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JR九州 筑豊本線
筑豊本線は、北九州市の若松を起点に、
鹿児島本線との接続駅・折尾から、線名にある
筑豊地域に入り、直方、飯塚を経て、再び
鹿児島本線と接続する原田に至る路線です。
営業キロは66.1kmです。
上記以外では、鹿児島本線と交差する折尾で、
鹿児島本線から筑豊本線への短絡線もあります。
かつては、筑豊地域で炭鉱への貨物支線がいくつも
ありましたが、今ではすべて廃止となりました。
広い駅構内に何本もの線路が敷かれ、
またディーゼル機関車の牽く客車列車が多く
走っていた筑豊本線にも近代的な電車が行き交っています。
JR筑豊本線は、1891年(明治24年)に 筑豊興業鉄道が
若松 - 直方間を開業させ、その歴史がスタートしています。
1893年(明治26年)には飯塚まで延長開業し、
その後、小まめに路線延長を繰り返しています。
1901年(明治34年)には長尾(現 桂川)、昭和に入り、
1928年(昭和3年)に筑前内野、翌1929年(昭和4年)に
原田(はるだ)まで開業し、現在の路線が完成しています。
このJR 筑豊本線をいくつかの区間に
分けて紹介しようと思います。
桂川 - 原田
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若松 - 折尾
(Wakamatsu - Orio)
2010年9月、鹿児島本線の快速列車を折尾で下車し、
高架の鹿児島本線のホームから階段を下り、
地平の筑豊本線のホームに向かいました。
筑豊本線用の1番、2番線に並ぶ気動車です。
2番線の若松行きに乗りました。
筑豊本線は2001年(平成13年)に折尾 - 桂川間が
電化されており、折尾 - 若松間が未電化のまま
取り残されてしまっています。
折尾から若松までは洞海湾に沿うルートで、1891年
(明治24年)に筑豊興業鉄道によって開業しています。
折尾駅で接続する鹿児島本線も同じく1891年
(明治24年)に九州鉄道によって開業しています。
開業当初の折尾駅は、別々の場所に置かれて
いたそうですが4年後の1895年(明治28年)に、
現在の位置に共同駅として開業しています。
2階が鹿児島本線、1階が筑豊本線のホームがあり
鹿児島本線の小倉方面から、筑豊本線の直方方面を
結ぶ短絡線が、1893年(明治26年)に造られています。
ちなみに短絡線上にホームが造られたのは、
100年以上経った1988年(昭和63年)の事でした。
筑豊本線の地平ホームから直方方向を眺めた様子です。
筑豊本線は全線複線という事ですが、折尾駅の南で
単線となり、左からの複線の短絡線と合流していました。
折尾発 15:30 の列車で、若松に向かいました。
折尾駅を発車し、進行左を眺めた様子です。
駐車場の向こうに高架の鹿児島本線が見えていました。
ちょっとした丘陵地を抜け、住宅地を走るようになりました。
本城駅を過ぎると、進行右手には小さな川が流れていました。
この先で、運河の様な払川を渡りました。
洞海湾の対岸に聳える帆柱山が見えていました。
払川を渡ると、右に大きくカーブし、上下線の
間隔が広がり二島駅に到着しました。
駅の南側に緑地帯があるのですが、以前は
貨物列車用の留置線があったのでしょうか。
学校の下校時間になり、若松方面の
ホームには高校生の姿が見えています。
二島を出ると、筑豊本線の南側には
工場が建ち並ぶようになりました。
次の奥洞海駅停車中の様子です。
この奥洞海駅は、ボートレース場の
最寄り駅として1962年(昭和37年)に開業した、
筑豊本線としては比較的新しい駅です。
奥洞海を発車し、工場地帯を走るようになりました。
洞海湾沿いは、筑豊地区で産出される石炭を
活かした製鉄業が盛んでしたが、現在では、
自動車部品や材料系の工場が多いようです。
藤ノ木駅で工場地帯を抜けると、広い空き地が広がりました。
空き地の向こうに洞海湾を隔てて帆柱山が見えています。
広い空き地は、かつての製鉄工場跡だったのでしょうか。
この空き地の車窓風景は、しばらく続きました。
その後、高層アパートが建ち込めてきました。
このアパート群が見えてくると、列車は
スピードを落とし、若松に到着しました。
折尾から10.2km、19分の所要時間でした。
若松駅は1面2線のホームでした。
かつては客車列車が発着したホームは長く
その真ん中に到着した2両編成の気動車が
