、
この伊賀上野から関西本線の列車に乗りました。
撮影: 2015年7月
伊賀鉄道のホームは、駅の西側に位置しています。
撮影: 2010年10月
関西本線のホームを間借りする形で
伊賀鉄道の電車が停車していました。
伊賀上野を発車すると、再び
のどかな景色の中を走っていきました。
しばらく、日本の原風景のような里山の景色が
続いていましたが、車窓左手の一段低いところに
大きな川が流れているのが見えました。
撮影: 2010年10月
それまでの、のどかな景色とは一変する眺めですが、
地図で調べてみると、この川は木津川でした。
宇治川や桂川と合流し、淀川となって大阪湾に
流れ込む川ですが、伊賀上野の盆地から
流れ出ているとは知りませんでした。
7.3kmと長い駅間距離を走り、島ヶ原駅に到着しました。
撮影: 2010年10月
この駅も、長いホームと、中線が撤去された上下線の
間隔が広い駅構内となっていて、列車を待つ人の
少なさと相まって、往時の賑わいとの差を実感します。
撮影: 2010年10月
島ヶ原から山間となり、勾配を下っていきます。
人家もない山間にポイントが現れました。
こんなところに信号場があるのか、と思ったのですがカーブを
曲がった先にホームが現れ、月ケ瀬口駅に到着しました。
撮影: 2010年10月
月ヶ瀬口駅の手前で県境を越え、京都府に入っています。
三重県と京都府が県境を接しているとは知りませんでした。
月ヶ瀬口の先で、再び木津川の淵を走り、
次の大河原の先で、その木津川を渡りました。
撮影: 2010年10月
この上流で、木津川は名張川と合流し、
水量が多く、滔々と流れていました。
撮影: 2010年10月
関西本線は、ここから暫く木津川に沿って走ります。
亀山 - 柘植間の加太越えに次ぐ見所と思います。
撮影: 2015年7月
木津川の作った渓流の脇を走る関西本線です。
川の脇の狭い隙間を縫うように走っています。
撮影: 2015年7月
この渓流の眺めを楽しむうちに、笠置に到着しました。
撮影: 2010年10月
川沿いにある駅で、堤防の上は桜の並木があり、
春には綺麗な景色が眺められるようです。
笠置からも木津川に沿って走りました。
撮影: 2010年10月
耕地が広がり、木津川から離れると、
高層のマンションも現れ、加茂に到着しました。
撮影: 2010年10月
加茂駅は、3線3面の構造です。
JRの駅には珍しく、線路の両側に
ホームがある構造になっています。
中央の線路に亀山からの列車が到着し、
両側の番線に発着する奈良方面への列車に
跨線橋を使わずに乗り換えられる構造です。
亀山から到着したキハ120系気動車です。
撮影: 2015年7月
日中は一時間に1本の運転本数ですが、
各駅から乗り込む人で、車内は立ち席も出る
乗車率でしたがそのほぼ全員がここで乗り換えです。
JR西日本の221系快速電車です。
「大和路快速」という愛称がついています。
撮影: 2010年10月
関西本線は加茂からJR難波までの間は電化され、
この快速列車は、天王寺から大阪環状線に乗り入れ
大阪駅から鶴橋を経由し、天王寺まで走っています。
大阪まで直通するアーバンネットワークの列車ですが、
加茂からの車窓は、鄙びた光景でした。
撮影: 2010年10月
関西本線が開業した当時はこの加茂から南下し、
木津を経由せずに奈良に至っていました。
撮影: 2015年7月
1907年に、今の木津経由の路線が開業し、
この真っすぐ奈良に向かう路線は廃止された
のですが、その痕跡は判りませんでした。
丘陵地も広がる景色を眺めるうちに
大きく左にカーブを切り、奈良線の
線路が見えると木津に到着しました。
撮影: 2015年7月
関西本線、奈良線そして片町線の3つの路線の
接続駅ですが、ホームの上屋も古いままで、
どこかのんびりとした雰囲気が漂っています。
木津駅に停車中の大和路快速です。
撮影: 2010年10月
木津からは複線電化区間となり、いよいよ
大都市圏の路線という雰囲気になりました。
途中、丘陵地を越える辺りにある平城山駅です。
撮影: 2010年10月
平城山の先の丘陵地を回り込むように走ると
住宅が広がり、線路も高架になりました。
撮影: 2010年10月
奈良に到着しました。
奈良は、駅所在地が街の中心から離れている事や
大阪までのルートが近鉄に比べ大廻になっている事、
