岡崎駅前 - 福岡町
(Okazaki Ekimae - Fukuoka Cho)
1943年(昭和18年)に運転休止となった愛知電気鉄道
西尾線のうち、岡崎駅前から南に2km程行った
福岡町までは1951年(昭和26年)に復活し、
名古屋鉄道(以下、名鉄)福岡線になっています。
この復活によって岡崎市内線と直通し、大樹寺まで
運行されるようになりましたが、その福岡線も僅か
9年後の1962年に廃止になってしまいました。
その福岡線の廃線跡はバス専用道路となり
名鉄バスが福岡町から岡崎の市街地を縦貫し
大樹寺など市の北部を結ぶ路線を運行しています。
この区間は、子供の頃からとても馴染のあるところです。
2012年4月に一度散策して写真を撮りましたが、
2016年4月以降にはバス専用道路を通るバスの運行が
無くなるというので、2016年2月に再度訪れてみました。
4月以降は、上図の青い破線で示した
一般道を運行する事になっています。
JR岡崎駅東口の様子です。
撮影: 2012年4月
2000年頃から区画整理事業が始められ、
今では以前の面影は全くありません。
以前は、福岡線の廃線跡が岡崎駅のすぐ近くまで続いていました。
また東口の南側には日本通運の建物があったのですが
その建物は西尾線時代の岡崎新駅の駅舎だったそうです。
以前は、古い倉庫が並び、その間を福岡町行の
バスが走っていた辺りも今は、面影がありません。
撮影: 2012年4月
福岡線の跡を走る名鉄バスは、この区間は
東側の県道を迂回して走っています。
福岡町行のバスは、南に100m程行ったところに
名鉄バスの待機場があり、その前の道を通っています。
撮影: 2012年4月
バスが向かう先で、すぐにJR東海道本線に突き当たり、
左に折れて、福岡町へと南下しています。
ここからは、名鉄バス専用道路になっています。
左に曲がった先、東海道本線と並走する所です。
撮影: 2016年2月
この辺りは、当時の福岡線の廃線跡になっています。
岡崎駅から500mの所に柱町のバス停がありました。
このバス停は、福岡線時代に停留場があったところです。
西尾線時代は、鉄道路線だった為、新岡崎を出ると
福岡町(当時:土呂)まで駅はありませんでしたが、
福岡線として復活した際には、路面電車が運行された為、
小まめに停留場が設けられていました。
柱町のバス停から南を眺めた様子です。
撮影: 2012年4月
この先も名鉄バスの専用線が真っ直ぐに伸びています。
写真左手に小型トラックが停車しているのが見えますが、
以前は東海道本線から停車中のトラックの手前を通り
その奥にあった日清紡績の工場まで引込線が続いていました。
福岡線が現役の頃は、ここに
クロッシングが存在していた事になります。
岡崎駅での貨物取り扱いも、何十年も前に廃止に
なっていますが貨物の入れ替えと、路面電車が
行き交う姿を想像するのも難しくなっています。
柱町から更に南に下ったあたりの様子です。
撮影: 2016年2月
この辺りは、バス専用道は住宅地の間を走ります。
住宅が背中を向けて建っているのが
廃線跡である事を示しています。
撮影: 2012年4月
この辺りは、バスが来ると逃げ場がないところで、
また、子供の頃は、今よりもバスの本数が多く
この道は、決して近寄ってはならないところでした。
この住宅密集地の先に、東若松のバス停があります。
撮影: 2012年4月
ここも福岡線が復活した際に停留所が置かれました。
バス専用道になっても、道幅が狭く、バス同士の
すれ違いが出来ないので、当時の停留場跡は
バスの行き来に役だっています。
実際、バス停で反対方向からのバスを
待つ事がしばしばあります。
東若松から南を眺めた様子です。
撮影: 2012年4月
バス専用道路の両側に建ち込めていた住宅は
ここで尽き、ここからは県道の築堤脇を
緩やかな勾配で下って行きます。
上の写真右手にはJR東海の変電所があります。
バス専用道路は、バス以外の人や車等、
一般の通行は禁止されていますが、ここから先は
しばらくの間、交差する道も退避する場所も無く、
特に一般車両の通行が制限されている所です。
東若松のバス停から100m程南に行ったところの
南公園入口の信号脇には、バス専用道路を
跨ぐ小さな橋が架かっています。
岡崎市の南公園の散策記は
こちらです。
その橋の上からの眺めです。
廃線跡は一段低いところを通っているのが判ります。
