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寝台特急「日本海」は大阪から湖西線、北陸本線
そして信越本線、羽越本線、奥羽本線と、
日本海縦貫線を通り青森へと至る特急列車です。
この寝台特急「日本海」の前身は、
1947年(昭和22年)7月に運転を開始した急行列車で
1950年(昭和25年)11月に「日本海」と名付けられました。
1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正で
特急列車に昇格しています。
1975年(昭和50年)には1往復が増発されて、
このうち1往復は青函トンネルが開通した
1988年(昭和63年)から函館まで
運転区間が延長されています。
しかし、2006年(平成18年)に函館までの乗り入れを中止し、
2008年(平成20年)には1往復に減便されています。
この寝台特急「日本海」には2008年11月に乗車しました。
その時の様子をいくつかの区間に
分けて紹介しようと思います。
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大阪 - 秋田
(Osaka - Akita)
2008年11月23日。
この日は朝早く家を出て、名古屋からの
近鉄特急「アーバンライナー」で大阪に入り、
開業したばかりの京阪電鉄・中之島線に
乗車したりしていました。
「アーバンライナー」の乗車記はこちらです。
京阪電鉄・中之島線の乗車記はこちらです。
そして、大阪発17:47の寝台特急
「日本海」で北海道を目指しました。
この時の北海道行きは、
北海道の鉄道全線乗車の旅でした。
寝台特急「日本海」は大阪駅10番線からの発車です。
久しぶりの寝台列車の旅で、ワクワクしていて
大阪駅の10番線ホームには発車時刻の
30分近く前には行っていました。
ホームで行きかう列車を眺めるうち、
17:41に寝台特急「日本海」の入線です。
直流電化と交流電化が入り混じっている
日本海縦貫線で使用されている
交流直流両用の機関車EF81が
青い車体の「日本海」を牽引しています。
"青森"という行き先表示板が旅情を誘います。
客車は24系と呼ばれる二段式寝台です。
入線した「日本海」に乗り込み、
早速車内の様子をカメラに収めてみました。
車両の片側に通路があり、
線路と直角の方向に二段式の
寝台が並んでいます。
この日は、寝台券はすべて売り切れていました。
この年の3月に、それまで2往復だった「日本海」が
一往復に削減されてしまった影響でしょうか。
予約した寝台は6号車11番の上段でした。
17:47、定刻に大阪を発車しました。
発車して4分程で、次の新大阪に到着です。
新大阪駅に停車中の「日本海」の様子です。
新大阪を出ると、大阪近郊の電車が
行きかう複々線を疾走していきます。
列車の最後尾から、
去り行く景色を眺めていました。
大山崎あたりは、町の灯火も少なく
闇夜にレールが微かに光る程度でしたが
さすがに駅を通過する際には、
まばゆい光が輝いていました。
最後尾からのこの景色を眺めるうち
18:20頃に京都駅に到着しました。
11月下旬の日曜日の列車とあって
京都観光を終えたと思しき人達が
たくさん乗車してきました。
京都を過ぎ、山科からは湖西線を走ります。
自分の車両に戻り、通路の簡易座席に座って
暗い車窓風景を眺めながら、大阪駅で
買い込んだ駅弁で夕食を摂りました。
食堂車は連結されておらず、
こうした食事はさすがに
侘しさが募ります。
暗い車窓に、金星と木星が輝いていました。
食事を終えて闇夜を眺めるうちに
山間の小駅に停まりました。
新疋田でしょうか。
ここで大阪を25分後に発車した
特急「雷鳥41号」に追い越されました。
機関車の牽引する「日本海」は、
最高速度が110km/hと遅く、
130km/hのスピードで北陸と大阪を結ぶ
「雷鳥」や「サンダーバード」に追い越されてしまいます。
19:41、大阪から約2時間で敦賀に到着しました。
敦賀では乗り込む乗客も少なく
ホームも閑散としていて、
まだ夜の8時前ですが、真夜中の様です。
しかも、この日は朝早く起きたせいか、
この早い時間にも係わらず睡魔が襲ってきました。
暗い車窓風景といい、普段の生活とは
違った空間にいるような錯覚に陥ります。
20:00をまわると車内からも
寝息が聞こえるようになってきました。
20:26発の福井で、ベッドに入ろうかと
思っていましたが、次の加賀温泉で
「サンダーバード」に追い越されるというので
それまで起きていることにしました。
20;50過ぎに加賀温泉に到着しました。
ここも乗り込む乗客はほとんどおらず
ホームは閑散としていました。
5分程、停車するので、
先頭のEF81まで行ってみました。
ヘッドライトが輝き、機関車の前面に取り付けられた
「日本海」のヘッドマークの白波が浮き上がっています。
そして、停車中の「日本海」の脇を
「サンダーバード」が疾走していきました。
この加賀温泉を発車し、ベッドに入りました。
疲れと眠気で、すぐに寝入ってしまったようです。
北陸本線の車窓風景の様子は
特急「しらさぎ」の乗車記参照下さい。
こちらです。
秋田 - 大館
(Akita - Odate)
加賀温泉でベッドに入ると
すぐに眠りに就いたようです。
といっても熟睡は出来ずに
線路と線路の繋ぎ目の走行音を
