門司港駅
(Mojiko Station)
門司港駅は、鹿児島本線の起点です。
門司港駅は1891年(明治24年)に
九州鉄道の起点駅として開業しました。
当初は門司駅と名乗り、1901年(明治34年)に
関門連絡船が運行され、本州の玄関口となります。
しかしその後、1911年(明治44年)に貨物連絡船の
接続駅が小森江駅となり、門司(現・門司港)は
旅客中心となり、その旅客も1942年(昭和17年)の
関門トンネルの開通により、門司側の接続駅が
大里駅(現・門司駅)となってしまいました。
門司駅の名前も、関門トンネルの接続駅となった
大里駅に譲り、旧門司駅は門司港駅と改名されました。
2009年(平成21年)のGW、約30年ぶりに
門司港行の電車に乗り、終着駅に向かいました。
門司港駅は、行き止まりの線路の先に
駅舎がある頭端式ホームの駅です。
ヨーロッパの主要駅の多くがこの構造の駅ですが、
日本では珍しく、上野駅の地平ホームと同じ構造です。
ヨーロッパの鉄道乗車記はこちらです。
門司港に到着した電車から下車し、
改札に向かう乗客たちの様子です。
行き止まりの線路の先には、蒸気機関車の
動輪と腕木式の古い信号がありました。
その先に0哩標がありました。
この0哩標は1891年(明治24年)4月1日に
門司港駅(旧・門司駅)と玉名駅(旧・高瀬駅)間の
九州鉄道が開業した際に設置されたものを
鉄道開業100年にあたる1972年に
復元設置したものだそうです。
ホームの駅舎側から先端を眺めた様子です。
古びた「もじこう」の文字がレトロ感を醸し出しています。
門司港駅の駅舎は1914年
(大正3年)に造られた2代目です。
ホームの先の駅舎は2代目が建てられた
当時の姿をそのまま残しています。
今は自動改札機が設置されていますが、
当時の改札もそのまま残されていました。
こちらは改札を抜けたところに
ある駅長室の様子です。
この他、待合室や切符売り場なども
古い駅の様子がそのまま残っていました。
駅舎に向かって左側(西側)には
関門連絡船の通路跡も残っていました。
階段が背の低い地下へと続いています。
当時は、下関から連絡船で九州に上陸した乗客たちが
大挙してこの通路を通り、門司港(当時は門司駅)発の
列車に乗り込んだ事でしょう。
この通路跡の脇には、小さな小窓が付いていました。
見逃してしまいそうな小穴ですが、これは、
第二次大戦末期に渡航者を監視していた所です。
数々の歴史が刻まれた門司港駅の
駅舎散策を終えて建物の外に出ました。
大正時代のモダンな建築・文化の
薫り漂う瀟洒な駅舎です。
この駅舎は鉄道建造物としては初めて
国の重要文化財に指定されています。
この門司港駅ビルをゆっくり眺めた後、
駅周辺の散策をしてみました。
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門司港レトロ地区
(Mojiko Hstrorical View Points Area)
JR門司港駅の周囲は、門司港が明治時代に
特別輸出港に指定されたことから、金融・
商社・海運会社が集まり、栄えていた所です。
時は下り、往時の面影を残す建物が
いくつも残っていて、門司港レトロ地区として
観光客の人気が高まっています。
2009年9月にこの地域を散策してみました。
門司港埠頭〜ブルーウィングもじ
JR門司港駅から西に歩くと港があり、
遠くに関門橋が見えていました。
門司港レトロ地区には
高層のマンションも建っています。
港に突き出た埠頭に立ち入れる
ようだったので、足を運んでみました。
関門海峡を隔てた下関にある
火の山と関門橋の素晴らしい
光景が広がっていました。
関門海峡を隔てて、下関の街が一望出来ます。
この関門海峡で、1185年(元暦2年/寿永4年)4月25日に
壇ノ浦の戦いがあり、平家が滅びた海です。
そのほぼ中央辺りに赤間神宮が見えていました。
赤間神宮は安徳天皇を祀り、
平家一門のお墓がある神社です。
そしてこの関門海峡は、幕末にも
第二次長州征伐の際には
高杉晋作がこの海峡を渡って
小倉藩を攻略しています。
下関の散策記はこちらです。
しばし、関門海峡を眺めた後に、
