みなとみらい21地区
(Minato Mirai 21)
みなとみらい21地区はJR桜木町駅の
東に広がる新しく開発された街です。
1983年から着工されています。
桜木町駅の東側に降り立つと横浜のシンボル、
ランドマークタワーが聳えています。
以前は、造船所や貨物駅があった土地に
今では、このランドマークタワーも含め、
多くの高層ビルが建ち並んでいます。
多くの観光客も みなとみらい21地区を訪れています。
このランドマークタワーの高さは296m。
ビルとしては長らく日本一の高さを誇っていました。
JR桜木町駅からランドマークタワーに向かって、
動く歩道が続いています。
朝は、通勤の人波が絶えることなく
駅から動く歩道に続いていますが、
その一歩南側には、小さな入り江があり
帆船が据え置かれています。
商船学校の航海練習用に建造された「日本丸」です。
建造されたのは1930年(昭和5年)。
太平洋戦争の復員兵輸送や朝鮮戦争にも
巻き込まれた歴史を持っているようです。
その後1952年に復活し、
1985年から一般公開されているそうです。
生憎、帆を張った姿は見られなかったのですが、
日本丸の端正な姿は、近代的なビルの建ち並ぶ
みなとみらい地区にアクセントを加えているようでした。
日本丸の近くには1918年にアメリカで造られた
エアーコンプレッサーは展示されていました。
西欧化を図っていた当時、横浜の港から
多くの品物が日本にもたらされたのでしょう。
日本丸から海に向かって歩き、ランドマークタワーを
過ぎると明治時代に造られたドッグの跡がありました。
旧横浜船渠株式会社の第二号船渠です。
ちなみに船渠(せんきょ)はドッグの事です。
このドックは1896年(明治29年)に竣工しており、
民営の石造船渠としては現存最古のもので、
国指定の重要文化財に指定されています。
しばらく歩いていくと、貝殻の様な形の
ホテルと観覧車が見えてきました。
この観覧車は、1989年の完成当初は世界一の大きさで
現在でも日本で4位、世界で5位の大きさという事です。
支柱が60あり、秒針の役割を果たしているという事です。
この周囲は、高級ホテルも建ち並び、
日本の他の街とは全く異なった雰囲気です。
上の写真右手のホテルのバルコニーから
インターコンチネンタルホテルの夜景を
撮る機会に恵まれました。
窓ガラスを介さずに眺める夜景は
とても素晴らしいものでした。
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ランドマークタワー
(Landmark Tower)
みなとみらい地区のまさにランドマークと
なっているランドマークタワー。
1996年7月16日に開業しています。
高さは296mで、2014年に開業した
あべのハルカスに次いで2番目に高いビルです。
JR桜木町駅前に下り立つと、その姿が一望出来ます。
ランドマークタワーの最上階はスカイガーデンと
呼ばれる展望デッキになっています。
2006年10月、このランドマークタワーに上りました。
高さ273mの展望デッキに、毎分750mの
高速エレベータで僅か40秒ほどで着きました。
エレベーターのドアが開くと、目の前に
横浜港の展望が目の前に迫ってきました。
青い空に、白いホテルの建物が映えています。
晴れ渡った空の下、遠く東京のビル群も見えていました。
下の写真は、南の方角を写したものです。
手前のJR桜木町駅から、根岸方面の眺めです。
また西の方角には、雲がかかっていましたが、
晴れていれば富士山も見えるそうです。
多くの人が住む横浜の街が一望の下に見え、
何時までも飽きることなく見たかったのですが、
参加していたシンポジウムの午後の開始時間が迫り、
後ろ髪を引かれながら下りのエスカレーターに乗りました。
2015年の冬、夕暮れ近い頃に、久しぶりに
ランドマークタワーに上ってみました。
短い冬の陽が落ちかかろうとしている頃でした。
足元に目をやると、桜木町駅が
ほぼ真下に見えていました。
さすがに真下を見ると高さを感じます。
そして、みなとみらいの眺めです。
夕陽も沈み展望室からの眺めは
刻々と変化していきました。
ビルの灯りが灯り始め、夕暮れの
景色から夜景へと変わっていきました。
貝殻の形をしたインターコンチネンタルホテルや
観覧車の灯りがくっきり浮かび上がってきました。
ランドマークからは天気が良ければ富士山も眺められます。
残念ながら、2回とも富士山は見えませんでしたが、
近くのビルからは何度かその姿を眺めました。
西の空が赤く染まった頃に
浮かび上がった富士山です。
夕陽が沈み、街の灯りが光りだすと
その姿が一層くっきりと浮かび上がってきました。