頭の片隅で聞きながら
まどろむ様に寝入っていました。
ふと目を覚ますと、時計は
5:25を指していました。
まだ周囲は真っ暗です。
普段ではこんなに早い時間に
目を覚ますことはありませんが
寝台列車に乗ると、いつも
夜明け前に目を覚まします。
寝台車に乗っているという
興奮がそうさせるのでしょう。
着替えているうちに「日本海」は
比較的大きな駅に到着しました。
秋田です。
5:35に到着です。
大阪から837.6km。
寝入った加賀温泉からは
612.3kmもの距離を走っています。
この早い時間ですが、
下車していく何人もの乗客の姿を見かけました。
下車客が去っていくと、
静まり返ってしまった秋田駅を
5:40に発車しました。
しばらく走ると東の山の端が
仄かに赤く染まってきました。
暁の雰囲気の中、西側の
車窓には湖が広がりました。
多くの乗客はまだ眠っている時間ですが、
車窓風景はとても神秘的なものでした。
「日本海」の最後尾からの様子です。
夜が明けきらず、闇が残る中、
レールが微かに光を放っていました。
この素晴らしい景色を眺めながら
東能代に到着しました。
秋田から50分、6:30に到着です。
まだ完全には夜は明けきってはいません。
駅構内の出発信号の灯が
輝いていました。
この東能代は日本海に沿って走る
五能線との接続駅です。
五能線の乗車記はこちらです。
1分の停車で東能代を発車すると
東北の飾り気のない
田園風景が広がりました。
西の空は明るくなっていますが、
まだ朝陽は東の山々に遮られています。
まさに朝陽が山の端から顔を覗かせようとする時、
特急「日本海」は阿仁川を渡りました。
赤く染まった山の端、
そして水面に写る鉄橋の橋脚。
この景色も記憶に残る光景になりました。
東能代から25分で鷹ノ巣に到着です。
鷹ノ巣は秋田内陸縦貫鉄道との接続駅です。
秋田内陸縦貫鉄道の乗車記はこちらです。
鷹ノ巣を出るとすっかり夜が明けました。
針葉樹林の向こうに昇った朝陽です。
車窓には次第に雪が現れました。
朝陽を浴びて、雪原からは
水蒸気が立ち上っていました。
遠くに八幡平の山々を望み、
雄大で幻想的な光景でした。
西の車窓の山々は
朝陽を浴び、輝くようです。
暖かい車内から雪景色を眺めるうちに
大館に到着しました。
この大館を出ると寝台特急「日本海」は
終着・青森に向け、ラストスパートです。
大館 - 青森
(Odate - Aomori)
大館駅を発車すると秋田・青森の
県境となっている矢立峠へと向かいます。
遠く、白神山地の山々を
眺めながら走りました。
矢立峠は世界遺産・白神山地と
十和田湖周辺の山塊が連なる隘路で、
全長2,404mの松原トンネルや、全長31,80mの
矢立トンネルで一気に越えてしまいます。
矢立トンネルを越え、山間の
津軽湯の沢駅を通過しました。
津軽湯の沢は青森県に入って最初の駅です。
さすがに峠の駅は雪が深く積もっていました。
やがて山間に谷が広がってきました。
谷間も雪で覆われ、冬景色です。
進行方向に遠く岩木山が見え、
7:40に大鰐温泉に到着しました。
大鰐温泉は津軽平野の入り口に位置し、
弘前に向かう弘南鉄道大鰐線との接続駅です。
弘南鉄道の乗車記はこちらです。
ひっそりとした大鰐駅を発車し、
しばらく走ると、弘南鉄道の線路が
オーバークロスしていきました。
ここを過ぎると、津軽平野が広がり、
進行右手遠くに八甲田山が見えてきました。
雲がかかり、墨絵のような光景です。
この八甲田山を眺めるうちに
住宅が建ちこみ、弘前に到着しました。
津軽三味線の音に出迎えられての到着でした。
弘前はさすがに活気のある駅で、
多くの乗客が下車していきました。
寝台特急「日本海」の最後尾の様子です。
弘前では弘南鉄道弘南線が接続しています。
弘南鉄道の乗車記はこちらです。
駅の東側に弘南線の電車が止まっていました。
弘前を出ると、リンゴ畑が広がり、
その向こうに岩木山の姿が大きく見えてきます。
緩やかな裾野を持つ岩木山に
目が釘付けになるうちに
今度は車窓右手、広々とした平野の向こうに
八甲田山も大きく見えていました。
逆光の中、幾重にも重なる山並み。
この車窓風景にも魅せられていました。
素晴らしい景色を堪能しながら
快調に走っていた「日本海」ですが、
青森が近づくと対向列車との行き違いで
運転停車をしました。
まずは浪岡駅で上り弘前行きを待ち合わせました。
走り去る普通電車を眺めるうちに
静かに発車していきますが、18分ほど
走った津軽新城でも運転停車しました。
今度は特急「つがる」との行き違いでした。
津軽新城を出ると、青森ももうすぐです。
車窓左から津軽海峡線が合流し、
ポイントを渡って、左に大きく曲がります。
津軽線を通り、北海道に向かう
特急「白鳥」の乗車記はこちらです。
青森駅へのアプローチです。
車窓右手には、奥羽本線から別れ
東北本線にまっすぐ合流する
貨物線が見えていました。
そして、東北本線の線路が合流すると青森です。
8:34、定刻に青森に到着しました。
大阪から1023.4kmの道のりを
14時間47分かけて走り抜きました。
大阪から「日本海」を牽引してきたEF81 106と
24系寝台列車の最後尾の様子です。
寝台特急「日本海」の旅は
素晴らしい車窓風景に出会え
心に残る旅になりました。
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