西ノ京
Nishi-no-Kyo, Japan


西ノ京は、かつての平城京の西側にあたるところです。
古くから西ノ京という呼び名がされていたようです。

かつては西大寺や喜光寺、唐招提寺、
薬師寺と、大寺が並び栄えていました。
今は唐招提寺と薬師寺こそ残っていますが、
多くは田畑や宅地となっています。

2010年10月に訪れた唐招提寺と
薬師寺の様子を紹介ます。

尚、平城宮跡や、奈良は別ページで紹介する予定です。

唐招提寺
(Toshodai Ji Temple)
Nov. 04, '16

薬師寺
(Yakushi Ji Temple)
Nov. 12, '16

大池からの眺め
(Scenery from the Oike pond)
NEW ! Nov. 19, '16

奈良の散策記はこちらです。

平城宮跡の散策記はこちらです。

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唐招提寺
(Toshodaiji Temple)


2010年10月23日、関西本線の列車で奈良に行きました。
この時、まず向かったのが唐招提寺です。

関西本線の乗車記は
こちらです。

奈良駅でレンタサイクルして出掛けました。
三条通を西に進み、多くの車が行きかう国道
24号線を越えた集落に立ち寄ってみました。


撮影: 2010年10月

この集落に、大将軍神社がありました。
(下左写真です)

どんな謂れかと思いましたが、案内板は無く
調べてみると大将軍というのは、吉凶を
つかさどる神様なのだそうです。


撮影: 2010年10月

近くには皇太神宮もありました。
(上右写真です)

皇太神宮と言えば、伊勢神宮内宮と同じ名前です。
江戸時代にお伊勢参りの安全を祈って創建されたようです。

この集落を抜けると、遠くに若草山が見えてきました。


撮影: 2010年10月

奈良の街は、あの若草山の麓に広がっています。
写真左端に、大仏殿が小さく写っています。

こうして、田圃と宅地が入り混じるところを、自転車で
走り、奈良駅から25分程で唐招提寺に着きました。

唐招提寺、言わずと知れた鑑真和上が創建したお寺です。
759年(天平宝宇3年)の事です。
鑑真が日本に到着して5年後の事でした。

鑑真和上が日本に上陸した地、 坊津の散策記はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Kyushu/Bonotsu.html

唐招提寺の南大門です。


撮影: 2010年10月

1998年には世界遺産に指定されており、
唐招提寺ははさすがに多くの観光客で溢れていました。

南大門から境内に入り、真っ直ぐに進むと
金堂に至ります。


撮影: 2010年10月

この金堂は、奈良時代に建立された寺院の
金堂としては唯一現存しているものだそうです。
もちろん、国宝に指定されています。

この唐招提寺金堂の鴟尾の眺めは、
如何にも「天平の甍」という感じを受けます。


撮影: 2010年10月

丸く太い柱が前面に並び、堂々とした雰囲気を生み出しています。

堂内には盧舎那仏、薬師如来、千手観音の3つの仏様が置かれ、
その三尊像の周囲には四天王や梵天・帝釈天立像が置かれています。

こちらは金堂の奥にある講堂です(下写真右)。
平城京の東朝集殿の建物を移築改造したものだそうです。


撮影: 2010年10月

1300年もの時を超えて、平城京の
建物が今に残っているとは驚きです。

講堂の奥にあるのは鼓楼です。
その奥に見えているのが礼堂です。

講堂と鼓楼は国宝、礼堂が重要文化財と
目にする建物すべてが、貴重な文化財になっています。

2010年10月に訪れた際には、この礼堂が特別公開されており、
国宝の仏舎利と、重要文化財の釈迦如来立像を拝む事が出来ました。


撮影: 2010年10月

仏舎利は、鑑真和上のお骨を収めたもので、
普段は鼓楼に安置されているもののようです。

礼堂は途中で、馬道(めどう)と呼ばれる1間の
通路があり、その北側は東室と呼ばれているようです。

東室の北、一段高い所にあるのが開山堂です。
開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として
建立され、明治時代には、あの鑑真和上像を
収める建物としてここの移築されたそうです。


撮影: 2010年10月

現在、鑑真和上像は御影堂に移されていますが、
その開山堂の手前に芭蕉の句碑がありました。


撮影: 2010年10月

"若葉して 御目の雫 拭はばや"

