南京町・中華街
(Nankinmachi-Chinatown)
江戸時代に長らく鎖国政策を続けていた日本ですが、
幕末になると諸外国の圧力が高まり、1853年(嘉永6年)に
ペリー総督が黒船に乗って来日すると翌1854年に
日米和親条約を結びます。
ペリー艦長が上陸した久里浜の様子はこちらです。
その後1858年(安政5年)に日米修好通商条約などが
結ばれると神戸を含めた5港が開港します。
その際に、居留地が設けられますが、清国との間には
条約が無かったため、中国人は居留地に住む事が出来ず
その西に住み始めたのが神戸の中華街・南京町の始まりだそうです。
南京町はJR元町駅のすぐ南に広がっています。
元町駅の東口から南に進むと、南京町の
東の入り口・長安門に至りました。
南京町の中華街は東西に長く伸びていて、
長安門から延びる道がメインルートとなります。
撮影: 2010年10月
通りの両側に、たくさんの中華料理店が
店を連ねていました。
南京町は東西約200m、南北110mの
範囲で、およそ100軒の店舗があるそうです。
撮影: 2010年10月
横浜の中華街では、レストランが軒を連ねているのですが、
神戸では、店先で肉まんなどを売っているお店が目につきました。
横浜の中華街の様子はこちらです。
神戸の南京町は、第二次大戦で空爆を受け、その後
荒廃していたそうですが、1981年(昭和56年)以降に
環境整備され、現在の賑わいを取り戻したそうです。
南京町の丁度真ん中にあるあずま屋です。
撮影: 2010年10月
広場の様になっていて、お昼時間前でしたが
多くの人がいました。
夜にはライトアップされるそうです。
あずま屋から更に西に進むと南京町の
西の端、西安門がありました。
撮影: 2010年10月
南京町には東、西そして、南に門があり、
北の入り口には中国獅子が南京町を
訪れる人を出迎えているようです。
撮影: 2010年10月
上左の写真が西安門、そして右が南楼門です。
中華街を歩くと、華やかな建物の
装飾のせいかいつも活気を感じます。
この神戸の南京町でも、その活気を感じました。
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旧居留地
(Former Foreign Settlement)
JR元町駅の南東に神戸の旧居留地があります。
旧居留地は、1858年に結ばれた安政五ヵ国条約に
基づいて設けられた外国人居留地です。
Yahoo地図に加筆しています。
地図をクリックするとGoogle Mapが開きます。
現在の神戸大丸百貨店と日本真珠会館を
対角線で結んだ間の地域です。
居住地には波止場に近い南西の角が1番、そこから
概ね北東に向かって127番までの番号が振られています。
2010年10月にこの旧居留地を散策しました。
その際は、上の地図の番号が付いている
建物を中心に見て回りました。
JR元町駅に近い、42番館跡の神戸大丸から紹介します。
撮影: 2010年10月
神戸大丸百貨店の前に、
「外国人居留地跡の碑」が建っています。
居留地が出来始めたのは、条約が結ばれてから
10年後の1868年(慶応3年)に兵庫港が
開かれて以降との事です。
神戸大丸から南に向かい、次の角を
東に行くと古い洋館が建っていました。
38番館です。
撮影: 2010年10月
1929年(昭和4年)に建てられたそうです。
この建物も神戸大丸百貨店の一部になっています。
撮影: 2010年10月
重厚な出入り口は、どこかの
大使館の様でもありました。
撮影: 2010年10月
街の様子もヨーロッパの街中のような佇まいです。
この38番館から南に下ると32番館がありました。
撮影: 2010年10月
ここは明海ビルといいます。
1921年(大正10年)に竣工したビルでした。
阪神大震災で被災し1998年に再建されたようです。
高級ブティックが並び、震災の痕跡は感じませんでした。
明海ビルから通りを隔てた向かいに旧19番館がありました。
ここは、あいおいニッセイ同和損保のビルになっています。
撮影: 2010年10月
居留地は1899年(明治32年)7月に返還されますが、
大正から昭和にかけて、旧居留地にオフィスビルが
建ち並ぶようになったといいます。
このビルは居留地時代が終わった後のものの様です。
旧19番館から南に向かい、ブロックの端で
左に折れ、東に向かいました。
隣のブロックの東側に旧15番館がありました。
撮影: 2010年10月
15番館はこの神戸の旧居留地で唯一残る
居留地時代からの建物だそうです。
当時はアメリカ合衆国の領事館でした。
瀟洒な洋館が当時の様子を伝えています。
撮影: 2010年10月
背後の近代的なビルとのマッチングもまた素敵でした。
この旧アメリカ領事館の建物は、1995年に発生した
神戸・淡路大震災の際に倒壊してしまったそうです。
しかし、当時の木材を用いて元通りに復旧し、
色も元の色に戻されたそうです。、
今では国の重要文化財に指定されています。
