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JR九州 / 篠栗線
JR Kyushu / Sasaguri Line
篠栗線は筑豊本線の桂川と鹿児島本線の
吉塚を結ぶ25.1kmの路線です。
元々は、石炭輸送の為に、吉塚 - 篠栗間が
1904年(明治37年)に開業し、1968年
(昭和43年)に桂川まで延長されています。
篠栗から桂川への延長は、筑豊地区と博多を短絡する
目的があり、JR化後に運転本数が増えた現在では一日に
80本、篠栗発着の区間列車を除いても59本の列車が走ります。
列車はすべて吉塚から博多へ、鹿児島本線へ乗り入れ、また
篠栗以遠の列車も筑豊本線の飯塚・直方方面へ直通しています。
朝夕には、通勤客の利便性を図るために、直方と
博多を結ぶ特急「かいおう」が2往復設定されています。
2010年12月に福岡に出張の機会があった際、
博多から篠栗線の列車に乗車しました。
博多駅に到着した篠栗線の電車です。
篠栗線のホームは、新幹線に最も近い11番、12番線です。
この電車が折り返して、桂川・飯塚方面の列車となりました。
朝夕は混み合うのでしょうが、日中の列車とあって、
空席が目立つ状態で発車しました。
次の吉塚までは、鹿児島本線を走るのですが、
篠栗線用の単線の線路が、複線の線路の
脇に設けられています。
鹿児島本線の下り線を走る単機のディーゼル機関車と
すれ違い、右側を並走していた山陽新幹線の
線路が離れていくと吉塚駅に到着しました。
篠栗線の線路は完全に独立に敷設されていて
隣の鹿児島本線との渡り線もありませんでした。
吉塚を発車するとすぐに右に分かれ、
住宅地の間を高架橋で走っていきます。
地上に降りると間もなく先ほど別れた
山陽新幹線の高架橋をくぐりました。
九州新幹線が鹿児島中央まで到達した今になると、
九州内を走る新幹線の名称に”山陽”と付いて
いるのにちょっと違和感を覚えます。
この先で篠栗線内の最初の停車駅、柚須に停車しました。
以前は、この柚須から勝田線が分岐していましたが
今ではその痕跡は見当たりません。
博多に近い住宅地にある駅で、篠栗線の運転本数が増え、
利便性が向上した為、利用者が急増している駅です。
乗車当時は島式ホームの駅でしたが、現在は
もう一つホームが増設されているようです。
住宅地を走り、原町を過ぎ、長者原駅に到着しました。
この駅は香椎線との交差部に設けられた駅です。
この長者原駅が開業したのはJR化後の1988年です。
以前は、原っぱの中で二つの路線が立体交差していました。
篠栗線の前身は九州鉄道、香椎線は博多湾鉄道汽船と
異なる鉄道会社が路線を作った為に、交差部に駅が
造られる事はなく、その両線を引き継いだ国鉄も
乗客の利便性を向上させようという事は
思いもよらなかったようです。
長者原で、下り列車と交換しました。
長者原を出ると、車窓に田圃が広がり、
筑豊との境の山々も見えてきました。
山に近づいたところで再び住宅地が増え、
篠栗に到着しました。
篠栗線の開業当時、終点だった駅です。
篠栗町の町役場にも近く、乗降客は
1日に10,000人になる駅です。
篠栗からは1968年(昭和43年)に開業した区間です。
高架橋となり勾配を上っていきました。
篠栗線に乗車するのは2度目の事で、最初は30年前の事でした。
初めて篠栗線に乗車した際は、筑豊地区の路線に乗車した後に
乗ったのですが、今は廃止されてしまった上山田駅で踏切事故が起き、
数時間足止めされた為、篠栗線は夜も遅い時間となってしまったのです。
初めて乗車したものの、車窓を眺める事も出来ず、
疲れて寝入っていたのですが、山間の高架橋を
走る音で目を覚ました事を覚えてます。
その高架橋が篠栗の先だったのか、と遠い昔の事を
思い出しながら乗車していました。
「思い出の鉄道写真館」 旧国鉄筑豊地区各線のページはこちらです。
山間に入り、筑前山手を過ぎ、
城戸南蔵院前駅に到着しました。
ここでも下り列車と行き違いをしました。
城戸南蔵院前の先で、長い篠栗トンネルを抜けました。
このトンネルを越えて、筑豊地区と博多が結ばれ
筑豊が博多への通勤可能地域になったわけです。
篠栗トンネルを抜け山間の九郎原駅を過ぎると
筑豊の景色が広がりました。
山間ののどかな田園風景が広がっていましたが、
沿線には新しい住宅地も見られました。
こうした景色を眺め、筑前大分を過ぎると
進行右手から原田からの筑豊本線の
線路が近づき、桂川に到着しました。
博多からわずかに26.9km、快速電車で32分程、
普通列車でも41分程で到着します。
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