比叡山延暦寺
Hienzan Enryakuji Temple, Japan






比叡山延暦寺。
京都の東に聳える標高848.3mの大比叡と
四明岳(標高:838m)からなる山の総称です。

< この比叡の山に788年(延暦7年)に最澄上人が
一乗止観院という草庵を建てたのが延暦寺の始まりです。

その後、最澄は804年(延暦23年)に遣唐使船で唐に渡り、
天台教学、戒律、密教、禅の4つの思想を学びました。

806年(延暦25年)に日本天台宗の開宗が正式に許可され、
それ以降、延暦寺は天台宗総本山として、鎮護国家の霊場として、
そして日本仏教の母体となる寺院としての興隆を果たします。

平安時代に入ると延暦寺は北嶺南都と呼ばれ、
度々、政治に圧力を加えるようになり、ついには
織田信長の武装解除の要求を拒否し続けた為、
1571年(元亀2年)9月12日に焼き討ちに遭っています。

その後、豊臣秀吉や徳川家康によって再建され今に至っています。


2,400ヘクタールもの境内には東塔、西塔、
そして横川という3つの境内が広がっています。

比叡山には子供の頃、家族旅行で来た事があるのですが、
2007年のゴールデンウィークに、久しぶりに訪れました。
この時は、時間の都合で東堂を見て回ったのですが、
またいつか、西塔や横川の境内にも行ってみたいです。



東塔 〜 根本中堂 〜 (Todo Area)
NEW! Dec. 23, '07


西塔 (Saito) 



横川 (Yokawa)






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東塔 〜 根本中堂 〜
(Todo Area)



琵琶湖の畔、坂本の町を散策した後、
比叡山鉄道(坂本ケーブル)で比叡山に登りました。

坂本の町の様子は
こちらです。
比叡山鉄道(坂本ケーブル)の様子はこちらです。


ケーブル延暦寺の駅を降りて、
延暦寺への小路を歩いて行きます。



青葉が眩しく、延暦寺に向かう途中で
琵琶湖を見下ろす事が出来ました。



広々とした琵琶湖の景色を眺めながら
10分程歩くと、延暦寺の境内に入ります。



ケーブルからの小路は殆ど歩く人も居なかったのですが、
境内への参道には、駐車場からの多くの人で賑わっていて
急に別次元の世界に出たような感じです。


案内板に広大な比叡山の境内が示されていました。
比叡山三塔十六谷の中心、東塔の様子です。



この境内にも多くの伽藍があるようです。

少し歩いて行くと、左手に下り坂が見えて来ます。
この坂の下に延暦寺の総本堂、根本中堂があります。

坂の入り口に建てられた根本中堂の立派な石碑。



緩やかな坂を下ると、根本中堂の
大きな建物が見えてきました。



最澄上人が788年(延暦7年)に創建したお堂です。
現存のお堂は1642年(寛永19年)に徳川家光公の
命で再建されたもので、国宝に指定されています。

この根本中堂にすぐに参拝しようと思ったのですが、
ふと気がつくと、根本中堂の向かいに急な階段があり、
その丘の上にお堂があり、まずはそちらに向かいました。



階段の途中、大樹の間から眺める
根本中堂はとても堂々としていました。

そして丘の上の文殊楼です。



この文殊楼は延暦寺の総門に位置付けされた
重要な楼門だそうです。

868年(貞観8年)に慈覚大師円仁が建立した門で、
現存のこの門は、1642年(寛永19年)に家光公の
命によって再建されています。

狭い階段を上り、門の2階に上がってみました。
内部には智慧の仏様、文殊菩薩が祀られていました。


そしていよいよ根本中堂です。



中央のお堂の周囲が回廊になっていて
多くの参拝客と一緒に、外陣から
中陣へと進んでいきます。



一段低い内陣には薬師如来像が祀られ
その前には、開山以来一度も絶やすことなく
輝き続けた「不滅の法灯」がありました。

1200年もの間、受け継がれた法灯の光。
小さな光でしたが、暗い内陣に輝いているようでした。


根本中堂を参拝した後、
先ほどの緩やかな坂道を上りました。

左手に出世大黒天堂がありました。



気付き難いところにひっそりと佇むお堂ですが、
最澄上人が根本中堂を建てられる時、
守護神として大黒天を祀ったお堂という事です。

豊臣秀吉も、開運と福徳を願ったので
出世大黒天と言われているそうです。

ここから右手奥の山腹にある阿弥陀堂を訪れました。
まずは急な階段を上り大講堂を目指します。

坂の途中にある登天天満宮を見かけました。



案内板を読んでびっくり。

かの大宰府に左遷された菅原道真公の怨霊が、
都で悪疫や天災地変を引き起こしました。
延暦寺東塔の尊意和尚がその怨念を封じたところ、
その怨霊は尊意和尚を襲ったそうです。
しかし、道真公の怨霊は尊意和尚に諭され、
十一面観音となることを誓い、天に昇ったそうです。

この謂れから登天天満宮という名前がついたそうです。

大宰府の様子はこちらです。


登天天満宮の前の已講坂です。



急な階段を手摺に掴って上ります。

已講というのは天台職位の最高位で、
已講が5年に一度大講堂で行われる法華大会の
講師を務める際に、問答の想を練りながら
この坂を上るところから付けられたそうです。

已講坂を上りきったところの大講堂です。



1964年(昭和39年)に山麓坂本の讃仏堂を移築したもので、
この建物は僧侶が法華経の修行をする道場だそうです。

内部に、比叡山で修行をした法然、親鸞、栄西、
道元そして日蓮らの等身大の像もあるそうです。
大講堂から更に坂を上ると、戒檀院が現れました。



この戒檀院は僧侶が大乗戒を受けるお堂で
比叡山の中で、一番重要なお堂だそうです。

最澄は、日本で初めての大乗戒坦院を
建立しようと心血を注がれたそうですが、
その勅許が下りたのは彼の
死後7日目の事だそうです。


戒檀院を過ぎ、左手の坂道を上ると
東塔の一番奥にある阿弥陀堂の境内です。

阿弥陀堂に続く階段が逆光に輝き、
とても神々しい眺めでした。



階段を上りきると、朱塗りの堂々とした
阿弥陀堂と東塔が目の前に現れました。



阿弥陀堂は比叡山開創1150年記念として
建立されたものだそうです。

そしてその隣に立つ東塔は、最澄上人が説いた
全国六つの宝塔の中心と位置づけられています。
信長の焼き討ちで焼失したものを
1971年に再建されたそうです。


阿弥陀堂で延暦寺の東塔の散策を終え、
延暦寺バスセンターから比叡山頂に向かいました。

比叡山頂からの眺めは、東に琵琶湖、南に逢坂山
そして西に京都と一大パノラマを楽しむことが出来ました。



既に日も傾き、夕暮れが近づいていましたが、
午後になってもこの日は霞むことなく
素晴らしい景色でした。


この後、叡山ロープウェーに乗り、京福電鉄鋼索線
(叡山ケーブル)で京都の街に下りました。
叡山ケーブルの様子はこちらです。




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