多度大社、三重県
Tado Taisha Shrine, Mie

多度大社は、雄略天皇の時代に創建されたと伝わります。
多度大社本宮の祭神は、天照大神の三男にあたる
天津彦根命ですが、古代は多度山が御神体だったそうです。

古くから伊勢国二宮、そして神宮寺が
準国分寺として信仰を集めた神社です。

1571年(元亀2年)の織田信長の長島一向一揆平定の際に
多度大社の社殿はすべて焼き尽くされてしまったそうです。
1605年(慶長10年)に桑名藩主・本多忠勝によって復興されました。

桑名城の登城記はこちらです。

この多度大社に、2012年に訪れました。
その際の様子を紹介します。

多度駅から多度大社へ

多度大社は、養老鉄道養老線の多度駅の
西、1.7km程の所に位置しています。

養老線の乗車記はこちらです。


撮影: 2012年3月

多度駅から北に向かい多度川を渡り、西に向かいました。
この路は、古くから多度大社への参拝路だったと思います。

未知の途中に古風な趣のある建物がありました。
鯉料理の大黒屋です。


撮影: 2012年3月

その先に地蔵堂がありました。


撮影: 2012年3月

本尊の地蔵菩薩は16世紀末から17世紀初めに
かけて作られたと考えられているようです。

多度大社の手前には多度稲荷神社がありました。
1864年(元治元年)に近くの庄屋が、伏見稲荷神社の
分霊を治めるために神社を創建したそうです。


撮影: 2012年3月

多度稲荷神社の北には多度観音堂があります。
763年(天平宝宇7年)に建立されたお寺のようです。


撮影: 2012年3月

千手観音と十一面観音を祀るお寺で、
千手観音は平安時代に造られたそうです。

多度大社はこの多度観音堂のすぐ西に位置ています。
参道は多度大社の南側にあります。

多度駅近くから歩いてきた道が南へと折れ曲がると、
鳥居が見え、その先に茅葺の建物がありました。


撮影: 2012年3月

鳥居は何故か、多度大社の参道とは
異なり、東西方向に向いて立っていました。

多度大社 上げ坂〜三の鳥居

多度大社の参道です。
南側の斜面に石段が続いています。
その石段の左側に土の坂道が続いています。


撮影: 2012年3月

急斜面の坂道の先は高さ2m程の壁がありました。
この坂道で、毎年五月に上げ馬神事が行われます。


撮影: 2012年3月

上げ馬神事は、騎乗でこの坂道を駆け上がり、
人馬が坂の上の壁を越えるかどうかで、
その年の豊作や景気を占うものです。

この神事では、馬の怪我や、神事を行う前に
馬を蹴ったりする場面が、虐待行為とされ、
物議を醸している面もあるようです。

石段を上った所に社がありました。
新宮社です。


撮影: 2012年3月

祭神は、天津彦根命幸魂 (あまつひこねのみことさきみたま) と、
天目一箇命幸魂
(あめのまひとつのみことさきみたま) です。
天目一箇神は、多賀大社の祭神・
天津彦根の子にあたります。

新宮社の西側には神馬舎がありました。


撮影: 2012年3月

最近は、神馬といっても、置物で代用している
神社が殆どですが、ここでは実物の神馬でした。
白い毛並みの馬は、きっと貴重なものと思います。

多度大社の本殿にあたる本宮は、境内の奥にあります。
神楽殿脇の鳥居をくぐって、奥へと向かいました。


撮影: 2012年3月

参道を歩いていくと、右手に白馬舎がありました。
こちらは、馬の像が置かれていました。


撮影: 2012年3月

白馬舎の先に、石段の上に鳥居があり、
その先に於葺門
(おぶきもん) が見えています。


撮影: 2012年3月

多度大社 三の鳥居〜本宮

於葺門の手前左手に美御前社があります。
赤い社殿が美しさを引き立てています。


撮影: 2012年3月

市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) が祀られています。
多賀大社の祭神、天津彦根命とは兄妹の関係になるそうです。

いよいよ於葺門をくぐりました。
於葺門から先が多賀大社本殿の神域です。


撮影: 2012年3月

於葺門から清流を渡ると、正面に本宮がありました。
その右手に別宮があります。


撮影: 2012年3月

本宮の祭神・天津彦根命は、天照大神と
須佐之男命の間に生まれています。

別宮の祭神は天戸間見命で、天津彦根命の子にあたります。

清流を渡る手前の所には神明社があります。
ここに天照大神が祀られています。


撮影: 2012年3月

本宮の奥にある滝です。


撮影: 2012年3月

本宮の周囲の山や木々は厳かな雰囲気に
包まれていて、この滝も厳かな雰囲気を感じました。

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