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養老鉄道は桑名から大垣を経由し揖斐に
向かう57.5kmの養老線を有する鉄道です。
養老線は、三重県と岐阜県を南北に走る
養老山脈と濃尾平野との境に沿って走っています。
養老線は、1913年に養老 - 大垣 - 池野が開業しています。
その後、桑名 - 養老間、池野 - 揖斐間が1919年に開業し、
現在の養老線が全通しています。
当初、養老線を開業させたのは初代・養老鉄道ですが、
その後、買収、合併により経営会社が何度か変わり、
1944年に近畿日本鉄道(近鉄)が発足すると、
養老線も近鉄の路線になりました。
その後、養老線の赤字による存続の問題が生じ、線路・施設は
近鉄が保有し、運行を行う会社を2007年に設立する運びとなりました。
この会社が二代目・養老鉄道で、近鉄の100%子会社です。
沿線の市町村が合計3億円を限度に赤字額の支援を行っていました。
2018年からは、養老線の線路・施設の保有を
養老線管理機構に譲渡しています。
この養老線に2012年3月には再乗しています。
この時の乗車記を紹介ます。
2012年3月、桑名城址の九華公園と、桑名市内の
散策を終えて、桑名駅にやってきました。
桑名城の登城記はこちらです。
桑名駅は、JR東海関西本線、近鉄名古屋本線、
養老鉄道、そして三岐鉄道北勢線が乗り入れる駅です。
JR関西本線の乗車記はこちらです。
乗車したのは養老鉄道が発足して5年後でしたが、
近鉄時代と同じ車両で、塗装も変わっていませんでした。
2019年からは、元東急の車両も投入されているようです。
乗車したのは月曜日の昼前の時間帯でした。
車内は良く空いていました。
桑名駅に停車中の電車の先頭部からの眺めです。
養老鉄道の桑名駅は、近鉄とJRに挟まれた位置にあります。
上の写真の右手にJR、左手に近鉄の駅があります。
養老線の線路は、桑名駅を発車すると近鉄名古屋本線を
アンダークロスし、すぐに北へと向きを変えて行きます。
桑名の市街地を抜け、周囲には田園風景が広がりました。
養老線の線路も田園風景の中を真っすぐに伸びていました。
桑名から二駅目の下深谷駅に到着しました。
島式ホームの静かな駅ですが、桑名北高校の
最寄り駅ということで、朝夕は通学の
高校生で混みあうのでしょうか。
下深谷から田園風景の中を走ります。
この辺りは、1km程離れて東側を揖斐川が流れています。
少し高い位置を走る際に、東側の景色が開けてきました。
名古屋の高層ビル群も見えると思いますが、
この日は確認出来ませんでした。
下深谷の次の下野代駅に到着しました。
下野代は河岸段丘の脇の小さな駅でした。
下野代からは、西側の展望が開けました。
開けた田圃の向こうに、鈴鹿山脈の山々が見えていました。
この景色を眺め、桑名から13分で多度に到着しました。
かつては桑名郡多度町の中心駅でした。
2004年に桑名市と合併しています。
上げ馬神事で知られる多度大社は西に
約1.7km程のところにあり、徒歩約20分です。
2012年3月の際には多度で下車しました。
多度駅前の様子です。
多度大社の散策記はこちらです。 多度 - 養老
多度大社の散策を50分程で終え、多度駅に戻りました。
多度からは、12:57発の大垣行の電車に乗りました。
養老鉄道は全線単線の路線です。
乗車した2012年3月当時は、日中は30分毎でしたが、
現在(2021年7月改正ダイヤ)で40分毎になっています。
先頭車両からの眺めです。
地方ローカル線の路線としては交換設備のある駅が多く、
大垣までの区間では、中間駅と信号場合わせ
17駅のうち11駅に交換設備が残っています。
多度からの車窓は一段と鄙びた景色となりました。
進行左手には、養老山地の山が迫っています。
右手は、濃尾平野の広々とした景色です。
人家も少なく耕地が広がっていました。
多度から2駅目の石津を過ぎると、
小さなトンネルを抜けました。
このトンネルは養老山地から揖斐川へと
流れ出る天井川の河床を潜っています。
養老線にはほかに3か所、こうした
天井川を潜るトンネルがあるそうです。
この先も、車窓右手には、広々とした景色が広がり、