撮影: 2012年4月
南側は低地を行く福岡線の廃線跡が、築堤を行く
東海道本線をアンダークロスしていく様子も一望出来ます。
丁度バスが、その橋の下を通って行きました。
当時の路面電車を彷彿とさせる光景でした。
撮影: 2012年4月
この先、アンダークロスしている様子が
良く見える場所へと行ってみました。
田圃のあぜ道の様な細道が交差する場所です。
撮影: 2016年2月
この光景も路面電車時代の福岡線の
様子を彷彿とさえる場所でした。
こちらは築堤の西側から眺めた様子です。
撮影: 2012年4月
ここは、ブルートレイン華やかだった40年以上前、
東京に向かって上る姿を撮りに良く来ていた所です。
このすぐ南側に、西若松のバス停があります。
撮影: 2012年4月
僅か数年前まで、福岡線時代の木造の
待合室があり、その脇に咲く桜の花が
とても綺麗な場所でした。
上の写真左の小さなスーパーも僕が
小学校の頃から続いていたお店ですが、
今ではもうありません。
西若松の南方向を写した様子です。
撮影: 2012年4月
低地が広がるこの辺りは、
以前は田圃が広がっていましたが、
次第次第に住宅が増えてきています。
この先に見える住宅地の様子です。
撮影: 2012年4月
他の道と交差するところでは、
バス専用道路側に一旦停止の標識があります。
バス通りの脇に停まっている車があります。
以前は、バス専用道路を歩いている時にバスが
通りかかると、運転手さんに怒られたものですが、
今は時折車が走っているのも見かけます。
福岡町へと向かうバスの様子です。
撮影: 2012年4月
この先の橋は、築堤を行く県道です。
通称、西尾街道と呼ばれています。
その西尾街道の橋の上から福岡線の
廃線跡を走るバスの様子を眺めてみました。
撮影: 2012年4月
バス専用道路の右手には広大な田圃が広がっていました。
岡崎駅南側に広がっている広大な田圃です。
撮影: 2012年4月
いま、ここに大学病院やショッピングモールを
誘致し、住宅地を建設する計画があります。
岡崎市の土地区画整理計画は
こちらです。
この区画整理計画の南の端が福岡線の
廃線跡に掛かり、2016年3月末でここを
走るバスの運行が終わってしまいます。
撮影: 2016年2月
その工事がもう始まっていました。
本当に境界の僅かばかりが掛かっている様なので
なんとかすれば、バスの運行も従来通りに
出来たようにも思います...
バス専用道路を管理している名鉄にとっては、
費用削減の思惑もあったのでしょうか。
このすぐ先に福岡町のバス停がありました。
西尾線時代の土呂駅の駅構内を使い
バスの転回場が設けられています。
撮影: 写真左 2016年2月 写真右 2012年4月
バスは、ここで時間調節を行う為
長い時間停車しています。
撮影: 2016年2月
現在、日中は20分毎の運行ですが、
岡崎駅方面からのバスが到着した後に
しばらくして待機していたバスが
発車するダイヤになっているようです。
日中、渋滞の激しい岡崎市内の交通状況を考慮し
折り返しのバスに遅れが生じない為の施策と思います。
バス停から通りへの様子です。
撮影: 2016年2月
駐輪場と駐車場に囲われた狭い通路を通って
バス乗り場に向かう様になってます。
2016年4月以降、福岡町行のバスは、東海道本線の
東側を並走する県道を走り、今の福岡町バス停南側の
道路からアクセスしてくる事になっています。
撮影: 2016年2月
この通りです。
この通りを東に向かうと戦国時代に
一向宗の拠点になった土呂の集落があります。
土呂界隈の散策記は
こちらです。
土呂城の登城記は
こちらです。
今は駐輪場のフェンスが張られていますが、
これからこのフェンスが取り外され、
駐輪場はどこかに移動するのでしょうか。
福岡町のバス停の南には、更に
西尾線の廃線跡が続いていました。
撮影: 2016年2月
福岡町行のバスは、上記の様に2016年
4月以降は廃線跡のバス専用道路を走らず、
一般道を大回りして走る事になっています。
岡崎駅南の区画整理工事が終了すると
今度は、その中のメイン通りを走って
岡崎駅に向かう予定になっているそうです。
バスの運行ルートも気になりますが
その際、福岡線の廃線跡はどのように
なってしまうのか、気に掛かります。
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