撮影: 2010年10月
ここには日本最古の近代的下水道も残っていたようで、
その木製の配管も展示されていました。
旧15番館の東向が神戸市博物館になります。
撮影: 2010年10月
この建物は1935年(昭和10年)に竣工した
横浜正金銀行の建物だったようです。
中に入らなかったのですが、織田信長や豊臣秀吉の画像や、
南蛮美術品が所蔵されているそうで、残念な事をしました。
神戸市博物館で、南に向かい、広い海岸通りを
東から西へと向かいます。
旧8番館の神港ビルディングと神戸市博物館の
南にあたる旧9番館に建つチャータードビルです。
撮影: 2010年10月
チャータードビルは丸い大きな柱が印象的です。
1938年(昭和13年)に建てられました。
撮影: 2010年10月
チャータードビルから西に向かいました。
次のブロックには商船三井ビルがあります。
旧5番館です。
撮影: 2010年10月
このビルは重厚な建物です。
竣工は1922年(大正11年)で、大正期に建てられた
オフィスビルとして現存する唯一の建物の様です。
一階部分が石積みの造りになっていて、赤紫色の
日除けがとても良くマッチしています。
撮影: 2010年10月
この商船三井ビルは週末を中心に
ライトアップもされているようです。
機会があったら、是非見てみたいと思います。
三井商船ビルから通りを隔てた西側が
シップ神戸海岸ビルです。
旧3番館にあたります。
撮影: 2010年10月
1919年に三井物産のビルがこの地に建てられましたが、
神戸・淡路大震災で被災し、再建された際に1階から
4階部分のの外壁を、そのビルのものを用いたそうです。
撮影: 2010年10月
ここも一階にはお洒落なお店が入っていました。
シップ神戸海岸ビルのブロックの西の端が
旧居留地の1番館にあたります。
ここにはJAの建物が建ち、
1番館跡の案内板がありました。
撮影: 2010年10月
旧居留地の海岸通りに面した区画は他の場所に比べて
面積が大きく、港に近い事もあって、当時は領事館などの
重要な建物が建っていたのではないかと思います。
ここからメリケン波止場に向かいました。
横断歩道を渡ると、海岸通り沿いの
旧居留地に建ついくつかの洋館が見えました。
撮影: 2010年10月
上右の写真はシップ神戸海岸ビルと商船三井ビルです。
左の写真は、神戸郵便ビルです。
神戸郵便ビルは旧居留地の外れに建っていますが、
アメリカ領事館跡に1918年に建てられました。
撮影: 2010年10月
このビルは神戸・淡路大震災の前年に耐震工事が
行われ、震災でも軽微な被害で済んだそうです。
神戸の居留地は、ほとんど予備知識がない状態で訪れました。
当時からの現存の建物はわずか1棟でしたが、異国情緒漂う
洋館がいくつもあり、素晴らしい街並みでした。
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メリケン波止場
(Meriken Hatoba - American Dockside)
旧居留地の南の端の海岸通りの
南には神戸の港が広がっています。
波止場への入り口に「萬国波止場」の碑がありました。
撮影: 2010年10月
当時はアメリカ領事館が近くにあり、
メリケン波止場と呼ばれていたようです。
このあたりは、海岸沿いに高架の
高速道路が二つも並び、圧巻です。
撮影: 2010年10月
高速道路の高架橋の下には
赤レンガの建物もありました。
撮影: 2010年10月
何気なく港の様子を楽しんでいたのですが、
この先、景色が一変し驚きました。
ここは神戸港震災メモリアルパークで、1995年の
神戸・淡路大震災当時の様子がそのまま残されていました。
撮影: 2010年10月
頑丈な筈の岸壁が、崩れている様子は衝撃でした。
液状化現象でこのような破壊が生じてしまうのでしょうか・・・
震災の後、しばらくして神戸を訪れた際、街並みは
綺麗に直され、その痕跡を見る事は殆どなかったのですが、
ここを訪れ、当時の被害の甚大さを初めて実感しました。
現在の(2010年当時ですが)神戸港の様子です。
撮影: 2010年10月
のどかな景色でしたが、警備艇が
慌ただしく港に入って来ました。
この西側遠くには神戸のランドマーク、
神戸ポートタワーが見えていました。
撮影: 2010年10月
1963年(昭和38年)に建てられたそうなので、
かなり古くからあったタワーの様です。
展望台に上がってみても良かったのですが
既にかなり歩き回っていたので、疲れて
足が向きませんでした。
いつか、この塔から神戸の夜景を眺めてみたいと思います。
この神戸のメリケン波止場のすぐ近くに
神戸海軍操練所跡があります。
撮影: 2010年10月
神戸海軍操練所は1864年(元治元年)に幕臣で軍艦奉行の
勝海舟が将軍・家茂の許可を得て創設した海軍士官
養成機関と海軍工廠の役割を持った施設でした。
かの坂本龍馬も、この海軍操練所に入り、
塾頭として活躍していたと伝わります。
撮影: 2010年10月