芭蕉は、1688年(元禄元年)に唐招提寺を訪れ、
鑑真和上坐像を拝んだそうです。

礼堂の裏には、宝蔵と経蔵という
二棟の校倉造の蔵が建っています。


撮影: 2010年10月
宝蔵(左)と経蔵(右)

校倉造の建物というと東大寺の正倉院が有名ですが、
この経蔵は、唐招提寺創建以前に建てられた米倉を
改造したものと言われ、日本最古の校倉造の建物だそうです。

宝蔵も経蔵も国宝に指定されています。

開山堂から、T字路を右に折れました。


撮影: 2010年10月

心静まる景色です。
金堂周辺ではたくさんいた観光客も、
この界隈に来ると、少なくなっていました。

築地塀に沿って歩くと、御影堂に入る門がありました。
門から眺める御影堂です(上写真右)。


撮影: 2010年10月

この御影堂は江戸時代に建てられた一乗院宸殿の遺構で、
明治以降、奈良県庁や地方裁判所として使われていた
ものを1964年(昭和39年)に移築したものです。

鑑真和上の座像はこの御影堂に収められているそうですが、
2015年(平成27年)から5年間は改修工事となり、
鑑真和上の像は、新宝蔵に移されているそうです。

この鑑真和上像は毎年6月6日からの3日間しか
公開されておらず、なかなか拝む機会がありません。

御影堂から更に奥を目指しました。
築地塀も荒れた土塀となり、
鄙びた雰囲気になります。


撮影: 2010年10月

この先に、鑑真和上が眠る開山御廟があります。
この小さな門がその入り口です。


撮影: 2010年10月

この門を抜け、塀の中に入ると景色が一変しました。


撮影: 2010年10月

苔が、まさに絨毯の様に生えていました。
目が覚めるような綺麗な苔の絨毯でした。

唐招提寺の一番奥に、ひっそりと佇む開山御廟です。


撮影: 2010年10月

鑑真和上の生まれ故郷の揚州から送られる
瓊 花(けいか)の花が綺麗に飾られていました。

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薬師寺
(Yakushi-Ji Temple)

唐招提寺の南大門から南に路地が伸びています。


撮影: 2010年10月

古い建物も残るこの路地をゆくと西ノ京を
代表するもう一つの大寺、薬師寺に至ります。

この路地はいつも多くの観光客がいますが、
通りの様子もとてもいい佇まいを残しています。


撮影: 2010年10月

この辺りは、歴史的風土特別保存地域に指定されて
いるようで、こうした佇まいが残されているのでしょう。

薬師寺を目指していると、その手前左手に
立派な伽藍が見えてきました。


撮影: 2010年10月

玄奘三蔵院伽藍です。

玄奘三蔵は孫悟空として知られていますが、
7世紀に実在した中国の高僧です。

インドに赴きサンスクリット語の経典を中国に持ち帰り、
それを翻訳し体系化したそうで、法相宗の始祖とされています。

玄奘三蔵院伽藍から眺める東塔と西塔です。


撮影: 2010年10月

この薬師寺と奈良の興福寺は法相宗の大本山で
1991年(平成3年)にこの伽藍が作られたそうです。


撮影: 2010年10月

玄奘三蔵院伽藍の中心、玄奘塔です。
新しい伽藍ですが、不思議と歴史の
重みを感じる伽藍でした。

以前は見かけなかった伽藍と思いながら中に
入ったのですが、調べてみると、玄奘三蔵院
伽藍は期間限定で公開さているようです。

玄奘三蔵院伽藍の南側に薬師寺のメインの
境内となる白鳳伽藍があります。
その入り口の、與楽門です。


撮影: 2010年10月

勿論、この門からも入れるのですが、まず境内の
南にある休ヶ岡八幡宮に立ち寄る事にしました。

休ヶ岡八幡宮は薬師寺を守護する目的で、
寛平年間(889〜898)に宇佐八幡宮から
勧請されたそうです。


撮影: 2010年10月

観光客の多い薬師寺とは異なり、こちらはひっそりと
していましたが、古来より、薬師寺に詣でる際には
まずこの休ヶ岡八幡宮で身を清めてから、
というのが作法になっているそうです。

