奈良
Nara, Japan


奈良はかつて平城京が置かれた都です。

今から1300年程前の、710年から784年に
かけての約70年間の事です。

平城京は奈良盆地の中央付近、奈良市から大和郡山市に
かけて築かれており、今の奈良市の中心街が広がる辺りは、
平城京の東北部にあたる外京に位置しています。

歴史的な都市として、京都が有名ですが、
奈良にも古い寺院が多く残り、国宝建築物の
数は、奈良が日本で一番多いそうです。

そんな奈良の様子を紹介します。

尚、平城宮跡や、唐招提寺・薬師寺のある
西ノ京は別ページで紹介する予定です。

東大寺
(Todaiji Temple)

興福寺
(Kofukuji Temple)
Oct. 21, '16
春日神社
(Kasuga Shrine)

奈良町から元興寺
(From Nara machi to Gangoji Temple)
Revised ! Sep. 29, '18
新薬師寺
(Shin-Yakushiji Temple)

秋篠寺
(Akishino Temple)

平城京跡
(Heijyokyo Palace)

西ノ京
(Nishino Kyo Area)
Nov. 19, '16
平城京跡
(Akishino Temple)

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興福寺
(Kofukuji Temple)


2010年10月23日、関西本線の普通列車で
奈良に行き、西ノ京の唐招提寺や薬師寺を
訪れた後に、興福寺に向かいました。

関西本線の乗車記は
こちらです。
西ノ京の散策記はこちらです。

奈良駅の第二代目駅舎です。


撮影: 2010年10月

興福寺は、奈良駅の北側の道を東に向かいます。
1km程、商店街の中を歩いていくと奈良県里程元標と
大きく書かれた木碑が立っていました。


撮影: 2010年10月

その奥には興福寺の高札が
いくつも掲げられていました。

この先に、猿沢の池があります。


撮影: 2010年10月

昼下がりの猿沢の池には、多くの人がいて
のんびりと時間を過ごしていました。

この猿沢の池からの興福寺五重塔の眺めは
つとに名高く、そして好きな眺めです。


撮影: 2010年10月

暫く、この眺めをゆっくりと楽しんだのち、
興福寺に向かいました。

興福寺の境内へとつながる階段の麓には
奈良茶漬のお店がありました。


撮影: 2010年10月

この階段を上ると、興福寺の五重塔と
東金堂の前に出ました。

2013年1月、まだ夜が明けきる前に
興福寺にやってきました。


撮影: 2013年1月

冬はつとめて、さながらに、普段は人混みの五重塔の
前には誰もおらず、張り詰めた冷たい空気の中、
五重塔と東金堂がシルエットとなって
冬の空に浮き上がっていました。

興福寺は、7世紀半ばの天智天皇在位の頃、
山背(やましろ)国にあった山階寺が起源の様です。

その後、飛鳥に移り厩坂寺と称し、更に平城京に
遷都された際に、興福寺という名で再び移されました。

山階寺を建立したのが、藤原鎌足の夫人・鏡大王。
平城遷都に際し、興福寺を建立したのが
その子、藤原不比等と言われています。

興福寺の境内図です。

東側の五重塔、東金堂、西側は北円堂、南円堂や
三重塔など、国宝や重要文化財の建物が多く残って
いますが境内の中心を占める南大門や中金堂や
それらを囲む回廊などは失われています。

今、中金堂が復元工事中で、
回廊なども整備されるようです。

明け始めた空に映える国宝の五重塔です。


撮影: 2013年1月

興福寺のみならず、古都・奈良を象徴する建物です。

この五重塔が建てられたのは730年(天平2年)の事です。
藤原不比等の娘・光明皇后が建立したそうです。
現在の塔は1426年(応永33年)に再建されています。

その北隣の東金堂です。


撮影: 2010年10月

西を向いたお堂で、726年(神亀3年)に聖武天皇が
叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立した際には、
薬師如来の浄瑠璃世界がこのお堂で現わされていたそうです。

