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大阪と京都の間の通勤圏を結び、多くの電車が
高速で行き来するこれらの路線の他に、
京都から大津に向かう京津線と、
大津市内を南北に走る石山坂本線も
京阪電気鉄道の路線です。
京津線と石山坂本線は併用軌道を走る
区間もあり、本線や本線に接続している
支線とは趣が異なっています。
以前は、京津線も三条駅で本線と接続していましたが、
京都市交通局(京都地下鉄)東西線が
1997年10月12日に二条 - 醍醐間が開業すると
京津線も御陵で地下鉄に乗り入れを行っています。
総営業距離87.7kmの大手私鉄・京阪電気鉄道の
様子を紹介していきます。
京阪本線
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中之島線
京阪電鉄中之島線は大阪市内の天満橋と
中之島を結ぶ営業距離3.0kmの路線です。
旧淀川に浮かぶ中之島地区の活性化の為、
2008年10月19日に新しく開業しています。
この中之島線には開業して間もない
2008年10月23日に乗車しました。
京阪本線の終着駅・淀屋橋駅から
中之島周辺を散策しながら
中之島駅を目指しました。
肥後橋を渡り、中之島を横断して
渡辺橋の袂に出ると中之島線の
渡辺橋駅がありました。
周囲は堂島川に沿って高層ビルが建ち並び
大都市・大阪の中心街にいる事を実感します。
ここから堂島川の畔を歩き、
中之島駅を目指しました。
中之島線は堂島川に沿う地下を走っていて、
しばらく歩いていくと堂島川のほとりの
中之島駅の入り口が見えてきました。
駅の入り口から地下の改札に向かう通路は
木目の素材が使われていて
ほっとするような空間でした。
改札を抜け、早速ホームに降りてみました。
1面2線の構造で、区間急行・樟葉行きが
停車していて、しばらく待つうちに
快速急行・出町柳行きが到着しました。
中之島駅のホームの様子です。
快速急行・出町柳行きの電車です。
中之島線の電車は、天満橋から
本線に乗り入れています。
快速急行の車内です。
転換クロスシートが並んでいます。
開業してまだ間もない頃のせいか
車内は空いていました。
快速急行・出町柳行きの電車は
まばらな乗客を乗せ、発車して行きました。
途中、渡辺橋、大江橋、なにわ橋に停車し、
あっという間に天満橋に到着です。
この区間の地上の風景は
大阪の中之島のページを参照ください。
京津線
京阪電気鉄道京津線は、京都と大津を結ぶ路線です。
比叡山から連なる逢坂山をトンネルで一気に抜ける
JR東海道線とは異なり、急勾配や急カーブで峠を越えています。
以前は京都と山科の間も国道1号線に沿ったり
道路との併用区間を走り、蹴上を越えていましたが、
こちらの区間は1997年に京都地下鉄・東西線が開業すると
山科からは地下鉄に乗り入れてトンネルで
一気に越えるようになりました。
京津線には一度乗車した事があるのですが、
この京都地下鉄乗り入れで、山科 - 御陵間の
線路が付け替わり、未乗区間となってしまったので
2007年のゴールデンウィークに再び
京津線に乗る事にしました。
京都地下鉄乗り入れに伴い、京津線の電車は
京都市役所前が始発になりました。
地下鉄の電車から京阪京津線の車両に
乗り換える車内はガラガラでした。
先頭車両の運転席の後に立ち、発車を待ちます。
地下鉄のシールドトンネルが続き
闇の中に吸い込まれそうな感じです。
御陵を発車すると東西線の線路と別れ
勾配を上り、地上に出ました。
以前は、道路の上を間借りするように
走っていたのですが、今では小ぶりな
京津線の電車には似つかわしいような
堂々とした複線の線路になっています。
JR東海道線の立派な築堤の線路を
左手に見ながら山科駅に向かいました。
住宅が線路際にまで建ち並び、
駅もホームの先にある小さな踏切を渡って
行き来する構造となり、生活に密着した