見事な富士山の眺めでした。
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赤煉瓦倉庫
(Yokohama Red Brick Warehouse)
汽車道
JR桜木町駅前から北に向かうと
入り江の中に道が一本伸びています。
この道は汽車道と呼ばれ、桜木町駅から
赤煉瓦倉庫への近道になっています。
その名が示す通り、この道は
鉄道の廃線跡を遊歩道にしたもので、
1997年に遊歩道として整備されました。
この鉄道路線は旧横浜駅と新港埠頭を結ぶ
貨物線で、1986年に廃止になった路線でした。
横浜港からサンフランシスコへの船が
出る際には旅客列車も運行されており、
1989年には横浜博覧会が開催されたそうですが
その際には、山下公園まで旅客列車が運行されたそうです。
この汽車道には3つの鉄道橋が遺されています。
桜木町駅に最も近い下の橋が港一号橋梁です。
1907年に製作されたアメリカ製の複線用の橋梁です。
長さは100フィートだそうです。
港一号橋梁を渡り終えて仰ぎ見る
ランドマークタワーです。
この先に海の中の築堤が続いています。
線路の跡も残されていますが、少々
左に寄りすぎているようにも思います。
この築堤からはみなとみらい21地区の
高層ビルが一望に出来ました。
この先には港二号橋梁がありました。
この港二号橋梁は一号橋梁と同じくアメリカ製で
同じ年に造られ、長さも全く一緒です。
港二号橋梁の全景と再びランドマークタワーです。
何といってもこの辺りでのランドマークタワーの
存在感は絶大で、どこからでもカメラを向けたくなります。
プロムナードの花場広くなり、
緩やかなカーブを描いています。
このプロムナードを何度か歩きましたが
思っていた以上にここを歩く人が多くいます。
他の方も桜木町駅から赤煉瓦倉庫に向かう人の様です。
プロムナードの脇には遊覧船の船乗場もありました。
みなとみらい地区を船から眺めるのもいいかもしれません。
この遊覧船乗り場の近くにあった港第三橋梁です。
この橋梁は1906年に架けられた北海道炭礦鉄道
夕張線の夕張川橋梁を移設したものです。
この橋は背の低いトランス橋です。
廃線跡の線路は、トランス橋を通らずに
となりの橋を通っているのが愛嬌です。
この先でプロムナードは埋め立て地に辿り着きます。
この埋立地あるナビオス横浜という建物が
汽車道を跨いでいます。
ナビオス横浜の開口部から赤煉瓦倉庫の
この眺めが、優れた景観という事で
「土木学会デザイン賞2001」に輝いています。
振り返ると、線路跡がランドマークタワーに
向かって伸びていました。
ナビオス横浜の開口部から眺める
ランドマークタワーの眺めも
素晴らしいものでした。
この先に赤煉瓦倉庫が建っています。
赤煉瓦倉庫
汽車道の先に赤煉瓦倉庫があります。
赤煉瓦倉庫は小樽や函館など
日本国内でもいくつかの街にありますが、
この横浜の赤煉瓦倉庫が一番有名かもしれません。
小樽の街の様子はこちらです。
函館の街の様子はこちらです。
この横浜の赤煉瓦倉庫は明治末期から
大正初めにかけて建てられたものです。
現在2棟の赤煉瓦倉庫が遺されていて、
小さい方が1号館、大きな方が2号館です。
2号館が1911年(明治44年)、1号館が
1913年(大正2年)に完成しています。
赤煉瓦倉庫の正式名称は新港埠頭保税倉庫といいます。
保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終わり、
その後2002年(平成14年)に、文化施設や
商業施設として生まれ変わっています。
赤煉瓦倉庫の商業施設は、
いつも多くの人で賑わっています。
この赤煉瓦倉庫の北側にも
線路跡を見つけました。
これは1911年に開業した
横浜港駅へと向かう線路跡です。
赤煉瓦倉庫から200m程続く線路の先には
短いプラットフォームも残っていました。
当時は東京駅からの旅客列車もあったそうです。
もし今走ったとしても、みなとみらい地区への
観光客で混雑すると思います。
いつか列車が復活するといいですよね。
その隣には旧税関事務所の建物跡がありました。
この税関事務所は1914年(大正3年)に建てられましたが
関東大震災で焼失し、今はその跡地が花壇になっています。
ここから赤煉瓦倉庫の南側、
山下公園の方向に向かいました。
新港橋を渡ったのですが、ここも
昔の鉄道橋の跡が残っていました。
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横浜三塔界隈
(Area near Prefecture Office)
みなとみらい線の日本大通り駅周辺は、