国鉄時代に長らくサービス向上が図られていなかった
事などから、駅の利用者数は近鉄の6割程です。
しかし、関西本線の列車に揺られて、長閑な山間の
景色を眺めた後では、久しぶりの都会と実感しました。
2010年10月には、奈良で下車し、
久しぶりに奈良の名所を散策しました。
撮影: 2010年10月
奈良駅では2010年3月に高架化工事が完成しています。
1934年から使われていた2代目の駅舎が高架化によって
取り壊されるという話もありましたが、18m程移転し、
観光案内所として活躍していました。
奈良の散策記はこちらです。
西ノ京の散策記はこちらです。
JR西日本・関西本線のTOPに戻る
奈良 - 天王寺
(Nara - Tennouji)
2010年10月、西ノ京と奈良の散策を終え、
奈良から大阪に向かいました。
奈良と大阪の間は、生駒山地をまっすぐに貫く
近鉄奈良線が、大阪難波と近鉄奈良の立地も
優れていて、関西本線はわき役の存在です。
JR発足以降、運転本数が増えている関西本線ですが、
奈良駅の乗客数は、ここ20年間で15%程減少しています。
撮影: 2010年10月
奈良駅で乗り込んだ「大和路快速」です。
高架の奈良駅を発車し、すぐに
桜井線が左に分かれていきました。
撮影: 2010年10月
奈良の市街をしばらく高架で走りました。
周囲には新興住宅地やマンションが多いようです。
撮影: 2010年10月
地平に降りてからも住宅が建ち込めていました。
進行右手遠くに唐招提寺や薬師寺がありますが、
その姿は見つけられませんでした。
西ノ京の散策記はこちらです。
田圃も現れるようになり、郡山に到着しました。
撮影: 2010年10月
大和郡山市の代表駅ですが、市街地の
中心からは700m程東に外れています。
近鉄の郡山市の方が市街地に近く、
JRは不利になっています。
JRの郡山駅の一日の利用者は5000人程。
近鉄の郡山駅は9000人以上です。
近鉄の場合、大阪や奈良に向かうには西大寺での
乗り換えが必要ですが、近鉄を選ぶ人が多いようです。
郡山を発車すると水の張った
田圃が多く現れました。
撮影: 2010年10月
大和郡山市は東京の江戸川区や愛知県の
弥富市などと並び、日本有数の金魚の産地です。
水の張った田圃は金魚の養育池と思います。
この先で、近鉄樫原線をアンダークロスしました。
撮影: 2010年10月
車窓風景は次第にのどかなものとなりました。
大和小泉を過ぎ、法隆寺に停車しました。
撮影: 2010年10月
駅名の通り、あの法隆寺への最寄り駅です。
法隆寺駅を発車すると斑鳩の里の景色が広がりました。
撮影: 2010年10月
法隆寺五重塔の九輪が見えていると思いますが
如何せん、線路際の電線が邪魔でした。
この先で大和川を渡りました。
撮影: 2010年10月
関西本線は、この先で何度も
この大和川を渡ることになります。
大和川の向こうに見える山は奈良盆地の
西の端に位置する信貴山です。
奈良から15分で王寺に到着しました。
和歌山線との接続駅で、近鉄生駒線や田原本線も
乗り入れており、駅構内は広く立派でした。
撮影: 2010年10月
奈良 - 天王寺の間の駅では最も乗客数が多く
24,000人程で、奈良よりも上回っています。
日中は、王寺発の普通列車も数多く設定され、
大和路快速とは緩急接続されています。
王寺で奈良盆地も尽き、ここからは
大和川に沿う渓谷となりました。
生駒山から信貴山に連なる山々と
葛城山地との間の隘路を走ります。
王寺を発車してすぐに再び大和川を渡り、
次の三郷を通過すると、大和川を渡り
左岸の崖っぷちのところを走っていきました。
撮影: 2010年10月
関西本線のこの区間が1892年(明治25年)に開業した際には
右岸を走っていましたが、1932年(昭和7年)に起きた
地すべりの為に、線路を付け替え、対岸を走る事になったそうです。
大阪府との県境を越え、何度目かの大和川を渡りました。
撮影: 2010年10月
この隘路を過ぎると、大阪平野が広がります。
近鉄大阪線をアンダークロスし、柏原駅を通過しました。
撮影: 2010年10月
大阪平野に入ると、住宅が密集しています。
撮影: 2010年10月
左右の展望が効かない状況で久宝寺に到着しました。
この久宝寺でも、快速列車と普通列車との緩急連絡が