海軍操練所の碑は、厚い本の形をしていました。
日本の近代化の為に重要な役割を果たす筈の
海軍操練所でしたが、八月十八日の政変に
塾生の一部が関与していたこと等を理由に、
僅か1年で閉鎖されてしまいました。
すぐ隣には「神戸電信発祥の地」の碑がありました。
撮影: 2010年10月
神戸も横浜と同じく日本の近代化の
先駆けになった街でした。
横浜の様子はこちらです。
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湊川神社
(Minatogawa Shrine)
湊川神社は楠正成を祀る神社で、
神戸駅のすぐ北側にあります。
湊川神社の歴史は、思うのほか浅く、
1872年(明治5年)の事です。
神戸駅で下車し、駅を出て北に向かい、大きな
通りを渡ると、湊川神社の表門が見えてきました。
撮影: 2017年1月
楠正成は南北朝時代に、南朝の後醍醐天皇に
ついて戦った武将です。
出身は河内の赤坂水分、今の大阪府
千早赤阪村と言われています。
表門の手前左手に楠正成のお墓所がありました。
撮影: 2017年1月
小さな門を抜け、燈籠の並ぶ中を歩いていきます。
これらの燈籠は歴代の尼崎藩主が
奉納したものだそうです。
撮影: 2017年1月
尼崎城の登城記はこちらです。
この奥に、楠正成の墓碑がありました。
撮影: 2010年10月
足利尊氏とともに、鎌倉幕府倒幕と後醍醐天皇の
建武新政を支えた楠正成ですが、足利尊氏が
後醍醐天皇から離反すると足利尊氏と戦います。
一旦は尊氏を九州に追いやりますが、1336年(延元元年/
建武3年)に、この地で敗れ自害してしまいました。
その死から150年後、徳川光圀公が墓碑を立てました。
1692年(元禄5年)の事です。
撮影: 2017年1月
碑には「嗚呼忠臣楠子之墓」と光圀公の
筆で掘られているそうです。
楠正成の墓碑と並んで光圀公の像もありました。
楠正成のお墓を訪れた後に、表門をくぐりました。
撮影: 2010年10月
この先に鳥居がありました。
こうした造りは他の神社とは異なっています。
撮影: 2010年10月
鳥居を抜けると本殿に至りました。
湊川神社は明治に入ってから創建された新しい神社で
社殿も鉄筋コンクリート製の新しいもののようでした。
撮影: 2010年10月
この社殿の左奥に、楠正成終焉の地がありました。
撮影: 2010年10月
攻めのぼる足利尊氏の大軍と何度も戦った楠正成軍ですが、
一族僅か16騎、郎党60余人にまでなってしまい、
1336年5月25日、ここで自刃したそうです。
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六甲山
(Mt Rokko-San)
六甲山は、神戸の背後に屏風のように聳える山です。
ポートライナーの車内からの写真です。
ポートライナーの乗車記はこちらです。
六甲山へはハイウェーも通っているようですが、
ケーブルカーを使って、上ってみました。
まずは、三宮からバスに乗り、
摩耶ケーブルで虹の駅に出ました。
摩耶ケーブルの乗車記はこちらです。
この虹の駅からの眺めも素晴らしいのですが、
ここから、更にロープウェーが接続していて
摩耶山山頂に向かう事が出来ます。
ちょっと寂れた感じがする摩耶ロープウェーの駅舎。
10分程まって、星の駅行きのロープウェーに乗りました。
乗客は、ケーブルカーで一緒だった、計5人程です。
ロープウェーからも、神戸から大阪に続く
街並みが広がっているのが見えました。
近くの山には廃墟になった建物の見えていました。
以前は、山荘かホテルだったのでしょうか。
紅葉も終わりかけの六甲の山並みが
ロープウェーの車窓に近づいて来ました。
虹の駅から5分程で、
摩耶山頂に近い星の駅に到着です。
この星の駅を出たところに
掬星台(きくせいだい)という展望台があります。
この掬星台からは神戸の街が一望できます。
逆光に輝く瀬戸内海に、ポートアイランドと
その沖合いの神戸空港も見えてきました。
ポートライナーの乗車記はこちらです。
そして、瀬戸内海と六甲の山々に挟まれた街が
大阪方面に続くのも手に取るように見えます。
写真では、ちょっと霞んで見えないのですが、
大阪駅周辺の高層ビルも見えます。
掬星台の名前は、ここから見える夜景が
星を掬えるように見える事から名付けられたそうです。
1000万ドルの夜景とも言われるそうですが、
一度、その夜景を見てみたいものです。
そして、六甲山方面の別荘や牧場も見えています。
六甲山方面には、星の駅からシャトルバスが出ています。
シャトルバスから摩耶山天上寺や
高原の雰囲気の六甲牧場を眺めながら
六甲ケーブル山上駅に向かいました。
六甲ケーブル山上駅の近くにも
天覧台という展望台があったようですが、
そこには寄らずに六甲ケーブルに
乗って下山してしまいました。
六甲ケーブルの乗車記はこちらです。
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