羽咋は、能登半島の根本の西側に位置しています。
古墳も多く、歴史の深い所です。
いままで、あまり訪れる機会はなかったのですが、
気多大社は、能登国の一宮となっている神社です。
創建は有史以前で、第8代の孝元天皇の御代に、
気多大社の立派な鳥居です。
この鳥居は二の鳥居で、一の鳥居は1km程
調べてみるとその一の鳥居の近くに北陸鉄道・
二の鳥居をくぐり、すぐ右手にあるのが斎殿です。
天皇陛下御幸記念碑が立っていますが、
広い参道を進むと神門がありました。
建立は1584年(天正12年)と伝わり、
巫女さんの姿を近くで写真に撮るのが
この先に、気多大社の社殿が建っていました。
拝殿は、1653年(承応2年)に建立されており、
拝殿の奥には本殿と、その両脇に若宮神社と
神門と合わせ、これら5つの社殿が
気多神社の社殿の背後には原生林が広がっています。
「入らずの杜」と呼ばれ、30,000平米もの
その立ち入り禁止になっている杜の東隅は
気多大社の社殿の西側には
正覚院は気多神社の神宮寺として
神宮寺の正覚院の創建が奈良時代初期という事も合わせ、
出雲大社や吉備津神社もそうですが、神話時代に創建された
気多神社を訪れた後、レンタカーを北に向かって
木々の上から姿を現している古い塔の
妙成寺という日蓮宗の北陸本山に
創建は1294年(永仁2年)の事です。
初重に屋根のない二階造りの櫓門で、これは
仁王門に安置されている阿形の金剛像(写真下右)と
この仁王門は1625年(寛永2年)に建てられ、
仁王門を過ぎると、右手に鐘楼が建ち、
鐘楼も1625年(寛永二年)に建立され、
左手には石段が続き、そこを上って行くと
開山堂は、開祖・日乗上人を祀るお堂で、
そして、五重塔が間近に聳えていました。
この五重塔は1618年(元和4年)に建立されたもので、
現在残る妙成寺の伽藍は、加賀藩の二代目藩主・
五重塔の奥にはお墓が幾つかあります。
大槻伝蔵は、五代藩主・前田吉徳によって
これらの出来事は加賀騒動として知られていますが
この先には第二代藩主・前田利常公の
この奥に、丈六堂があります。
この丈六堂は1686年(貞享3年)に建立されています。
丈六堂は妙成寺の境内では一番奥に立っています。
三十番神堂は、1614年(慶長19年)に
三十番神堂は、大阪冬の陣・夏の陣の際に
三十番神堂の北隣に建つ三光堂です。
三光堂は廻廊で右隣の本堂と繋がっています。
本堂は1614年(慶長19年)に建立され
廻廊で繋がれたお堂の様子は
祖師堂からの廻廊は、鐘楼へと突き当り、
廻廊を下ると、妙成寺庭園の案内がありました。
羽咋
Hakui in Ishikawa
羽咋の名は、垂仁天皇の皇子磐衝別命が、
この地の領民を苦しめていた怪鳥の羽を
食い破ったという「羽喰」から
付いたともされています。
2011年10月に、金沢からレンタカーで能登半島を
訪れた際に、いくつかの史跡を訪れました。
千鳥浜
(Chirihama Beach)
気多大社
気多大社が祀っている大己貴命が出雲から
300余神を率いて来降したという話が社伝に
残っているようです(wikipediaより)。
撮影: 2011年10月
南の日本海に近い所に立っているそうです。
能登線の能登一ノ宮駅跡があったようです。
北陸鉄道能登線は、羽咋駅から能登半島の西部を
北上し、三明駅に至る営業キロ25.5kmの路線でした。
1972年(昭和47年)に廃線になっています。
撮影: 2011年10月
いつの天皇なのか、とふと頭を過ります。
調べてみると、1983年(昭和58年)に
昭和天皇が気多神社を訪れています。
撮影: 2011年10月
国の重要文化財に指定されています。
神門の所に、巫女さんが座って参拝客を
出迎えていたのが、とても印象的でした。
撮影: 2011年10月
憚られましたので、後ろ姿を遠くから
撮影した写真です。
下の写真は、拝殿です。
撮影: 2011年10月
こちらも国の重要文化財に指定されています。
白山神社の社殿が建っています。
撮影: 2011年10月
国の重要文化財に指定されています。
撮影: 2011年10月
広さがある鎮守の杜です。
ひっそりと太玉神社の社がありました。
撮影: 2011年10月
正覚院というお寺があります。
撮影: 2011年10月
718年(養老二年)に創建されたそうです。
気多大社の長い歴史を想わずにいられませんでした。
こうした神社は、大和朝廷が地方の有力勢力を制圧した際に、
鎮魂の為に設けたのではないか、と思っています。
吉備津神社の散策記はこちらです。
走らせていると、遠くに古いお寺の塔が見えて
きたので、立ち寄ってみる事にしました。
撮影: 2011年10月
眺めが何とも言えず、旅情を誘いました。
なっている立派なお寺です。
撮影: 2011年10月
五重塔を眺めながら境内に入ると、
仁王門があります。
撮影: 2011年10月
室町時代の日蓮宗のお寺独特の形式だそうです。
吽形の那羅金剛像(写真下左)です。
撮影: 2011年10月
国の重要文化財に指定されています。
その奥には本堂が立っていました。
撮影: 2011年10月
国の重要文化財に指定されています。
開山堂(下写真左)と経堂(写真下右)があります。
撮影: 2011年10月
妙成寺第17代日遼上人が1677年(延宝5年)に
私財を投じて建立したそうです。
撮影: 2011年10月
高さ34.27m、底辺は4.85m四方の大きさがあります。
1815年(文化12年)に焼失した日光東照宮の五重塔と
ほぼ同じ大きさだったそうです。
前田利常が生母の寿福院の菩提寺として整備した
もので、第四代藩主・綱紀の代に完成したそうです。
目に付いたのが、大槻伝蔵のお墓です。
撮影: 2011年10月
取り立てられ、藩政改革を行っています。
吉徳が亡くなると、伝蔵は周囲の反感を浴び、
主君・吉徳の側室だった真如院との密通の疑いを受け、
伝蔵は自害し、真如院も処罰を受ける事になりました。
今日では伝蔵は無実の罪を着せられていたようです。
生母・寿福院のお墓もありました。
撮影: 2011年10月
丈六堂の名は、一丈六尺(約4.8メートル)の
釈迦牟尼仏を祀る事から名付けられています。
撮影: 2011年10月
丈六堂の右手には、閻魔堂も建っていました。
少し戻った左手に三十番神堂が建っています。
撮影: 2011年10月
北野天満宮から移築されたそうで、
国の天然記念物に指定されています。
藩主だった前田利常が先勝祈願したそうです。
撮影: 2011年10月
本堂は更に右隣の祖師堂と廻廊で繋がっています。
撮影: 2011年10月
国の重要文化財に指定されています。
撮影: 2011年10月
如何にも大寺という趣です。
朱色で「妙成寺」と書かれた扁額が
掲げられた本堂も素晴らしい佇まいでした。
そこで左に折れ、麓へと続いています。
撮影: 2011年10月
江戸時代初期に造られた池泉式庭園です。