ポツンと停まっていました。
1984年(昭和59年)に改築された若松駅の駅舎です。
1960年頃までは、若松港からの石炭の積み出しが
行われ、若松駅は、石炭の取扱量日本一の駅でした。
駅の南側には、整備された空間が広がっていました。
石炭積み出しを行っていた若松駅の操車場の跡地です。
当時の写真も掲げられていました。
沢山の留置線があり、蒸気の煙がいくつも上がり、
また多くの貨物列車が停まっていて
往時の活気を感じます。
操車場跡の片隅には当時活躍していた
蒸気機関車も置かれていました。
クンロクと呼ばれる9600型機関車です。
この若松で55年間も働き続けたそうです。
この若松操車場跡を抜けて、
洞海湾まで行くことが出来ました。
小学校の時、日本の近代化の象徴として
教科書にも載っていた若戸大橋が見えました。
対岸の戸畑迄は僅か1km程です。
若戸大橋を通るバスもあるようですが、
筑豊本線の列車で、再び折尾まで戻る事にしました。
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折尾 - 直方
(Orio - Noogata)
2010年9月、筑豊電気鉄道に乗って直方を
訪れた後、筑豊本線で折尾に向かいました。
筑豊直方駅から10分程歩いて辿り着いた直方駅です。
2011年に新しい駅舎が完成しています。
2010年9月に訪れた際は、丁度工事の最中でした。
国鉄時代は筑豊本線の列車の運行本数は少なく1985年(昭和60年)の
時刻表を見ると、折尾方面の列車は1時間に1〜2本でした。
しかも、運転間隔はバラバラで利用しにくいダイヤでした。
今では1時間3本で、日中の発車時間は毎時一定です。
JR化後に運転本数も増え、新しい車両も投入され、
直方駅の利用客は増加しているようです。
ホームに停車中の10:40 発の折尾行普通列車です。
JR九州の817系という近郊型電車です。
若松 - 折尾間は未電化の筑豊本線ですが、
折尾から直方を通り、篠栗線が分岐する
桂川まで電化されています。
817系の車内の様子です。
ドアとドアの間を大きな一枚窓があり
とても斬新なデザインです。
2010年9月に乗車した際は、曇り空で、
遮光ガラスを通しての車窓風景の様子は
あまりパッとしたものではありませんでした。
この2ヶ月後に黒崎行きの列車に乗車した際には
晴れで、車窓風景もクリアーでしたので、
その際の様子を紹介します。
かつては石炭列車が行き来していた直方駅の構内は広く、
今でもその名残で、いくつも発着番線があります。
直方を発車してすぐに下り電車とすれ違いました。
いくつもあった線路が次第に集約されていく
姿を眺めるうちに、次の新入駅に停まり、
直方の市街地から郊外の景色となると
筑前植木駅に到着しました。
上下線が広く離れています。
かつては上下線の間に、石炭列車の
留置線があった事でしょう。
筑前植木を発車した直後に、
山陽新幹線の高架橋をくぐりました。
山陽新幹線の小倉 - 博多間は営業キロで67.2km、
実キロでも55.9kmあり、途中駅を造っても
おかしくない駅間距離です。
この筑前植木に新幹線の駅が出来れば、
筑豊の人にとっては便利な事と思いますが、
それだけの需要はないのでしょうか。
周囲には広大な田圃が広がっていました。
田圃の向こうに筑豊の山々が見えています。
この景色を眺めるうち、鞍手を過ぎ、
筑前垣生に到着しました。
筑豊本線は、上下線の間隔が広く、その広い
上下線の間に相対式のホームが作られています。
この筑前垣生を発車すると遠賀川を渡りました。
水量豊富な川で、滔々と流れています。
遠賀川を渡り終え、左に曲がると中間です。
かつては、香月に至る香月線との接続駅でした。
香月線は1985年(昭和60年)に廃止されています。
当時、運転本数も少なく、香月線の高架橋が
地盤沈下で、道路の交通を妨げていた事もあり、
廃止促進運動が展開されていたそうです。
中間駅の構内に、線路が輻輳する様子が、
わずかに香月線の名残と思える程度でした。
中間からは折尾に向け、ほぼ北進します。
写真で見るように、複線の線路と
線路の幅が広くなっています。
往時は、中間と折尾の間は複々線でした。
この上下線の間隔が更に広がると東水巻です。
1988年(昭和63年)に開設された新しい駅で、
以前は東側に鉱山、西側に石炭積出し用の
ヤードが広がっていたようです。
線路の間隔が広がった折尾方面の
ホームの幅はとても広くなっていました。
