多度大社は、雄略天皇の時代に創建されたと伝わります。
古くから伊勢国二宮、そして神宮寺が
1571年(元亀2年)の織田信長の長島一向一揆平定の際に
この多度大社に、2012年に訪れました。
多度大社は、養老鉄道養老線の多度駅の
多度駅から北に向かい多度川を渡り、西に向かいました。
未知の途中に古風な趣のある建物がありました。
その先に地蔵堂がありました。
本尊の地蔵菩薩は16世紀末から17世紀初めに
多度大社の手前には多度稲荷神社がありました。
多度稲荷神社の北には多度観音堂があります。
千手観音と十一面観音を祀るお寺で、
多度大社はこの多度観音堂のすぐ西に位置ています。
多度駅近くから歩いてきた道が南へと折れ曲がると、
鳥居は何故か、多度大社の参道とは 多度大社の参道です。
急斜面の坂道の先は高さ2m程の壁がありました。
上げ馬神事は、騎乗でこの坂道を駆け上がり、
この神事では、馬の怪我や、神事を行う前に
石段を上った所に社がありました。
祭神は、天津彦根命幸魂
新宮社の西側には神馬舎がありました。
最近は、神馬といっても、置物で代用している
多度大社の本殿にあたる本宮は、境内の奥にあります。
参道を歩いていくと、右手に白馬舎がありました。
白馬舎の先に、石段の上に鳥居があり、
於葺門の手前左手に美御前社があります。
市杵島姫命
いよいよ於葺門をくぐりました。
於葺門から清流を渡ると、正面に本宮がありました。
本宮の祭神・天津彦根命は、天照大神と
別宮の祭神は天戸間見命で、天津彦根命の子にあたります。
清流を渡る手前の所には神明社があります。
本宮の奥にある滝です。
本宮の周囲の山や木々は厳かな雰囲気に
多度大社、三重県
Tado Taisha Shrine, Mie
多度大社本宮の祭神は、天照大神の三男にあたる
天津彦根命ですが、古代は多度山が御神体だったそうです。
準国分寺として信仰を集めた神社です。
多度大社の社殿はすべて焼き尽くされてしまったそうです。
1605年(慶長10年)に桑名藩主・本多忠勝によって復興されました。
その際の様子を紹介します。
西、1.7km程の所に位置しています。
撮影: 2012年3月
この路は、古くから多度大社への参拝路だったと思います。
鯉料理の大黒屋です。
撮影: 2012年3月
撮影: 2012年3月
かけて作られたと考えられているようです。
1864年(元治元年)に近くの庄屋が、伏見稲荷神社の
分霊を治めるために神社を創建したそうです。
撮影: 2012年3月
763年(天平宝宇7年)に建立されたお寺のようです。
撮影: 2012年3月
千手観音は平安時代に造られたそうです。
参道は多度大社の南側にあります。
鳥居が見え、その先に茅葺の建物がありました。
撮影: 2012年3月
異なり、東西方向に向いて立っていました。
南側の斜面に石段が続いています。
その石段の左側に土の坂道が続いています。
撮影: 2012年3月
この坂道で、毎年五月に上げ馬神事が行われます。
撮影: 2012年3月
人馬が坂の上の壁を越えるかどうかで、
その年の豊作や景気を占うものです。
馬を蹴ったりする場面が、虐待行為とされ、
物議を醸している面もあるようです。
新宮社です。
撮影: 2012年3月
天目一箇命幸魂
(あめのまひとつのみことさきみたま)
です。
天目一箇神は、多賀大社の祭神・
天津彦根の子にあたります。
撮影: 2012年3月
神社が殆どですが、ここでは実物の神馬でした。
白い毛並みの馬は、きっと貴重なものと思います。
神楽殿脇の鳥居をくぐって、奥へと向かいました。
撮影: 2012年3月
こちらは、馬の像が置かれていました。
撮影: 2012年3月
その先に於葺門
撮影: 2012年3月
多度大社 三の鳥居〜本宮
赤い社殿が美しさを引き立てています。
撮影: 2012年3月
多賀大社の祭神、天津彦根命とは兄妹の関係になるそうです。
於葺門から先が多賀大社本殿の神域です。
撮影: 2012年3月
その右手に別宮があります。
撮影: 2012年3月
須佐之男命の間に生まれています。
ここに天照大神が祀られています。
撮影: 2012年3月
撮影: 2012年3月
包まれていて、この滝も厳かな雰囲気を感じました。