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深夜、長岡駅停車中の様子です。
同じ区間に設定された昼行特急の「白山」や、
北陸新幹線の長野開業する1997年10月までの
夜行急行「能登」は長野経由で運行されていました。
高崎から糸魚川間の途中駅での停車が無い「北陸」は
横川 - 軽井沢間の急勾配が無い長岡経由が
選ばれていたものと思います。
この「北陸」には2度ほど乗車していますが、
2回目に乗車したのは、廃止を一か月後に
控えた、2010年2月10日の事です。
この時の様子を紹介します。
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上野駅にて
(at Ueno Station)
2010年2月10日。
この日、東京での仕事を終え、
夜に上野駅に向かいました。
ダイヤ改正を一か月後に控え、このダイヤ改正で
廃止になってしまう寝台特急「北陸」に乗車する為です。
上野駅の発車案内に表示された特急「北陸」です。
上野駅には、発車の40分程前に着いていました。
寝台特急「北陸」が発車する13番線に向かうと
鉄道ファンの姿がありました。
残りあと僅かになった「北陸」の姿を
カメラに収めようと集まっているのです。
上野駅の13番線ホームは、かつては青森や仙台に向かう
特急「はつかり」や「ひばり」、寝台特急「はくつる」や
「ゆうづる」や「あけぼの」などの看板列車が発着していましたが
東北新幹線の開業で、発着する列車が激減しています。
乗車した2010年時点では、この「北陸」の他には
「カシオペア」や「北斗星」、「あけぼの」など
残っていた寝台特急の発着ホームとして
過去のにぎわいも多少残っていました。
発車時刻の20分程前の22:45に、
「北陸」の編成が13番線に入線して来ました。
13番線のある上野駅の地平ホームは、
ホームの端が行き止まりになっています。
「北陸」の様な客車列車の場合は機関車が
牽引しているのですが、このホームの構造では
機関車を先頭に付け替える事が出来ない為、
列車の後側を先頭にホームに入って来るのです。
夜行列車全盛の頃には、ありふれた光景でしたが
今となっては、貴重な記録になりそうです。
列車が到着した後に、最後尾から
先頭の機関車まで歩いてみました。
上の写真左は、個室A寝台のシングルデラックス、
写真右は個室B寝台のソロです。
個室が上下二段に分かれているのが良く判ります。
寝台特急「北陸」の金沢行の行き先表示版です。
「北陸」の客車は14系と呼ばれる
分散電源式の車両が使われています。
この車両は以前は、長崎・佐世保行の寝台特急
「さくら」や「みずほ」に使われていた車両でした。
1999年以降、8両編成と短くなった列車を
全部見終るのにそれ程時間はかかりませんでした。
客車と機関車との連結部分の様子です。
上野を23:03に発車した「北陸」は511.2kmの
道のりを7時間26分かけて走ります。
その先頭に立つ機関車はEF64。
中央本線や上越線などで主に貨物列車を
牽引していた直流電気機関車です。
誇らしげに「北陸」のヘッドマークを掲げています。
北陸本線の交流電化区間は走行出来ないので
進行方向の変わる長岡迄、この機関車が
寝台特急「北陸」を牽引します。
「北陸」のヘッドマークを掲げた機関車の
姿を見られるのも後一ヶ月です。
その姿をカメラに収めようと多くの
鉄道ファンの人が詰めかけていました。
入線してから発車まで15分ちょっとしかないので
写真を撮った後は、すぐに車内に入りました。
この日予約が取れた寝台は5号車7番の上段です。
廃止が迫った「北陸」の寝台券を入手するのは
なかなか難しく、この日の寝台券も一ヶ月前の
発売開始の当日10時に、岡崎駅のみどりの窓口に
行ったのですが、10時を少し過ぎて入力を終えた時には
一旦すべての寝台券が売り切れてしまっていました。
この寝台券は駅員さんが、再度トライして、
奇跡的に1枚のチケットが残っていて
それでやっと購入出来たものなのです。
5号車は普通のB寝台車で、一つの区画に
二段になったベッドが計4つ配置されています。
上段の自分のベッドにコートを掛けた様子です。
通路の上部が空間になっていて、
荷物をそこに収める事も可能ですが、
貴重品は身に着けておく必要があります。
発車時間が近づき、隣のソロの車両の
出入り口からホームを眺めた様子です。
上野 - 長岡
(Ueno - Nagaoka)
上野を定時に発車しました。
ベッドは上段で窓の外も眺められないので
通路から車窓の景色を眺めていました。