東水巻を発車すると、隣に築堤が現れ、
古いレンガの橋台の間を通り過ぎました。
これは紛れもなく廃線跡です。
これは中間方面からは方向別だった複々線が
折尾側で、筑豊本線と黒崎に向かう短絡線との
線路別複々線とする為に、筑豊本線の上り線が、
短絡線の下り線をオーバークロスしていた痕跡です。
黒崎方面への短絡線の乗車記はこちらです。
東水巻 - 折尾間の様子です。
往時は、現在走っているの複線の線路が短絡線で、
崖との間、雑草が生えている所に若松へと向かう
筑豊本線の複線の線路があった筈です。
丘陵地を抜け、折尾に近づいて来ました。
複線の線路の左手に空き地があり、
折尾駅手前で単線の線路が分岐していきます。
現在でも直方方面からの電車は折尾行きあるいは
若松行の列車の本数が多くなっているのですが、
短絡線の方がメインルートの様になっているのは
一時期、寝台特急「あかつき」などの優等列車が
小倉方面から直方へと直通していた為でしょうか。
2010年9月に直方から乗車した列車は折尾行で、
折尾駅の地平ホームに到着しました。
折尾駅に到着した817系電車です。
近い将来折尾駅付近の連続高架化が完成すると
この光景も古き良き思い出となる事でしょう。
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直方 - 桂川
(Noogata - Keisen)
2010年12月、博多に出張の機会があり、
その際に筑豊本線の列車に乗車しました。
手元に記録は残っていないのですが、多分
博多発 13:03 の快速だったと思います。
篠栗線の乗車記はこちらです。
篠栗線からの快速列車は筑豊本線に乗り入れました。
篠栗からの山間の景色から、桂川を発車すると、
住宅地の点在する景色の中を走りました。
丘陵地の脇の天道駅を通過しました。
車窓には小高い山も見えていますが、この山は、
昔石炭を採掘していた際のボタ山の跡と思います。
石炭として売れない捨石をうず高く積もっていた山で、
当時は黒い色をしていたので、一目で判ったのですが、
今は木も生え、見分けがつかなくなっています。
しばらく走り、飯塚に到着しました。
以前は、上山田線との接続駅でしたが、
上山田線は1988年9月1日に廃止となり、
飯塚駅は単なる通過駅になってしまいました。
往時は、石炭列車も多く運行されていましたが、
今は、駅の東側の広い空き地にその様子を
わずかに偲ぶばかりです。
思い出の鉄道写真館・旧国鉄筑豊地区各線の様子はこちらです。
飯塚からは複線となって直方を目指します。
遠賀川を渡り、住宅地の間から後藤寺線の
線路が合流すると新飯塚に到着しました。
飯塚市の中心駅は一つ手前の飯塚駅ですが、
市役所は1964年に新飯塚駅近くに移転し、
駅の西には市街地も形成されているようです。
一日の平均乗客数も4,000人を超え、飯塚駅の
約4倍、筑豊本線線内でも、直方駅に次いで
2番目に乗客数の多い駅になっています。
新飯塚を発車するとのどかな景色が広がりました。
遠くに見える山は福智山でしょうか。
新飯塚からは遠賀川のつくる平野を走っていきました。
浦田、鯰田と停車し、小竹駅に到着しました。
島式のホームに橋上駅舎という近代的な
駅の様子ですが、この駅も昭和の時代には
炭鉱路線の一つだった幸袋線の接続駅でした。
幸袋線は1969年に廃止となっていて、
乗車する機会はありませんでした。
この時も、幸袋線の面影も残っていないな、と思って
いたのですが、撮った写真をよく見直してみると、
小竹駅の手前で、筑豊本線に並走する幸袋線の
古いレールが残っていました。
上左の写真です。
小竹を出ると遠賀川に沿って走りますが、
車窓左手に田圃が広がる景色となりました。
この景色を眺めていると「原田行」の
行先表示を掲げた気動車とすれ違いました。
未電化の桂川 - 原田間を走る列車です。
車両基地のある直方から桂川まで回送列車として
走り、桂川発 14:26 の原田行になるようです。
この先で、右手から複線の線路がより沿ってきました。
平成筑豊鉄道伊田線の線路です。
平成筑豊鉄道のページはこちらです。
広い操車場の跡地を走りますが、その後、
複々線のようになって直方駅に向かいます。
筑豊本線も平成筑豊鉄道も、列車の運行頻度は
一時間に2〜3本ですが、長編成の石炭列車が
行きかった当時の様子を少しばかり
髣髴とさせてくれる眺めでした。
こうして、桂川から25分、博多から
54分で直方に到着しました。
