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名古屋鉄道西尾線は、名古屋鉄道本線の
新安城から分岐し、ほぼまっすぐに南下し、
吉良吉田に至る営業キロ、24,7kmの路線です。
終点の吉良吉田では蒲郡線に接続しています。
名古屋本線の乗車記はこちらです。
西尾線の歴史は、1911年(明治44年)の岡崎新と西尾を結ぶ
西三軌道による軽便鉄道の建設から始まっています。
1915年(大正4年)には西尾から吉良吉田まで
路線が延長され、西尾線と名付けられています。
この間に西三軌道は西尾鉄道と名称を変更し、
1926年(大正15年)に愛知電気鉄道と合併しています。
西尾から北は、今村(現・新安城) - 米津間が1926年
(大正15年)に碧海電気鉄道によって開業しました。
その2年後に西尾まで延長開業しています。
1943年(昭和18年)には岡崎新 - 西尾間が休止となり、
翌年に碧海電気鉄道が名古屋鉄道と合併し、
今村(新安城) - 吉良吉田間が西尾線になりました。
西尾線も、西尾以北は乗降客数も伸びていますが、
西尾以南は乗降客数が減少しています。
その名古屋鉄道西尾線には2011年11月と2021年9月に
吉良吉田から新安城まで乗車しています。
その時の様子を紹介します。
蒲郡線の電車に乗って吉良吉田に到着し、
西尾線の電車に乗り継ぐには、
中間改札を抜ける必要があります。
中間改札を抜けると西尾線のホームになります。
吉良吉田の西尾線は2つの乗り場がありますが、
駅舎よりのホームに入線した電車が
折り返すダイヤになっています。
2011年11月に乗車した際には、西尾線に乗る前に、
吉良吉田で下車し、近くのお寺を訪ね歩きました。
吉良吉田の散策記はこちらです。
吉良吉田の西尾線のホームは短く、
4両編成の急行が停車するとホームの
端から端まで電車が停まってしまいます。
あまりにホームの端まで停まっているので
先頭部を撮るのに苦労しました。
ホームの端の先頭車両に乗車したこともありますが、
吉良吉田発車時点では、車内は良く空いていました。
吉良吉田駅からの進行方向の眺めです。
吉良吉田を発車すると、駅周辺の
集落を真っすぐに走っていきます。
集落を抜けると、広大な田畑が広がる
のどかな景色となりました。
愛知県は自動車産業や航空機産業、
窯業などを中心とした工業県として
知られていますが、農業も盛んで、
農業産出額は全国で7番目になっています。
その愛知県の農業は西尾線の走る
矢作川流域も中心の一つです。
車窓右手に見えてきた低い山には
饗庭城という中世の古城があった所です。
この田園風景の中を、電車は北に向かって走ります。
前方になだらかな丘陵地が見えています。
この丘陵地の麓が吉良上野介の所領地だった吉良の辺りです。
吉良の散策記はこちらです。
西尾線の電車はやがて上横須賀に停車しました。
吉良吉田と上横須賀間の駅間距離は4.2kmと
私鉄路線としては長くなっています。
1969年までは東富田駅、2006年12月までは
三河荻原駅が、この間に存在していました。
三河荻原が廃止になった後の2008年のダイヤ改正で、
それまで西尾止まりだった急行が、吉良吉田まで
延長されていますが、西尾 - 吉良吉田間の駅が
廃駅になって停車駅数が削減された為でしょうか。
ここで、吉良吉田行きの急行と行き違えしました。
上横須賀を発車すると、左に大きくカーブし、
勾配を上り、矢作古川の堤防へと向かいます。
進行右手に吉良の丘陵地が良く見えてきました。
矢作川は西三河地方に恵みをもたらす一級河川です。
今は立派な堤防も築かれていますが、江戸時代には
氾濫を繰り返し、河口近くの放水路を築いています。
その放水路が、今は矢作川の本流となり、
かつての矢作川が矢作古川です。
矢作古川を渡っても田園風景が続きます。
そして小さな集落を抜けていきました。
下の写真に、新安城を起点とし、19kmの
キロポストが立っていますが、18.8kmの
ところにかつては鎌谷駅がありました。
写真に写っている白い建物辺りが
かつての鎌谷駅だと思います。
鎌谷駅も2006年12月に廃駅となっています。
そして、福地駅に到着しました。
かつての鎌谷駅から1.4kmの位置です。
福地駅を出てもしばらくは田園風景が続きます。
やがて集落が増え、西尾の市街地に入りました。
平地を走っていた西尾線も高架を走るようになります。
高架から眺める西尾の市街地です。
