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豊川線は戦時中に、諏訪町付近にあった豊川海軍工廠への
軍事物質輸送や通勤を目的に建設されたそうです。
国府 - 市役所(現・諏訪町)間が
開業したのは1945年(昭和20年)です。
その後、現在のJR飯田線への乗り入れを目指し、
1954年(昭和29年)に豊川稲荷まで延長されています。
それ以前は、名鉄名古屋本線から豊川方面へは
伊奈駅から小坂井駅に至る小坂井支線経由で
接続していたそうです。
現在では名古屋本線名古屋方面の急行が
毎時2本乗り入れ、区間内を走る普通と合わせ
一時間に4本の列車が運行されています。
全区間専用軌道を走り、普通の鉄道路線と変わらない
豊川線ですが軌道法に基づいて建設されています。
法律的には、この豊川線は路面電車と同じ仲間です。
2009年11月に豊川の町を散策した帰りに
豊川線を乗り通しました。
豊川の散策記はこちらです。
その時の様子を紹介します。
豊川稲荷 - 国府
(Toyokawa Inari - Koh)
牛久保界隈から戦国時代のこの地方の
豪族・牧野氏所縁の古城を訪ね、豊川駅近くの
三明寺を経由して豊川稲荷駅に向かいました。
名鉄の豊川稲荷駅は、新装なっ
JR豊川駅の西側に佇んでいます。
この地域の文化圏は豊橋と思いますが、
名古屋を結ぶ直通列車が何本も走る
名鉄の利用者が多くなっています。
JR飯田線の乗車記はこちらです。
豊川稲荷駅は頭端式の島式ホームの両側に線路のある
シンプルな構造で、駅のホームに向かった時には、
名鉄一宮行の急行電車が既に入線していました。
名鉄一宮行の急行電車は6両の長い編成でした。
週末の昼下がりで、電車は良く空いていました。
豊川稲荷を発車すると、豊川線の電車は
JR飯田線と並走し、南に向かって走ります。
JR飯田線も豊橋 - 豊川間は複線区間で、
単線の豊川線は、豊川稲荷駅の位置や構造といい
間借りしている様な感じになっています。
この先で豊川線は右に大きくカーブを切り、
住宅の間を抜け、稲荷口に至ります。
稲荷口駅に到着した時の様子です。
思いがけず広い幅の島式ホームの駅でした。
この稲荷口駅からほぼまっすぐ西に向かいます。
線路の両側に道路が走っています。
広い道路の真ん中を走っているようにも見えますが、
線路の両側の道は、それぞれ対面通行の別の道路です。
この辺りは豊川の市街地になっていて、
車窓には住宅が続きます。
小さな川を渡り、車窓の景色が広がりました。
やがて諏訪町駅に到着しました。
この諏訪町は市役所にも近く、乗降客も多い
駅ですが、片面ホームの小さな駅でした。
列車を待つ人も10人以上いたと思います。
諏訪町駅を出るとすぐに信号場がありました。
豊川線には起点の国府と終点の豊川稲荷を含め
全部で5つの駅がありますが、諏訪町以外の駅は
列車交換設備を有していて、この信号場は
行き違い出来ない諏訪町を補うものでしょう。
しばらく走ると、線路は高架橋となりました。
直線の線路がずっと続いていて変化の少ない
車窓風景だったので、この高架橋は
いいアクセントになりました。
高架橋に上ると八幡駅に到着です。
反対側には豊川稲荷行きの
急行電車が交換待ちの停車中でした。
この八幡駅の前には自動車会社の工場があり、
数多くの出荷待ちの自動車が並んでいました。
八幡駅を過ぎると、豊川の市街地も尽き
田圃が広がるのどかな景色となりました。
この辺りは、奈良時代に三河の国府や
国分寺・国分尼寺が置かれたところです。
三河の国府跡の様子はこちらです。
三河国分寺跡の様子はこちらです。
三河国分尼寺跡の様子はこちらです。
のどかな景色が広がったかと思うと間もなく
左側に名古屋本線の線路が現れました。
大きなカーブを描き名古屋本線の線路に寄り沿います。
しばらく名古屋本線と並走し、国府に到着しました。
国府駅は3面6線の線路配置になっています。
西側の2面4線が名古屋本線、東側の1面2線が豊川線です。
駅の手前には名古屋本線への渡り線はありませんでした。
国府駅に到着した名鉄一宮行きの急行です。
急行と言っても豊川線内は各駅停車で、
7.2kmを11分かけて走りました。
この列車は国府駅を発車したところでポイントを渡り
名古屋本線へと合流し、名鉄一宮へと向かいました。
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