その先に、揖斐川の堤防が見えていました。
この辺りが、養老線と揖斐川の距離が
最も近い辺りになります。
美濃山崎に到着しました。
ここにも列車交換設備が残されています。
2021年9月改正のダイヤでは、美濃山崎で
日中、上下列車が行き違いをしています。
美濃山崎を過ぎると、養老線は揖斐川の
支流、津谷川に沿い北西に進んでいきます。
養老山地と濃尾平野の景色は変わらずに続いています。
駒野の先で、線路が左にカーブしている所で、
遠く、行くを抱いた山が見えていました。
伊吹山か、その北の美濃と越前の国境の山々でしょうか。
養老線の線路は養老山地に向かって続いていました。
やがて、美濃津屋駅に到着しました。
ここも、立派な行き違い施設が残っています。
養老山地の山あいに設置されたようにも見えますが
東側には濃尾平野が広がっていました。
こうして養老に到着しました。
多度から20.2km、約30分の乗車でした。
この養老でも、途中下車しました。
駅舎には切符売り場がありました。
地方ローカル線では駅の無人化が進んでいて、
昔ながらの切符売り場が見られなくなっています。
1919年(大正8年)に改築された駅舎です。
この養老駅は、養老の滝の最寄り駅です。
途中下車して、養老の滝に行ってみました。
養老の滝の散策記はこちらです。 養老 - 大垣
養老の滝に向かったのち、養老駅に戻りました。
この時は50分程の滞在でしたが、養老の滝までは
辿り着けず、2時間は時間を見ておいた方が良さそうです。
養老の滝の散策記はこちらです。
養老から乗車した大垣行の電車です。
養老駅構内の様子です。
行き違い設備や副本線もあり、往時の
ローカル線の中核駅の風格を残しています。
養老を発車すると、進行左手遠くに
雪を抱いた伊吹山が見えてきました。
伊吹山が見えている谷を遡ると関が原に辿り着きます。
1600年(慶長5年)の天下分け目の関ヶ原の戦いの際、
島津軍はこの谷を強行突破し、薩摩に帰国しています。
次の美濃高田も行き違い可能な駅でした。
ここで桑名行の上り電車と交換しました。
美濃高田を発車すると、右の大きくカーブし、それまで北を
目指していた養老線の電車は進行方向を東に変えました。
養老山地の山々から離れ、濃尾平野を走ります。
この辺りは、濃尾平野の西端にあたります。
烏江駅を過ぎると高架橋となり、揖斐川の
支流の牧田川と相川を越えて行きました。
進行左手後方には、濃尾平野の向こうに
雪を抱いた伊吹山が見えていました。
高架橋で左に大きくカーブを切り、再び北を目指します。
周囲は、広々とした田園風景です。
友江駅に到着しました。
友江も行き違い可能な駅でした。
次の美濃青柳駅に到着しました。
この駅の先には、東海道新幹線の高架橋が見えています。
東海道新幹線をアンダークロスしました。
東海道新幹線は、この東10km程の所に岐阜羽島駅があります。
現在は、岐阜から名鉄羽島線が乗り入れていますが、開業後
しばらくは、田圃の中の単独駅で、岐阜県第二の都市、大垣
からのアクセスも悪かったので、この養老線との交差地点に
駅を造ったほうのが良かったのでは、と思います。
新幹線をアンダークロスすると、大垣の
市街地となり、家が建て混んで来ました。
西大垣で、上り列車と行き違いしました。
西大垣は、車両基地もある養老線の要衝の駅です。
養老鉄道の本社もこの西大垣に位置しています。
地図で確認すると、駅前には電子部品メーカーの
イビデンの本社もあります。
イビデンの前身は、戦前に養老線を経営していた
旧養老鉄道を買収した揖斐川電気です。
大手企業の本社も近くにある西大垣ですが、
2018年の乗降客数は僅かに395人でした。
西大垣から3分で列車の終点、大垣駅に到着しました。
桑名から43.1km、乗りとおすと1時間10分程の所要時間です。
養老線は、終点は揖斐ですが、大垣でスイッチバックする
線形になっていて、桑名や揖斐からの電車は
すべて大垣が終点になっています。
養老線の大垣駅は、構内も広く、立派な駅舎の
JR大垣駅の南にひっそり佇んでいました。
頭端式の1面2線の線路配置でした。
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