西尾市は、江戸時代には西尾藩が置かれ、
西尾城を中心とした城下町で栄えた所です。
室町時代に駿河・遠江二国の守護大名だった
今川氏も西尾が発祥の地です。
現在の人口は17万人弱です。
吉良吉田から12分で西尾に着きました。
西尾線の中心駅ですが、島式ホームが
一つあるだけのコンパクトな駅です。
西尾駅に到着した弥富行の急行電車です。
駅前からは西尾駅周辺のビルも眺められます。
都会的な景色の西尾で途中下車し、
駅周辺の史跡を散策しました。
西尾の散策記はこちらです。
2021年9月、西尾城址を訪れた後、
西尾駅に戻り、西尾線の旅を続けました。
西尾駅は西尾線の中心駅ですが、高架橋の
上には島式のホームが一面あるだけです。
日中は、吉良吉田からの急行と西尾始発の
普通が毎時、夫々二本づつ発着しています。
急行電車を見送り、西尾始発の
新安城行普通電車に乗車しました。
先頭車両から眺める新安城方面の眺めです。
発車前の車内の様子です。
西尾止まりの普通列車が折り返し新安城行になります。
二両編成の電車ですが、新安城方面の急行が発車した
直後という事もあり、車内はほぼ無人の状態でした。
西尾線は西尾から次の西尾口の直前まで西尾の
中心街を眺めながら、高架橋を複線で走ります。
西尾口は、JR岡崎駅に隣接していた
岡崎新までの路線との接続駅でした。
岡崎新までの愛知鉄道西尾線の廃線跡の様子はこちらです:
西尾口を過ぎると西尾線は地上に下り、
集落の立ち並ぶ中、桜町前駅に到着しました。
個人的には高校生の時に、桜町前駅近くの高校で
部活の試合があり、利用したのが懐かしい思い出です。
桜町前から勾配を上り、矢作川を渡ります。
西三河地方の母なる川、矢作川です。
緩やかに流れるその姿はいつも心を和ませてくれます。
矢作川を渡ると米津の集落です。
西尾市の市域は米津までで、米津の集落を抜けると
安城市となり、のどかな田園風景となりました。
西尾もですが、安城も自動車部品産業が盛んな所です。
その一方で、農業も盛んで、特に安城は一時期、
日本のデンマークと言われていました。
田園風景の向こうに、自動車部品企業の
ビルや工場が建ち並んでいます。
その自動車部品会社の建物に近づくと南桜井です。
2008年に開業した新しい駅です。
トヨタ系の自動車部品会社では従来の車通勤から
公共交通機関の利用が推奨されていることもあり、
利用客が年々増加し、西尾駅に次ぎ線内で
第二位の乗降客数になっています。
南桜井からは複線となり、途中から、
再び高架を走るようになります。
西尾行の普通電車とすれ違いました。
次の桜井駅に隣接してショッピングモールがありました。
この先で再び地上に下り、集落の中を走っていきます。
この辺りは南北に続く微高地の上を西尾線が走っています。
微高地に集落が続いていますが、この周辺は気候が温暖で、
古い時代から人々が住み着いていたようで、
この辺りの東側には数多くの古墳があります。
やがて東海道新幹線の高架橋をアンダークロスしました。
以前、東海道新幹線に三河安城駅が新設された際には
この交差部も新駅の候補地の一つになったそうです。
この先でも集落地の中を直進していきます。
碧海古井を過ぎると、三度目の高架橋となります。
西尾線の西1km程のところに安城市の中心街があり、
西尾線の電車は南安城駅に到着しました。
南安城駅で吉良吉田駅行の急行電車と行き違いしました。
南安城駅は、西尾線で最も安城市の中心街に近い駅です。
中心地にあるJR安城駅まで約1km、徒歩15分の距離ですが、
この両駅を乗り継ぐ人は少ないと思います。
南安城を発車するとJR東海道本線をオーバークロスします。
この地点に、接続駅があればとても便利になりますが、
そうなると、名古屋方面に向かう西尾線の乗客がJRを
利用する事になるので、実現することはないでしょう。
東海道本線をオーバークロスし、北安城を過ぎ
しばらく走ると、広々と田圃が広がりました。
行く手に高層住宅が何棟も現れると、
西尾線の起点、新安城も間近です。
進行右手から名古屋鉄道名古屋本線が
近付き、新安城駅に到着しました。
名古屋鉄道名古屋本線の乗車記はこちらです:
西尾駅から15.0km、急行電車で18分、
普通電車で21分の所要時間です。
安城市の中心からは外れていますが、一日の乗降客数は
18,000人ほどで、JR安城駅とほぼ同じ利用客数です。
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