1854年(安政元年)に日米和親条約が
締結された場所で、日本の開国や横浜の
発展を遂げたきっかけになっています。
この周辺には、明治以降の日本の
先駆けになった史跡も多い場所です。
赤煉瓦倉庫から山下公園に囲まれた
この地域の様子を紹介します。
赤煉瓦倉庫から象の鼻へ
赤煉瓦倉庫を後に、
新港橋を渡り南に向かいます。
新港橋辺りからランドマークタワーを望みます。
この反対側には、横浜港の景色が広がっていました。
左手遠くにマリンタワーを望み、手前には
特徴的な横浜税関の塔も見えています。
山下公園に向かう道は、
山下臨港線プロムナードと呼ばれ、
単線の線路の幅で高架橋となっています。
先ほど眺めた横浜税関のすぐ近くを通ります。
横浜税関の建物は、関東大震災で倒壊し、
11年後の1934年(昭和9年)に建てられています。
高さは51mで、当時横浜で最も高い建物だったそうです。
象の鼻パークの開港波止場から眺める
横浜税関と神奈川県庁の様子です。
象の鼻パークは横浜港開港150周年となる
2009年に開園しています。
貨物線の高架廃線跡を利用した
山下臨港線プロムナードも見えています。
そのプロムナードから眺める横浜港の様子です。
高架橋になっている山下臨港線プロムナードです。
この山下臨港プロムナードは昔の貨物線の
廃線跡を活用したものですが、廃止となった
貨物線が開業したのは1965年(昭和40年)、
廃止になったのは1985年(昭和60年)です。
意外にも開業したのも戦後も20年も過ぎ
鉄道による貨物輸送も衰退しかけた時期でした。
しかも現役時代が僅か20年と儚い運命の路線でした。
この路線、貨物線としてではなく、旅客線として
開業していれば今でも現役であったと思います。
象の鼻パークからの横浜港の眺めです。
ランドマークタワーや赤煉瓦倉庫が遠くに見え、
その手前に小さな突堤が港に伸びています。
この小さな突堤が「象の鼻」です。
「象の鼻」は1859年(安政6年)に
幕府によって築かれた築堤です。
緩やかに鉤状に曲がった突堤の形から
「象の鼻」と呼ばれています。
この辺りからはマリンタワーや横浜の三つの塔、
そしてランドマークタワーや赤煉瓦倉庫など
横浜の観光名所が一望出来ます。
「象の鼻」から開港広場方面を眺めた様子です。
横浜税関や神奈川県庁の建物が良く見えていました。
横浜が開港されるとこの象の鼻を通じ
多くの西洋の文化が日本に持ち込まれた事でしょう。
西欧化を進めた当時の日本にあって
最先端の地だったと思います。
その象の鼻の根元の岸壁には
壊れかけた古い岸壁がありました。
関東大震災で壊れた岸壁でしょうか。
この象の鼻から高架の山下臨港線プロムナードを
更に南東に向かうと山下公園へと辿り着きます。
その途中、大桟橋を遠くに眺めた様子です。
横浜港・象の鼻の夜景
象の鼻パーク近くの横浜港からは
みなとみらい21地区の夜景も眺められます。
横浜出張の折り、近くのホテルに宿泊した事もあり
この界隈の夜景を眺める事にしました。
高架の山下臨港プロムナードから眺める
横浜税関とみなとみらいの夜景です。
ランドマークタワーをバックにした横浜税関です。
山下臨港プロムナードのすぐ前には、
横浜港の夜景が広がっていました。
遠くに赤煉瓦倉庫が見えます。
昼間とは全く違った雰囲気です。
高架のプロムナードから波止場に下り
眺めた夜景です。
みなとみらい地区の大観覧車の灯りが
とても綺麗に輝いていました。
波止場の救命用の浮き輪が、なんだか
とっても夜景にマッチしていました。
横浜三塔とその周辺
横浜港発祥の地、象の鼻パークの近くに
神奈川県庁があります。
この建物は、1923年(大正12年)に起きた
関東大震災で焼失した旧県庁舎を
1926年(大正15年)に再建したものです。
横浜では、この県庁のタワーを
「キングの塔」と呼んでいるようです。
「クィーンの塔」は山下臨港プロムナードから
眺めた横浜税関です。
そして「ジャックの塔」は、神奈川県庁から
交差点を隔てたところにある開港記念会館です。
「クィーンの塔」が、復興したのは1934年(昭和9年)、
「ジャックの塔」は1927年(昭和2年)に復元されています。
今は周囲にビルが建ち並んでいますが、以前は
入港する船からこの3つの塔を眺める事が出来、
横浜のシンボルになっていたそうです。
この界隈には開国後の日本の礎となった
史跡があちこちにあります。
まずは県庁の敷地内にある神奈川運上所跡です。
ここは開国に伴いう関税と外交事務を執り行った所で
幕末の1866年(慶応2年)に築かれました。
その後、業務は横浜税関に引き継がれたそうです。
神奈川県庁の東南には開港広場があります。