されていますが、不思議な事に快速を退避する普通列車が
本線上に停車し、快速列車はポイントを割って副本線に入りました。
撮影: 2010年10月
かつては貨物の操車場があり、乗降も少ない駅でしたが、
1984年に廃止となった操車場跡が開発され、
2001年からは快速電車の停車駅になってます。
その後は乗客数も増え、2015年には1995年当時の
3倍以上の16,000人以上の乗客数です。
2008年3月には片町線の放出との間を短絡する
おおさか東線も開業し、久宝寺駅の重要性は
一層、高まっています。
JR おおさか東線の乗車記はこちらです。
久宝寺を発車すると複々線となりました。
中央の2つの線路がおおさか東線の路線で、
すぐに高架となり、右へ分かれていきました。
撮影: 2010年10月
おおさか東線から平野駅方面への接続線が合流し、
東部市場前の貨物駅を過ぎると、もう天王寺です。
撮影: 2010年10月
阪和線の線路をアンダークロスすると、
関西本線と大阪環状線のホームが見えてきました。
撮影: 2010年10月
奈良から37.5kmの距離を34分で到着です。
撮影: 2016年11月
一日に14万人ほどの乗車人員のある天王寺駅。
いつも、多くの人の乗り降りがあり、駅は活気づいています。
JR西日本・関西本線のTOPに戻る
天王寺 - JR難波
(Tennouji - JR Namba)
奈良から乗車した大和路快速は、天王寺から
大阪環状線に乗り入れ大阪に向かいます。
2010年10月に乗車した際も、大和路快速に乗り通していたので、
天王寺からJR難波までの間を2016年11月に再乗してみました。
撮影: 2016年11月
乗車したのは天王寺 14:47 発の和歌山線の高田発の快速です。
日中、高田発の快速はほぼ1時間に2本運行されており、
多くが上の写真の221系4両編成が使われているようです。
天王寺駅は阪和線が北側に高架の位置にホームがあり、
関西本線と大阪環状線は地平にホームがあります。
撮影: 2016年11月
地平といっても掘割にホームがあり、その上に駅舎が
建てられている為、半地下の様になっています。
天王寺を発車すると右手に見える
大阪環状線の線路と並走します。
撮影: 2016年11月
大阪環状線の外回りの線路がすぐに高架となり、
関西本線の線路を跨いで行きました。
撮影: 2016年11月
複々線の真ん中を関西本線、外側が大阪環状線となります。
関西本線の線路はほぼ真っすぐに進んでいきますが、
周囲の地形が低地となり、高架となって新今宮に向かいました。
新今宮に到着しました。
関西本線の上り線には緑の普通電車が停車していました。
撮影: 2016年11月
新今宮は南海電鉄との接続駅です。
駅の西側で南海電鉄の線路が、
JRをオーバークロスしていました。
撮影: 2016年11月
新今宮を発車すると関西本線と
大阪環状線の間に渡り線がありました。
撮影: 2016年11月
大阪行きの大和路快速は、この渡り線を通って
外側の大阪環状線へと移っていきます。
乗車した快速列車はJR難波行なので
真っすぐに進みました。
しばらくすると、並走する大阪環状線内回り線が
高々架となり、関西本線の上を跨ぐようになりました。
撮影: 2016年11月
大阪環状線の内回り線が、関西本線に覆い
かぶさるような状態のまま今宮駅に差し掛かります。
撮影: 2016年11月
2016年11月には快速に乗車したので、
この今宮駅は通過していきました。
今宮を通過すると、関西本線の線路は
下り坂となり、高架から一気に地下へと
入っていきました。
撮影: 2016年11月
以前、関西本線の終点は湊町駅といい、
近鉄電車や南海電車の発着する難波から
すぐ近くに位置しながら、寂れた雰囲気の駅でした。
湊町はJR難波と改称され、1996年(平成8年)に地下化され、
その上には大阪シティエアーターミナルが造られています。
撮影: 2016年11月
天王寺から乗車した快速列車は、JR難波駅に進入しました。
撮影: 2016年11月
JR難波駅に到着した221系快速列車です。
将来、JR難波駅から北上し、新大阪に至る
「なにわ筋線」の建設計画があります。
この新線が開業すると、JR難波駅は
さらに発展する事と思います。
JR西日本・関西本線のTOPに戻る
JR編に戻る