門司港レトロ地区に向かいました。
気持ち良い青空の下、門司港レトロ展望室のある
高層マンションと煉瓦造りの旧門司税関が
鮮やかに見えていました。
門司港を跨ぐ"ブルーウィングもじ"と
名付けられた跳ね橋を渡ります。
門司港に入る船の為、正午を除く
10時から16時の毎正時から20分間
開門しているようです。
"ブルーウィングもじ"を渡り、
門司港レトロ展望室に向かいました。
黒川起章さんが設計したモダンな
高層マンションの下に瀟洒な建物は
国際友好記念図書館です。
これは古い建物ではなく、中国大連市に建設された
東清鉄道オフィスを模して建てられたそうです。
門司港レトロ展望室
門司港レトロ地区にある高層マンションと
国際友好記念図書館の様子です。
この高層マンション「門司港レトロハイマート」の
31階に展望室があるというので、行ってみました。
高さ103mからの関門海峡の眺めが楽しめます。
門司港の北側、関門海峡に架かる
関門橋と古城山の眺めです。
地上103mからの眺めは素晴らしく
火の山や関門橋が手に取るように見えました。
ちなみに古城山には1185年(元暦2年)に
平知盛が築いた門司城址があります。
展望室の南側には、門司港駅が眼下に見えました。
その向こうに曲がりくねった
関門海峡が見えていました。
日本海響灘と瀬戸内海周防灘とを結ぶ海峡で、
幅は一番狭いところで650mしかないそうです。
干満の差が激しく、周防灘側で3.8mにもなるそうです。
1612年(慶長17年)の宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘、
巌流島の戦いで知られる船島も下関の街の手前に
小さく見えていました。
関門海峡を渡るフェリーです。
高速道路の料金引き下げで利用客が減少し、
2011年11月30日で運行中止になってしまうそうです。
税金を投入して、公共交通を担う民間企業を圧迫し、
廃業に追い込むのはなんだかな、と思います・・・
門司港レトロ地区
「門司港レトロハイマート」の展望室で
関門海峡の眺めを堪能した後、
門司港レトロ地区の古い建物を見て回りました。
まずは「門司港レトロハイマート」の
すぐ近くにある旧門司税関庁舎です。
ルネッサンス様式の赤レンガ造りの
木骨構造の建物だそうです。
1912年(明治45年)に建てられて、1927年(昭和2年)まで
門司税関庁舎として使われたそうです。
その後は、倉庫などに使われていたそうですが、
現役だったのは僅か15年だったとは意外です。
旧門司税関のビルを眺めた後は、
門司港の第一船だまりに沿って、
東に向かって歩いて行きます。
船だまりの東側に、踏切があり、
可愛いトロッコ列車が走ってきました。
遊園地の列車にも見えるのですが、
これはれっきとした鉄道で、2009年4月に
開業した門司港レトロ観光線の列車です。
門司港レトロ観光線の乗車記はこちらです。
第一船たまりの様子です。
船たまりの手前側には、海峡プラザと
呼ばれるショッピングモールがありました。
第一船たまりの南側に、
旧門司三井倶楽部の建物がありました。
1929年(大正10年)に竣工した木造2階建ての建物です。
ここは三井物産門司支店の社交倶楽部として
使われていたそうですが、1930年(大正11年)には
あのアインシュタイン博士夫妻が宿泊したそうです。
その西隣の旧大阪商船ビルです。
こちらは1917年(大正6年)に建てられた
大阪商船門司港支店を修復したものです。
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和布刈界隈
(Mekari Area)
門司港の北、古城山一帯は
和布刈と呼ばれるところです。
門司港レトロ観光線の列車に乗り
終点の開門海峡めかり駅に到着すると
「めかり絶景バス」が待っていました。
門司港レトロ観光線の乗車記はこちらです。
この「めかり絶景バス」は公園となってる
古城山を25分かけて一周してくれます。
バスの車窓かな望む、
関門海峡対岸の火の山です。
火の山を眺めるうちに小さな岬を回り、
関門橋が頭上に見えてきました。
関門橋は1973年(昭和48年)に