通路に簡易椅子が設けられていて
こうして窓の外を眺められます。
これは日暮里辺りでしょうか。
23時を回っていますが、まだ多くの人が
ホームで帰宅の電車を待っています。
「北陸」の車内は、このような日常から解放され
故郷に帰るくつろぎや旅への期待に満ちていて、
車窓の光景とは対照的です。
暫くこの景色を眺めていましたが、
列車の最後尾に行ってみました。
途中で通った「ソロ」の車両です。
個室では、室内のライトを消すと、
夜でも車窓の景色が見られるので
明るい通路に出ている人はいませんでした。
最後尾の車両の貫通路の窓から
去りゆく景色が眺められます。
寝台列車でのここからの眺め
車窓風景でも好きな景色の一つです。
大都市圏では、煌々とした
駅の灯りが頻繁に現れてきます。
しかし、深夜にこの様に多くの
通勤客の姿には改めてびっくりしました。
週末を控え、飲んで帰る人が多いのでしょうか。
上野から22分で大宮に到着しました。
大宮に到着したのは23:25。
ホームで待つ人の姿も幾分少なくなっていました。
停車時間は2分程です。
ホームに出てみたかったのですが、乗り遅れると
大変なので乗車口のドアから身体を半分乗り出して
ホームの様子をカメラに収めました。
大宮を発車して、しばらく宇都宮行の
湘南新宿ラインの電車と並走しました。
まだこれからも高崎線の主要駅を通過し、
1時間後には高崎にも停車しますが、
明日も朝が早いので、車窓を眺めるのを
ここで切り上げてベッドに入りました。
寝台列車特有の揺れと旅の興奮で
なかなか寝付けずに、1時頃に目を覚ましました。
寝付く時には暑い程だった車内も
いつの間にか冷えていました。
次に目を覚ましたのは長岡駅停車中でした。
ここでは、上野駅で見たEF64型の機関車を切り離し
交直両用のEF81という機関車を連結します。
うつらうつらしていると、その衝撃を感じました。
長岡 - 金沢
長岡を発車した後は、再び眠りに就き
後15分で富山到着というアナウンスで
目を覚ました。
途中の糸魚川や魚津停車には
気が付かなかったので、
そこそこ寝ていたのでしょうか。
時刻は5:20過ぎで、早すぎるアナウンスですが
これを気に、起きる事にしました。
富山到着時の様子です。
実は今回の旅の目的の一つに、この日の
一ヶ月半程前に開業した富山地方鉄道の
富山都心線に乗車する事がありました。
こんなに早い時間なのですが、ホームには
出迎えの人なのか、「北陸」の見送りか、
子供連れの女の人が立っていました。
富山を発車し、闇の中を走って行きます。
途中駅を通過した時だけは
煌々と灯るホームの灯りに照らされて
写真も撮る事が出来ました。
そして、時々踏切の警報の音が鳴り、
一瞬線路を照らす灯りが暗闇に現れ
そして走り去っていきます。
次の停車駅は高岡です。
まだ陽も昇らない明け方の高岡駅。
ホームは殆ど無人でした。
そんな中を一人の下車客が改札に向かっていきました。
後ほど、この街も散策しようと思っています。
ゆっくりと、高岡駅を発車しました。
寝台特急「北陸」は、暗闇のなか
倶利伽羅峠を越えていきます。
車窓に灯りが少なくなり、
漆黒の闇を行くような感じになりました。
その途中、最後の停車駅、津端に停車しました。
津端駅到着は6:14でしたが、真っ暗で、
人影も少ない駅構内は以前として深夜の様でした。
津端を発車すると、金沢まで僅か12分。
金沢駅到着の間際になって、ようやく
東の空が明るくなってきました。
北陸線幹線の高架橋が夜明け前の
空に浮き上がっていました。
やがて新幹線の高架橋が北陸本線の線路と離れ、
その間に車両基地が現れてきました。
特急「北越」の始発列車用の車両でしょうか、
煌々と車内灯を灯した485系特急用電車が
スタンバイしていました。
そして、浅野川の鉄橋を渡り金沢に到着しました。
ようやく目覚め始めたような、金沢の町並みでした。
上野 - 金沢間は511.2kmの距離があり、
表定速度は69.2km/hです。
機関車牽引の特急列車としては、
そこそこのスピードで走っていると思いますが、
2015年3月からは、この区間に北陸新幹線が延伸し、
東京と金沢の間を2時間30分程で結んでしまいます。
北陸新幹線の開業は、寝台特急「北陸」の
廃止から5年後の事ですが、こうなってしまえば
「北陸」は早晩、廃止の憂き目に遭っていた事でしょう。
金沢駅に到着した「北陸」です。
早朝の金沢駅には、祝日の為か
多くの鉄道ファンが出迎えていました。
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