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名古屋鉄道蒲郡線は、名古屋鉄道西尾線の終点・
吉良吉田から、三河湾に沿って西に進み、
蒲郡に至る営業キロ17.6kmの路線です。
蒲郡線は1929年(昭和4年)に三河鉄道によって
三河吉田(現 吉良吉田) - 三河鳥羽間が開業し、
1936年(昭和11年)に蒲郡まで延長開業しています。
開業当初は、三河線の一部とされおり、
また三河鳥羽 - 蒲郡間は未電化でした。
1941年(昭和16年)に名古屋鉄道が三河鉄道を合併し、
1947年(昭和22年)には蒲郡まで電化されました。
以前は、名古屋鉄道も三河湾の観光事業を行い、
蒲郡線にも毎時二本、名鉄名古屋からの
直通特急が走っていました。
名鉄の三河湾の観光事業も取りやめとなり、蒲郡から
名古屋に通じる東海道本線は、かつての国鉄時代は
運転本数も少なく、所要時間も掛かっていたので、
名鉄特急も競争力がありましたが、JRが発足して以降、
東海道本線には毎時4本の快速電車が運転されるよう
になると、特急列車の運行は取りやめになりました。
またかつては吉良吉田で三河線、西尾線と接続していましたが
こちらも2004年に三河線の碧南 - 吉良吉田間が廃線となり、
鉄道のネットワークが失われてしまっています。
今では、蒲郡線の乗降客数は1980年と比べほぼ半減
している状況で、廃線も取りざたされいる状況です。
その名古屋鉄道蒲郡線には2011年11月と
2021年9月に乗車しています。
その時の様子を紹介します。
蒲郡線の終点・蒲郡駅はJRとの共同使用駅です。
高架化され近代的な姿になりました。
2000年(平成12年)に名鉄蒲郡線が高架化され、
JR線は2005年迄に上下線が高架化されています。
蒲郡はいくつかの温泉もあり、三河湾の
風光明媚な景色も楽しめる観光都市です。
一時期名鉄も蒲郡の観光開発に力を入れていた
ようですが、それが実らなかったのは残念です。
蒲郡の様子はこちらです。
名鉄蒲郡線の乗り場はコンコースの南端です。
中央に堂々と構えるJRの改札口に比べると、
蒲郡線の乗り場は少々判りにくい場所です。
名鉄の蒲郡駅は交通系ICカードが使えず、
切符を買って高架ホームに向かいました。
ホームに上がると、丁度電車が到着しました。
かつては、名古屋との間を直通する特急が
毎時二本も走っていた蒲郡線ですが、
今は二両編成の普通電車が、30分事に
吉良吉田との間を往復しています。
名鉄のホームからJRのホームに到着した
東海道本線の快速電車が見えていました。
吉良吉田行の電車から眺めた進行方向の様子です。
次の蒲郡競艇場前まで、JR東海道本線と並走します。
蒲郡を発車するとしばらく蒲郡の中心部を走りますが
やがて右手に遠望根山、左には蒲郡競艇場が見えてきます。
高架の路線が地上に降りると蒲郡競艇場前駅に到着しました。
蒲郡から2.3kmの位置ですが、1953年(昭和28年)
までは、この間に2駅存在していたようです。
また隣の東海道本線にも1988年(昭和63年)に
三河塩津駅が開業しています。
蒲郡競艇場前駅を出ると、田圃の中を東海道本線が
右に緩やかなカーブを描きながら遠ざかって行きます。
この先、蒲郡線は古い集落に沿って走っていきます。
三河鹿島を過ぎ、形原に到着しました。
形原は古い港町で、中世のお城も
ありますが、温泉地でもありました。
形原駅は、港町に近い位置にあります。
形原城の登城記はこちらです。
形原からも古い集落に沿って走ります。
次の西浦では蒲郡行の電車と行き違いです。
西浦は三河湾に突き出た小さな岬で、
西浦駅はその付け根部分にあります。
3キロ程離れた岬の先端に、
温泉地もあります。
西浦温泉の様子はこちらです。
三河鹿島、形原そして西浦と近距離利用の乗客が下車し、
車内は、ほぼ無人の状態になってしまいました。
30分事に普通電車が運行されている蒲郡線ですが、
利用客の減少が著しく、存続が危ぶまれています。
西浦を出てしばらくしたところで、車窓左後方に
三河湾越しに、西浦の岬が見えてきました。
この景色が蒲郡線一の眺めと思います。
この先で、小さな岬の基部を超えていきます。
その後、こどもの国に到着しました。
前方右手の山の上に愛知こどもの国があり、
その最寄り駅として、1976年(昭和51年)に
今の駅名に改称されています。
愛知こどもの国は1974年(昭和49年)に開業しており、
その際に新たに開業した駅と思っていましたが、
調べてみると、近くにあった洲崎駅を移転し
改名していたようです。
こどもの国を発車し、高台を走ります。
家の屋根の向こうに西浦の岬が見えています。
愛知こどもの国のある山の裾野を迂回
するように走り、東幡豆に到着しました。
東幡豆は名鉄の三河湾観光の拠点だった駅で、
特急列車が走っていた時にはその停車駅でした。
1978年の乗車数は一日で900人ほどでしたが、
2019年には191人まで減少してしまっています。
2011年に蒲郡線に乗車した際には、
東幡豆で下車し、近くを散策しています。
東幡豆の散策記はこちらです。
古い駅舎もありましたが、2021年に取り壊されています。
東幡豆から集落と田畑が混在する車窓風景を走りました。
次の西幡豆にも古い駅舎がありましたが、
こちらも、2011年に取り壊されています。
西幡豆は、幡豆町の役場の最寄り駅でしたが、
2011年に幡豆町が西尾市と合併し、由緒ある
幡豆の地名は、東幡豆駅、西幡豆駅と
一部の地名だけに残っています。
西幡豆からは平地が広がり、高い防波堤との間に
太陽光パネルが並ぶ光景を眺めるうちに
三河鳥羽に到着しました。
ここで二度目の列車交換がありました。
三河鳥羽も港町の近くに作られた駅ですが、
駅の周囲はのどかな田園風景になっています。
一時期ながら、かつてはこの駅が終着駅だった
とは思えないほどののどかな光景です。
三河鳥羽からは広々とした田園風景が続きました。
矢崎川を渡ると蒲郡線の起点・吉良吉田に到着です。
下左の写真、右手に分岐する線路が、蒲郡線から
西尾線に乗り入れる線路で、直進する線路は
かつては三河線と繋がっていました。
現在では、蒲郡線の電車は線内を行き来するだけ
ですので、直進し蒲郡線のホームに進入します。
上右の写真は、蒲郡線の車内から眺める
西尾線の電車です。
吉良吉田駅に到着した蒲郡線の電車です。
蒲郡から17.6kmを28分掛けての小旅行でした。
わずかな乗客が西尾線へと乗り換えていました。
吉良吉田周辺の散策記はこちらです。
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