筑豊地区の列車には何故か、
特別な印象が残っています。
直方や飯塚駅のとても広い駅構内。
何本ものレールが広い構内に敷かれていたこと。
もう蒸機は引退していましたが、
煤けた駅構内には蒸気機関車の
息遣いがまだ残っているようでした。
ボタ山を遠くに望みながら走る列車。
機関車が牽引する列車が多く、
殆んど乗客の乗っていない車内は
駅に停車するたびにシーンと静まりかえっていました。
山頂近くまで石灰石を切り出されていた香春岳の姿。
宮田線の列車に乗ったあと、
歩いて室木駅まで向かったこと。
日に何本もない列車に乗り遅れてしまわないようにと
暑い夏、汗をかきながら峠道をのぼりました。
朝、通学生で満員だった香月線の列車。
夕暮れ近く、漆生線の列車に乗っていた時、
あまりにのどかな光景の中、不意に
姿を現した線路を見てびっくりしたこと。
漆生線と上山田駅の合流地点にある
嘉穂信号場での事です。
そして、日が沈んだ上山田駅で、
踏切事故のため、数時間不通になったこと。
駅前に食堂もなく、夕食を食べ損ねてしまいました。
20年以上前の、とても懐かしい記憶です。
この地図は、1980年代に筑豊地区に
存続していた路線を示したものです。
赤い線区が廃止された路線
緑が第三セクターに転換された路線
そして黒がJRとして残っている路線です。
1960年後半に廃止されてしまった幸袋線
以外の路線には乗車したことがあります。
ベンガラ色のディーゼル機関車が
数両のガラガラの客車を牽いて
のんびり走っていた筑豊本線も
今では電化され、筑豊地区と博多あるいは
北九州とを結ぶ近代的な電車が走っています。
今残っている路線に乗ったとしても、
20年前と同じ感慨を得る事は
決して出来ないで事なのでしょうね。