大きな道の歩道が広がったところに街路樹が生え
一見、何気ない広場の様にも見えます。
しかしこの広場は歴史的な広場です。
1854年(安政元年)、この地で
日米和親条約が結ばれたのでした。
この日米和親条約によって、1630年代から200年以上に
わたる日本の鎖国政策は終焉を迎えたのでした。
その後、すさまじい攘夷vs開国の争いが生じ、
それが尊王vs佐幕いから明治維新へという
歴史のうねりが起きています。
この地が、その日本の大変貌の
きっかけになったと思うと感無量です。
この開港広場に面して横浜開港資料館があります。
この建物は1931年(昭和6年)に建てられた
英国総領事館でした。
設計は英国の工務省が行い、建築資材も
イギリスから取り寄せたそうです。
旧英国総領事館のすぐ南側には
瀟洒な教会もありました。
横浜海岸教会です。
調べてみると、日米和親条約が締結された後
アメリカから宣教師が来日し、1868年(慶応4年)に
この地に礼拝所が建てられたそうです。
ここから更に南に向かうとみなとみらい線の
日本大通り駅に辿り着きます。
この日本大通り駅があるのが旧横浜奨励館です。
この建物は関東大震災の復興事業として
1929年(昭和4年)に建てられたそうです。
この辺りの建物の歴史を紐解くと
関東大震災の後、1930年代初めに
多くの洋風のビルが建てられた事が判ります。
今は横浜市情報文化センターになっています。
夜のビルの様子も良かったです。
日本大通り駅の東南側の建物は
旧横浜市街電話局だった建物です。
この建物も1929年(昭和4年)に建てられました。
旧横浜奨励館から日本大通りに沿って、
1ブロック南に行くと旧三井物産ビルがあります。
このビルは1911年(明治44年)に建てられた日本最初の
鉄筋コンクリート造りのオフィスビルだそうです。
このビルは関東大震災でも倒壊しなかったそうです。
ここから細い路地に沿って東南に進むと
旧居留地消防隊地下水槽遺構がありました。
1893年(明治26年)に造られた防火貯水槽の遺構です。
この防火貯水槽の遺構の道路を隔てて反対に
蔦で覆われたビルがありました。
このビルは日本のホテルの発祥の地だそうです。
横浜のこの辺りには、本当に多くの史跡があります。
この先に、横浜出張の折りにちょくちょく宿泊する
ホテルがあるのですが、このホテルの建物も以前は
「ストロングビル」と呼ばれた歴史的建造物だったそうです。
ストロングビルが建てられたのは1938年(昭和13年)です。
現在のホテルが2009年に建てられた際、
1〜3階の外観は元の建物の外観を
復元されているそうです。
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山下公園
(Yamashita Park)
象の鼻パークから大桟橋を過ぎ南東に向かうと、
海岸線に沿って、公園が続くようになります。
どこにもありそうな公園ですがこの公園が山下公園です。
海に面して散策路があり、芝生が広がる先に木々が
生い茂っていて、とても落ち着ける雰囲気の公園です。
撮影: 2013年3月
山下公園の名は、広く行き渡っているかと思います。
関東大震災の復興事業として、瓦礫などを埋め、
1930年(昭和5年)に造成されたそうです。
公園前の埠頭からは横浜港の景色が広がっています。
岸壁にはベンチが並び、晴れて気持ち良い秋の空の下
いつまでも佇んで居たくなってしまいます。
撮影: 2013年3月
遠くに横浜ベイブリッジの白い橋が眺められ、
右手には山下埠頭の倉庫群が見えています。
横浜港の様子を動画でもどうぞ:
https://youtu.be/h_6lpbopb7Q
来し方を振り返ると、遠くにみなとみらい地区の高層ビルや
特徴的なインターコンチネンタルホテルが見えていました。
撮影: 2013年3月
公園の反対側は横浜市街地のビル群が見えています。
撮影: 2013年3月
公園に面しては、高級ホテルが建っています。
左手には横浜の昔からのランドマークの
マリンタワーも見えています。
山下公園には少女の像があります。
童謡で知られる『赤い靴を履いた女の子』像です。
撮影: 2013年3月
赤い靴履いてた女の子
異人さんに連れられて行っちゃった
と歌詞にありますが、この横浜の
港からアメリカに渡ったそうです。
アメリカのサンディエゴの海岸にも
同じ銅像があるそうです。
サンディエゴの街の様子はこちらです
公園の南東側に桟橋があり、
そこに中型の船が係留されています。
撮影: 2013年3月
この船は氷川丸です。
1930年(昭和5年)に建造され、日本郵船の
シアトル航路船として就航しています。