この東金堂は、何度か火災に遭い、今の建物は
1415年(応永22年)に再建されたものだそうです。

境内で見かけた春日神社の鹿です。


撮影: 2010年10月

明治の神仏分離以降は、春日神社と興福寺は
別々になっていますが、それ以前は興福寺が
春日神社を管轄していたそうです。

それだけでなく、室町時代には興福寺が
山城の国を治めていた事もあったそうで、どれ程、
寺勢が盛んだったか、想像もつかない程です。

再建工事の始まった中金堂の様子です。


撮影: 2010年10月

興福寺の最も重要な建物で、
当時は回廊が巡らされていました。


この中金堂も度重なる火災を受け、1717年(享保2年)に
焼失した後は100年後の1819年(文政2年)に
仮のお堂として復興されていた様です。

今回の中金堂の再建では、回廊と中門は基盤整備が
行われるようですが、南大門の再建計画もあるようです。

ここから更に西に向かうと築地塀がありました。


撮影: 2013年1月

確か、この塀に囲まれた中に、
南円堂があったと思います。

この南円堂は五重塔や東金堂とは異なり、
庶民的な雰囲気が漂っていました。


撮影: 2013年1月

西国三十三所霊場の札所になっていて、
多くの参拝客がいました。

南円堂は藤原冬嗣が父・内麻呂の冥福を願い
813年(弘仁4年)に建立したお堂です。

今の建物は1741年(寛保元年)に再建され、
本尊の不空羂索観音菩薩坐像など
三体の国宝の仏像が収められています。

南円堂の北には、北円堂もあるのですが、
そちらは普段は非公開故か訪れていません。
いつの日にか訪れてみたいです。


撮影: 2013年1月

国宝の北円堂は遠くから眺めるだけでした。

南円堂から斜面を下ると、
ひっそりと三重塔が建っていました。


撮影: 2013年1月

この三重塔は1143年(康治2年)に崇徳天皇の中宮が
建立し、1180年(治承4年)に被災したものの、
その後すぐに再建されたそうです。

興福寺に残る最も古い建物で、
国宝に指定されています。

色々と見どころの多い興福寺をざっと巡りましたが、
興福寺で、忘れてはならないのは、国宝館です。


撮影: 2013年1月

興福寺には五重塔など4棟の建物を含み
全部で45件もの国宝があり、その多くが
境内に建てられた国宝館に陳列されています。

数多くの国宝の仏像を目の前にすると、
思わず身が震えるような感覚に襲われます。
その中でも秀逸なのは、阿修羅像でしょうか。

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奈良町から元興寺
(Naramachi and Gango-Ji Temple)

興福寺を訪れた後、南にある元興寺に行ってみることにしました。

今は奈良の市街地の中にこじんまりと建っている元興寺ですが、
元々は蘇我馬子が建立し、奈良時代には朝廷の庇護を受けた
南都七寺の一つとして、栄えたお寺だったようです。

元興寺へは、猿沢の池から南に向かったのですが、
古い家並みの狭い路地が続いていました。


撮影: 2010年10月

この辺り一帯は、奈良町と呼ばれています。

奈良は戦災に遭わずに、またこの辺りは、戦後に
近鉄奈良駅一帯の賑わいに取り残された形になり、
古い家並みが残ったそうです。

街中にあった道祖神を祀る神社です。


撮影: 2010年10月

道祖神というと、信州の農村を思い出しますが
こうした街中にあるのは意外でした。

創建は平城天皇の砌、という事なので、
奈良時代の末期になります。
その頃は元興寺の境内にあったそうです。

この先も、古い町並みが続いていました。


撮影: 2010年10月

この町並みを抜けた先に
元興寺がありました。

元興寺の北門です。


撮影: 2010年10月

案内板によると、ここは当時の元興寺の
僧坊があったところだそうです。

訪れた際には不勉強で知りませんでしたが、
元々あった元興寺が衰退した後、
二つのお寺に分かれたそうです。

一つは、訪れたこの中院町の元興寺。
そして、もう一つは芝新屋町の元興寺です。

北門で左に折れ、境内の入り口の東門を目指しました。


撮影: 2018年9月

東門は、元々は東大寺の西南院の門だったそうです。
鎌倉時代に建立された門で、1411年(応永18年)に
この場所に、移築されています。


撮影: 2018年9月

門の案内板には、この門の移築をもって、この元興寺は
元興寺旧伽藍から独立したと記しています。

東門を抜けて眺める元興寺の極楽坊本堂です。


撮影: 2018年9月

当時の元興寺の僧坊の遺構で、国宝に指定されています。
1244年(寛元2年)に現在みる寄棟造りに改築されています。


撮影: 2010年10月

この極楽坊本堂があるため、この元興寺は
元興寺極楽坊と呼ばれています。

極楽坊本堂の西側にある禅室です。
この禅室も元興寺の僧坊の跡で、
国宝に指定されています。


撮影: 2018年9月

質素な造りですが、堂々とした感じで、
天平の雰囲気を伝えています。

建物の木材の一部に西暦582年に
伐採されたものが使われているそうです。
世界で最も古い木造建築部材になるそうです。

極楽坊本堂の西側の様子です。


撮影: 2018年9月

本堂の屋根が七色に輝いているのが判るでしょうか。


撮影: 2018年9月

鎌倉時代に改築された際に、この屋根の瓦は
飛鳥時代のものをそのまま使ったそうです。

写真ではなかなか伝えきれませんが、
この飛鳥時代の屋根の色合いは
とても感動的でした。

この禅室の南側には、いくつもの石塔や石仏が並んでいます。
こうして石塔や石仏を並べた所は浮図田と呼ばれています。


撮影: 2018年9月

小さな石仏でしたが、印象に残りました。


撮影: 2010年10月

元興寺は、今では小さなお寺ですが、
残る堂宇に遠い昔の寺勢を伺わせます。

しかし、このお寺は明治以降、酷く荒れ果てていたそうです。
今の様に、綺麗に整備される様になったのは、
昭和に入ってからのようです。

数多い観光客で賑わう境内の様子からは、
つい数十年前の事には思いも及びませんでした。