2010年12月当時は、博多発の筑豊本線の快速列車は
大多数が黒崎や門司港行の直通運転でしたが、
2017年のダイヤでは、日中の列車は
直方で乗り換えになっています。
乗車した列車も1分程の停車で、
黒崎を目指して発車していきました。
筑豊本線の直方 - 折尾間の乗車記はこちらです。 筑豊本線のTOPに戻る
折尾短絡線
(Short Cut Line at Orio)
折尾駅で直交する鹿児島本線と筑豊本線の間には
鹿児島本線黒崎駅方面と筑豊本線中間駅方面とを
結ぶ短絡線が1893年(明治26年)に造られています。
この短絡線と二つの路線の交差駅と
なっている折尾駅の様子を紹介します。
2010年9月、筑豊本線の折尾 - 若松間に乗車し、
折尾駅に戻ってきた際の様子です。
地平の筑豊本線のホームです。
若松側で、鹿児島本線をアンダークロスしています。
筑豊本線のホームから折れ曲がった通路を通り、
階段を上って鹿児島本線上り線のホームに出ました。
鹿児島本線のホームは2面3線で、下り線が相対式、
上り線が1面2線の待避可能な構造になっています。
2010年9月、九州新幹線の全通前で、「ソニック」に
加えて「有明」も頻繁に姿を現し、華やかでした。
鹿児島本線の上り線ホームからは筑豊本線の
若松側の線路を見えています。
若松行の2両編成の気動車が走っていきました。
鹿児島本線のホームの小倉寄りの端は
東口への階段に繋がる通路になっています。
東口にあった折尾駅の駅舎です。
この駅舎が竣工したのは1916年(大正5年)でした。
門司港駅の駅舎の様な瀟洒な建物でしたが
折尾駅の連続高架化工事の為に
2012年に解体されてしまいました。
門司港駅の様子はこちらです。
その折尾駅の連続高架化工事の内容です。
上の写真の赤い部分が高架化される新路線です。
地平を走る筑豊本線、短絡線を高架化させ、
鹿児島本線のホームの横に移設するものです。
2010年9月に訪れた際は、まだ本格的な
工事は始まっておらず、東口から短絡線の
ホームのある鷹見口へと向かってみました。
連続立体化工事の案内板の前を通り、
国鉄時代の事務所の様な建物に
鷹見口がありました。
同じ折尾駅でも、鹿児島本線や筑豊本線の
ホームからは、一旦改札を出て、再び
ここで改札を抜ける事になります。
2010年9月には短絡線に乗る機会は無かったのですが、
僅か2か月後にその機会が訪れました。
この時は、直方方面から黒崎行きの列車に乗車しました。
折尾の一駅南の東水巻駅に停車中の様子です。
この東水巻から北上していきました。
この区間の筑豊本線は複線電化されています。
折尾に近づくと、渡り線が現れ、
複線の左側に線路が分岐していきました。
この分岐する単線の線路が若松までの路線です。
開業当時は、こちらががメインルートだった筈ですが、
複線電化の短絡線と比べると見劣りします。
右に大きくカーブを切り、短絡線上の折尾駅に到着しました。
1988年(昭和63年)に設置されたホームの幅は狭く
未だに仮設ホームの様でした。
折尾駅の短絡線ホームを発車すると、
意外にも短絡線は単線になりました。
並走する鹿児島本線との間に空き地が広がっていて
折尾駅高架化工事の準備の用地確保<する為に
単線になっている様に思えます。
この後、鹿児島本線と並走して行きます。
元来、複線の短絡線ですが、
進行右側の線路は使用されていません。
進行方向遠くに、鹿児島本線の
特急「有明」が走っていました。
この先で、陣原駅に到着しました。
陣原駅の手前で、短絡線は複線に戻っていました。
陣原からもしばらく、短絡線は鹿児島本線と並走します。
黒崎が近づくと、鹿児島本線の南側を走っていた短絡線は
鹿児島本線をアンダークロスし、北側に移っていきます。
短絡線の下り線は、ここで2本に分かれており
鹿児島本線の下り線から短絡線の折尾方面に
スムーズに乗り入れられるようになっています。
以前、鹿児島本線から筑豊本線に乗り入れる優等列車は
いくつか運行されており、新大阪発の「あかつき」が
筑豊本線経由で運行されていた事もありました。
鹿児島線の北側を走り,黒崎に到着しました。
黒崎に到着した筑豊本線の電車です。
短絡線ろ筑豊本線の折尾 - 桂川間は電化されている為、
黒崎に乗り入れる列車は、電車で運行されています。
黒崎駅前からは筑豊直方まで
筑豊電気鉄道の路線もあります。
筑豊電気鉄道の乗車記はこちらです。
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