休ヶ岡八幡宮の社殿は1603年(慶長8年)に
建てられたものです。
本殿の両側には脇殿もあります。


撮影: 2010年10月

本殿の手前右の一段低い位置にある
座小屋も本殿と同じ時期に建てられたそうです。

休ヶ岡八幡宮には三体の神様の像が祀られています。
平安時代のこれらの像は国宝に指定されています。


撮影: 2010年10月

いよいよ薬師寺白鳳伽藍に向かいます。
その手前、孫太郎稲荷という神社がありました。

こうしていよいよ薬師寺の白鳳伽藍に足を踏み入れます。
薬師寺は天武天皇の発願で、692年(持統天皇6年)に
建立された寺です。

元々は藤原京に建てられていましたが、平城京が
開かれるのに伴い、この地に移ったそうです。


撮影: 2010年10月

南門を挟み東西の塔が聳えています。


撮影: 2010年10月

南門は室町時代の1512年(永正9年)に建てられたもので
重要文化財に指定されています。

南門の近くから白鳳伽藍に入ると、回廊の向こうに
東塔と西塔がそびえていました。


撮影: 2010年10月

現代に残る白鳳の眺めです。
回廊は1984年に復元されています。


撮影: 2010年10月

中門と東塔、西塔です。


撮影: 2010年10月

中門は1582年(享禄元年)の兵火で焼失しましたが、
回廊と同じく1984年(昭和59年)に復興されています。

中門に立つ二天王像です。


撮影: 2010年10月

発掘調査で、この中門に立つのは裸像の仁王ではなく、
武装した二天王像と判ったそうです。

中門を抜けると堂々とした金堂が見えてきました。

この金堂も1528年(享禄元年)の兵火で焼け落ち、
豊臣家が仮堂を建てましたが、その後、1976年
(昭和51年)に白鳳様式のこのお堂が復興されています。


撮影: 2010年10月

この金堂には薬師三尊像が置かれています。
薬師如来像、日光菩薩そして月光菩薩です。

お堂は兵火に焼け落ちたのですが、これらの仏像は
白鳳時代のもので、国宝に指定されています。

金堂の手前、両側には東塔と西塔がそびえていました。

東塔は、唯一平城京に移された当時から残る建物です。
天平時代に、白鳳風の塔が建てられたという説と
飛鳥の薬師寺から移築されたという説があるそうです。


撮影: 2010年10月

端正のとれた姿は「凍れる音楽」とも言われているそうです。

二つの塔はどちらも6重に見えますが、2層目、4層目そして
6層目は裳階と呼ばれるもので、三重塔らしいのですが、
三重塔とはいえ、東寺や興福寺、醍醐寺の五重塔に
続いて日本で4番目の高さだそうです。

ちなみに西塔は1981年に復興されています。
東塔と同じ形式の塔ですが、将来、自重で
変形することを考慮して、東塔よりも高く、
また屋根の角度も浅く設計されています。


撮影: 2010年10月

金堂と東塔の様子です。

この東塔は2009年から解体修理工事が始まっていて、
2020年にならないと、この姿を見ることは出来ません。

金堂の裏にある大講堂です。
この大講堂も2003年に復興されたものです。


撮影: 2010年10月

白鳳の姿を伝える建物が多い薬師寺ですが、
創建以来の建物は東塔のみで、その他多くの
建物がこの30年程で復興されているのは驚きです。

そんななか、回廊の東側には古い建物もありました。


撮影: 2010年10月

1285年(弘安8年)に建てられた国宝の東院堂です。
元々は8世紀初めの養老年間に元明天皇の皇女・
吉備内親王が天皇の為に建てたものだそうです。

この日は東塔や西塔の内部が公開されていたこともあり、
多くの観光客や立派な建物にも圧倒されるようでした。

この後、白鳳の素晴らしい景色を眺めに出掛けました。

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大池からの眺め
(Scenery from the Oike pond)

薬師寺を辞し、自転車で西に向かいました。

近鉄橿原線の線路を越え、西側にある
丘陵地に広がる集落へと入っていきます。

屋根の向こうに薬師寺の2つの塔が
瓦屋根の向こうに見えていました。

丘陵地を上り切った辺りで南に向かうと
大きなため池が見えてきました。

しならく、このため池に沿って走ると竹林の
陰から薬師寺の堂宇が見えてきました。

冬鳥が湖面で羽を休め、その向こうに
若草山をバックに眺める薬師寺の堂宇。
心に沁みるような光景でした。

薬師寺の金堂の左には、遠く
東大寺大仏殿が見えていました。

周囲には、大きな望遠レンズで、この景色の
写真を撮っているカメラマンが何人もいました。

道端でしたが、この景色を眺めながら食べた
おにぎりは、美味しかったです。

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