開通した高速道路の橋です。
長さは1068m、関門海峡を一跨ぎしています。
この関門橋の下に、和布刈神社があります。
バスに乗っていると石造りの鳥居が、
車窓にちらっと見えただけですが、
この神社の創建は200年(仲哀天皇9年)と云われる
由緒ある神社で、関門海峡の守り神です。
社殿は江戸時代に小倉藩主・小笠原忠聡が
再建したものだそうで、是非訪れたかったのですが
時間の都合で断念しました。
旧暦の正月には和布刈神事も行われているそうです。
関門橋をくぐりしばらく走ったところで
古城山へと向かう坂道を上りました。
門司港周辺の景色が開けてきました。
雄大な景色が広がる中、バスは更に山を上り、
一旦、国民宿舎めかり山荘まで向かい、
その後、めかり公園第二展望台で
小休止しました。
この展望台からは火の山も関門橋も
手に取るように眺める事が出来ました。
こちらは関門橋の眺めです。
実は、この背後の古城山は、1185年(元暦2年)に
平知盛が家臣の紀井通資に築かせたという
門司城の城址だったのですが、この時は知らずに
写真一枚撮っていませんでした…
展望台の脇には壇ノ浦合戦の壁画がありました。
安徳天皇縁起図を基に、有田焼のプレートに
合戦の様子が描かれていました。
25分の所用時間で、「めかり絶景バス」は
開門海峡めかり駅に戻ってきました。
門司港へ戻る門司港レトロ観光線の
トロッコ列車に乗る前に、駅近くに
展示されていたEF30電気機関車を
眺めてみました。
本州と九州間の在来線は、
開門トンネルで結ばれていますが
本州側の山陽本線は直流電化され、
九州島内の鹿児島本線は交流電化されています。
この両者を繋ぐために、開門トンネルが
開通する一年前の1960年(昭和35年)に
この交直流電気機関車が造られ、
関門トンネルを走る貨物列車や
ブルートレインを牽引していました。
関門トンネルを走っていたブルートレインうち、
特急「なは」の乗車記はこちらです。
快速「ムーンライト九州」の乗車記はこちらです。
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九州鉄道記念館
(Kyushu Raiway History Museum)
JR九州・門司港駅の南側、
留置線が広がるその先に
九州鉄道記念館があります。
この記念館は、旧九州鉄道本社跡に、
2003年(平成15年)にオープンしています。
入館する前から蒸気機関車が
展示されているのが見えていますが、
中に入ってみるともう一両の
蒸気機関車が展示されていました。
9600型と呼ばれる59634貨物用機関車と
特急列車を牽引していたC59-1です。
59634は、筑豊地区で石炭輸送で活躍し、
C59-1は「あさかぜ」や「みずほ」といった
ブルートレインも牽引していました。
ありし日の筑豊地区の国鉄の様子はこちらです。
磨きこまれたC59-1の車体です。
2両の蒸気機関車の奥には
電気機関車が展示されていました。
左がEF10-35、右がED72-1です。
EF10は門司港レトロ観光線の関門海峡めかり駅前に
展示されていたEF30が投入される直前に
関門トンネルを走った機関車です。
門司港レトロ観光線の乗車記はこちらです。
ED72は、九州で初めて投入された
交流電化用の機関車です。
その奥に展示されていたのがキハ07 41。
このディーゼルカーの製造初年は1937年(昭和12年)。
戦前の代表的な車両だったそうです。
運転席と車内の様子です。
とっても簡素な運転席です。
この車両は、2両連結した場合でも夫々の
車両に運転士が乗る必要があったそうです。
その後方に展示されていたのは
481系特急電車と581系寝台電車です。
両方の電車とも九州地区で10年ほど前まで
活躍していた車両で、僕も何度も乗車しています。
懐かしい車両を眺めた後、
本館に向かいました。
この煉瓦の建物は、旧九州鉄道の本社屋でした。
この建物の内部に展示されていた
明治時代の車両です。
他にも九州の鉄道についての
展示や鉄道模型がありました。
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