第二次大戦中は病院船、戦後は引き上げ船
として使われ、戦後、1953年(昭和28年)に
再び外航客船として就航したそうです。
1960年(昭和35年)に、最終航海を終えて引退し、
その後はこの場所で博物館として係留されています。
2016年には国の重要文化財に指定されています。
撮影: 2013年3月
桟橋の袂の埠頭には多くのカモメが飛び、
近くにいた観光客の人もカメラを構えていました。
撮影: 2013年3月
氷川丸が係留されている桟橋からは、
横浜港の眺めが一望出来ました。
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元町・中華街
(Motomachi-Chinatown)
みなとみらい線を終点の元町・中華街で下車し、
山下公園の方に歩き出しました。
しばらく歩くと、目の前にマリンタワーが見えてきました。
このマインタワーは1959年に出来たそうです。
普通の展望タワーかと思っていたのですが、
高さ106mある世界一高い灯台ということです。
この後、中華街に向かいました。
中華街には以前に一度、行った事があるのですが、
その時は、右も左もわからない状態で、
夜に連れられて食事に行ったので、
どんな雰囲気の街なのか見に行ってみたかったのです。
山下公園から程近い、朝陽門から中華街に入りました。
いかにも中国風といった門ですが、
ヨーロッパやアメリカの中華街でも
入り口に建っていますね。
門をくぐると、中華レストランが建ち並んでいます。
まだ開いているお店は殆ど見かけませんでしたが、
食材の仕入れの車が通ったり、
通りでは、中国語が飛び交っています。
その中国語を聞きながら、世界中に中華街を作っている
中国人のバイタリティーを感じた様に思いました。
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港の見える丘公園
(Harbor View Park)
横浜からみなとみらい線に乗車し、終点の
元町・中華街駅で下車し、東側に向かうと
港の見える丘公園の入り口に着きます。
撮影: 2011年5月
港の見える丘公園はこのエントランスから
急な階段を上ります。
撮影: 2011年5月
階段を上り、少し坂道を歩いたところに
旧フランス領事官邸遺構がありました。
撮影: 2011年5月
フランス領事館は1896年(明治29年)に建てられました。
1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊し、1930年
(昭和5年)に新しい領事官邸が建てられました。
当時、ここには水道の設備がなく、
井戸の水を風車で汲み上げていたそうです。
撮影: 2011年5月
その風車が復元されていました。
旧フランス領事官邸を過ぎ、丘陵地の頂上に
辿り着くと開けた展望広場がありました。
撮影: 2011年5月
展望台からは横浜港の南側の景色が一望出来ます。
撮影: 2011年5月
横浜港をまたぎ、大黒埠頭に向かう
ベイブリッジも一望出来ました。
撮影: 2011年5月
この展望広場の先に一段低い場所に
花壇が整備されていました。
撮影: 2011年5月
この花壇の向こうに行ってみると、
ローズガーデンがありました。
撮影: 2011年5月
5月半ば過ぎに行ったのですが、丁度、綺麗に
咲いていて、多くの人が訪れていました。
色々な種類の薔薇が咲いていましたが、
中には
"Diana, Princess of Wales"
という種類の薔薇がありました。
撮影: 2011年5月
外側のピンクと中心部の白い色の
コントラストが綺麗な薔薇でした。
このローズガーデンの手前にイギリス館があります。
撮影: 2013年12月
この建物が建つ横浜市中区山手町115-3番地は、
横浜の居留地防衛の為に、1863年(文久3年)に
イギリスが軍隊を駐留された場所だそうです。
その後、1937年(昭和12年)に英国総領事公邸として
建てられました。
撮影: 2013年12月
綺麗な玄関の様子です。
このイギリス館は1969年(昭和44年)にに
横浜市の所有となり、一般公開されています。
2013年12月、クリスマスの時期に
このイギリス館を訪れました。
撮影: 2013年12月
クリスマスの飾りつけもありましたが、
調度品や室内の様子が如何にも
高貴な佇まいでした。
撮影: 2013年12月
横浜の山手には、明治以降の洋館が幾つもあります。
その様子は、山手西洋館のページで紹介します。
山手西洋館の散策記はこちらです
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