昔どおりの京津線の眺めに戻ります。
線路の向こうに山科と大津の間に
横たわる逢坂山が見えてきました。
山科を出て、京都市役所行きの電車とすれ違いました。
春の日差しを浴びて麗らかな雰囲気です。
逢坂山が近づき、線路の周辺の住宅地が途絶えると
国道に寄り添って走るようになりました。
この逢坂山の隘路に、名神高速道路と
国道一号線、そしてこの京津線と
京都と大津を結ぶ交通ルートが
ひしめき合っています。
この隘路の谷を高架橋で一気に渡る
高速道路の下をくぐりました。
この立派な高架橋を見ていると、京津線の
小ぶりな電車では圧倒されてしまいそうです。
急カーブと急勾配で峠を越えると、
JR東海道線の線路をオーバークロスしました。
勾配を下り、周囲に家が建ち込み始めると
旧国道一号線との併用区間に入ります。
急カーブで併用区間に侵入していきます。
休日の午前中の早い時間帯のせいか
道路には車が少なく、京津線の電車も
比較的スムーズに進んでいきます。
この眺めは路面電車からの眺めそのものですが、
地下鉄にも乗り入れている4両編成の長い電車が
道路上を走るのが見られるのも、
日本ではこの区間だけだと思います。
やがて、大きな交差点が現れ、右にカーブを切ると
石山坂本線との接続駅、浜大津に到着しました。
京都市役所前から25分で到着しました。
地下鉄から普通の鉄道での峠越え、
そして道路との併用区間の走行と
なかなか楽しい京津線の旅でした。
石山坂本線
京阪電気鉄道石山坂本線は、紫式部の源氏物語で
知られる大津市南部、瀬田川沿いの石山寺を起点に、
大津市を南から北に貫き、坂本に至る14.1kmの路線です。
石山寺から京津線との接続駅の
浜大津までは1993年6月に乗車しています。
浜大津 - 坂本間の7.4kmが未乗区間として
残っていたのですが、京津線の京都地下鉄乗り入れに
伴う線路付け替え区間が未乗となっていた
御陵 - 山科間を乗車した、2007年4月29日に
この区間も乗車しました。
京津線の電車で浜大津に到着し、
ホーム向かいの坂本行き電車を待ちました。
間もなくやってきたのは2両編成の緑色の塗装の電車です。
浜大津駅の先で京津線のレールが左手に分かれて行きます。
石山坂本線のレールは交差点を真っ直ぐに進んでいきます。
石山坂本線もこの辺りは軌道区間になっていて、
路面電車のように、道路上の路線を走って行きます。
しばらく走ると、細い路地に踏み込んで行きました。
石山坂本線の複線の線路が道路の大部分を占めています。
車は、軌道上を走るようになっているのでしょうか。
狭い通りの向こうに比叡の山々が近くに見えています。
次の三井寺駅でまずは一旦下車し、
三井寺に立ち寄ってきました。
写真は、琵琶湖疏水に架かる橋を
三井寺駅から撮ったものです。
この辺りはほぼ琵琶湖に沿って北上しています。
大津の市街地も琵琶湖に沿って延びているので
石山坂本線の線路にもずっと家並みが続いています。
多分、別所駅での列車交換の様子です。
しかし、滋賀里を過ぎた辺りで、住宅地も
途切れ田畑が現れるようになりました。
緩やかな起伏にも関わらず、
真っ直ぐな線路が続いています。
「穴太」という駅に停車しました。
"あのう"と呼びます。
戦国末期の頃、安土城の石垣を築いた
穴太衆と呼ばれる技術集団がいたところです。
比叡の山々もすぐ近くに見えるようになりました。
終着、坂本も、もうすぐです。
坂本にも穴太衆が築いた石垣が沢山残る町です。
三井寺から13分、浜大津から15分で
坂本に到着しました。
僅かばかりの乗客が改札に向かい、
折り返しの石山寺行きとなる電車に
三々五々、乗客が乗り込んでいました。
坂本は延暦寺の門前町として栄えたところで
延暦寺の宿坊が数多くあり、また日吉神社もあります。
坂本駅を出ると、周囲は古い町並みが残っていました。
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